11 ザックス、心配する!
迫ってくるのは小型獣型のモンスターの群れだった。一体一体は大した強さではないのだが、敏捷性を持った個体群が群れをなして襲ってくると、それなりに厄介である。
ただし、それは数日前までの話だった。
《加速》と《全身強化》をかけた身体で襲い掛かる群れのど真ん中に身を投じたザックスは、手にした《ミスリルセイバー》で周囲のモンスター群を一息に切り裂いていく。先ほどマナLVが21になると同時に習得した《乱れ斬り》の効果がいかんなく発揮され、モンスター達は次々に切り裂かれていく。
全滅させたのも束の間、さらにその背後から別の猛牛型モンスターが現れた。
「ここは、初級レベルダンジョンじゃなかったのかよ」
想定外の上級モンスターの突進をひらりとかわすと、ザックスは《袋》から秘密欠陥兵器を取り出した。鍛冶屋ヴォーケンに性能評価を頼まれていた試作アイテムにマナを込める。だが、再び立ち直った猛牛型モンスターの突進をかわす事で、その行為が中断された。
「時間がかかり過ぎだな」
ようやく起動したそれを、自らの突進の勢いで壁に激突して目を回しかけているモンスターに放り投げると、急ぎ左腕の《魔法障壁の籠手》を展開し、眼前に障壁を展開した。放り投げた試作アイテム《爆裂弾》が作動し、モンスターは吹き出した炎に包まれ、倒れた。爆発の熱風と衝撃を魔法障壁でやり過ごし、沈黙に包まれたダンジョン内で換金アイテムを回収した。
「使えねえな。起動のタイミングがつかみづらいし、威力がありすぎる。ダンジョン内での使用は自殺行為に近いな」
床に転がる《爆裂弾》を回収しようと手を伸ばし、その余熱に驚いて慌てて手を引いた。
「回収できるようになるまで待ってろ、ってのか、この手のアイテムは使い捨てが基本だろうに……」
しばらくの時間をおいて、ようやく回収できるようになった創作屋の自己満足満載の欠陥アイテムを《袋》に戻す。大きく一つ伸びをして周囲を見回した彼の視界に《帰らずの扉》が目に移った。踏破が目的という訳ではなかったがいつの間にか最下層へとついていたようだ。
「依頼されたアイテム回収も終わったし、ついでにボスモンスターでも倒してこのダンジョンを踏破しておくか」
先日の神殿での転職において中級職である《剣士》となった今のザックスには、すでに初級レベルダンジョンの単独踏破など朝飯前だった。同レベルの冒険者ではまだとても不可能な事をあっさりとやってしまっている辺り、実は驚異的な事なのだが、仲間たちとパーティをほとんど組んだ事のないザックスにはその価値が分からない。
まあ、みんなこのくらいはできるんだろうな、などと呟きながら、彼の姿は最下層の扉の向こうへと消えていった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
《転職》の翌々日の昼下がり、クエストをうけた初級レベルダンジョンを丸一日かけて攻略したザックスは、ようやく酒場に帰還した。
途中で立ち寄ったアイテム換金所では、職員達が奇異な視線を彼に向けた。取り出した僅かな額の換金アイテムに、係の女性はなぜかホッとした表情を浮かべていた。知らぬところで迷惑でもかけただろうか、と首をかしげながらその場所を後にする。後は依頼内容のアイテムをマスターのガンツに届ければそれで終了であると思った矢先、ザックスは店内にいたイーブイに呼び止められた。
「おお、ザックス殿。ようやく帰ってこられたでござるか。どちらに行かれておった? 探したでござるよ」
「転職したんでな、腕試しを兼ねて、ちょっとばかり潜ってた」
返答するザックスに、マゲを横向きに結ったイーブイは僅かに驚いた。
「少しは休まれてはいかがかな、ザックス殿。無理は禁物でござるよ」
「まあ、分かってはいるんだけどな」
己の成長が実感できる時というのは、多少の困難も苦にはならない。むしろ地力を上げるべく、厄介事を求めているのが本音である。ついでに稼げるなら一石二鳥というところだったが、現実はそれほど甘くない。
「ところでザックス殿、温泉に興味はないでござるか」
「温泉?」
「うむ、拙者達《ザ・ブルポンズ》は今懐事情もよいことでこれを機に、一月ばかり温泉巡りに繰り出そうということになり申した。ザックス殿を探しておったのでござる」
「それは楽しそうだな、でもすまない、俺は行けそうにない」
「ダメでござるか?」
彼らと同じく懐事情に余裕がある今なら少しくらい休んでも問題はない。だが、ウルガ達との約束の期日が迫っている事もあり、少しでも彼らに追いつこうと、彼は焦っていた。
「すまん、先約があってな。もう期日が迫ってきてるんで、あまりのんびりできないのさ」
「先約とは、ウルガ殿達との事でござるな」
「ん、ああ」
イーブイは僅かに沈んだ表情でザックスを見つめる。だが、やがてため息を一つつくと彼に言った。
「分かり申した。この度は諦めるでござる。だが、ゆめゆめ忘れないで下され。ザックス殿はもはや我ら《ザ・ブルポンズ》のかけがえのない一員でござる。拙者達の復帰の際には、いの一番に召集を掛けますので、必ず我らのパーティに参加して下され。それまで決して……、決して、死んではならぬでござるよ」
パーティのリーダーであるだけに大方の事情は察しているようである。その言葉に彼の気遣いを感じ取る。
「ああ、分かった。その時はよろしく頼む」
「では拙者達はあちらであらたな『決めポーズ』を考案してくるでござるよ」
「それだけは勘弁してくれ」
「ダメでござる。我々はもう運命共同体なのでござるよ」
からからと笑いながら去ってゆく彼の背を見送りながら、ザックスはどことなく暖かさを感じていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「ザックスさん、そろそろ休憩にしませんか」
中級レベルダンジョンの下層域近くの広場で雇い主の一人が声をかけ、ひと時の休息時間が訪れる。臨時メンバーの予定だった者が体調を崩した為、ザックスは急きょその代役として彼らと行動をともにしていた。
――退屈だな。
それが昨日、今日と行動を共にした彼らとのミッションの感想だった。
平均マナLV25の4名からなるパーティの実力は相応のもので、彼らの戦闘は実にそつなく無駄がない。合理性を重んじる彼らは事前に綿密な調査をしっかりと重ね、目的地への最短距離を確実に無駄なく進行するパーティであった。ほどほどの冒険をし、ほどほどに稼ぐ――ガンツ=ハミッシュの酒場の中でもさほど印象に残らぬ彼らの事を、マスターのガンツに紹介されるまで思い出せなかった。
ウルガ達やブルポンズと行動を共にした時の、楽しさやワクワク感といった物が全く感じられぬ彼らのミッションは、ルーチンワークでしかない。
尤も彼らはダンジョンの攻略ミッションやクエストを『カネを稼ぐための仕事』と割り切っている節があり、そういった意味で彼らは目的を同じくする仲間なのだろう。ときおり「私達のパーティの正式メンバーになりませんか」という誘いを受けるものの、それは単なる社交辞令以上には感じ取れなかった。
『他人の歩いた道を歩み返しては満足する、そんな狭量な輩ばかりが蔓延る様になってしもうた』
波止場で釣りをする爺さんの言葉がふと思い出される。
――仲間……か。
それはおそらく目的を同じくする運命共同体の事をさすのだろう。ウルガ達、あるいはブルポンズの関係は確かに仲間と呼べるものである。だが、いかに彼らと親しくしようともザックスは、彼らとはどこか違うところを見ている己を感じていた。
――俺の目的……か。
結局、行きつくところはそこなのだろう。
冒険者になったのは未来の見えない故郷から追われるように離れ、生きる糧を得るためだった。
迷宮内での不幸な事件の後は、自身にかけられたこの呪いをどうにかしなければならないとも思っていた。だが、時折奇妙な出来事や困難に遭遇する事はあれども、ここ暫くはそんなことも忘れ、ただ己の力の向上のみに意識を向けていた。
――冒険者ってのは、何なのだろう?
不意にそんな疑問にとらわれる。ウルガ達との約束を果たしたその先に、自分はどこへ向かっていくのだろうか。漠然とした不安がザックスの心にのしかかっていた。
「ザックスさん。ザックスさん。貴方はどう思いますか?」
声を掛けられ振り返る。雇い主達はなぜか皆、彼に注目していた。少しばかりザックスより年上の彼らが話題の中心に挙げていたのは、創世神殿の巫女達だった。
「ええと、何だっけ?」
「やだなあ、これですよ、これ」
見れば彼らは『貴方が選ぶ注目の美女たち』と題された書物を開いている。
数年前にドワーフの村で発明されたという《ドワーフ活版印刷機》なるものを用いて、とある裏酒場が年に一度、高額で発行している冒険者御用達の書物である。影写具でとられた肖像画を綴じ込み、神殿巫女や酒場の看板娘、あるいは街の有名人や観光スポットを紹介するという内容である。その一面に映った一人の巫女の姿にザックスは見覚えがあった。
「あれ? この人……」
「おお、ザックスさん、お目が高い。やはりマリナさんが一番ですよね」
「たしか、中級職の転職の時に……」
「なにぃ!」
一同の注目が集まる。すかさず四方から質問が飛んだ。
「『天使の微笑』とうたわれたマリナさんと話したんですか」
「千人の悪人を見事に回心させたとか」
「彼女は神聖水だけを飲んで生きているというのは、本当なのか?」
途方もない質問に当惑する。噂がやたらと独り歩きしているようである。彼らの理想を粉微塵に破壊する事を避けるため、ザックスは話題を変えた。
「いや、俺はどちらかといえばこっちの娘の方が……」
何気なく指したその先の肖像は、幸か不幸か彼がよく知る娘だった。
「そうだよな、やっぱりイリアちゃんが一番だよな」
「くうぅ。ザックスさんお目が高い!」
再び盛り上がって行く話題に閉口する。そんな時だった。
「でも、イリアちゃん、今、病気で寝込んでるんですよね?」
「なにぃ。それは本当か」
「ああ、なんでもどっかの間抜けな冒険者に泉に突き落とされたとか、彼女の人気に嫉妬した姉巫女達に苛められて一晩中、外に締め出されたとか」
「マジかよ、またガセネタじゃないだろうな」
「ここ数日、神殿内でみた人はいないってのは本当らしいですよ」
「畜生、見舞レースに出遅れちまったじゃねえか」
その意外な近況を、ザックスは呆然とした面持ちで耳にしていた。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
夏の日差しはまだ高いが、すでに夕刻近い時間帯である。
ダンジョン踏破もそこそこに、急ぎ自由都市に帰還したザックスはその足で大神殿へと向かった。
途中で購入した見舞の花束を手に、先日彼女と別れた神殿裏手の通用門付近をうろうろする。だが、神殿内に伝手を持たぬザックスにはイリアの容態を知る術もなく、ただ時間だけが徒に過ぎて行った。門の守衛がそんな不審者を取り次ぐはずもなく、『とっとと消えろ』と云わんばかりの視線でザックスを威嚇する。仕方なくすごすごとその場を退散しようとしたその時だった。
「なにか、御用か? 若いの」
不意に背後に現れた気配に驚いて飛びのいたザックスは、そこに一人の神官衣に身を包んだ男の姿を見出した。
年の頃は四十代半ばくらいだろうか。短く髪を刈り上げ、太い丸太を連想させるような体躯のその姿は、神官と云うよりは流れの戦士に近い。こんな強面でよく信者がついてくるものだなというのが第一印象だった。彼の纏う圧倒的な空気に気圧され、ザックスはおもわず本音を漏らした。
「いえ、あのイリアの容態が気になって……」
「イリア……、だと!」
言葉と共にギロリとザックスは睨みつけられる。
「お前はイリアを呼び捨てにするほどに親しい仲なのかな?」
《ドラゴン》の咆哮すら生温く思える程の強烈な殺気を感じた。並みの冒険者なら吹き飛ばされた事だろう。
「い、いえ、その……、イリア……さんには『転職』の際に大変お世話になりまして、た、体調を崩されたとお聞きしまして、ご、ご様子を窺おうかと……」
しどろもどろになって答えるザックスを睨みつける神官風の男の視線に耐えきれず、花束を押し付け、慌ててその場を逃げ出した。
先日のマリナといい、今日のこの男といい、この神殿には何か特別な視線の力を持つスキルが存在するようだ――などと頓珍漢な事を考えながら、ザックスは坂道を転がった。
「あらあら、おじさまが余りに睨みつけるから、彼が逃げ出してしまったではないですか……」
押し付けられた花束を手にして訝しげにザックスの背を見送る男の傍らに、一人の巫女服姿の女性が現れる。
「ふん、あんな腰ぬけの若造、百年早いわ」
彼女に手の中の花束を預けながら、男は忌々しげに吐き捨てた。
「でも、おじさま、ザックスさんは新進気鋭の冒険者として、今この都市で、密かに注目されつつあるのですよ」
「何、彼が、あのザックスなのか」
「ええ、おじさま、ご存知だったのですか?」
巫女の言葉に神官の男は何やら考えこんでいる。やがて、何かを思いついたかのように顔を上げた男は、傍らに立つ彼女に頼みごとをした。
「マリナ、頼みがある。少しばかり面倒事だが、やってくれるか」
「はい、おじさま。なんなりとお申し付けください」
マリナは『天使の微笑み』とうたわれるその笑顔で彼の依頼を引き受けた。イリアとザックスを肴に再び何か面白い事になるに違いない、と彼女が考えた……かどうかは定かではない。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「おい、ザックス」
ガンツ=ハミッシュの酒場のマスターであるガンツは不機嫌そうな表情で、通りかかったザックスを呼びつけた。
「なんだよ、マスター。またクエストか?」
だが、不機嫌そうな表情を崩さないガンツは、唸るような声を上げて尋ねた。
「お前……、神殿と何か悶着をおこしたのか?」
その問いに、ぎくりと立ち止まる。
昨日の事を含めていろいろと心当たりがありすぎるのだが、大事に至るようなものではないはずだ、と考えたザックスは首を振った。暫し訝しげにザックスを見つめていたガンツだったが、やがてため息をつくと口を開いた。
「転職以外の用件で神殿にはあまり関わるな。事を構えて潰された酒場ってのは、何軒もあるんだからな」
「それって、支配下の冒険者が巫女に悪さをしたとかっていうんじゃないのかよ」
「それもある。だがな、それだけじゃない。冒険者協会が神殿に一目置いてるってのには、それなりに理由があると思え!」
「分かってるよ」
己の知らぬところで悪人扱いされてるようで少々気分が悪い。だがガンツの次の一言は意外なものだった。
「じゃあ、クエストの依頼だ」
「へっ?」
「クエストだ。お前さんに神殿から直々に御指名がかかってるんだよ。契約日数は三日間だ!」
「おい、関わるなって、今、言ったじゃないか」
「この仕事は断れねえんだ。だから釘を刺したんだよ。だいたいお前程度のレベルで、あそこから御指名がかかること自体が異常なんだ」
「そうなのか」
「くれぐれも気をつけてな。巫女に悪さなんかするんじゃないぞ!」
「してねえよ!」
耳聡い一階席冒険者達の嫉妬と羨望の視線を一身に受けながら、ザックスは依頼主の待つ創世神殿へと向かった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「あらあら、いけませんわね。ナイフとフォークは外側から使うと先ほど教えましたでしょう」
ピシリと空気を切る音がして鞭が振られる。
「いてぇ!」
打たれたザックスの悲鳴が、室内に響き渡った。
「何すんだよ」
その言葉に再び鞭が振るわれる。
「言葉遣いが乱暴ですわ」
「あんた、絶対楽しんでやってるだろう」
「まあ、そんな事あろうはずないではありませんか。大事な妹分の為、将来の旦那様になられるかもしれぬお方を調教……、いえ、教育するのが今の私のお役目なのですよ」
「いま、『調教』って言わなかったか?」
「あら、そんな事あろうはずないではありませんか」
「なぜに棒読み? そんなことより、本当にイリアの容態をきちんと教えてくれるんだろうな?」
「私達は神殿巫女ですのよ。創世神に誓って嘘を申すことなどありえません」
イリアを餌に手玉にあやつられている事に気付かず、さらに得るものと失うものの差が余りにも大きすぎる事に、全く気付いていないザックスだった。
創世神殿神官寮の一室において、神官衣を着せられた彼は、言葉遣いを始めとしたテーブルマナーや行儀作法についてのレクチャーを受けていた。恨めし気なその視線の先には、良家の子女の教育係の典型のような服装で、乗馬鞭を片手に指先でくいっと伊達眼鏡を押し上げながら、ノリノリで指導するマリナの姿があった。
「絶対、詐欺だ!」
マリナの姿に、ザックスはぽつりと呟いた。
『天使の微笑』というのはその内面を知らぬ者の戯言だろう。千人の悪人を見事に改心させた――仮に真実ならおそらく力技かペテンにかけたに違いない。
「神聖水だけを飲んで生きているってのは、きっと『大酒飲み』ってオチなんだろうな」
「何かおっしゃいまして? 確かにお酒はたしなみますが……」
にこやかな微笑みで尋ねる彼女に、もはや言葉はない。
初めて会話をした時からうすうす気づいていたのだが、こうも実態と噂がかけ離れている人物も珍しいだろう。
この神官寮は男子寮であるのだが、彼女とすれ違う全ての者達が居住まいを正して彼女に挨拶をする辺り、どうやら只者ではないらしい。ザックスと同世代かどうかもあやしいところである。
「あらあら、私はザックスさんと同い年ですよ」
まるで頭の中を覗いたかのようなタイミングで掛けられた言葉に、背筋がゾクリとする。にこやかに微笑みながらマリナは続けた。
「出発は明日になります。今夜は徹夜になってでも、それなりの体裁を整えて頂きますわ」
ザックスは眼前のテーブルに突っ伏した。彼の姿に微笑みを浮かべたまま、マリナは小さくぽつりと呟いた。
「私達の可愛いあの娘をさんざんに泣かせたのですから、その分、しっかり働いて頂きましょう」
最強の敵が直ぐ側にいることにも気付かず、ザックスはなれぬ作法に悪戦苦闘し続けていた。
2011/07/25 初稿
2013/11/23 改稿