20 ヘッポイ、奮戦す!
白昼夢よりはたと覚める。眼前には相変わらず筆舌にし難い光景が広がっていた。
応接室の室内の上座に立った奴――ヘッポイは、傍らに呆然と立ち尽くすザックスと肩を組み、武勇伝をひけらかしている。聴衆は、彼の四人の部下らしき神官たちとザックスの二人の仲間、そして彼らを案内してきた守衛。さらに何故か、なかなか戻らぬ相方を不審に思い、呼びに来たはずのもう一人の守衛の姿までもがある。
彼らは皆、室内に繰り広げられるヘッポイズ・ワンダー・ワールドに捕えられ、過剰な演出が加えられたその武勇伝に耳を傾ける。題目はかつての忌まわしきクエストでの出来事であり、有能すぎるリーダー・ヘッポイとおっちょこちょいな部下・ザックスのおりなす珍道中は、多くの者達の笑いと涙を誘った。ふと、仲間たちと視線が合う。
――貴方、とても苦労してたのね……。
アルティナの憐みのこもった視線に思わず涙ぐむ。だが、ふと気付いた。
――ちょっと待て。確か原因にお前が一枚噛んでなかったか?
記憶を探るが今一つ思い出せない。こうして当事者の知らぬ間に、歴史は書き換えられていくのだろう。
――《魔将殺し》ってのも楽じゃないね……。
しみじみと頷くクロルに、強く訴えかける。
――《魔将殺し》が問題なんじゃない。オレの隣にいるこいつが全ての問題の元凶なんだ!
だが、その必死の訴えに耳を貸す者はない。敗者は常に沈黙し続けねばならぬよう、歴史に義務付けられるもの。あの日のザックスとヘッポイの立ち位置が完全に入れ替わったその武勇伝は、おそらく史実として語り継がれてゆくのだろう。
暫しの後、ようやく物語が大団円を迎え、ザックスがすっかり性も根も尽き果てた頃、熱気冷めやらん応接室に、新たな案内役の者が現れた。
「貴様ら、ここでいったい何をやっておるか!」
役目を忘れ、話に聞き入っていた二人の守衛は、はたと我に返り、這這の体で部屋を後にする。後で厳しい処分が課せられなければいいんだが、とザックスはふと心配した。
「ほう、ようやく現れたか。このオレ様をここまで待たせるとはいい度胸だ! とっとと長老達の元へと案内するがいい!」
待ち時間を目一杯に使って、漫談の講釈にいそしんでいた男の発言とはとても思えない。しばし、不機嫌な表情を浮かべていた案内役の男は気を取り直し、口を開く。
「創世神殿よりの使者とは貴様か?」
「うむ、我が神殿の長老会議より信書を携えてきた。至急、取り次ぐがよい」
この男に信書を届けさせるという暴挙を犯す最高神殿の長老達。友好関係の確認どころか、どうみても竜人族に喧嘩をふっかけているとしか思えない。
ふと、その部下達に目が移る。神官衣に身を包んだ四人は誰もがひょろひょろと青白い。明らかに修羅場慣れしてない彼らを見るに、『捨て駒』という言葉がふと思い浮かんだ。最高神殿よりの信書――その中身とはきっと『宣戦布告』の類いに違いない。
だが、案内役の男は意外な事を口にした。
「残念だが、貴殿を神殿よりの使者と認めるわけにはいかぬな……」
「何だと?」
「我ら竜人族が対等と認める者はそれに見合うだけの力をもってこそ……。どうしても、我が里の長老方に会いたいのならば、試練を受けていただこう」
「ほう、このオレ様を試そうと言うか、面白い……」
――ちょっと待て、ヘッポイ! よく考えろ!
相手は一騎当千の勇猛を誇る竜人族。そんな彼らが与える試練とは、十中八九ガチンコ力自慢対決となることが予想される。ひょろひょろ末成り青瓢箪の四人の部下を連れて肉体言語で語り合えば、生還は難しい。全滅も免れないだろう。いかにヘッポイが傍若無人、傲岸不遜な迷惑者とはいえ、見知った者が目の前で破滅するのは、さすがに寝覚めが悪い。だが、ザックスが制止する間もなく、ヘッポイは堂々と高らかに宣言した。
「面白い。このオレ様が只一人で、貴様らの試練とやらに挑んでやろう!」
――この……大バカ者!
狙ったのかどうかは分からぬが、対象を己一人にしたまでは正しい選択であるが、肝心の彼の実力は並み程度の冒険者、しかも回復役である。あれから一年足らずでは、神官職と掛け持ちしているだろう彼に、さほどの成長は期待できないだろう。同じ期間で驚異的な成長をしたザックス達は、あくまでも例外的な存在である。
「よかろう、その大言。後悔するでないぞ!」
不気味な笑みを浮かべると、案内役の男はアルティナに向かって言った。
「そういう訳なので、エルフの姫君よ、今、しばらくお時間を頂きたい。もしよろしければ、これより行われる座興をお楽しみいただいて、時間潰しをされてはいかかであろう?」
当事者ではないというのにすっかり青ざめてしまった四人の部下の姿を気にかける事もなく、ヘッポイは意気揚々と案内役の男と共に部屋を後にする。
室内に居合わせた一同は顔を見合わせ、慌ててその後を追った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ヘッポイに課された試練という名の座興は、その建物の中にある闘技場で行われた。
半地下に掘り下げられて造られたその場所は、十分広く、《ペネロペイヤ》中央にある闘技場と比べても遜色ない。六角形の試合場は周囲に鉄の網が張り巡らされ、東西南北に造られた扉には厳重な封印が施され、対戦者がその場から絶対に逃げられないようになっており、戦う戦バカと観る戦バカを存分に堪能させる設計となっている。
介添え人を一人つける事を許されたヘッポイは、部下の神官ではなく、ザックスを指名し、その場所に立っていた。周囲の観客席には竜人族の男女がまばらに散らばり、おそらく身分の高いと思われる老人達も並んで観戦している。アルティナ達はザックスの背後に陣取り、不安げな表情を浮かべている。
「竜人族のやつら、完全に楽しんでやがるな……」
ぽつりと呟くザックスの前には、戦装束に身を包んだヘッポイが立ち、愛用の《メイス》をブンブン振り回している。《鎖帷子》に《円形盾》、足には《脛当て》を、そして兜を被ったその姿こそ一見凛々しいものの、その実力は以前とさほど変わらないようだ。彼の装備はどれもかなりの高級感あふれる品々で、防御力こそ高そうであるが、それ以外は全く心もとない。
対して、試合場の反対側に立っているのはまだ、身体の線の細い竜人族の若者だった。おそらくヘッポイの対戦相手であろうと思われる彼は、今年、《成人の儀》を受ける予定の者であるという。身体の線が細いとはいえ、それはヘッポイの部下達のような未熟さゆえではなく、まだ成長中の鍛えられつつあるしなやかさを秘めているという意味である。彼が手にしているのは《ショートスタッフ》であり、己の身長より少し長めのそれを自在に操り、不気味な音が空気を振わせる。ヘッポイの《メイス》の素振りは、彼に対抗してのことであるのは言うまでもない。
軽装の皮の防具はその身軽さを阻む事はなく、さらに厄介なことに彼の持つショートスタッフは金属製である。柔軟な体躯から生み出される反動がそのまま伝わり、抜群の強度と重さをほこるスタッフをしならせる程の一撃はまさしく必殺の一撃といえる。おそらくは防御主体の戦闘スタイルとなるであろうヘッポイにとって、最も相性の悪い相手だった。
《メイス》の振り切り具合からそれなりに修練を積んでいるように見えるものの、この分が悪い相手に対してどう挑むのか?
「ヘッポイ……。お前、どうやって戦うのか、考えてるのか?」
彼の意図をザックスは尋ねた。
「引かぬ、媚びぬ、顧みぬ! 只この一撃によって勝利すべし!」
簡潔極まりない答えだった。
どうやら何も考えていないらしい。その傍らでザックスはがっくりと膝をつく。
戦略、戦術、戦技――。
古今東西多くの戦士達が命をかけて様々に工夫し、磨きぬいてきたそれらを、気持ちよく無視して、彼は戦場に赴くつもりらしい。
「あのなぁ、ヘッポイ……」
忠告しようとしたザックスの声を、銅鑼の音が遮った。
北側の扉の閂が開かれ、壮年の竜人が試合場に上がってくる。
「戦士たちよ、準備はよいか! これより汝らは我が同胞の前で存分に己が力を示し、その魂の証を示すがよい!」
ヘッポイに向かって振り向くとさらに続ける。
「人間族の若者よ。我らはそなたの名を問わん。己が名を我らに刻みたければ、この《武の試練》を乗り越え、汝の強さをもってそれをこの場に刻むがよい」
そのまま身を翻し、北側の扉より歩き去る。再び重い閂の音がして扉が封じられた。
全てが戦士としての力と経験によって決定されるこの里の者達には、非力な人間族の名も主張も耳に貸すに値しないという、気持ちよいほどの徹底ぶりである。
「面白い、竜人どもよ! このヘッポイの名を末代まで語りつがせてやろう」
恥を末代まで語り継がれねば良いのだが……、と心配するザックスに彼は堂々と宣言する。
「我が部下ザックスよ。そこでオレ様の活躍をしかと目にするがよい」
再び打ち鳴らされた開始の銅鑼の音とともに、ヘッポイは歩き出す。闘技場の壁面に設置された砂時計が反転し、砂の流れが時を刻み始めた。
嫌な予感ばかりがつのるその一戦は、ついに開始された。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
開始直後の出会いがしらの一閃――。
ブンと空気を切り裂く音と同時に、甲高い金属の衝突音が場内に響き渡る。
始まりの合図と共に前に出たヘッポイの出鼻をくじくかのように、竜人族の若者はスタッフを素早く振り抜き、強打を叩きこんだ。
出会いがしらの一撃を《円形盾》でまともにうけたヘッポイの両足が一瞬宙に浮く。
ぐぬ、と声を上げたヘッポイの顔色と動きがみるみる悪くなる。
――やりやがった……、アイツ。
開始直後のもっとも距離がとれるそのタイミングを十分に活かし、竜人族の若者の先制の一撃は理想的な結果を生んだ。
いきなりの大ダメージで、たとえ気持ちは前に出ようとしても、身体は拒否反応を起こす。そこから敗北への悪循環へとつながりかねない。対戦相手の竜人族の若者はこの手の戦いでの駆け引きに慣れ切っているらしい。対して、ヘッポイは、メイスを持った右手を《円形盾》にそえて、盾に身を隠すようにして防戦一方となる。
おそらく最初の一撃で、盾越しに左腕の骨を砕かれたのだろう。衝撃が突き抜けている事から、悪くすれば左側の肋骨も持っていかれたに違いない。防戦一方のヘッポイに更なるスタッフの攻撃での嵐が襲う。スタッフの両端を巧みに使った、突きや薙ぎの一撃は、シールドで隠せない足元を突き、そのたびにヘッポイの低いうめき声が上がる。防戦一方になりながらもヘッポイが間を詰めようと前に出るお陰で、竜人族の若者はモーションの大きい一撃を繰り出せないようだ。だが、削り取るように確実にダメージを与えるその攻撃は、着実に両者の差を広げていく。
「ヘッポイ! 何やってる。足を止めずに回り込め!」
ザックスの指示にも彼は従おうとしない。否、加速度的に増していくダメージに気を取られて、聞こえぬのだろう。
ちっ、と舌打ちしながら、圧倒的に不利な戦況に耐えるヘッポイの背を見守る時間が続く。
ヘッポイの不様な戦いぶりに、観客席に座る竜人達の間から失笑が漏れ、下品なヤジが飛ぶ。
そこに座る者達は手に汗握る白熱した戦いを楽しみたい訳ではなく、生意気な人間族が竜人族に叩きのめされる姿を楽しみにしているだけである。
強者である事を誇りにする者達にありがちな傲慢さに、ザックスは嫌悪感を覚えた。それは、身体的強さというものが一つの価値基準だったザックスの故郷にもありがちだった光景であり、しばしば弱者への軽視や虐待につながる。
試合場では相変わらず一方的に殴りつけられるヘッポイが耐える展開が続く。
しばらくして砂時計の砂が完全に落ち切り、一時中断の銅鑼がなる。素早くその場を飛び下がった竜人族の若者は息一つ乱していない。圧倒的な力量差だった。
ふらふらになりながら己の陣営に戻ってくるヘッポイは、用意された椅子に腰を下ろす。
「おい、ヘッポイ、大丈夫か」
左腕の《円形盾》はほんの僅かな時間ででこぼこに変形している。巨躯を誇るゴーレムにでも殴られなければ、短時間でこのようにならないだろう。
「部下ザックス、オレ様の《袋》をとれ!」
相変わらず態度だけは大きなヘッポイは差し出されたそれから、《高級薬滋水》を取り出し、ごくりと飲み干す。
「お前、腕は大丈夫なのか?」
ザックスの心配に、ぜいぜいと息を荒げながらもヘッポイは強がった。
「あの程度……、是非もない、我が回復魔法でとっくに治療済みだ!」
やはり、折れていたようだ。防戦しながらも回復させ、その結果、別の個所までは手が回らなかったというところらしい。それを《高級薬滋水》で回復させて、今はどうにか呼吸が荒い程度でおさまっているものの、以前として彼我の実力差が狭まった訳ではない。
「ヘッポイ、無茶だ、力量差がありすぎる」
「フン、臆したか、部下ザックスよ。戦いはまだまだ序の口。今までは唯の様子見だ」
ヘッポイの目はまだ死んではいない。とはいえ、逆転への効果的な手段など皆無だった。反対側の陣営では竜人族の若者に介添え役の大人が何やら耳打ちしている。
再開の銅鑼がなる。
「オレ様の本気、目にもの見せてくれる」
ヘッポイがいきり立って立ち上がる。見送るだけの今のザックスには、かける言葉が無かった。
先程の失敗に懲りたのか、ヘッポイは今度は用心深く回り込んでいた。竜人族の若者は、ヘッポイの回復の早さに驚いたものの、至って冷静に攻撃を組み立てる。先ほどの終盤とさほど変わらぬ展開になるのに、さほどの時間はかからなかった。違いがあるとしたら、ヘッポイが攻撃を始めたことだろう。
常に前進し長物の弱点である間合いをつめつつ、ヘッポイは反撃を試みる。だが、その尽くが空振りに終わり、逆に大きな隙の出来たヘッポイにスタッフの洗礼が浴びせられる。スタッフを手の中で滑らせて自在に間合いを操る竜人族の若者の一撃が、防御の隙間を通してヘッポイの身体に突きこまれる場面が幾度も生まれた。
部分強化と高価な防具のお陰で致命傷を避けているようだが、それでも分が悪すぎる。
――いや、ちがうな。
竜人族の若者の攻撃の不自然さにふと気付き、ザックスは眉を潜めた。
――そういうことか、あのヤロウ。完全に舐めてやがる。
彼の繰り出す攻撃は、明らかに手を抜かれて威力が落ちている。その分、派手なパフォーマンスを混ぜることで客席を沸かせていた。闘技場で行われる見せ物のような試合では、印象度や場内の空気を味方につけるという点で優れているかもしれないが、このような戦いでは相手に対する侮辱でしかない。
先程、介添え役の大人が耳打ちしていたのは、こういうことなのだろう。
強さをひけらかし、相手を愚弄する行為を若者にさせる大人もどうかと思うが、それを黙認し、楽しむ観衆達もそれがみっともない行為である事に気付く者は少ない。
相変わらずヘッポイの防戦は続く。
スタッフで足払いをかけてはつんのめらせ、顎を突いては尻もちをつかせる。挙句の果てには支えたスタッフでヘッポイの頭上を軽々と飛び越えて背後をとるや、尻を蹴り飛ばして転ばせる。場内の竜人族はヘッポイの間抜けな転びっぷりに、爆笑する。
「テメエ、いい加減にしろ! それが戦う相手への礼儀か!」
介添え人席からのザックスの怒りの声に一瞬、場内が沈黙するもすぐに、失笑が湧きおこる。彼我の圧倒的な力量差の前には、ザックスの言葉など負け犬の遠吠えでしかない。
さらにカウンター気味に時折入る容赦のない攻撃が、ヘッポイの顔面を捉え、彼は確実に消耗していった。
再び砂時計が落ち切り、中断の銅鑼が響き渡ると、最初の時以上に、ふらつきながらヘッポイは戻ってきた。
再開の合図と共に《高級薬滋水》の力で回復したヘッポイは戦いへと赴いた。
休憩中、二人はほとんど無言のままで、体力と呼吸の回復に徹していた。
再び、ヘッポイが猛攻にさらされるのを見ながら、介添え人席で歯ぎしりするザックスの背後に、人影が立つ。振り向いたザックスの前に立っていたのは、リュウガだった。
「何故、辞めさせない?」
厳しい視線でザックスに問う。
「これは茶番だ。貴様、あの者を死なせたいのか?」
この一戦に、彼は大きな怒りを感じているらしい。
「オレにその権限はないよ。戦っているのはアイツだし、なによりお前達が喜んでやらせてるんじゃないか」
リュウガの顔が歪む。
「こんな茶番に喜んでいる奴らと一緒にするな。第一、貴様、介添え人であろう。あやつを引き止めるのが役割ではないのか?」
「悪いが、ヘッポイはオレの言葉なんか聞くタマじゃねえ。それに第一、アイツの目は全然、死んでないんだ。戦う意思のあるものを止める訳にいかねえだろうが……」
先程、あれだけの猛攻を浴びてふらふらになって帰ってきても、ヘッポイの目から光は消えていなかった。再開した今も確実に前進して相手との距離を詰めようとしている。いつかのダンジョンでの光景と同様に、彼はその信条通りに前に進み続けている。
「だが、それももう終わりだ……。絶対的な力の差はどうしようもない」
リュウガの指し示す方向に目をやれば、盾を押さえつけられて強引に隙間をこじ開けられ、頭突きを受けるヘッポイの姿があった。そのしぶとさにしびれを切らしたのだろう。若者はスタッフを放り出して組みつき、ややラフな戦い方でヘッポイの顔を殴りつける。その兜がはじけ飛び、ヘッポイの顔が数倍にはれ上がる。
「貴様なら止められるはずだ! あの者を無駄に死なせたいのか!」
それは高い確率でいずれ起こりかねぬ未来である。だが、戦いの場に立つ者ならば理不尽など当然の覚悟であり、それを徒に阻めば、その後のヘッポイは、身体は生きていても心は死に、戦いの世界への未練だけを延々と残して彷徨いかねない。
とはいえ、彼はザックスではない。
知らず知らずにフィルメイアとしての価値観をヘッポイに押し付けつつある己に気づく。暫しの戸惑いの後に、その言葉に背を押され、介添え人席を立とうとする。ふと、ヘッポイの小さな呟きを耳にした。
「引……かぬ。媚び……ぬ。か……えりみ……ぬ! 我と……師の誇りに……かけて、絶対に……負けん!」
瞬間、彼は足を踏ん張りメイスを振り上げる。竜人族の若者の顔にそれがかすり、血がにじんだ。一瞬驚いた表情を浮かべた若者は、直ぐにそれを怒りに変えると、足元に転がるスタッフを拾い上げようとする。それを踏みつけて制し、《メイス》を振りおろそうとするヘッポイに若者が掴みかかった。もつれ合うように両者が倒れる。
再び銅鑼が鳴った。
それでも絡み合い組みあって互いを離さず戦い続ける二人を、介添え人達が飛び出して無理矢理引き離した。
ザックスに引きずられるようにしてヘッポイは陣営に戻ってきた。既に倍以上に顔を晴らし、ぜいぜいと肩で息をする彼には回復魔法を使う余裕はない。取り出した《高級薬滋水》を立て続けに二本のみ、それでも息を荒げる。手にした《円形盾》はすでに原型が分からぬほどに形を変えており、鎖帷子も破損が酷い。
「ザ、ザックス……。もうやめさせて……」
「無茶だよ、こんなのもう戦いじゃない。ただのリンチだ!」
見るに見かねたのだろう。観客席を離れたアルティナとクロルがやってきて、リュウガの側に立ち忠告する。ヘッポイの部下達は観客席で真っ青になって震えていた。
リュウガの刺すように厳しい視線が感じられる。ここで止めるべきなのだろう。いかに聞く耳を持たぬとて、それを助言するのがザックスの役割である。己の役割を果たそうと口を開きかけた、その時だった。
ふっとヘッポイが表情を崩し、弱々しげに呟いた。
「我が部下、ザックスよ……。もしも、もしも……、この試合、負ける事になったら……」
瞬間、ザックスの中で何かがプチンと音を立てて切れた。気付けばその頬を思い切り拳で殴っていた。
「テメエ、何、弱気になってやがる! 今までさんざん言いたい放題、遣りたい放題やってたくせに、たかがあの程度の奴にボコられて悔しくないのか!」
会場内がシンと静まりかえる。誰もが唖然としていた。仲間達だけでなく、リュウガも……。構わずにザックスは続けた。
「テメエも冒険者の端くれならば、余計なこと考えてないで、目の前の敵を倒す事に全力を尽くせ! 骨なら後でいくらでも拾ってやる。前のめりに倒れて死んでこい! それ以外は許さねえ!」
殴られたまま暫し呆然とした表情を浮かべてザックスを見つめていたヘッポイだったが、やがてその顔に不敵な笑みが蘇る。
「フン、誰が、負けるか! いいだろう、このオレ様の本気をみせてやろう! 《袋》をとれ! 部下ザックスよ!」
言われるままに渡してやる。左手の《円形盾》を放り捨てると、ヘッポイはそれに手を突っ込む。彼の手に何かが現れた。取り出されたそれに見覚えがあったザックスが、まさかと驚愕の表情を浮かべた。
「見よ! これぞ、オレ様の奥の手、《輝く大盾・偽》!」
半涙滴型のその《大盾》は輝きこそ違えど、あの日《貴華の迷宮》の中でライアットが手にしていた物と同型である。
「あの程度の輩にこんな物を使わねばならぬとは甚だ遺憾なれど、部下のたっての願いとあらば仕方がない……」
「最初からやれよ、ドアホ! 出し惜しみしてんじゃねえ。おっさんの変な所ばかりマネしやがって! とにかく、それ、ちょっと貸してみろ」
「こら、オレ様のものを、勝手に……」
一抱えはあるその盾を無理矢理奪いとり、その具合を確かめる。見覚えのあるその素材と形状をしっかりと確かめる。
「ヘッポイ、こいつは《魔法銀》か?」
「ほう、よく分かったな、その通り。このオレ様が大金をかけて超一流の職人に……」
言葉を遮りザックスは続けた。
「耳をかせ。勝つための秘策って奴をくれてやる」
思いつくままにヘッポイにそれを伝える。
「何だと。オレ様にそんな卑怯な真似をしろと。そんな真似できるか! 冗談ではない!」
その姿に一つため息をつく。彼我の実力差が高価なアイテム一つでひっくりかえせると思っているところが、相変わらずのヘッポイである。仕方なく、ザックスは魔法の言葉をささやいた。
「これは、ライアットのおっさんが、その盾と同じ物を使って、オレ達の目の前でやったことと同じなんだが……」
詳細は色々異なるものの、嘘も方便である。ヘッポイの顔に驚きが走る。
「ザックス、お前、ライアット師の本物を見たのか!」
「ああ、ついこの間な。おっさんはそれで、オレ達と共にドラゴンと堂々と戦ったんだがな……」
「なんと……」
どういう関係かは知らぬが、ヘッポイはライアットに心酔している。先日、《貴華の迷宮》の収支の際に協約に従ってごっそりと持っていかれた報酬の分も、ここは彼に役立ってもらう事にする。
「まあ、実力不足のお前じゃ、到底無理かもしれないが……」
「無礼な……!」
――かかった。
実に扱いやすい奴である。しっかりと釣り針に食いついた魚の如く、ザックスに手玉にとられたヘッポイは、高らかに宣言する。
「見ていろ。部下ザックスよ。このオレ様の真の姿を、その目で確かめ、畏れ慄くがいい!」
再開の銅鑼を合図にヘッポイが立ち上がる。
「ああ。さっさと行って勝負を決めてこい」
ヘッポイの背中を一つ叩いて送り出す。
ふと鉄の網越しにリュウガと目が合う。まるでヘッポイのそれが乗り移ったかのように、ザックスは不敵に笑った。
「そこでよく見てろ、リュウガ! 人間族のしぶとさってやつを……」
その傍らで二人の仲間が呆れて顔を見合わせたのは、言うまでもない。
《輝く大盾・偽》を左手に、再びやる気満々の表情で向かってくるヘッポイに、竜人族の若者は表情を歪める。さしずめ、倒しても倒しても現れるアンデッドと戦っている気分なのだろう。それでも表情を引き締め、容赦ない攻撃を再開する。
そろそろ勝負を決めるつもりなのだろう。もはや、手抜きは不要とばかりに畳みかけるような彼の攻撃を、ヘッポイは手にした《輝く大盾・偽》で軽々と捌く。軽く、それでいて段違いの耐久性を誇り、おまけにそのなだらかな曲面を描く形状が、スタッフの力の向きをあらぬ方向へと散らしていく。視界も広がったことで余裕のできたヘッポイが、雨あられと降ってくる攻撃を完全に防御しはじめた。客席にどよめきが生まれた。
――これで挑発の言葉でも口にして、さらに冷静さを失わせればいいんだが……。
さすがにそこまでは要求しすぎか、と苦笑いするザックスの眼前で、ヘッポイは欠伸をしながら鼻をほじる余裕を見せつけ、それを見た竜人族の若者が顔色を変えた。
創世神殿神官にして冒険者ヘッポイ――もはやその存在そのものが、挑発である。
さらにスピードを増す攻撃に臆することなく、ヘッポイは盾で防御しながら一歩ずつ前進する。徐々に大ぶりになっていく攻撃の隙に手をださず、甲羅に閉じこもるカメの如く防御に徹するヘッポイは一歩、さらに一歩と間を詰める。
一切、手を出すことなく防御を固め、間合いに誘いこみ、大ぶりの攻撃の隙をついてライアットのモノマネでのカウンターの一撃を――それが、ザックスがヘッポイに与えた作戦である。
対戦相手の竜人族の若者は先程からの振る舞いを見るに、もともと頭に血が上りやすい性分らしい。ついにキレてしまい、スタッフを放り捨て、ヘッポイに組みつこうと踊りかかった。
――よし、行ける!
引き締まっているとはいえ体重の軽い若者に、《メイス》でのカウンターの一撃がまともに入れば、展開は分からなくなる。そう思った瞬間、何を考えたのかヘッポイは、頭突きと同時に若者の股間を蹴りあげた。
股間を抑えて悶絶しそうになりながら慌てて後退する相手に、ヘッポイは高らかに宣言する。
「先程の返礼だ! 次は、心してかかってくるがいい!」
――あの、バカ!
さんざんからかわれて頭に来ていたのは分かるが、半端な攻撃は逆に冷静さを取り戻させる。ザックスの思った通り場内に失笑が湧き、スタッフを拾い上げた若者の顔からあせりの表情が消えた。大きく距離をとり冷静に間合いを測る。スタッフの先端を後方に向け、己の身体で隠すようにする。
その姿に一瞬、寒気を覚えた。
おそらく最初に見せた遠い間合いからの一撃を叩き込むつもりだろう。ヘッポイも又、腰を落とし盾を正面に向ける。いかに彼の盾が抜群の強度を誇るとはいえ、さすがにあの一撃を真正面から受ければ結果は分からない。場内が静まり、睨み合う二人の間の緊張感が高まっていく。
ほんの一瞬、空気が揺らいだように見えたその瞬間、若者が動いた。同時にヘッポイが突進する。手の中のスタッフの先端が、一瞬見えなくなる。
金属同士が激しく衝突する音が再び響き、若者のスタッフがヘッポイの《大盾》に叩きつけられた。
完璧なタイミングではあったものの、突進するヘッポイの勢いに押されて打点がズレ、ヘッポイはその大盾でスタッフの中ほどをしっかり受け止めている。盾には傷一つない。さらに前に出ると、スタッフにそって滑らせた左手を返し、相手のそれを直接握りしめた。
「我が師直伝! ライアット・アタック!」
左手でつかんだスタッフを引きつけながら、同時に右手の《メイス》を下から振り抜いた。訓練を重ねたであろう、その必殺の一撃が、竜人族の若者の顎を急襲する。
――やったか?
逆転の一撃にザックスの心は逸るが、そうは問屋がおろさない。
驚異的な動体視力とスピードでその軌道を見切ると、若者は首をよじらせて、それをかわす。目標を失ったヘッポイのメイスが手からすっぽ抜けて宙を舞った。
思わぬカウンターに肝をひやした若者だったが、攻撃の手段を失ったヘッポイに止めを刺すべく、再び正面のヘッポイへと目を向ける。と、彼は愕然とした表情を浮かべた。
若者の視界にヘッポイの姿はなかった。代わりにその足もとで盾を取り落とす音と共に、ヘッポイの声が聞こえた。
「くらえ、鳳……翔……」
ライアット・アタックが失敗するや否や、崩れるようにさらに一歩前にふみこんだヘッポイが大盾を捨てて拳を握る。その懐深くにもぐりこんで、再び下からの攻撃を敢行する。その姿にドワーフの郷で見せた《ギノッツ》の姿が重なった。
「アイツ、まさか……」
《鳳翔拳》――たしかそのような名前のヴォーケンの巨躯すら弾き飛ばす下からの一撃を、ヘッポイが放とうとしていた。
慌てた若者は上からヘッポイを押さえつけ、そのまま押し潰そうと試みる。
下から飛び上がろうとするヘッポイと上から押さえつける竜人族の若者の力がぶつかり合い、拮抗する。
それは一瞬の出来事だった。
上から己の重さごと押し付ける若者の力が勝り、ヘッポイが押しつぶされて尻もちをつく。すかさず若者は止めの拳を叩きつけた。
そして――。
ゴツンと鈍い音がして、決着がついた。
敗者が地に伏せ、勝者が立ち上がり、高々とその手を挙げた。
場内がしんと静まり返る。それはその場所にいた全ての者にとって、予想外のあまりにも劇的な幕切れだった。
「フン、全てはオレ様の計算通り! 想定内よ! このオレ様に勝とうなどと百年早いわ、出直してこい、未熟者め!」
立ち上がり一人、勝ち誇るヘッポイの足元で、強烈な一撃を脳天に受けた竜人族の若者が倒れている。その後頭部にはヘッポイの《メイス》が見事に直撃していた。すっぽ抜けたメイスが、そのまま無防備な頭めがけて落下したらしい。
「竜人共よ! よく聞け! 我が名はヘッポイ! いずれ最高神殿を牛耳るであろう我が名を、畏れと共に心に刻むがよい!」
もはや暴言かどうかもわからぬその宣言と理不尽な戦いの結末に、誰もが沈黙する。
だが、終了の合図の銅鑼が鳴らされ、再び場内が沸きはじめた。多くの竜人族たちがその非道な成行きに罵声を浴びせる中、幾人かがヘッポイの勝利を称え、拍手の音がまばらに響く。ザックスも又、試合場の扉が開放され飛び込んできたクロルとアルティナとともに、やったやったと喜んでいた。
やがて、己の《メイス》と《大盾》を拾い上げ、ヘッポイはふらふらとした足取りで己が陣営に戻ってきた。
笑顔でその勝利を称える三人に構う事もなく、置かれた椅子に崩れ落ちるように彼は座り込んだ。
「オレ様としたことが、どうやら、少し、無理をし過ぎたようだ……」
瞬間、手にした《メイス》と《大盾》が音を立てて床に落ちる。
「おい、ヘッポイ、どうした?」
あわてて、駆け寄るザックスに、ヘッポイはぽつりと呟いた。
「ふっ、我が友、ザックスか……。オレ様は……、どうやら……、真っ白に……、燃え尽きちまったぜ……」
そのままがくりとうなだれる。すぐに、ウンともスンとも言わずに動かなくなった。
「ヘッポイさん。貴方、まさか……」
「ザックス、この人……、何かまずいんじゃない?」
だらりと手を下げたまま首を項垂れて椅子に座りこむと、ヘッポイはそのまま動かない。扉を潜って現れたリュウガがぽつりと言った。
「この者、己の回復限界を何度も越えて戦ったのだ。こうなる事は予想できたはずだ。これは貴様の責任だぞ!」
ザックスを含めた周囲の顔色が変わる。
「ヘッポイ、冗談だろ……」
想定外の状況を前に手の震えが収まらない。動かぬ彼を三人は呆然と見下ろした。満足した笑みを浮かべてうつむいたまま、戦い終えたヘッポイはまるで眠っているように動かない。その最後の言葉通りに、彼は完全に燃え尽きていた。
「おい、冗談よせよ。ヘッポイ。お前、勝者なんだろ! 最高神殿を乗っ取るんじゃねえのかよ!」
慌ててその肩を揺する。
脳裏にウルガが逝ってしまったあの瞬間が蘇った。勢いに任せてヘッポイを焚きつけてしまった己の浅はかさが悔やまれる。あの時、何が何でも彼を止めるべきだった。悔恨の念がザックスの心に広がる。絞り出すように、ぽつりとザックスは呟いた。
「すまない、ヘッポイ、俺があの時、調子に乗りさえしなければ……。本当にすまない。頼むから眼を開けて何とかいってくれよ!」
嘆いても後の祭り。失われた命は決して帰ってこない事は分かっていたはずなのに、それでも、人は過ちを繰り返し続ける。
がっくりとその場に両膝をつくザックスの姿に、仲間達はかける言葉を失った。
そして……、勝者の笑みを浮かべて力尽きた偉大な戦士は、言葉を用いることなく、全身で己が生き様を語る。
「ゴー。……。ンガー」
聞き覚えのある間抜けな音が周囲に響きわたる。瞬間、三人の目が点になった。
顔を見合わせ、がっくりとうなだれたままの彼の顔を、おそるおそる覗き込んだ。
己が全力を出し切り真っ白に燃え尽きたヘッポイは――、
満足げな表情を浮かべたまま――、
いびきを掻いて気持ちよさそうに眠っている。
ヒュルル、と冷たい風が吹いた。そして……。
「テ、テメエ……、ヘッポイ! 紛らわしいんだよ! 心配させやがって!」
周囲の心配をよそに、椅子に座ったまま気持ち良さそうに眠るヘッポイに掴みかからんとするザックスを、アルティナとクロルが慌てて取り抑えた。ふと、誤解の原因となった発言をした者の存在を思い出し、振り返って抗議する。
「リュウガ、テメエもだ! いい加減なこと言って、人を煽りやがって……」
周囲を見回したものの、すでにその姿はない。
「逃げたわね……あの人」
「うん、逃げたね……」
その日、ヘッポイに最後まで翻弄され続けたザックスは、仲間達に肩を叩かれながら、とうとう膝を抱えて泣きだしたのだった。
2013/10/29 初稿