19 リュウガ、いら立つ!
竜人族――。
サザール大陸の北方、竜神山脈のふもとに集落を作り、外界との交わりを一切拒んで、独自の営みを続ける彼らの生活実態を知る者は少ない。閉鎖的といわれるエルフですら足元に及ばぬと言うほどに、徹底されていると言われる。
個々の戦士としての力量は群を抜いており、一人の戦士が千人の兵に匹敵するらしい。かつて何者かにそそのかされて、彼らに喧嘩を売ったとある小国が、僅か十人程度の竜人族の戦士達によって一夜で滅ぼされたという逸話すらある。《竜人族の里》の近くの小国家群には、その強さに畏怖する伝説が数多く語り継がれ、国の安寧と自身の身の安全の為に、彼らには決して関わろうとしない。
竜神山脈の向こうに広がると言われる秘境と、同じくらいに神秘的な彼らの生活実態に興味を持ち、その学術的好奇心を存分に満たそうと試みて、無事に帰ってきた学士は誰一人としていないという。あらゆるものが謎のベールに包まれた彼らについて語る事は、サザール大陸の人間族にとっては禁忌の一つであるともいえた。
その日、竜人族の若者リュウガは酷く不機嫌な表情を浮かべて、《跳躍門》の見張り役をこなしていた。
外界からの訪問者は滅多にない竜人族の里では、里と妖精族との村々をつなぐこの《跳躍門》は重要な存在であり、外部通路にある関所番と同じように大きな責任を負う。
彼と共に役割を与えられたはずの同僚は、暇であるのをいい事に、年下のリュウガに役目を押し付け、別室で昼寝の真っ最中である。彼よりも二回り以上歳の離れたその同僚に意見する訳にもいかず、一人、鬱屈したまま悶々と時を過ごしていた。
季節ごとに役回りが変わる竜人族の男の仕事の花型といえる《亜竜の森》での狩りは、生憎と別の者達がその役目を拝命し、彼は日がな一日、訪問者が全く無い門の見張り番として時を無駄に過ごしている。
すでに戦士としての盛りをすぎ、戦いに赴く者としての自覚の薄くなった同僚のだらしない姿を日々眺めながら、己の未来の姿にそれを重ねる。
――こんなことなら、黙って狩り番の奴らについて行けばよかった。
本来のリュウガならその程度の無茶、朝飯前だが、今の彼がそのように振舞えなかったのには訳がある。
昨秋、関所番であった彼は、偶然訪れたとある人間族の訪問客によって重傷を負わされ、その戦士としての名誉は大きく傷つけられた。自業自得の結果であったが、ただですら彼の一族は、人間族との関係で他の一族から白い目で見られているだけに、その事実は大きなしこりとなった。
人間族ごときに後れをとるという不名誉な事実に、里の者達、とりわけ彼と同世代の者達からの白い視線に耐え、彼は、その冬、己を鍛え直さんと禁猟地へと踏み入り、とある標的を狙った。
竜人族が禁猟地とするその場所に、踏み入るのは年に一度、《成人の儀》が執り行われる時だけである。毎年、一割程度は帰ってこられぬその儀式に彼が同世代の者たちとともに挑んだその年、一匹の異常な力を持った《亜竜》が現れ、半数近くの者達が犠牲となった。以来、数年、《成人の儀》が行われるたびに起きる多大な犠牲に里の者達の議論は二つに分かれ、今に至っている。一刻もかの《亜竜》を排除せんとするものと、成人し新たに里を支える者達の奮起に任せるべきであるとするもの。両者の主張は、里内でのそれぞれの思惑も絡まり、現時点では平行線をたどっている。
《成人の儀》において仲の良かった多数の友人達を一度に失ったリュウガは、その復讐も兼ねて、里の禁を破り、かの《亜竜》を狙った。あれから数年、新しく大人として認められるはずの若者達の多大な犠牲によって、禁猟地ではかろうじて、《亜竜》達の勢力バランスが保たれていた。標的の子供であろうと思われる個体を狩り、その出現を待つリュウガの前に、かの《亜竜》はかつてよりも遥かに強大な力で立ち塞がった。昨年、《成人の儀》に挑んだ若者達の帰還報告を、未熟者故と軽んじた里の大人たちが考えるよりも遥かに悪い事態に臆することなく、彼は一人、戦いを挑んだ。だが、毎年子孫を根絶やしにされ、今再び、眼前でその命を奪われた親としての怒り故か、怒涛の攻撃にさらされ、さらに現れた番いの片割れと思われる個体にも遭遇し、彼は命からがら敗走した。生きて里に戻れたのは、奇跡といえた。
禁を犯しつつも生還したリュウガの報告を聞いた里の大人たちは、敗残者の言い訳であるとそれを一笑に付し、彼は禁を破った罰として、狩り番から外され、謹慎を兼ねた退屈な役目を与えられた。
昨秋から負けっぱなしの彼の不様さに、その実態を検分することのないまま、多くの者達は嘲笑し、彼は不機嫌な日々を送り続けていた。
その日――。
外部とつながる街道を通ってきた人間族の来客が里に現れ、里内の話題はそのことで持ちきりだった。とはいえ、彼には全く関わりのないことであり、いつも通りに退屈な役目をたった一人で黙々とこなしていた。
何の変哲もない《跳躍門》を睨みつけながら、怠惰にすぎさっていく日々にいら立ちを覚えていた彼の眼前で、決して光るはずの無い《跳躍門》が光を帯び、そこに予期せぬ訪問者達が現れることで、彼の運命は大きな転換点を迎えることとなる――。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
ドワーフ郷評議員達に見送られ、ザックス達は《跳躍門》の向こう側へと転移した。
転移時に特有の目眩のような感覚を懐かしく思いながら、転移を無事に終えた彼らだったが、到着と同時に息をのむ。
反射的にザックスが背の《地斬剣》を引き抜き、二人の仲間を庇って前に出た。
「何者だ!」
ザックス達の前に立ちはだかった一人の男。見慣れぬ外観の彼こそ、件の脳き……否、竜人族であろう。
手にしているのは長刃の三叉槍。全く自然体でそれを構える姿は堂に入っている。獲物の仕留め方を心得たかなりの使い手のように思われる。
「この里じゃ、訪れた客にいきなり武器を突きつけるのが、作法なのか?」
ザックスの問いに男は答えた。
「黙れ、侵入者め! 今日、この門が使われることなど聞いておらん! 武器を捨て抵抗せず、大人しくしろ。さもなくば……」
瞬間、男の殺気が膨れる。それに反応するかのようにザックスが目を細め、素早く補助魔法で己を強化した。背後のアルティナとクロルも緊張する。
この先の交渉に差し障らぬように、眼前の男を傷つけずに制して、事態を打開しなければならない。とはいえ、眼前の男からはそれなりの強さが感じられ、そうそう簡単に事が運びそうにはない。
到着早々、いきなりの一触即発の状況に放りこまれ、前途多難な旅路は早くも暗礁に乗り上げかけている。
と、そこに一人の壮年の男が慌ててかけつけた。
「やめんか! リュウガ!」
武器を手に、睨み合う二人の背後で大音声が響いた。それでも暫し、睨み合いは続いたものの、やがてザックスの方から武器を引いた。
後から現れた竜人族の男は、槍を構えたままのリュウガの前に立ちはだかり、開口一番、詫びの言葉を述べた。
「失礼しました、エルフの姫君。この者、まだ門番として日が浅い故、互いの事情を知りませぬ。どうかご容赦を……」
「いえ、私は別に……」
ザックスの傍らに立ったアルティナの返事を聞くと男は振り返り、リュウガと呼ばれた若者に命令した。
「下がれ、リュウガ、これ以上、恥をさらすな!」
三叉槍を構えたままのリュウガと男が暫し睨みあう。やがて目を逸らしたリュウガは、フンと鼻をならして構えをとくと槍を担いだまま壁際へと下がった。
再び振り返った男はアルティナに問うた。
「失礼。門を開いたのは、貴方ですね。姫」
「はい」
「本日、こちらの門が開かれる予定を私どもは聞いておりません。故に緊急の御用件かと伺います。よろしければ御名と御訪問の理由をお聞かせ願えないでしょうか?」
丁寧な態度で、男はアルティナに問うた。
「私はフォウハスの娘アルティナ。本日はドワーフの長より親書を預かり、里の最長老様への面談を申し込みます。尚、本日の訪問について、私の立場は、我がエルフの里の事情とは一切関係の無い事をお伝えしておきます」
アルティナが一つ頷き、預かった親書をザックスが男に見せる。親書をうけとった男はドワーフの長の印を確認し、すぐにそれを返還した。
「分かりました。略式ではありますが、正規の手続きとし、門を預かる者として、この場の通行を許可します。姫、数々の御無礼、平にご容赦を……」
「いえ、こちらこそ、速やかな御許可に心より感謝します」
儀礼じみたやり取りを終えると、男は振り返り、壁に寄り添って立つリュウガに声をかける。
「リュウガ、この方を従者共々、最長老様の元へお連れしろ。命令だ!」
だが、男の命令に彼は返答しなかった。
「聞こえなかったのか、リュウガ、己の役割を果たせ!」
「断る! あなたがやればいい」
彼の返事に再び不穏な空気が生まれる。
「いい加減にしろ、リュウガ、客人の前でこれ以上、恥をさらすな」
「だから、あなたがやれと言っている。いつも役目を我に押し付けて、自分は楽をしてるんだから、こんなときくらいきちんと働いたらどうだ!」
フンと鼻で笑ってリュウガは答えた。だが、その暴言に男は眉一つ動かさない。
「この門を開く事ができるのがいかなる者か、そんな事も分からぬお前を一人残して、もしまた別の訪問者が現れたら、どうするつもりだ。その槍で一突きして、その後に起きるもめごとにお前は責任がとれるのか? この方を最長老様の元へとご案内する程度のこと、子供でもできる。だからお前にやれ、と言ってるんだ」
侮辱され怒りに燃えた目を男に向け、リュウガは無言で睨みつける。その姿に一つため息をつくと男は振り返り、アルティナに言った。
「申し訳ありません。姫。しばし、案内の者を別に呼び寄せますので、お待ちいただけませんか。この者には相応の罰を与えますので、なにとぞご容赦を……」
「い、いえ、別に私は……」
戸惑いを浮かべつつ、彼女はザックスに同意を求めた。しばし、無言のままのザックスだったが、ふと何かを思いついたように口を開く。
「リュウガって言ったな。アンタに俺達の案内を頼みたいんだが、構わないか?」
「なに?」
「ちょ、ちょっと、ザックス……」
そこに居合わせた者達全員が驚いた。しばしの沈黙の後で門番の男が口を開いた。
「人間よ、一体、どういうつもりだ?」
初めて、その視線がザックスに向く。竜人族の人間に対する意識というものがなんとなく理解できた。
「いかにあの者が未熟とはいえ、それでも誇り高き竜人族のはしくれ。恥をかかされた意趣返しのつもりなら相応の返礼はさせてもらうぞ……」
戦士と呼ぶには少しとうが立ち、若干、体型も崩れ気味だが、その恫喝には十分な凄味がある。アルティナとクロルの顔に緊張が走った。だが、ザックスは顔色を変えずに、平然と続けた。
「別にそんなに大げさなことじゃねえよ。アイツが役目を果たしてくれれば、俺達は時間を浪費せずに済むし、アンタもアイツに罰を与える必要ないし、アイツもメンツが立って、誰も嫌な思いをせずに済む。万々歳だと思うんだが、アンタ達は違うのか?」
居合わせた四人が暫し、呆気にとられる。やがて、門番の男とアルティナとクロルが噴き出した。
声をあげて笑う門番の男は振り返り、呆気にとられたままのリュウガに尋ねた。
「リュウガ、この人間がこんな事を言っているが、お前はどうする?」
一同の視線が彼に注がれる。暫し、決まり悪げな顔をしていたリュウガは壁から身を起こし、出口へと向かった。一度だけ振り向き、ついて来いという態度を示す。
「人間よ、貴様の機転に感謝する」
最敬礼する門番に見送られ、ザックス達はその場を後にした。
「ねえ、ザックス、どうして、あんな事言ったんだい?」
「そうね、私も聞きたいな」
それまで黙りこんでいたクロルが、興味深々に尋ねた。
「なんとなく……かな。アイツに、懐かしいものを感じたんだよ。どうしてなんだろうな?」
自分でもよく分からぬその感情に戸惑いながら、ザックスは先を行く背について歩く。二人の仲間は顔を見合わせると肩をすくめ、その後について行った。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
《竜人族の里》は《ドワーフの郷》よりも広く感じられるが、住居と思われる建物の間隔はまばらで、のどかさを感じる。とはいえ、行き交う男達は誰もが体格が良く、突然の訪問者にぎろりと睨みを利かせていた。そのような中で、相変わらず無言のまま先を行くリュウガの後を、鼻歌交じりにザックスが続き、緊張した面持ちのアルティナとびくびくと歩くクロルが続いた。やがて、大きな建物が立ち並ぶ区画に辿りつきその一つの前で立ち止まる。おそらくこのあたりが、里の中心なのだろう。
突然現れた訪問客を引き連れてやってきたリュウガに、建物の守衛達が驚きの声を上げる。
「何事だ、リュウガ!」
「見て分からんか? 最長老様への客人をお連れした! 扉を開け!」
愛想のかけらもない言葉に、守衛達が顔をゆがめる。
「あの人、相当な問題児みたいね……」
小さくアルティナが耳打ちする。
「少し待て! 今、人間族の訪問者が来たばかりだ。長老方とて、まだ御あつまりになられてないというのに……」
「中で待たせればいいだろう? 大体、我の連れてきた客はエルフの貴人だぞ。人間族ごときと同じ扱いをしてもいいのか?」
「そ、それは……」
守衛達が戸惑いを浮かべる。
「さっき、その貴人とやらに、槍を向けて追い返そうとしたの……、誰だっけ……」
小声でクロルが囁いた。
暫しの押し問答の後で、扉が開かれる。リュウガの強引な交渉で、ザックス達は中へと招き入れられることになった。三人が建物の中へ入ろうとしたところで、リュウガが背を向ける。役目を終えたということらしい。
ありがとう、と声をかけるザックス達に一瞬足を止めるが、振り返りもせずにすぐに彼は歩き出す。彼を見送るザックスは、その背中が誰かのそれに似ているような気がした。
彼の背を見送った三人は、守衛の一人に先導され、建物の中へと入っていく。
「突然のこと故、ただ今、上にかけあっております。それまで人間族の客人と一緒になりますが、ご容赦を、エルフの姫」
おそらく応接室と呼ぶべきであろう一室へと案内される。その中からは何やら威勢の良い声が聞こえた。ふと、どこかで聞いた覚えのあるように感じられたが、おそらくザックスの気のせいだろう。案内された部屋の中にアルティナとクロルが先に入る。
周囲に気を配り、特に大きな異常が無い事を確認して、ザックスは閉じかけた扉を再び開こうとした……、その瞬間だった。
「うん? 一体、何事だ。このオレ様のいる場所に一体、何の用だ、お前達!」
背筋にぞっと悪寒が走る。
その声には、間違いなく聞きおぼえがあった。慌てて、記憶を探る。声にまつわる何かとてつもなく嫌な思い出が一瞬、脳裏をよぎる。おそるおそる扉をあけ、ザックスは中を覗き込んだ。
室内には数人の男達の姿。彼らは皆、創世神殿の神官衣を着ていた。どうやら先客というのは神殿関係者であるらしい。
守衛の男と二人の仲間達は戸惑いの表情を浮かべている。そして……
「おや、お前……、もしかして……」
件の声の主である若い男が、こちらを振り向いた。
「おお、やはり! そこにいるのは我が部下、ザックスではないか……」
室内の者達の視線が一斉にザックスに向かう。そして件の声の主が親しげな笑みを浮かべて、近づいてくる。その顔を一目見て、ザックスの顔色が変わった。
それはすっかり忘れていた過去の記憶。もう二度と会うはずのない、否、会いたくない男だった。
あの夏の終わり近くに突然過ぎ去った悪夢が、走馬灯のように浮かんでは消えていく。頭痛が津波のように押し寄せ、思わず倒れこみそうになるのを必死に我慢し、ザックスは震える声を抑えて、件の主に尋ねた。
「……ヘッポイ……。お前……、一体、こんな所で何してるんだ……」
創世神殿神官にして《エルタイヤ》冒険者協会の問題児、ヘッポイ――その人である。
今回の一件、どうやら只では済まないようだ。
初めて訪れた竜人族の里での思いがけぬ再会は、とてつもない波乱を伴いつつあることを、ザックスに予感させた。
2013/10/28 初稿