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Lucky & Unlucky  ~アドベクシュ冒険譚~  作者: 暇犬
アドベクシュ冒険譚04章 ~遊探の旅路編~
100/157

14 戦バカ、はしゃぐ!

 支給された金貨を丁寧に数え終えると、その若い男は無造作に袋の口を縛る。

 自由こそを望む剣闘士達が金銭に大様なのをいいことに、その報酬をちょろまかす預かり主は多い。

 愛想笑いをうかべた係の者に無言で背を向け、男は建物を出た。

 かつて戦で敗れた街の新兵であった若い男の今の身分は奴隷である。人ではない。尤も普通の奴隷とは異なり、戦いの技術を持つ者達は、戦場で名を馳せるか剣闘士の集まる闘技会で勝ち続ける事によって、自由民となれる。

 陸続きの国々にありがちな無数の興亡の歴史の中、強者、あるいは技能ある者を次々に引き入れるその国は、周囲の街や集落を従え、繁栄を誇っていた。だが、それもしばらく前までの事。

 外敵の侵略。内応者による扇動。腐敗する官吏達とそれに気づかぬ支配者。

 ここ暫くは不穏な噂が流れ、酒場での話題には事欠かない。


 日の暮れかけた街を歩き酒場を目指す。それは強き剣闘士に与えられる特権を利用しての、ひと時の気晴らしだった。

 本当に自由の身になれば、このような事は当たり前になる。既に生まれた国が滅んでしまった男の今の目的は、この国の自由民となる事だった。

 熱狂する観客の前で幾人もの剣闘士達と血を流し合い、闘犬のように振る舞い続けた男は、直にその目的を果たすだろう。

 自由民となった暁にはどうやって生きて行こうか? 近頃はそのような取りとめもない考えに浸ることも多い。

 ふと、男の背に幾つもの気配が現れる。反射的に男は身構えながら振り返った。現れた影は唯の町衆であり、突然振り向き睨みつける剣闘士の迫力に押され、慌ててその場を後にする。

 緊張を解き、ほっと溜息をつく。

 男と同じような境遇の者もこの街には多い。

 勝ち続ければ続ける程、彼らの望む自由はその手に近づく。

 限られた者にしか与えられぬ自由を得るために、その闘いは熾烈を極める。

 このような状況での闇討ちなど当たり前。戦いの前に飲み水に眠り薬を入れたり、相手方御用達の薬草士を脅して、毒薬を含ませることも日常茶飯事である。

 とはいえ、いつ来るかどうかも分からぬ刺客を怖がっていては、人生は楽しめない。

 明日の無事を運任せにしつつ、男はなじみの酒場の扉に手をかけるのだった。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 すっかり日の落ちた街を男は再びとぼとぼと歩いていた。

 その日は何故か気晴らしの酒もすすまず、なじみの女給仕との他愛もないやり取りにもすぐに飽きて早々に切り上げ、男は店を後にした。こんな日は不貞寝に限る、と牢獄もどきの宿舎に足を向けようとする。

 ふと思いつき、男はいつもと違う帰り道を選んだ。

 街の大広場へと通じるその道は、さらに外門へと続き、果てしなく広がる草原へとつながる。自由民となれば、いずれは自由に出入りできるその場所を、たまには眺めてみるのも悪くないと考え、男は歩を進める。

 その日は蒼い光を煌々と放つ満月の夜。

 どこか遠くに聞き覚えのあるゴォーという低い音を耳にしながら、男は道を歩いた。すっかり無人となった大広場へとやってきた男は、ふと足を止めて、首をかしげた。

 ――あんなところに石像があっただろうか?

 外門近くのその場所で月の光に照らし出されていたのは、隆々とした巨躯を誇る男の石像。両腕をむき出しにした鎧に身を固め兜をかぶったその表情は伺い知れない。さらに右肩には巨大な戦鎚を担ぎあげ、仁王立ちしている。

 ――ナンダカ、ミオボエガ、アルナ。

 彼の意識がそう呟く。

 僅かな疑問を胸にふらふらと引き寄せられるように数歩近付く。不意に、石像が……、否、石像のように立っていた巨漢が声をかけた。

『我は強者との戦いのみを望む者。戦士よ、貴殿が強者ならば、一手、手合わせ願いたい』

 朗々たる声で、早々に堂々と巨漢は宣言する。

『最近、強い人に見境なく勝負を吹っ掛ける辻斬りもどきが、夜の街で流行ってるんですって。いいえ、大きな槌で殴りつけるんだから、辻殴りっていうのかしら? いやよね。野蛮なことしてないで皆でウチに飲みにくればいいのに……。女に興味ないのかしら……』

 アナタも強いんだから気をつけてよね、というなじみの女給仕の忠告が脳裏に蘇る。

 成程、こいつが件の辻殴りという奴かと納得し、男はその申し出を拒否した。

「悪いが、近々、自由をかけた大事な戦いが控えてる身でね。見返りのない勝負に興味はないんだ。他を当たってくれ……」

 男のつれない返事に、巨漢は表情を変えることなく小さく頷いた。

「了解した。どうやら貴公の人となりを見誤ったようだ。疾く去ね。弱者よ。我は侮蔑と共にその背を見送ろう」

 弱者呼ばわりされた事にカチンと来た男は、立ち去ろうとしたその足を止め、巨漢を睨みつける。

「誰が……、弱者だと?」

「貴殿だ、弱者よ。戦う事を誇りとする真の強者とは、いかなる不利な状況で挑まれようとも果敢に戦う者の事。その腰の飾りを置き、尻尾を巻いてさっさと立ち去るがよい。誇りなき自由に身を浸し、生きる屍となってこの街を彷徨うのが、貴殿には似合いであろう」

「成程、ならばその言葉、後悔させてやろう……」

 言葉と同時に腰の剣を引き抜く。幾度も対戦相手に叩きつけて勝利をもぎ取ってきたそれを手に、躊躇なく斬りかかる。

 過去、数多の強者達を葬ってきた男の必殺の一撃を、巨漢は戦鎚を抱えたまま、身体に似合わぬ敏捷さで後ろに飛び下がってかわし、すかさず巨大な戦槌を正面に向けて身構えた。その姿にチッと男は舌打ちする。

 巨漢の手にする巨大な戦鎚は重さそのものが武器であると同時に、それは決して折れぬ盾ともなる。

 剣や槍のような技の派手さはまったくないものの、技巧を極めた者の手にかかればそれは絶対的な力となり、あらゆるものを粉砕する。

 不意に、風が吹き抜けるかのような感覚を覚え、睨み合う二人の間をゴォーという低い音が駆け抜けた。

 聞き覚えのある咆哮に彼の意識が僅かに反応する。

 ――アレハ、ナンノコエ、ダッケ?

 自身の知らぬ声に意識を向けたその一瞬、ブンと風を切って巨大な戦鎚が振り抜かれた。

 隙を突かれた男はかわせぬと気付いて、本能的に背後に飛び下がる。巨大な戦鎚は飛び下がる男の身体をしっかりと捉え、楽々と弾き飛ばした。

あっさりと弾き飛ばされ、男の身体は砂地をゴロゴロと勢いよく転がった。痛みに顔を顰めつつ、男はよろよろと起き上がる。

不意に再びゴォーと低い音がその意識を打った。朦朧とする頭で彼はぽつりと呟いた。

『うるさいな、カメジロー。今度は何がしたいんだ?』

 それは、何気ない一言。

 だが、それが引き金となった。

 よろよろと立ち上がる男の姿が光に包まれ変貌する。現れたのは、それまでの剣闘士の男とさほど変わらぬ背格好で、巨大な剣を背にした彼の姿だった。

 その光景に巨漢は酷く驚いた声を上げる。

「ほう、旅人よ。貴様、我が領域で目を覚ますか……」

 巨漢の言葉に彼――ザックスは朦朧としつつある意識を徐々に回復させると、一つため息をつく。

「まさかとは思うけど、ここは《夢の世界》とか《狭間の世界》とか言い出すんじゃないだろうな……」

 また厄介事かよ、と呟くその姿に巨漢は、心底嬉しそうに声をあげた。

「良き哉、良き哉。久方ぶりの強者よ。互いの得物を以て、一時の戦の宴に存分に耽ろうぞ!」

 華やかな舞踏会で貴公子が淑女をダンスに誘うかの如く、暑苦しい巨漢の情熱的な戦いへの誘いに、ザックスは心底、閉口する。

 昔から何故かこの手の誘いを多く受ける彼の習性は、未だに変わらぬようだ。この戦マニアめ、と張り切る眼前の巨漢に毒づきながら彼は尋ねた。

「悪いが、その前にここがどういう場所かって説明してほしいんだが……。オレの仲間達はどこだ?」

 ザックスだけが、この場所に導かれたとは考えにくい。周囲に全く人影のないその場所で、彼は姿の見えぬ仲間達の心配をする。

「仲間達だと? はてな、先ほどまで、確かにいくつかの意識は感じられたが……」

 手にした戦鎚をブンと一振りすると巨漢は続けた。

「そのような些事などもはや、取るに足らぬ事。強者よ、いざ、我とともに戦の宴を……」

 己の都合だけが最も優先されるらしい戦バカが、言葉と同時に突進する。

 先制攻撃の一撃がザックスの頭上から襲いかかり、飛びのいた彼の眼前で地面が破裂する。はじけ飛ぶ土塊を、《地斬剣》をかざしてかわし、補助魔法を三重がけにする。態勢がまだ完全に整わぬザックスに、もうもうと立ちこめる土埃の中から現れた戦鎚の一撃が再び襲いかかり、彼はその軌道を間一髪見切ってかわす。音を立てて空を切る戦鎚をかわしたと思った瞬間、さらに同じ方向からの一撃が襲いかかる。次いで、さらに一撃。竜巻の如く身体を回転させながら手にした戦鎚を振り回す非常識な戦技とその迫力に、度肝を抜かれてザックスは慌てて大きく飛び下がり、さらに距離をあける。

 たいして動いていないにも拘らず、呼吸が乱れる。ザックスの身体は、鉛が付いたかのように重く感じられた。

 回転を止めた巨漢は、身体に似合わぬ俊敏さを発揮し、ザックスとの間を詰めると巨大な戦鎚の先端を突き出した。《地斬剣》の刃に手を添え、剣の平で防御するも、その重さと勢いか欠け合わさった凄まじき破壊力が易々と《地斬剣》を弾き飛ばす。身体を巧みに反転させた巨漢は、今度は柄の先を突き出して、ザックスの腹部を急襲した。まともに一撃を受け、軽くえづきながら後退をかけるザックスの眼前で、再び上からの戦鎚の一撃が大地を叩き、地面に大穴を穿った。

 不甲斐なくやられっぱなしの展開に歯ぎしりしながら、剣を構える。眼前の戦バカは、ただのバカではない。力任せの大技と、細かい技を巧みに、効果的に使い分ける戦闘の達人であることを理解する。

 己の実力をあきらかに凌駕する戦士との邂逅に、いつものザックスなら闘志を掻き立てられるはずなのだが、その日は何故か違った。己よりも強い者に立ち向かい、ねじ伏せ勝利へと導くために必要不可欠な闘志がなぜか、湧きあがってこない。

 そのような彼の心を見抜いたのか、巨漢は攻撃の手をとめ、戦鎚を肩に担いで言った。

「ふむ……。つまらぬな。旅人よ、貴様、戦場に身を置きながら何を迷っている……。それは戦を汚す行為なるぞ!」

 一方的に戦を吹っ掛けておきながらの傲慢な言い草ではあるが、この場で平時の論理は通用しない。支配する力のルールに対抗するには力でもって対峙する以外に道はない。

「オレが、迷っている……だと?」

《騎士の迷宮》でバンガス達に指摘されるも突っぱねたその事実を、再びこの場で眼前の敵に突きつけられる。

「そうだ、旅人よ。心の中に迷いがあるから前に出れぬのだ。さしずめ、己よりも強い者に中途半端に敗れ、戦う目的とやらを見失い、言い訳まがいの闘いの虚しさに浸っているといったところか……」

 ふと、あの日の記憶が蘇る。

《貴華の迷宮》最下層――。

 圧倒的な魔人の力に対して、自身の力も技もほとんど無力であった。絶望的な状況に関わらず、むやみに湧き上がってくる謎の高揚感に支配されるまま、突進する騎馬の如く果敢に仇敵に挑み、気付けば死にかけていた。

 その後の脱力感はおそらく彼の言った言葉そのままだろう。

 剣を合わせながらも、相手の心と全く絡み合えずに空回りして敗北したことに、心のどこかで何らかの言い訳をしていたのだろう。中途半端すぎる敗北は戦士の身体を殺さずとも、その精神を殺す。

 巨漢は戦鎚を叩きつけ、尊大に語る。

「旅人よ! 一度、戦場に立ち強者である事を望んだ者の末路は、敗北による死でしかないのだ。闘いに満足して戦場を離れ、別の生き方を選んだものとは、弱者となる事を選んだ者に他ならない。旅人よ。今の貴殿は一体、どちらで在りたいのだ? もしも貴殿が戦場に立ち続ける事を望むのならば、我が戦鎚の前にその身を投げ出すがよい。この必殺の一撃によって貴殿の魂ごと《現世うつしよ》より葬り去ってくれよう」

「この野郎、無茶苦茶、言いやがって……」

 苦笑いするザックスだったが、その言いたい事は十分に理解できた。似たような先達の戒めの言葉がザックスの脳裏に蘇る。

『戦場に立つあらゆるフィルメイアの命は、羽よりも軽い』

 結局、戦いの場に立つということはそういうことである。無慈悲で理不尽な『死』と隣り合う世界には、『個』という概念など無意味である。一時の勝敗に満足している暇は無い。勝利してもさらに次々に強者が現れ、己を倒さんとする。敗者となって地に伏すその日まで。それがいやなら戦いの世界から離れ、弱者として生きる術を探るほかない。

 勝ち続ける事――。

 その為にはまず勝つ事を楽しまねばならない。眼前の相手を踏みにじることで勝利の喜びを覚え、貪欲にそれを求める者こそが強者となれる。踏みにじる相手は己より強ければ強いほどいい。

 世界には、我こそは強者足らんと夢を見て、己が正義や信念に従って鮮やかに駆け抜け、散っていった者がいる。

 その一方で彼らの勇姿に嫉妬し、己の臆病から目をそむけんとする独りよがりな浅ましき批判をしながら、指をくわえて眺める者達もいる。彼らの大半は、去っていった者達の手柄を己のものであるかのようにでっち上げて満足し、無駄に命を生き長らえて、後世に害のみを残す。

 己がどちらで在りたいのか?

 中途半端である事は、己に対して、そして散っていった者に対して、無礼以外の何者でもない。

「いいだろう、まずはアンタのその面に一撃叩き込んで、それから先へ進むとしよう」

 ザックスにとってのとりあえずの目的が決まった。己をもう一度目覚めさせるために、眼前の戦バカに宣戦布告する。

「良き哉、良き哉。それでこそ強者よ。では存分に我を楽しませるがよい」

「応。望み通り、ぎちぎちに踏みにじってやる!」

 心の内から力が満ち溢れる。闘志がわき上がり、身体に羽が突いたように軽くなる。

 巨大な《地斬剣》を手に、自然に足が前に出た。

 互いの距離が狭まり、その間合いに達した瞬間、初めてザックスの方から斬りかかる。

 これまでになく軽く感じられた《地斬剣》の一振りが、空を引き裂き、巨漢の皮膚を軽く切り裂いた。初めて僅かに下がった巨漢が、鉄兜の隙間から僅かに見える口元に歓喜の笑みを浮かべた。

 返礼に言葉は必要ない。それに見合うだけの一撃がすかさず繰り出される。

 戦鎚がすばやく突きだされ、その一撃を柄元近くで受け止めた《地斬剣》が音を立ててたわむ。

 刃を寝かせながら、戦鎚の先ごと剣を右に流しつつ、戦鎚の柄の上を滑らせるようにして巨漢を薙ぐ。

 襲いかかる銀の閃光を身体を逸らして、巧みにかわすと、巨漢は戦鎚の柄を手の中で滑らし、その端を片手で握ると力任せに振り回す。巨漢の重さと戦鎚の重さが釣り合って生まれる回転が、窮地から一瞬に抜け出して、反撃へと転じる。

 左手から襲いかかる戦鎚に逆らわぬように地を転がってかわしたザックスに、器用に身体をひねって回転の方向を調節した巨漢の斜め上からの一撃が叩きつけられる。

 それを読み切り、さらに転がってかわすと、身を起こす。

 互いに睨み合い武器を構えた。呼吸を整え、仕切りなおす両者の間に、僅かに静寂が生まれる。

 だが、それは次なる嵐の前触れとなる一瞬の間――。

 己を鼓舞するかのように発せられた気合とともに、互いの間合いに踏み込みあった両者が、再び激突する。

 閃光が交錯し、当たれば必殺の一撃となる互いの武器と技が、不気味な風切り音とともに交錯する。

 ザックスが薙ぎ、巨漢が振りまわす。

 巨漢が突いてザックスが受け流す。

 ザックスが斬りかかり、巨漢が転がる。

 濛々と砂煙が巻き起こる広場で繰り広げられる激しい攻防――。

 敵国同士の王子と王女が互いの牙を懐に隠したまま、手を携えて踊る踊る舞踏会のダンスのような緊張感を伴った光景が、そこに生まれた。

 強者と死合うというスリルに、徐々にザックスの人としての感性が麻痺していく。

 恐るべき破壊力の込められた一撃が、眼前をすり抜けるごとに、己の内に闘志がわき上がることを自覚する。

 ――まだだ。あの時はこんなものじゃなかった。

《魔将》を相手に湧き上がってきた異様な高揚感をザックスは思い出す。下腹から脳天までを突きあげるように湧き立つ快感ともいえるその感覚には、未だに程遠い。

 ――何が足りない? あの時と何が違う?

 踏み出しているつもりでも前に進めない、そのもどかしさが小さな焦りとなる。

 そこに小さな隙が生まれ、眼前の戦の達人はそれを見逃さなかった。うなりを立てる戦鎚が胸部をかすり、ザックスの防具が破損する。

 ――やりやがったな!

 怒りが闘志を加速させ、再び巨漢に挑む。

 後先のことなど、意識の外に捨てた。目の間のこの強敵を喰らいつくす。ただ、その一念が、僅か一撃で全てを失いかねぬ世界へと前のめりに進ませる。一振りごとに、己の常識が壊れていく感覚に喜びすら感じ始め、ザックスは恍惚としながら剣を振う。

 ――殺るか殺られるか。

 砂地に生まれた二つの竜巻が激しく交錯し、火花を散らし、激突する。

 己より弱い者を踏みにじる事に価値はない。得られるのは矮小な自己満足と品性の下落。

 己より強い者に挑み、ねじ伏せ、踏みつけるからこそ喜びが湧きあがる。

 砂塵の立ちこめる中、ほとんど気配だけを頼りに戦うザックスに、巨漢の苛烈な連撃が再びおそいかかる。

 己と戦鎚の重さを利用して凄まじい回転から生み出される破壊の独楽の威力には、それまでの健闘むなしく手も足も出ない。止むなく、後退をかけた。

 舌打ちしながら、その回転の終焉を見守る。この技を破らねば、おそらくこの巨漢に勝利したという満足は得られぬだろう。

 記憶に残ったその技の軌跡を思い出し、その構造を分析する。

 ――やっぱり、あそこしかないか……。

 唯一無防備なその場所に狙いを定め、巨漢を挑発する。

「もう一度だ!」

「何?」

「今のをもう一度やってみろ! 今度はきっちり潰してやる!」

「ほう、面白きことを言う……。我が必殺の連撃を制すると申すか?」

 巨漢は心底楽しげな笑みを浮かべ、手にした戦鎚を、一度と大きく振りぬいた。

「面白き哉、そして何より楽しからんや。やはり、戦とはかくあるべきか!」

 いつしか戦バカの戯言に共感し、笑みを浮かべる己がいる事に、もはや驚くこともない。

 互いの命を堂々と掛ける中でだけ見える一瞬のきらめきを掴む快感に一度身を委ねれば、もはや後戻りはできない。その身が破滅するまで、勝利を掴むとる興奮とその後のとろけるような恍惚にのめりこむ、それが戦人の宿命である。

「行くぞ! 強者よ! 見事、破ってみせい!」

 二人の戦バカが激突する。

 言葉と同時に巨漢の身体がゆらりと揺れる。そして戦鎚が弧を描き、再び激しい回転が生まれた。先ほどよりもさらに速いその回転に、巨漢が本気を出した事を理解する。

 ――強い奴ってのは、どいつもこいつも、どうしてこう出し惜しみしたがるんだ?

 迫る破壊の独楽の前に呑気な事を考えつつ、《地斬剣》を大きく振りかぶる。

 さらにスピードを上げて回転する独楽との距離を正確に測る。振りかぶって振り下ろす。ただその単純な動作に必要なのは完璧なタイミングのみ。

 素早く息を吸いこんで止める。その息を吐き出した時こそ、この勝負の決まる時――。

 迫りくる戦鎚の強烈な回転の勢いにその精神毎、吸い込まれそうになりながらも、彼は冷静に間を計る。

 最初の一撃がザックスの身体を捉えようとしたその瞬間、彼は大きく地を蹴って飛び上がった。

 戦鎚の回転の真上へと飛び上がるや否や、全力を以て《地斬剣》を振り下ろした。《一刀両断》の念を込めて放たれた一撃が、回転する巨漢の頭部を強かに撃った。

 兜を捉えた確かな手ごたえを感じた瞬間、回転する戦鎚に足をとられ、撥ね飛ばされて地面に落下する。

 ザックスの一撃を受けて鈍ったとはいえ、強烈な衝撃が彼の足を襲い、暫し、うめき声を上げる。そのまま見上げた視界には、頭部を激しく強打され、頭を押さえ、片膝をついて崩れる巨漢の姿があった。

「み、見事だ。強者よ……」

 彼のつけていた鉄兜が二つに割れて足元に落ちた。濛々と沸き起こる砂煙の中、今一つその表情は読み取れない。

「一撃、入れたぜ。まだやりたいんだったら、付き合ってやるぞ、存分にな!」

 足の痛みをこらえ、すっくと立ち上がり、膝をついたままの巨漢を睨みつける。いつのまにか巨漢のペースにすっかり乗せられたらしく、戦いの宴に飲み込まれ、ザックス自身がその続きを望んでいた。

 ――もっと熱く、更なる興奮を。

 少しずつ砂煙が収まり、ようやく相手の表情が見えるようになる中で、巨漢は口惜しそうに顔を歪めた。

「残念だが、今宵の宴はこれまでのようだ」

 ふと気付けば、空に蒼く輝いていた満月はいつしか西に沈みかけ、東の空はうっすらと登る太陽の輝きで赤く染まり始めている。

 不意にゴォーというカメジローの咆哮が周囲に響き渡り、同時に周囲の景色が少しずつぶれ始めた。

「おい、ちょっと待てよ」

 勝手に宴に招待し、勝手に盛り上がり、勝手にお開きにする、どこまでも自分勝手な巨漢の振る舞いに小さく憤慨する。だが、巨漢は残念そうな表情のまま立ち上がると、戦鎚を置き、代わりに口を開いた。

「先程、ここが如何な場所かと問うたな?」

「あ、ああ」

「もう、遥か昔のことだ。まだこのあたりが一面緑に覆われていた頃の事……」

 驚愕する。

 生き物の気配ひとつないこの幻砂海が、かつて一面草原であったという事実。その言葉に遥か悠久の時の流れを感じる。

「緑と水の豊かなこの場所に人が集まり、生命が育まれやがて富が生まれた。富を巡って争いが起き、勝ち残った権力者が一つの街を生みだし、支配した。悠久の時の中で繁栄したその街も、無知蒙昧な愚か者共がでっち上げた滑稽な仕来りに依存し、やがては内向きになって、その繁栄を我がものとせんと、簒奪を目論む外敵につけ入られ滅び去った……。この地に生きる者は、緑豊かな大地が不毛なものになるまでそのような事を幾度も繰り返してきた……。街が滅びた事に理由などはない。ただ繰り返される当たり前の人の営み。強いて言うなら寿命というものであろう。ここは街そのものが見るかつての街の記憶の一つ……」

 巨漢は手にした戦鎚の先端をずんと大地に叩きつける。

「我も又そのような街の一つでかつて生きた一人の人間。我が頼みとするこの戦鎚の無敵の力を以て、全ての他者を圧倒したものの、より強者に挑みたいという我が望みは充足しなかった。そんな我が、ある時一人の美姫に懸想して略奪を目論むも、それを果たせず、罪人となった。宝の番人としての退屈な日々は徐々に我の身体と魂を腐らせていった。それでも、幸運であったのは……」

 僅かに声の調子を上げ、彼は続けた。

「人生の結末を戦場で締めくくれた事だろう。この場所で押し寄せる外敵の前に弱り切った身体をなげうって立ちはだかり、悪鬼羅刹と化して無我夢中で戦鎚を振った。それが人としての我の最後の記憶、戦に生きる者としての幸運な生の結末……」

 再び《カメジロー》の咆哮が大きく響き渡り、巨漢の姿すらも揺らいで、あやふやになっていく。

「楽しい時であった。強者よ。いつの日か、又、ここではない何処かで存分に死合おうぞ。我が名は……」

 ほとんど聞き取れぬまま、豪快な笑い声と共に全てが遠ざかる。

 ――そうだな、いつか又……。

 遠ざかっていく意識の中、ザックスは、名残惜しさを胸に抱きつつ、戦の宴の共演者に別れを告げた。



 ◆ ◇ ◆ ◇ ◆



 昨夜、鮮やかな蒼い光を放って空に陣取った満月はすっかりその姿を消し、代わりに東の空に登った太陽の光が、ゆっくりと空を染めつつある。そっと忍びよる朝の気配に目を覚ましたザックスは、ふわわと一つあくびをする。

 朦朧とする頭で周囲を見回し、すっかり燃え尽きている焚火の様子を見つめるうちに、昨夜、寝ずの番につきながら、すっかり寝込んでしまった事に気づいた。 慌てて、仲間達の安否を気遣うザックスは、クロルが、続いてアルティナが眠たそうな目をこすりながら起き上がる様子にほっと胸をなでおろした。暫し、ぼうっとした様子の二人に、ザックスは朝の挨拶がてら、その様子を窺う。

「お早う、二人とも、いい夢でも見られたか?」

 ザックスの問いに暫し、二人は呆けたような表情を浮かべている。

「うーん、もう少しでお宝を手に入れられたのに……」

 残念そうにクロルがぶつぶつと呟いている。

「夢か……。なんだか、とっても切ない……悲しい夢だったな……」

 僅かに目を赤くしたアルティナは、余韻に浸るかのようにぽつりと呟いた。

 兎にも角にも、皆、無事に目を覚ます事が出来たらしい。胸をなでおろすとザックスは起き上がり、撤収の号令をかける。未知の場所で夜を明かした彼らを、入江で待つナシェム達は心配している事だろう。

 まだ、夢の余韻に浸っているのか、撤収作業の間も終始言葉少なかった二人の仲間と共に、ザックスは街の入り口であるトンネルへと向かった。

「なにかしら、あれ?」

 アルティナが足を止め、ぽつりと呟いた。

 トンネルの入り口近くの石像の足元に何かが二つ落ちている。昨日、確かにそれは無かった。像に近づいたザックスはそれらを拾い上げる。

「こいつは……」

 心当たりを確認すべく、ザックスは像を見上げた。

「ウソ……」

 クロルとアルティナが驚いたように声をあげ、ザックスも暫し、言葉を失った。兜だけが剥がれるように割れ落ちた石像は、三人の眼前に見覚えのあるその表情をしっかりとさらしていた。

「こんなことって……」

 しばし、石像を見上げたまま三人は絶句する。クロルがぽつりと呟いた。

「そういえばさ、結局、《カメジロー》はボク達に何を伝えたかったのかな?」

「さあ、良く分からないわ……」

 首をかしげる二人は、リーダーであるザックスに尋ねようと振り返り、その目を見張った。石像を見上げる彼の顔には、滅多にお目にかかれぬ小さな微笑みが浮かんでいた。

「どうしたの? ザックス……」

「何か、知ってるのかい?」

 仲間達に声をかけられ、ザックスは、はたと我に帰る。

「な、なんだよ?」

「だから、《カメジロー》が何を伝えたかったかって話……」

「貴方、どうしたの? 意味深に笑っちゃって……」

 訝しむ二人の圧力に、たじたじと後ずさる。

「えーと、だな……」

 暫し石像を見上げると、一つ、深呼吸する。

「まあ、その、なんだ……。男の子同士の秘密って奴だ!」

 ウンウンと納得するように頷くと、手にした石兜を像の足元に置き、彼はトンネルに向かって歩き出す。

「ちょっと待って……。何よ、それ?」

「ボクも男の子なんだけど、秘密は教えてくれないのかい?」

 謎の言葉と思わせぶりな態度をとるリーダーの後を、二人の仲間が慌てて追いかける。真実を追求しようとじゃれ合う三人の姿は、すぐにトンネルの中へと消えていった。


 やがて、誰もいなくなった街の広場に、いつもとかわらぬ砂漠の太陽の光が徐々に差し込んでいく。

 しばらくして、城壁の上から差し込み始めた日の光に照らされた石像は、満ち足りた表情を浮かべたまま、いつもと変わらぬ無人のその場所に、立ち尽くすのだった。




2013/10/16 初稿




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