01 ザックス、断られる!
「帰んな!」
にべもない一言だった。
「ちょっと待てよ」とでも反論すべきところなのであろう。だが、三十回目ともなれば、もはやそんな気力は湧かない。言葉と同時にカウンターに突っ伏した彼の頭上に、さらなる冷たい追い打ちがかけられた。
「商売の邪魔だ! カネにならん奴は客じゃない!」
野太い声のマスターの追い打ちはカウンターの上で絶望に打ちひしがれる若い男にとどめを刺した。カウンター上で無造作に突き返された冒険者証――クナ石の首飾り――を手にして、ピクリともしないその姿にため息をついたマスターは、僅かに表情を崩して男に声をかけた。
「よく見てみな、兄ちゃん」
その言葉に若い男は力なく顔を上げる。深い赤みを帯びた瞳が特徴的なその顔は、見る者がみれば、彼の出自をすぐさま見抜くだろう。
男から再びクナ石を受け取ったマスターは小さな呟きと共に石にマナをこめる。冒険者証として協会から供与されたクナ石の首飾りはぼんやりと輝いて、カウンター上に若い男のステータス値を浮かびあがらせた。
名前 ザックス
マナLV 01
体力 20 攻撃力 35 守備力 28
魔力 MAX 魔法攻撃 0 魔法防御 30
智力 28
技能 20
特殊スキル なし
称号 なし
職業 なし
敏捷 28
魅力 15
総運値 0 幸運度 MAX 悪運度 MAX
状態 呪い(詳細不明)
備考 協会指定案件6―129号にて生還
武器 鉄の剣
防具 冒険者の服 冒険者のズボン 皮の靴
その他 なし
「兄ちゃん、初心者だな」
こくりと力なく頷く若い男――ザックスを眺めながら、マスターは続けた。
「俺もこの仕事について三十年近くになるが、ここまででたらめな数値をみるのは初めてだ」
太い指で一点を指し示して、眉を潜める。
「まず、手始めに魔力値。装備からみるに兄ちゃんは戦士志望だろうが、その値は一流の魔導士ですら滅多にみることのないMAX値だ。にもかかわらず魔法攻撃力は0。術師の才能は全くないって事だ」
何て無駄な値だ、と呟きながらさらに別の点を示す。
「総運値0。こいつは差分で引き出される値だから、初期時点でマイナス値を示す奴もざらにいる。成長すればそれなりに解消されるものだが、お前はこれがすでに限界値に達しきっている」
まったく出鱈目だ、と言いながらマスターはさらに続けた。
「さらに詳細不明な呪いがかけられているようだな。冒険者協会ですら把握できない解呪不能な呪いなんて論外だ。そして最大の問題はこいつだ」
声を潜めたマスターは、ザックスの目を見据えて言う。
「お前、一週間前に起きたあの一件の生き残りらしいな」
その瞬間、周囲の空気が凍った。
わざわざ声を潜めたにも拘わらず、聞き耳をたてていた周囲の者達はその一言に大きく反応した。冒険者というものは鮮度の高い情報にくらいつく。その様子に僅かに呆れた表情を見せながら、カウンターの向こうでマスターは続けた。
「普通ならこんな苦労はしなくていいはずだ。初期パーティの仲間なんて冒険者訓練校の同期のやつらで組んで、しばらくはそれでいけるはずだからな。だが、お前さんはあの一件でその選択肢を奪われ、初心者の段階で仲間集めの苦労をしなければならない。それは同情する」
マスターと同様にザックスの表情も又、厳しい。
「冒険者って奴が無謀でいられるのは始めのうちだけだ。ダンジョン探索やクエストの数をこなすほど、実態の困難さに目が覚める。故に誰もが保守的になり、そんな奴らがお前のような爆弾を、好んで仲間に受け入れることなんてありえない。こっちも仕事だからな……店の看板に傷がつくような真似はできねえんだよ。あそこの店で紹介された奴を入れたばかりにパーティが全滅しかけましたなんて噂がたとうものならば、目も当てられやしねえ……。さらに初心者のお前じゃ、単独探索も無理だろう。カチカチ頭の協会職員共も黙ってはいないはずだ。奴ら、なるだけ責任はとりたくないからな。悪い事は言わん。冒険者を廃業して新しい道を探すんだな……」
そう言い置くとノキル酒で満たしたグラスをザックスの目の前に置き、離れていく。灰汁と酒精の強いノキル酒の杯を交わすのは、冒険者たちの間では縁切りの際の風習である。
もはやとりつく島もないと理解したザックスは、グラスを放置したまま立ち上がる。それを機に、しんと静まり返っていた酒場の中が再び活気づいた。荷物と共にとぼとぼと店から去っていくザックスの動向を気に留める者は、もはや皆無だった。
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
夕刻に近づいているものの夏の空はまだ高い。濃い潮の香りに満ちた波止場から釣り糸を垂れながら、ザックスは沖合に浮かぶ島々の景色をぼんやりと眺めていた。
別段、現実逃避をしているわけではない。収入のあてがない以上、無駄な出費は極力切り詰めねばならない。いわゆる夕食の調達だった。周囲には彼と同様の境遇と思しき者達が波止場近くの貸し釣具屋で調達した竿と餌を使い、穏やかな波間に浮きを浮かべている。
――ついてない。
これも総運値0の恩恵だろうか?
本日何度目かのため息をつきながら、一向に当たりの様子を見せない浮きに悪態をつく気力もなくただ座り込む。そのまま彼はここ暫くの間に自身の身に起きた様々な災難を、しみじみと振り返っていた。
彼が釣り糸を垂れている海――通称《大円洋》とも呼ばれる《アドべクシュ海》を挟むように、北と南に二つの大陸が広がっている。その一つ、南の《サザール大陸》の沿岸部に存在する複数の自由都市国家群にまたがる巨大な組織の名を冒険者協会という。
初心者から伝説的英雄まで数多の冒険者を輩出してきたこの組織の門を彼が叩いたのはおよそ三か月前。簡単なマナの扱いと冒険者に必要な生存技術を協会経営の訓練校で学び、卒業審査である『初心者の迷宮』踏破の試練に仲間たちと挑んだのがおよそ一週間前の事。
成功率百パーセントに近い、簡単な技能試験であるその試練をクリアすれば、『見習い冒険者』の称号を得るとともに新たな冒険者人生がスタートする……はずだった。百人近い同期生がいくつかのパーティに分かれて挑んだその試練において、あの忌まわしき大惨事が起きたのだった。
六層構造のダンジョンの最下層部にある召喚魔法陣の上に現れたのは、初心者パーティに少しばかりの困難を強いるであろうDランクボスモンスターではなかった。
《十二魔将》――協会にSSランクオーバーと登録された伝説級の魔人の一人の予期せぬ出現に、ダンジョン内は当然の如く阿鼻叫喚の坩堝と化した。魔人の結界に阻まれ、緊急転送アイテムの効力を失った初心者達の末路は無残なもので、無事に生還できたのはザックスを含めて五人だけだった。
ダンジョンの最上層部で気を失ったまま保護されたザックスが、協会の施術院で目を覚ましたのはそれから三日後。協会指定案件6―129号と名付けられた事件の事情聴取を受け、雀の涙程度の見舞金を渡され放り出されたのが二日前の事だった。
目覚めて以来、度々襲い掛かる奇妙な目眩に悩まされながら、ザックスは所属するべき酒場を探して街中をたった一人で歩き回る事となった。
新規冒険者の九割以上が死亡、生存者の内二人が廃業、一人が意識不明のこん睡状態のまま、さらに一人が事情聴取の後行方不明、という惨事の顛末は、瞬く間に都市中の酒場に知れ渡っていた。事件後に異常値を示すステータスのせいでザックスはどの酒場でも敬遠された。冒険者協会認定の酒場に所属しなければ、その後の冒険者としての活動は実質不可能である。『見習い冒険者』ですらないザックスの前途は絶望的だった。
このような状況に至っては冒険者の道をあきらめる事が妥当な選択であろう。だが、彼自身にかけられた正体不明の呪いが、『廃業』という選択肢を阻んだ。
諸経費として見舞金の半額をぼったくった協会派遣の役立たずの解呪師が、自身の無能さをごまかしながら残したのは「掛けた奴に解いてもらえ」という無責任極まりない一言だった。もう一度SSランクオーバーの魔人と相対し、どうにかしろという訳である。
「絶望的だ……」
再びため息と共に呟きが漏れる。一向に当たる気配すら感じさせない釣果以上に絶望的な状況に頭を抱えた。
「冗談じゃねえよ! 数字や実績が何だってんだ。人間の価値ってのが、そんなもんで決められてたまるかよ!」
オレの事をよく知りもしない癖に……と愚痴ってみても後の祭り。半分涙目で打ち寄せる波に向かって「人生のバカヤロウ」と呟いてみる、そんな時だった。
「まったく、ええ若い者がため息なんぞつきおってからに……。お前さんの放つ陰鬱な気のせいで魚共が逃げてしまうではないか!」
ザックスの隣で、糸を垂らしていた老人が彼に声をかけた。一帯の顔であるといった風体のその老人は、ザックスの返事を聞く事もなく言葉を続ける。
「さほど、困難ともいえぬ困難を前に逃亡寸前といったところかのう。ここらで釣り糸を垂らして待っとるだけでは、落ちぶれ冒険者どもの仲間入りじゃぞ」
最近の若いもんはこれだから、といった老人の口ぶりにムッとした口調でザックスは言い返した。
「人の事情も知らないくせに、無責任に首つっこんでんじゃねえよ」
無礼なザックスの言葉にも、老人は臆しない。
「カッカッ……。青いのう。正攻法がだめなら搦め手を考えてみるもんじゃ。真っすぐばかりが人生ではないぞ。どれ、ちょいと見せてみんかい」
えっ、と思ったのもつかの間、竿を置いた老人の手には、いつの間にかザックスの首飾りが握られていた。
「ちょっ、爺さん、いつの間に……」
驚くザックスを尻目にニヤリと笑った老人は、クナ石の首飾りにマナを込め、ザックスのステータスを覗き見る。
「なるほどのう。まずはレベルを上げん事には何ともならん、と云う事か……」
「あのなあ、そんな事は分かってんだ。同期のやつらは根こそぎやられて、半年後に新しい見習い冒険者のパーティが現れるまで待ってる時間はねえ。そして今のオレとパーティを組もうとする奴を紹介してくれる酒場なんて、どこにもねえんだよ」
言葉と同時にじわりと鈍いものがこみ上げる。
『なんだってオレがこんな目に遭わねばならんのだ、人生のバカヤロウ』
と海に向かって吠えたい気分である。
「やれやれ、近頃の冒険者も冒険者なら、酒場の主人たちも問題といったところか。自分達の役割をとんと忘れて、保身に走りおってからに……」
ぶつぶつと呟いていた老人は、やおら手の中の首飾りをザックスに押し付けると、竿を握り直した。
「経験値を稼ぐだけなら、いくらでも方法はあるだろうに……」
「『経験値売買』でもやれっていうのかよ? そんな金、あるわけねえだろう!」
冒険者達をあらゆる面から評価管理するステータスシステムは、人間のもつ曖昧な能力を数値として表わす。マナLVを基準に強化される冒険者の能力を上げる為に必要な経験値は、戦闘やクエストの達成、ダンジョンの踏破など様々な手段によって加算され、冒険者の体内にマナとして蓄積されていく。経験値が上がればマナLVも増加するというわけである。経験値とは一般的には冒険者の成長過程においてその体内に蓄積されるマナの量の事を指すというのが通説だった。
経験値売買とよばれる行為は、訓練校の講義において、これを多用するものは冒険者達の間ではあまり好まれていないという前置きとともに教わる。それは特殊なやり取りで経験値に匹敵するマナを買い取って取りこむ事で、自身のステータス値を上げ、箔を付け名を売ろうとするものである。
実戦での経験が少ないくせにやたらとLVだけが高い彼らは、冒険者達の間では軽んじられる。だが裏ではこの行為はそこかしこで行われているようだ。クナ石に映し出される数字や表示に重きを置かれる世界では、表示される数値のより大きい者が利を得るというのが、一つの現実だった。
そして、それを行うのもカネ次第というわけである。たかだか二千シルバ程度の所持金しかない今のザックスに買い取れる経験値など雀の涙程度であり、事態の好転に一役買うことなど、到底不可能といえた。
不貞腐れたザックスの様子に、からからと笑って老人は続けた。
「もうちっとばかり、歩き回って頭を使ってみるんじゃな。お主のような者でも必要とする奴らは、必ず見つかるじゃろうてよ」
そう言い残すと、老人は竿を引き上げ、釣った魚を放り込んだバケツを片手に立ちあがった。餞別じゃ、とその半分をザックスのバケツに放り込み、とある一策をザックスに囁くと、からからとご機嫌な様子で立ち去っていく。
岸壁にぽつりと残されたザックスは、混乱した頭で呆然とその背を見送った。
2011/07/15 初稿
2013/11/23 改稿