9-3
「あのですねー、来週の木曜、午後からでいいんで家空けてくれませんかねー?」
その日もシュンは帰りが遅かった。
少しは覚悟もしていたつもりだったが、返す言葉が見付からない。
丁度口の中にカレーが残っていたからって、返事が詰まっているのをシュンは気付いていない様子だった。
「いいよ」
──瑞穂が今返せる言葉はそれしかなかった。
まだ寝る時間じゃない。素直になるためには、温もりが欲しかった。
結局、いつだってシュンが気付かないようにしか涙を流せなかった。
そして今朝。シュンが浮かれながらも家を出た後と、瑞穂は起き上がった。
元々意識はあったのだが、シュンが出掛けるのを待っていたのだった。
立ち上がって部屋を見回す。
本人は掃除したつもりであったようだが、室内には櫛や鏡にドライヤーがあり、畳んではあってもキャラクター物のタオルが置かれたままになっている。
棚に置かれた瑞穂の酒瓶も隠されていない。一応確認したが、洗面台の歯ブラシも二本のままだ。
お風呂にはシャンプーやリンスも、シュンのとは別に瑞穂のが置かれている。
「こんなに酒あったら普通引くし、いくら部屋が片付いていても、こんなんじゃ気付くに決まってるわ! 大体、『来週の木曜』って言えば誤魔化せると思うなよー! 世間様はその日、イブだっつぅの! 女なめんな」
苛立ちのあまり一人でそう呟くと、一つ一つキャリーケースに私物をしまっていく。
けれどここに来た時よりも増えていて、どう考えてもキャリーケース一つには入りきらなかった。
半年という時間を感じる。
──ここは、居心地がとても良かった。けれども。
「もう、居られるわけないじゃない」
まただ。同じ事が再び起きている。だが考えても仕方なかった。
紙袋に入れて持って行こうかと一瞬迷ったが、青い燃えないゴミ袋を広げ、また買い直せるものを次から次に突っ込む。
最後に、夏に買ったあの浮き輪たちもゴミ袋に入れた。
「だって、必要ないもの」
そう自分に言い聞かせる。
『また来年』が訪れないことを、シュンと違って瑞穂は既に分かっていた。
というか、気付かれないと考えているシュンがおかしい。
──クリスマスイブだって、ずっと楽しみにしていたのに。
シュンの誕生日にケーキの写真が撮れず落胆していたら、『またクリスマスの時に食べるんですから』とシュンは言った。
それから瑞穂は『シュンとクリスマスも過ごせるんだ』と、ずっと楽しみにしていた。
だが、当人はそのことも忘れて今頃彼女とデートだ。
そして家を出る際にゴミを一通りまとめて玄関に置き、キャリーケースを持ってドアを閉めた。
鍵をかけた後、昨日眠れなくてルーズリーフに書いたメモをポケットから出す。
シュンに自分の想いなんて、伝わらなくていいと思っていた。
だけど、何にも伝えないまま去るのはなんだかやっぱり悔しかった。
だからあんな詩のような文章を置いていった。
そしてそのメモと一緒に合鍵を封筒に入れ、新聞受けに入れた。
約束だと思っていたクリスマスイブに、帰れる家を瑞穂は失った。