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○第二章
夜になって、あの女……瑞穂さん(と、呼ばないとまた怒り出す)をアパートに置き、いつものように下り電車に揺られていた。
ガラスを挟んだ窓の外には、既に見慣れた観覧車が見える。
大学から少し先の高台にある玉那ランドという小さな遊園地のもので、電飾の模様を何通りも変えながらこちらに近付いてきた。
やがて、大学の最寄駅に着くアナウンスが鳴る。
『中成大学・明王大学駅』の駅周辺は山に囲まれ、遊園地の他にも玉那丘陵の自然を残して作られた大きな動物園もある地域だった。
初めてうちの大学を見た時、『こんなところが東京だなんて詐欺だろ!』と心の中で叫んだのをよく覚えている。
大きなお店があった方が便利だと母さんに言われ、同じ市内だったが大学から少し離れた玉那駅近くにアパートを借りたのもそのせいだった。
明王大側である西口を出るとすぐ見えるのは、濃い緑色の看板が目印のコンビニ、『BUN‐BUN 中成大学・明王大学駅前店』だった。
大学近くのここがバイト先で、俺は夜勤をしている。
「おはようございます!」
バイト開始十五分前に〝バックルーム〟と呼ばれる従業員が集まる部屋に入って挨拶をすると、一歳年上の佐藤生人先輩が先にいた。
「ああ。おはよう」
佐藤先輩は全国でもレベルが高くて名が知られている中成大に通っていて、週に一回は二人で組んでいた。
寡黙だが、仕事はいつも完璧にこなす先輩だ。
……一方で俺なんて、周りから記念受験と揶揄された中成大に案の定落ち、滑り止めだった明王大なんかに通っているし、春から始めたこのバイトでも失敗ばかりだ。
だから、いつも冷静で頼りに出来る佐藤先輩に憧れていた。
先にユニフォームに着替えると言って先輩が更衣室代わりのロッカールームに入ると、奥からピンクのスカートをなびかせて向かってくる女の子が見えた。
サイドに結ばれたツインテールと形も程良い胸を揺らしながら、俺の前で止まる。
「俊也ク~ン、おはよ。朝まで大変だけど、今日も頑張ってね」
「もちろんだよ、みなこちゃん! 今日も頑張るよ!」
ただでさえかわいいのに、まるで本当の天使かと思えるような笑顔。
そして男では決して出ない甘く可愛らしい声で『頑張ってね』なんて言われたら、たとえ夜勤がどんなにきつくても男だったら笑って返すしかない。
彼女は都内でも有名な名門女子大に通う田代美奈子ちゃんで、うちのコンビニのオーナー夫婦にとってたった一人の愛娘だ。
実は一つ上だけどそれを感じさせない程の可憐さで、今日も彼女から目が離せなかった。
「おにぎり作ってきたから食べてね」
テーブルの上のお皿には海苔が付いたおむすびが並んでいた。たまにこうやって料理を作ってきてくれるくらい、みなこちゃんは優しい女の子だった。
「いっつもありがとう~みなこちゃんのおにぎり、おいしくって大好きだよ」
「おい、中井。始めるぞ。さっさと着替えろ」
いつの間にか着替え終わっていたらしく、佐藤先輩は緑のユニフォーム姿で立っていた。
「うわぁ先輩すみません、すぐ着替えます! ごめんね、みなこちゃん」
本当はみなこちゃんともっと話していたかったが、さすがに佐藤先輩には逆らえない。
「頑張ってねぇ~後でおにぎり食べてね」
笑顔でそう言われ、つい一瞬顔がにやけてしまったのは秘密だ。
こんなにかわいくて優しいいい子はなかなかいない、と断言出来る。
学部の大半が男で出会いがない俺にとって、みなこちゃんの存在は心のオアシスだった。
たとえ、こんな俺には高嶺の花だと笑われても!
「あぁ~、みなこちゃん~」
みなこちゃんの笑顔を思い出し、ロッカールームで着替えながらそう呟いた俺だった。