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キャリーケースの女  作者: 瀬戸真朝
第二部 七章【瑞穂の物語】
26/39

7-5


瑞穂がいつも以上に荒れたのは、高校二年生だった冬のある日のことだった。

荷物を取りに久し振りに帰って自室に籠もっていると、居間の方から張り上げた声が聞こえてきた。


「いつまであんな他人の面倒見なきゃいけないわけ? いい加減出て行かせてよ」


義母が話している相手は父のようだったが、父の声は聞こえてこない。


「……出て行けるなら、とっくに出て行ってるわよ」


そう言いながら、目から涙が溢れているのは何故なのだろう。


結局、珍しく父から後日話し掛けられ、高校卒業と同時に出て行くよう言い渡された。


「ごめんな、俺は何もしてやれない」

「ううん」


そう返すことしか出来なかった。

すっかり老け込み、昔と違って瑞穂を追い込むような言葉を父は言わなかったが、いつになっても父は無力だった。

瑞穂は幼かったあの頃から、父に期待をするのはやめていた。


だが親からの援助もなく、借りた奨学金だけで都内で一人暮らしをするのは現実的な話ではなかったし、父の稼いだお金はあの女が全て握っていた。

履歴書の保護者欄を埋めてくれる人がいる訳もなく、バイトも出来なかった瑞穂は修学旅行に行くお金さえもなかった。

このままでは、高卒で就職するしか道がなくなってしまう。



翌日図書室で生人に会った途端、瑞穂は涙をこらえられなくなってしまった。

生人はそんな瑞穂を学校近くの公園へ連れ出した。


「あたし、大学行きたい」


雪が降り出しそうな白い空の下で、瑞穂は泣きながらもそう訴えた。

そんなわがまま、今まで誰にも言えなかったが生人にだけは言えた。


「お前、中成大の文学部行けよ」


生人から突然そう言われ、驚いた瑞穂は顔を上げた。

中成大は都内にある私大で、公共機関を使うとここから一時間近くかかる距離に位置していた。


「中成大の奨学生制度なら、センター試験で学部ごとに上位五人以内に入れば授業料四年間無料だ」

「上位五人?! いくら文系教科だけでも、あたしなんか入れるわけないじゃん! それに、授業料がタダでも、家借りたりするお金なんかないよ……」


特進クラスの生人とは違い、瑞穂は奨学金を支給されてはいたが全体では中の下レベルだった。

何より大学に通う以前に、生活が成り立たなければ最悪フリーターになるしかない。

だが、生人は譲らなかった。


「お前なら出来る。それに、オレが行かしてやる」

「え……?」


その言葉の驚きのあまり、瑞穂は顔を上げた。


「中成ならある程度レベル高いし、受かったら一人暮らししていいって親から言われてる。オレは理学部受けるから、お前も文学部受けろ」


言われた意味がすぐには分からず、瑞穂は何も言えなかった。

だが、生人は淡々と続ける。


「一人暮らししたら、オレんとこ来いよ。あ、家賃と食費と水道光熱費は半分払えよ」


願っても無い話だった。

その条件なら生活も出来るし、更に中成大の文学部は司書資格取得に配慮された授業カリキュラムが組まれていることは知っていた。


「本当に……?」

「ああ」


瑞穂の人生の中で、ここまで瑞穂のことを考えてくれる人なんて誰もいなかった。

確かに中成大は難関大と呼ばれる大学だった。

無謀な話かもしれない。けれど、それしかないと思った。


何より、『オレが行かしてやる』と言った生人を信じてみようと思った。


「……うん。あたし、中成大受けるよ」


瑞穂がそう言うと、生人は満足そうに笑った。


「よし、決まりだな。じゃあ、今日から毎日帰りに中央図書館寄るぞ。あそこは十時まで開いてるしな」

「えっ、でも……」


今日も男の家に行く約束がある。だが、生人の意思は変わらなかった。


「お前、大学行きたいんだろ? じゃあ行くぞ」


生人はそれ以上聞く耳を持たずに歩き出し、瑞穂も慌てて追った。

それ以来、生人の部活が終わるのを図書室で待つこともあったが、学校を出ると生人と一緒に中央図書館に寄って毎日勉強するようになった。


生人の親は共働きで門限も緩く、お互い十時まで図書館で勉強出来た。

それに加えて土日も昼間から勉強する生活で、男と会う余裕がなくなった瑞穂は必然と夜だけは自室に帰って寝るようになった。

だがそれは、苦痛以外の何でもなかった。

義兄のこともあったが、ドアの向こうにいる義母からの「どうして帰ってくるのよ」などの罵声で眠れない日は多々あった。


「はやくここからだして…………いくと」


ベッドの中で泣きながら呟いたが、『大学に受かれば、生人がこの檻から出してくれるんだ』と信じ、目を閉じて耐え忍ぶ日々を過ごした。



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