第4話 港町の朝は染料と噂で忙しい
記念染布の注文は、冗談半分の始まりに反して本物の忙しさを連れてきた。朝、店の戸を開ける前から、引換札を持った客が並ぶ。恋人へ渡す深紅の帯、仲直りのための灰青、船出を祝うための白銀の布。相談される事情まで色と一緒に増えていった。
ルラは鍋を見、布を洗い、注文を聞き、時おり客の愚痴まで受け止めた。ひとりで回していた頃の癖で、なんでも自分で抱え込もうとするのを、アルカディウスが見逃さない。
「帳場はこちらで」
「あなた、ギルドの仕事は」
「昼からです。それまでの一刻で店が回るなら、そのほうが早い」
「合理的な言い方のわりに、ずいぶん優しいですね」
「合理と優しさは両立します」
そう言って、彼は伝票を書き、配達先を地図に落とし、荷札の結び方まで整えていく。細かなところを揃える手つきに無駄がなく、見ていると妙に落ち着いた。
店先では、町の人々が勝手にふたりを観察していた。
「今、目が合ったわね」
「いや、あれは仕事の確認だ」
「確認の目つきがやさしいのよ」
「おまえは魚の目利きより恋の目利きに向いてるな」
噂が噂を呼ぶせいで、記念染布の相談はますます増えた。困るべきなのに、ルラは少しだけ助かっていた。店先に人の笑い声が増えるほど、ここを潰したい連中の理屈が弱くなるからだ。
昼前、診療所帰りのジェスパーが顔を出した。白衣の袖をまくり、店先の椅子に腰かける。
「噂、すごいね」
「あなたまで言いますか」
「言うよ。けれど、見ていて思う。偽物でも、誰かを大切に扱う時間は嘘にならない」
「……医者がそんなこと言うんですか」
「怪我も熱も、きっかけは雑でも手当ては本物だろう?」
ルラは返事を探せず、洗い上げた布を絞った。水滴が陽に光る。
アルカディウスはジェスパーの言葉に何も言わなかったが、配達へ出る前、ルラの指先を一瞬だけ見た。染料で荒れた節に、今朝より赤みがある。
「帰りに軟膏を買ってきます」
「そこまでしなくても」
「します。商品を染める手を傷めさせるわけにはいきません」
「また合理的な言い方ですね」
「本音で言うと却って困らせそうなので」
「……自覚はあるんですね」
「少しは」
そのやり取りを、魚屋の女将が聞きつけて大笑いした。
「はいはい、ごちそうさま!」
店じゅうが笑いに包まれる。湯気、染料、潮の匂い、その中に混ざる人の声。夕凪染房は前より忙しいのに、前より息がしやすかった。誰かと仕事を分け合うだけで、こんなふうに日々の重さは変わるのかと、ルラは少し戸惑いながら知っていく。




