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この日々を愛と呼ぼう 寅印港町交易ギルドとオレンジ色の染布帖  作者: 乾為天女


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3/6

第3話 恥ずかしそうな、その顔がすきだ。

 期間限定の恋人という肩書きは、始めてみると想像以上に面倒だった。朝のあいさつ一つで店先の魚屋が口笛を吹き、荷を受け取るだけで隣の乾物屋が「手、つながなくていいの?」と茶々を入れる。


 「トラモアの人たち、そんなに暇なんでしょうか」

 「港が平和な証拠です」

 「あなた、そういうところだけ妙に前向きですね」


 夕凪染房の裏庭で、ルラとアルカディウスは“それらしく見える振る舞い”の練習をしていた。提案したのはボンカである。


 「並んで歩くときの距離が他人なのよ」

 「他人ですし」

 「今だけ恋人! 設定を守って!」


 ボンカに腕組みを強要され、ルラは耳まで赤くなった。アルカディウスも普段の落ち着きをどこかへ落としてきたようで、視線がやたらと空を泳ぐ。


 「もっと自然に」

 「これ以上近いと、歩きにくいです」

 「恋人って歩きにくいものなの?」

 「知りません」

 「知らないで引き受けたんですか」

 「店を守るためです」


 そう答えた声が少し硬くて、ルラは可笑しくなった。つい肩が揺れた瞬間、腕が触れ合い、ふたりとも同時に黙る。そんな空気を面白がるために生まれてきたみたいな顔で、ボンカはにやにやしていた。


 「はい次。見つめ合って」

 「却下」

 「即答しないで」

 「必要性が見当たりません」

 「町の人は見るわよ?」

 「見せ物じゃないんですけど」


 ぶつぶつ言いながら、ルラはしぶしぶ顔を上げた。目の前にあるのは、整った顔立ちなのに妙なところで不器用な男の、落ち着かない視線だった。真面目な人が照れると、こんなにも行き場がなくなるのかと、少しだけおかしくなる。


 「……そんなに見られると困ります」

 「見ろと言ったのはボンカでしょう」

 「その通り!」


 言い返しかけたルラが、ふっと視線を落とした。頬が赤い。照れたときの彼女は、視線を伏せるくせに、口もとだけは少しやわらかくなる。


 その瞬間、アルカディウスの口から、考えるより先に言葉が滑った。


 「恥ずかしそうな、その顔がすきだ」


 潮風が止まったような静けさが落ちた。


 「……え?」

 「いえ、違います、違うわけではありませんが、今のは、その、見た目の話で」

 「見た目の話でも充分だめですよ!」

 「申し訳ありません」

 「謝ると余計に変です!」


 慌てたルラが手もとを誤り、染料の小瓶を落とした。ぱしゃり、と石畳に藍が飛び散る。ふたり同時にしゃがみ込み、額がぶつかりそうになってまた離れる。その一連を見て、ボンカは膝を叩いて笑い転げた。


 「もうそれでいいよ! 練習しなくても本物より本物っぽい!」


 夕方、練習を切り上げたあとも、ルラの耳は赤いままだった。アルカディウスは帳場の端で伝票を揃えながら、何度も同じ紙の順番を入れ替えている。


 「……さっきの、忘れてください」

 「無理です」

 「でしょうね」

 「あなたは、ああいうことを急に言う人ではないと思っていました」

 「私もそう思っていました」


 ルラは戸口に掛けた布を直しながら、ふいに小さく笑った。


 「でも、すきと言われて嫌ではありませんでした」

 「それは……」

 「ただし、次は心臓に悪くない言い方でお願いします」


 背を向けたままの彼女の首すじまで赤くて、アルカディウスは返事を失った。たった一言が、染料のように胸の奥へ落ちる。乾けば消えると思ったのに、むしろ時間がたつほど色を深くしていくのだと、その日のふたりはまだ知らなかった。



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