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後輩でいたいだけ

作者: AKTY
掲載日:2026/02/21

 いつも通りお酒が過ぎた先輩は、どこかのゲームセンターで取ってきた大き目のぬいぐるみを頭に敷いて横になり、控え目ないびきをかきながら寝てしまった。ふたりきりでも先輩は何も警戒しない。だって何も知らないから。僕は先輩のことなら何でも知っているのに。


 先輩はもう深く眠ってしまったみたいで、少しも起きる気配がない。うつ伏せで、肘を立てて先輩を観察していた僕は、匍匐前進の要領で静かににじり寄っていき、真横の位置まで来てから、思い切ってゴロンと転がった。仰向けで寝ている先輩の、肩口のところに僕のあごがくる。僕と先輩のちょうど身長差の分だけそこに届かない。


 しばらく先輩のそばの空気を楽しんだあと、僕はもうひと伸びして耳元に口を寄せる。先輩の奥の方まで届くよう、できるだけ澄んだ音になるように気をつけて⋯⋯そっと先輩の下の名前を囁いた。



 これまでの人生で一番の夏は?と誰かに問われたら、僕は迷いなく大学二年生の夏と答えるだろう。あの夏は本当に楽しかった。仲間たちと海へ行き、山へ行き、思う存分遊び尽くした。翌年から始まるであろう苦難の就職活動を思えば、これが最後の、力のかぎり遊び尽くせる夏だった。みんな遊ぶことに真剣だった。そして⋯⋯僕にとってとても大切な、一生忘れられない ”初めて” があった夏だった。


 そんな夏に僕たちのグループを引っ張っていったのは二学年上の花岡先輩だった。先輩は、正直周囲の誰もが理解に苦しむ謎の力で、この氷に閉ざされた就職難の時代にあっさり内定を勝ち取っていた。それで大学生活最後の夏をエンジョイしようと考えたのだけど、同級生はもちろんそれどころではない。先輩によると、声をかけることすら憚られる状態なのらしい。だからまだ二年生で時間に十分な余裕がある僕たちを誘うことにしたのだ。僕たちもごく自然にそれを受け入れた。


 花岡先輩にはどこかそういうところがあった。特に意識しないで人と人の間にするりと入っていき、まるで最初からそこにいたかのようにすぐに馴染んでしまう。きっと就活の面接でもその力を発揮して、会社の人たちから最初から仲間だったと錯覚されたのじゃないか。そう僕たちは噂した。


 僕との出会いも、僕が入学したての頃の飲み会の数々だった。新歓コンパや、その他サークル等の勧誘の飲み会に参加すると、必ずと言っていいほど花岡先輩がいて、皆に気さくに話しかけてくる。先輩はすぐにたくさんの一年生と友だちになった。先輩はあまり細かいことにはこだわらず、たとえ年下がタメ口をきいてきたとしてもぜんぜん気にしない。ずっと観察していると、相手が求める対応を自然にこなしているのが分かる。


 僕に対して花岡先輩が先輩らしく振る舞うのは、僕が先輩の後輩でありたいと望んでいるからに他ならない。僕がそうしたいなら下の名前で呼んでも、きっと先輩は受け入れてくれるだろう。そういう別の関係性もぜんぜん想像しないということはないんだけど、でもやっぱり難しいなと思う。



 その夏、グループで動くにあたって、先輩から要求があった。グループに女性が欲しい、なんとかしろ、と。先輩が求めているのはただの彩りだ。体育会的な捧げ物みたいな意味じゃない。花岡先輩はその立ち回りのうまさゆえに女性にモテる。連れてこようと思えば自分の広い交友関係の中から選ぶこともできるはずだった。


 でもそうしないのは僕たちに選択を委ねているということだ。気になっている娘がいるんならいい機会だから誘ってこい。そうじゃなくても気の合う娘を連れてこい、と。先輩はああ見えて、とにかく気配りの人なのだ。まあこれはあくまでも僕の解釈で、本当は単に夏に男だけで動くのが暑苦しいというそれだけの理由かもしれないけど。


 とはいえ僕が女性と花岡先輩の間を取り持つことになってもあまり面白くない。そこで僕は同学年でけっこう仲の良いみさきちゃんを誘うことにした。僕は女の子のファッションやアクセサリーなんかが好きだったりするので、そっち系の話が弾んで友だちになった。確認したことはないけど、たぶんみさきちゃんは僕のことを少しは()()()()()と思う。


 彼女を選んだのは単に仲が良いからというだけではない。これが一番重要だ。彼女には三年に気になっている男性がいるのだ。彼女が僕に一方的に恋の話を語るのは、僕らの定番の過ごし方だった。彼女なら連れて行ってもおかしなことにはならないだろう。


 みさきちゃんに話を持ちかけると、友だちも一緒ならいいよと言った。その友だちについてもちょっとしつこく聞き取り調査した。彼氏がこの夏留学するのだという。まあそれなら問題ないだろうと判断した。僕がしっかり見張っておけばいいだけだ。


 他のメンバーもそれなりに人を集め、みんなで山にキャンプに行ってBBQをしたり、海水浴にくり出したり、花火大会や夏祭りをハシゴしたりといった、ザ・夏休みな生活を精いっぱい満喫したのだった。

 


 しかしひとつ、僕にとって大きな誤算があった。


 まさか花岡先輩とみさきちゃんがあんなに急接近するだなんて。海水浴の頃にはもう、付き合ってるんじゃないかと噂が流れていた。そして花火大会ではふたりだけで途中からいなくなってしまった。それ以降は公認のカップルとなった。


 これでは話が違うと、僕はみさきちゃんに詰め寄った。彼女はケラケラ笑いながらこう言った。


「だってさあ、三年のあいつ、なんかぜんぜん就活やってないみたいなんだもん。ありえないよねー」

 

 たしかにありえない。なんでもっと頑張らないんだと僕は内心憤った。


「それに比べて花ちゃん、余裕で就職決めてんだよ?四年のこの時期にこんな遊んでるのすごすぎでしょ?ノリもいいし、優しいしねー」


 なんてやつだ、とは責められない。みさきちゃんの言う通り、花岡先輩はすごくて、ノリがよくて優しくて、そしてとってもかっこいいんだ。誰だって好きになるに決まってる。


 僕はそのあと何回も、みさきちゃんの本性を先輩に暴露してやろうという衝動にかられたけど、先輩の悲しむ顔を思うと、結局何も言えなかった。



 九月に入り、僕らにも夏の終わりの空気が感じられるようになってきた。日中の気温はまだまだ夏の名残を引きずっているのだけど、それでもやはり少し違っていた。さすがにもう集団でどこかに行くことはなくなって、せいぜい時間の合った幾人かで街をぶらつくか、カラオケにでも行くくらいだった。


 ただ花岡先輩はまだまだ遊ぶつもりらしく、みさきちゃんと会わない日は男性陣に集合の号令をかけた。外で軽く遊んだあとはたいていそのまま先輩のアパートになだれ込んで、酒盛りが始まった。


 花岡先輩のアパートはいろいろとガタがきたボロ物件だった。今どきの若者が好まない畳敷きで、風呂トイレは一応ついているが、バランス釜で和式だった。でもそのためなのかたまたまなのかは分からないが、隣は空き部屋で、先輩のとこが角部屋なので、少しくらい騒がしくしても苦情は来なかった。さらに僕らが住んでいる学生用アパートよりは広く、なんだか妙に居心地がよかった。



 その日もいつものように街で遊んでから、ディスカウントストアで酒と肴を買い込み、先輩の部屋で酒盛りを始めた。花岡先輩が率先してバカ話を披露してみんなを笑わせた。僕らもそのノリに触発されてワイワイやって酒を飲んだ。


 通例なら一人二人と酔いつぶれていって、最後は全員で雑魚寝して朝を迎えるところだが、その日は違っていた。なぜかみんな翌日に外せない用事があり、ひとりずつ、徐々に抜けていった。先輩はそういう時も相手を無理に引き止めたり罵ったりはせず、気をつけて帰れよと、快く送り出した。そういうところが皆に好かれる理由なのだ。結局最後は僕と先輩、ふたりきりになった。


 僕はなんとか意識しないように、態度に出ないように気をつけて花岡先輩とおしゃべりした。幸せな時間だった。先輩は僕とふたりきりであろうが別段変わったところもなく、いつものように屈託なくワハハと笑いながらぐいぐい酒を飲んだ。


 ずいぶん酔っ払ってしまった先輩はもう目を開けていられない様子だった。


「先輩、もう寝たらどうですか?」と僕は声をかけた。

 

 花岡先輩は目をこすりながらこちらを見た。


「うん、ああ⋯⋯そうするかな。悪いな、先にいくわ」と言って、先輩はぬいぐるみを枕に、横になった。そしてすぐにいびきをかいて寝てしまった。



 そっと耳元で囁いた時、僕は我ながら自分の行為が照れくさくて赤面してしまう。なにをやっているんだ僕はと思いながら身を離そうとする。その時変化に気がつく。先輩のいびきが聞こえない。まさか、と思いながら先輩の様子を伺う。起きてしまったのでは?いや、それならまだいい、ごまかせる。でもさっきの囁きを聞かれていたとしたら⋯⋯


 先輩の顔を確認するとどうやら目覚めた感じではなさそうで、僕はホッと息をつく。その気が抜けた瞬間だった。花岡先輩が寝返りをうって僕に覆いかぶさってきた。

 

 ちょっと、先輩、と思いはしても言葉にはならなかった。僕はそのまま身動きできず、息を呑んで時間が経過していくのを感じていた。心臓が早鐘を打つ。胸が痛くて死んでしまいそうだ。


 そして、先輩は僕の腰のあたりに手を回し、そっと抱き寄せた。寝ぼけてみさきちゃんと間違っているんだ、と僕は気づいた。日頃のみさきちゃんとの行為を思って、また胸が痛む。でも僕はそのままなにもしない。先輩にされるがままでいる。すると先輩は顔を寄せてきて、僕の唇に唇を重ねた。


 初めてのキス⋯⋯僕はあまりの衝撃に、今何が起こっているのか分からなくなった。ただ、幸福感が身体の中心を駆け抜けたのはたしかだった。もう死んでもいい、本気でそう思った。だけどそれだけではまだ終わらなかった。


 先輩の舌が、僕の口腔内に侵入しようと試みていた。さすがにこれは、と一瞬躊躇ったが、僕はこの快感に抵抗できず、すんなりと受け入れてしまう。初めて味わう他人の舌の感触。アルコール混じりの先輩の呼気。先輩の舌は僕の口の中を念入りに点検するみたいに蠢いている。僕は最初どうすればいいか分からず戸惑っていたが、だんだんと先輩の舌の動きに合わせて自分の舌を絡ませていく。全身から力が抜け、舌だけに意識が集中していた。


 先輩はキスしながら僕の胸のあたりを弄りだす。まずいと思うが、僕にはもうどうにもできない。そうして先輩は僕の口から舌を抜き、僕のあごから、首へと唇を滑らせた。


 もうさすがにこれ以上は限界だ、と僕は思った。理性を保てなくなってしまう。だけどそれは無用の心配だった。先輩は僕の首筋に顔を埋めたまま、静かに寝息を立てていた。僕はしばらくそのままでいたあと、先輩の身体の下から静かに抜け出した。

 


 翌朝、僕は一睡もしないまま、少し離れたところに座って花岡先輩の寝顔を眺めていた。意識はずっと連続しているのに、昨夜起こったことが夢のように感じられた。先輩は何も知らず幸せそうに寝ている。


 朝も少し遅くなった頃、ようやく先輩が目を覚ました。先輩は自分の位置を確認するみたいにあたりを見渡し、僕を見つけてニコリと笑った。僕もそれに応えて笑う。


「先輩、起きましたか」


「ああ、よく寝た⋯⋯お前寝れた?布団出してなかったけど大丈夫だった?」先輩は寝起きでも気遣いの人だ。


「はい、大丈夫でしたよ、よく眠れました」と僕は嘘をついた。


「朝飯でも行くか」しばらくして先輩が提案する。


「そうしましょうか」と僕は応える。


 先輩は簡単に身支度をしてから玄関へと向かった。僕はその後ろ。そして先輩の背中に向けて言った。


「昨日先輩、寝ぼけて僕に覆いかぶさってきたんですよ。たぶんみさきちゃんと間違えて」冗談めかしたおどけた声で。


 先輩は振り向いてニヤッと笑って言った。


「ハハハマジかよ?そりゃあまた悪かった。気持ち悪かったろ?」


 僕はそれに微笑んで首を振った。



 その後も花岡先輩とは、先輩後輩の関係のまま付き合いが続いている。先輩が卒業していって、僕も社会へ出て、それでも先輩との繋がりは切れなかった。というか先輩が放っておいてくれなかった。先輩から数年間なんの音沙汰もない時期が続いても、必ずある日電話がかかってきて呼び出される。そうして会いに行くと、まるで昨日の話の続きみたいに話しかけてくる。


 僕はそういう時、先輩の後輩のままでいてよかったと、心の底から思うのだ。


 了






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