第6回
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その微笑みに、僕は一瞬、安堵のため息を漏らした。
緒方さんが熊谷を殺してくれたおかげで、このとんでもないゲームは終わりを迎えたのだ。
一件落着、これで何も心配することはない――
僕のすぐ後ろでも、藤原さんがほっと胸を撫で下ろしていた。
僕の腕から両手を離し、ゆっくりと立ち上がる。
「――よかった」
小さく声を漏らす藤原さん。
それと同時に、何とも言えない違和感が僕の胸を襲った。
……なんだろう、何か気になる。
何かが、おかしい。
僕は、こちらに歩み寄ってくる緒方さんの背後に見える、熊谷の死体をじっと見つめた。
こんな間近で人が殺されるのを目撃して、人があっさりと死にゆくところを目の当たりにして、僕の心はどうかしてしまったようだった。
アレほど恐怖した感情が、目の前の死を以って安堵と化した。
そこに現実感は、やっぱりなかった。
今はただ、命が助かったという気持ちでいっぱいで――けれど、そんな僕の心情があまりにも気味が悪くて、気持ちが悪い。
だけど、そんなことじゃない。
僕の気持ちなんて、たぶん、それとは関係ない。
圧倒的な違和感。
今目にした熊谷と緒方さんの争いに、僕は思考を巡らせる。
――なんだ、何がおかしかった。
いったい、どこに違和感があったというのか?
今なお流れ続ける血に、赤く染まりゆく熊谷の服。
その足元に転がる、歪んだ細い鉄パイプ。
微笑みを浮かべながらこちらに近付いてくる緒方さんのもとへ、僕の後ろから藤原さんがゆっくりと彼に歩み寄った。
緒方さんの左手が、すっと彼のスーツの中に滑り込んで――
――左手。
その瞬間、僕はハッとなった。
熊谷は、緒方さんの振り下ろした鉄パイプを右手で掴み返していた。
咄嗟に伸ばすのは当然利き手だろうから、熊谷さんは恐らく右利きだったはず。
対して、僕らを襲ってきたあの黒ジャージは、左手にサバイバルナイフを握っていた。
つまり、左利き。
黒ジャージの男も緒方さんも、どちらも左手に凶器を――
「だめだ、藤原さん! そいつが殺人者だ!」
「――えっ」
僕が駆け出した途端、緒方さんはスーツの懐からあの鋭利なサバイバルナイフを取り出していた。
目を大きく見開き、慌てて逃げ出そうとする藤原さんに向かって、緒方は楽しそうにナイフを突き出す。
僕は寸でのところで藤原さんの腕を引っ張った。
「きゃぁっ!」
藤原さんは叫びながらバランスを崩し、尻餅を撞いて後ろに倒れる。
そんな藤原さんを庇うように、僕は緒方の前に立ち、彼のナイフを持つ左手首を両手で掴んだ。
「おうおう、いいところ見せるじゃない」
緒方さんが、楽しそうに僕の目を見つめながら口にした。
彼の手にするサバイバルナイフは、今まさに僕の心臓に切先が向けられている。
緒方はさらに右手をサバイバルナイフの柄に沿え、ぐいぐい僕の胸に押し付けてきた。
それを何とか力いっぱい遠ざけようと僕も必死に抵抗するが、このままでは、いずれ僕の方が力押しで負けてしまうのは目に見えていた。
「いいじゃない、いいじゃない! 男らしく女の子を守って死ぬ! 感動的だ! 実に映画的でいい!」
「な、なんでそんなに楽しそうに笑ってんだ! 何がおかしい! 人殺しだぞ!」
「だから? それがどうした? ここじゃぁ、いくら殺しても罪にはならないんだよ!」
ぐい、さらに緒方の力が強くのしかかってくる。
「い、いくら殺してもって、お前――!」
緒方が、さらに僕に突きつけた腕に力を込めた。
ナイフの切先は、僕の胸ともう数センチも離れていない。
「お前、初参加だったよな? 残念だったな、こんなところであっさり殺されることになるなんてさ。だから、お兄さんが死ぬ前に、もうちょっとだけお前にこのゲームのルールを教えてやるよ」
いったい、コイツは何を言いたいんだ? 何の話をしているんだ? どうしてこんな楽しそうにわけのわからない話をしているんだ!
僕はナイフと彼の話を遠ざけようと、さらに緒方さんの腕を、力いっぱい押しやりながら、
「い、いるか、そんな、は、なし――!」
「まぁ、聞けよ」
ぐいぐい僕の胸に向かって切先を押し付けながら、緒方は語る。
「いいか、殺人者を殺せば1000ポイントが手に入る。逆に間違った参加者を殺した場合はマイナス300点。それがどういうことか、お前にだってわかるだろ?」
「な、なにが!」
「ひとり殺人者を殺しておけば、その後のステージでは最大で三人まで、他の参加者を殺しちまっても問題ないってことなんだよ! 俺は、そうやって何人も殺してきたってわけさ!」
――グサリ。
……い、痛い!
ついに彼の手にするナイフの切先が、わずかに僕の胸に突き刺さった。
その痛みがようやく僕の脳に、コレが現実あることを訴えかける。
このままこのナイフが僕の胸にめり込んでいけば、確実にそれは心臓に達して、熊谷のように大量の血を辺り一面に――
そんなの、冗談じゃない!
僕は文字通り、必死の思いで緒方の腕を押しやった。
わずかに刺さっていた切先が胸から抜け、ごく少量の血がその先端を赤く濡らしているのが見えた。
緒方はそんな僕の抵抗に、気味の悪い笑みを浮かべたままで、
「いいゲームだと思わないか? 表向きは殺人者を探し出して殺す人狼ゲーム。けれど実際は、持ちポイントで本当の殺人ゲームが楽しめるようになってるっていうわけさ。ま、ここで死んじまうお前にはどうでもいい話かもしれないけど――なぁ!」
――ぐい、ぶつり。
その切先が、再び僕の胸に突き刺さった。
まだ傷は浅いが、それでも先ほどよりは深く刺さっているのが痛みでわかる。
このままだと、本当にやばい……!
もしここで僕が殺されたら、今度は藤原さんが……!
視線だけ藤原さんに向けてみれば、藤原さんは目と口を大きく開けたまま、すっかり放心してしまっているようだった。
僕はそんな藤原さんに、声を張った。
「……に、逃げて! 早く逃げて! 藤原――ああっぐう!」
――ぐじゅり。
さらに数センチ、僕の胸にナイフが刺さる。
「ゆ、悠真くん!」
藤原さんの叫ぶ声が耳に届く。
けど、そんな藤原さんに視線を向ける余裕なんて、僕にはもうない。
緒方は狂ったような甲高い笑い声をあげてから、
「さぁさぁ、どうするどうする? 死ぬぞ、もうすぐ死ぬぞ、怖いだろ? 怖いよなぁ! お前を殺したら、そこのお嬢ちゃんもズタズタに引き裂いて殺してやるよ!」
もう、だめだ……力が……抜ける……
僕が諦めて、抵抗する腕から力を抜こうとした、その時だった。
「死ね! 死ね! 死ね! し――」
僕のすぐ目の前で、緒方の頭がパンッと破裂したのである。
――そう。それは破裂と表現するのが一番正しいと思う。
どこからか聞こえてきた複数の銃声。そして飛び交う銃弾。
それらは的確に緒方の頭部、腕、腹、脚を次から次へと撃ち抜いていったのだ。
特に容赦なかったのが、頭部への被弾だった。
僕が破裂と表現したように、彼の頭は何発もの銃弾を受けて無惨に砕け、脳漿を飛び散らせながら、その場にどさりと、崩れ落ちるようにして倒れてしまった。
――からん。
力を失ったサバイバルナイフが、僕と、そして見るに耐えない姿になった緒方の下に虚しく落ちた。




