第7回
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僕たちの足音だけが廊下に響いていた。
屋上庭園から廊下に戻った僕と美月は目的地もなく、中央棟を抜けて東棟へ進む。
産科・婦人科と書かれたプレートの前を通って奥へ進むと、その先は精神科・脳神経外科へと続いていた。
中央にはまた別のエスカレーター、その周囲には長椅子が等間隔に設置されている。
美月は僕の腕を引っ張るように前を歩いていたが、やがて不意に立ち止まると、
「――悠真くんは、どう思ってるの?」
眉間に皴を寄せながら、わずかに息を荒げて、そう訊ねてきた。
「どうって、なにが?」
「……篠原さん」
「……あぁ」
どう、と訊ねられても、あんなものを見せられてしまっては、もうあの人のことを少しでも信用しようなんて気にはなれなかった。
――このゲームで死んでいった者たちは、亡者となる運命にある。
そんな亡者を眺めながら、篠原さんは不気味な笑みを浮かべて、そう口にしたのだ。
……あの人はいったい、何者なのだろうか。
このゲームのことを、どこまで知っているのだろうか。
……ただの参加者とは到底思えない。
あの人には、何か絶対に秘密がある。
そして、亡者となった死者たちは、いったい――?
「あたし、あの人が、怖い」
「それは――僕もだ」
僕たちの間に、しばし沈黙の幕が下りる。
互いに篠原さんに対する疑心を抱き、そしてその存在自体に恐怖を覚えた。
けれど、今は――
「今はとにかく、殺人者を見つけ出そう」僕は首を横に振って、美月をじっと見つめながら、「早くこのゲームを終わらせるんだ。篠原さんのことは、それから考えよう」
「……うん」
美月は僕からわずかに視線をそらせて、小さく息を吐いたのだった。
僕は美月の手を引き、再び薄暗がりの中を歩き出した。
周囲に誰もいないことを確認し、エスカレーターの手すりに手をかける。
あまりの静けさが、僕と美月の心をより一層不安にさせた。
殺人者だけではなく、あの蜘蛛のような姿の医者の化け物がいつ僕らに襲い掛かってくるかもわからないのだ。
それに、あの亡者たちのことも気がかりだった。
あの亡者たちが、いつこの病院の中に侵入してこないとも限らない。
アレほどの数の襲撃を受けてしまえば、僕らに対抗できる手段など、全くなかった。
僕らの手にする拳銃なんて、あの数を相手にするには無力でしかない。
これから起こりうる可能性を考慮しながらエスカレーターをのぼり、五階に辿り着く。
五階より上は階段かエレベーターでしか行けないらしい。
そこがエスカレーターでのぼれる最後の階となっていた。
東A・循環器内科、東B・心臓外科。そのプレートの下にはさらに矢印が描かれており、中央棟・救急救命センター、西棟・脳外科と印字されている。
しんと静まり返る待ち合い廊下をぐるりと見回し、かたり、と小さな音に僕らは同時に身体を強張らせた。
音が聞こえてきたであろう中央棟に向けて廊下を進もうと足を向けたところで、
――ぐにゃり
瞬間、僕の足がなにかを踏みつけ、思わずはっと息を飲んだ。
咄嗟に僕はあと退り、何を踏みつけたのか確認する。
「――藤堂」
そこには、あの藤堂さんが仰向けに倒れていたのである。
虚ろな目を天井に向けたまま、ぴくりとも動かない。
その首筋は鋭利な刃物で切り裂かれて赤黒く染まり、彼の身体の周囲には大きな血だまりができていた。
ぬるりとした感触が靴底を伝って背筋が凍る。
その刃物による傷跡から、彼を殺したのが蜘蛛医者のような化け物などではなく、人であることは明白だった。
とめどなく溢れ出てくるどす黒い血から、僕はたまらず目を逸らせる。
「ゆ、悠真くん……」
口を覆って眼を見張る美月に、僕は彼女がこれ以上藤堂の死体を目にしないよう、後ろに下がらせながら、
「……気を付けて。もしかしたら、近くに殺人者が潜んでいるかもしれない」
拳銃を構え、周囲の様子に全神経を注ぐ。
怪しいと思っていた藤堂が殺人者ではなかったのなら、残る可能性はまだ会っていない横尾綾と吾妻薫のどちらかだ。
美月も怯えた表情でぎゅっと拳銃を握り締め、虚空に向かってその銃口を突き付けた。
けれど、どこにも人の潜んでいそうな気配は感じられなかった。
それでも確実にこの場には殺人者がいて、逃げ去った藤堂の息の根を止めたのには違いないのだ。
僕らも十分に気を付けながら殺人者を探し出さないと、或いは彼と同じように、僕らの首筋もナイフか何かで切り裂かれてしまうことだろう。
ふと見れば、藤堂の流した血だまりが廊下の向こう側、闇の奥へ向かって伸びており、そこから血で濡れた靴底の足跡がかすれるように残されていた。
その傍らに点々と落ちる丸い点は、恐らく殺人者が藤堂を殺した際に用いた刃物から垂れて落ちたものだろう。
きっとこの先に、殺人者が――
「……行こう、美月」
僕は美月に視線をやる。
美月は震える瞳を僕に向けて、不安そうな息遣いのまま、ぎゅっと拳銃のグリップを両手で構えて、
「――うん」
深く頷き、僕とふたり、深い闇を見つめたのだった。




