第4回
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弾倉に弾を補充してから、僕らは診察室をあとにした。
廊下にまだあの化け物がいないか確認し、慎重に道を引き返す。
東棟から西棟へはプロムナードを経由せず、そのまま続く廊下を抜けて、先ほど神辺さんと下崎さんが駆けて行った方向へ進むことにした。
拳銃のトリガーには指を添えたまま、あの化け物か、或いはそれに準ずる何か――別の化け物や殺人者――が襲い掛かってきてもすぐに対処できるよう、全神経を集中させた。
かたり、ことり――
しばらく歩いたところで、遠くからわずかな物音がする。
「……悠真くん」
美月の緊張したような声。
僕は頷き、音のする方に足を向けた。
息を潜めて、なるべくあちらに気付かれないよう、摺り足で足音を立てないよう努める。
やがて緑色の薄暗がりに見えたのは、『図書室』というプレートの掲げられた部屋だった。
開けっ放しのドアから中を覗き込めば、そこにあのふたり、神辺さんと下崎さんの姿が見えた。
ふたりはその図書室で、書棚に収められた本を抜き出しては開き、閉じては戻しを繰り返している。
いったい、あのふたりは何をしているのだろうか。何かを調べているように見えるけれど……
僕は一度美月に振り向く。
――どうする?
静かに問えば、美月は小さく頷いて、
――いってみよう
囁くように口にした。
僕は一度手にした拳銃を後ろ手に隠して、図書室の中へと足を踏み出す。
きゅっ、とリノリウムの床と靴底が擦れる音をわざと鳴らせば、
「――っ!」
「誰っ!」
目を大きく見張るふたりがこちらに顔を向け、怯えたように一歩後ろに下がっていく。
「す、すみません。驚かせてしまって」
なるべく普段通り、これ以上怪しまれないよう細心の注意を払いながら、立ち止まって美月と並んでふたりに声をかけた。
ふたりは僕らの姿に怪訝そうに眉をひそめて、
「……えっと、確か――」
視線を僕らに向けたまま、下崎さんがスマホを取り出す。
僕らの名前を調べようと思ったのだろう。
「僕は、佐倉悠真。彼女は藤原美月です」
先に自己紹介して、頭を下げる。
「佐倉くんと、藤原さんね……」
神辺さんが、僕と美月の顔を順番に睨みつけた。
僕らのことを、このふたりはどれくらい殺人者として疑っているのだろうか。
「おふたりは、殺人者では――ないですよね?」
美月が静かにそう訊ねれば、神辺さんと下崎さんは視線を交わし、
「――違うわ。この人はどうか知らないけれど」
「な、なに言ってんだ! 俺だって違うって!」
「こ、声を抑えてください!」僕は慌てて小声でふたりに注意する。「またあの化け物が来たらどうするんですか!」
神辺さんは口をへの字に曲げてそっぽを向き、
「あ、あぁ、すまない……」
と下崎さんが頭を掻きながら謝罪した。
「俺たちは――」
「神辺ゆかりさんと、下崎紀夫さん、ですよね?」
「――あぁ、そう。まさか、参加者の名前、全員覚えてるのか?」
警戒するように訊ねてくる下崎さんに、僕は、
「はい。一応」
八人くらいなら、一度リストを見れば覚えられる程度の数だと思っているのだけれど、どうやら下崎さんたちからすればそうでもないらしい。
神辺さんが手近にあった椅子を両手で軽く持ち上げながら、
「……殺すべき相手を認識するため、とかじゃないでしょうね?」
「そ、そんなわけないじゃないですか! それに、例え僕が殺人者だったとして、わざわざ名前なんて覚える必要あります? 全員殺すつもりなら、名前を覚える必要なんてないでしょう?」
「そ、それは――確かにそうね」
納得したように、神辺さんは椅子を机に戻したのだった。
「きみたちは、他の参加者には会ったのか?」
下崎さんの問いに、僕は素直に頷いてから、
「篠原さんには、先ほどお会いしました。別行動にするって言って、どこかに行っちゃいましたけど……」
「別行動? 一緒に行動した方が安全じゃないか?」
「篠原さん的には、一網打尽にされるのを嫌ってのことみたいですよ」
「――まぁ、確かにそれも一理あるかもしれないが」
とにかく、と下崎さんは両腕を胸の前で組んでから、
「俺たち四人と篠原さんは殺人者ではない――そういうことで良さそうだな」
「ですね、たぶん。そうなると、残るは……」
ひた、ひた、ひた、ひた――
その瞬間、僕も美月も、下崎さんも神辺さんも、こちらに近づいてくる足音に身体を強張らせた。
ひた、ひた、ひた、ひた――
あの化け物とは全く異なる足音が、静かな棟内に響いている。
僕らは声を押し殺しながら、
「……ひ、ひと?」
「どうしよう、悠真くん」
「とりあえず、後ろに下がろう。美月、銃の準備を」
うん、と静かに頷いて銃を構える美月と僕。
そんな僕らに、下崎さんと神辺さんが驚きの声をあげた。
「き、きみたち、なんでそんな物騒なものを……!」
「それ、モデルガンかなにかなんでしょ? 本物なんて言わないわよね?」
僕らはそれに返答することなく、身をかがめて、すぐ近くの机の影に身を隠した。
それに倣うように、下崎さんたちも少し離れたところの机に身体を寄せる。
ひた、ひた、ひた、ひた――
音は図書室の前で止まり、ふうっという静かな息遣いが小さく聞こえた。
僕はセーフティーを確認し、その銃口を開いたままのドアへ静かに向ける。
きゅっ、きゅっ、きゅっ――
床を擦る音ともに、図書室の中へ入ってきたのは――ピンクのパジャマを着た、小さなお下げ髪の女の子だった。
女の子は身を潜める僕らには気づいたような素振りもなく、怯えたように図書室の中を見回して、
「だ、誰か……誰かいませんかぁ……?」
今にも泣き出しそうな声で、そう口にしたのだった。
女の子は薄暗い図書室の中を、身を縮こまらせながら、その小さな手をぎゅっと握り締めて、一歩、また一歩、いつでも逃げ出せるような態勢で、こちらに向かって歩いてくる。
……これは、いったいどう判断すればいいのか。
僕は眉をひそめて、銃口を女の子に向けたまま、静かに、静かに、美月とともに女の子から見えない位置に後退する。
けれど、そんな僕らとは反対に、
「――ひ、ひぃっ!」
神辺さんが何を思ったのか立ち上がり、小さな悲鳴を漏らした女の子に向かって、歩み寄っていったのである。
「だ、大丈夫よ、落ち着いて。わたしたちも、あなたと同じ参加者だから――」
「……参加者? なんの……?」
女の子は一歩あと退り、二歩あと退り、神辺さんから逃げ出そうと出入り口の方へ下がっていった。
僕はそんな神辺さんの姿を、息を飲んで見つめる。
だめだ、ダメだ、駄目だ……!
「このゲームの参加者よ。あなたも、あのアプリを――」
瞬間、僕はたまらず声をあげる。
「――ダメだ! 神辺さん! その子から離れて! そんな子は参加者の中に居ない!」
「えっ――?」
神辺さんがこちらに振り向いた、その瞬間だった。
女の子の背後のドアから、ぬらりとあの蜘蛛医者が姿を現したのである。
その刹那、蜘蛛医者の空いた手が神辺さんの身体を引き寄せたと思った瞬間、彼女の頭部をもう片方の手にしていた医療用ドリルを一気に押し当てて。
ガガガガガガガッ、ゴリゴリゴリゴリッ――――!
神辺さんは目を大きく見開き、声なき悲鳴を上げるように口を大きく開いて激痛に悶えながら、身体を激しく痙攣させたのである。
「う、うわああああああああ――――っ!」
それを目の当たりにした下崎さんが悲鳴を上げながら、図書室の奥、非常階段と思われる扉に向かって駆け出した。
蜘蛛医者はそれに気づくと、頭部に穴を開けられて血を流す神辺さんの身体を床のうえに放り投げ、ドタドタドタッと今度は彼を追いかけて走りだした。
僕はそんなふたりを苦々しく思いながら、美月の腕を引っ張る。
「今のうちに逃げよう!」
「う、うんっ――!」
青ざめた表情の美月の震える身体を無理やり立たせて、僕はこの隙を利用して図書室のドアへと一気に駆ける。
しかし、そのドアを抜ける時だった。
「――ねぇ、どこへ行くの?」
あの女の子が僕の腕をがっしと掴み、ぎらつく大きな目玉を剥きながら、ニタリと不気味な笑みを浮かべて、ぐいっと強い力で僕を引っ張ってきたのだ。
「――悠真くん!」
恐怖に怯えて叫ぶ美月。
僕も恐怖に駆られながら、それでも絶対にここを抜け出さなければと、女の子の額に銃口を押し付け――
迷うことなく、トリガーを引いたのだった。




