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「佐倉、お前マーダーゲーム・トライアルってアプリ知ってるか?」
それは大学の食堂で、いつものように三百円ランチの薄っぺらいシソ入りチーズカツを頬張ろうとしていたときのことだった。
同じ講義を受けている高瀬玲が、僕の向かいの席に腰を下ろし、前置きもなくそう訊ねてきたのである。
高瀬は金髪ピアスのイケメン野郎だ。あまりに僕とはタイプが違い過ぎて、僕のほうから高瀬と交流したいと思うことは決してない。しかし、どういうわけか事あるごとに高瀬のほうから絡んでくるのは、いったい何を企んでのことなのであろうか。
「いや、知らない」
僕はそんな高瀬に、静かにそう答えてカツを頬張る。
「なに? どんなゲーム?」
カツを咀嚼しながら、僕は高瀬に一応訊ねた。もともとソシャゲなんてあんまりしないのだけれど、話を振られたからには、会話を成り立たせてあげるのが礼儀というものだろう。
高瀬は僕が興味を持ったと思ったのか、にやりと口元に笑みを浮かべる。
「まあ、簡単に言えば、殺し合いの鬼ごっこだな」
「鬼ごっこ?」
「そう、鬼ごっこ。六人から八人の参加者がいて、そのうちのひとりが殺人者になって、他の参加者を皆殺しにしていくんだ。他の参加者はその殺人者が誰なのかを推理して殺さないとクリアできない。ちなみに、もし間違った相手を殺したら減点だ」
「鬼ごっこというか、人狼ゲームに近い感じ?」
「まあ、そうなるかな。殺人者は殺すチャンスがあれば、いつでも他の参加者を殺しにかかる。だから、いかに早く殺人者を見つけ出して始末するか、そこが重要になるわけだ。他の参加者と協力してもいいし、ひとりで黙々と殺人者を見つけ出して殺してもいい。ちなみに、殺人者が参加者全員を殺した場合は殺人者の勝ちになる。どうよ、興味湧いたろ? 面白そうだろ? な? な?」
身を乗り出してくる金髪ナンパ野郎に、僕はやや気圧されるように、「ま、まあ、うん」と頷いた。
すると高瀬はよしよし、と満足したようにスマホを取り出すと、画面を操作しながら、
「んじゃ、招待アドレスを送るから、すぐにダウンロードしてくれよ」
「それってつまり、招待することで貰えるキャンペーンが目的ってことだな?」
「ま、そういうこと! ほら、招待したから、早く開け」
僕はごくりと咀嚼したものを飲み込んでから、「はいはい」と肩を落とし、渋々スマホを取り出した。
画面に表示されている高瀬からのメッセージ着信のお知らせをタップすれば、あっという間にアプリダウンロードのページに飛ばされる。僕はそのままダウンロードのボタンをポチッ。くるくるとダウンロード中を示すインジケーターが回り始めた。
残りのカツと添えてあるキャベツをかきこみ、それらを味噌汁で飲み下したところで、アプリがトップ画面に表示される。
「お、サンキューな佐倉。あとで暇な時にでも開いてくれりゃいいから」
言うが早いか、そそくさと席を立つ高瀬。
本当にダウンロードをさせたいだけだったようだ。
「招待コードの入力はいいの?」
「アドレス踏んでからダウンロードしたろ? 必要ねぇよ」
「ああ、それでいいんだ?」
まぁ、高瀬がいいって言うんだから、問題ないのだろう。一応義務(?)も果たしたことだし。いっそこのままアプリを削除してもいいし、暇つぶしに少しくらいならプレイしてみてもいいかもしれない。本当にやることもなくて、時間をつぶしたいときにでも。そのあたりは僕の自由だ。
高瀬はなにが詰まっているのか、明らかに講義に必要以上のものでパンパンに膨らんでいるバックパック(いったい何をそんなに詰め込んでいるんだ?)を背負いながら、
「んじゃ、俺行くわ」
「あれ? もうそんな時間?」
僕と高瀬が履修している日本語学概論が始まるまでは、あと一時間くらいあったような気がするのだけれど。
「今日はパス。ちょっと所用でな」
「そういって、こないだも休んでなかった? 日数ちゃんと足りてる?」
「ダイジョーブ、ダイジョーブ! ちゃんと計算してっから!」
笑いながら高瀬は言って、不意に真顔に戻ったかと思うと、
「そんなことより、ありがとな、佐倉」
「うん?」
「アプリ、ダウンロードしてくれて」
あまりにも神妙な面持ちで口にするものだから、僕は思わず眉間に皴を寄せつつ、
「別に、大したことじゃないだろ?」
「ま、そりゃそうか」
高瀬は顔を綻ばせると、かっこよく手をひと振りしてから食堂を出ていった。
僕はそんな高瀬の背を見送りながら、最後に冷たいお茶を啜ったのだった。
やがて本日最後の講義も終わり、僕は大学をあとにした。
周囲には仲の良い友人と談笑しながら家路に就くものや、これから遊びに行こうとしているもの、笑い合う男女のカップルなんかがいて、ひとりとぼとぼ歩いている我が身がなんとなく寂しく感じられた。
欲を言えば、まぁ、彼女の一人くらいいてもいいかなぁ、とは思うのだけれど……
例えばほら、今目の前を横切っていった可愛らしい茶髪の女の子なんか、もろに僕好みの雰囲気だ。
とはいえ、僕から声をかけるようなことは決してしない。高瀬ならバンバン声をかけに行ってしまいそうな気がするけれど、僕はそんな軽薄な人間ではないのである。いくら自分好みの女性だったからといって、そんな軟派なこと、できるはずもない。
僕はそんな魅力的な彼女の姿を、ただぼんやりと見送ることしかできなかった。
さて、そんなこんなで僕は近くのバスターミナルまで辿り着いた。ここからバスに乗ること三十分ほどで帰宅できるのだけれど……何があったのか、乗り場には長い行列ができていた。
あまりにも列が長いので、遠くから見るとまるで巨大なアナコンダか何かでも現れたのかってくらいだ。まさに長蛇。
気になってスマホのニュースを確認すれば、どうやらどこかで人身事故が起きたらしい。そのせいでバスの運行が遅れているのだとか。
このまま待っていればいずれはバスに乗れるのだろうけれど、中には早々に並ぶのを諦め、タクシー乗り場に向かう人々の姿も多々あった。
僕もタクシーで帰ろうか、と迷っていると、僕の少し前に、同じく列に並んでいる女の子の後ろ姿が目に入ってきた。
先ほど僕の前を横切っていった、あの茶髪の可愛らしい女の子である。
どうやら彼女もバスに乗るため、この恐ろしい長蛇の列に並んでいるらしい。
僕は少しばかり悩んだあと、結局その女の子が目の前に並んでいることを理由に、そのままバスが来るのを待つことにしたのだった。
僕はスマホを取り出すと、なにか時間をつぶすものはないかとトップ画面をスクロールする。
すると僕の目に、高瀬にダウンロードさせられた例のゲームアプリ『マーダーゲーム・トライアル』が入ってきた。
……せっかくダウンロードしたんだし、少しくらいやってみるか。
僕はそのアプリを軽い気持ちでタップする。
ところが次の瞬間、僕は何が起こったのかすぐに理解することができなかった。
突然スマホの画面が光り輝いたかと思うと、画面から半透明の四角いブロックが次から次へといくつも溢れるように現れたのだ。
それはひとつのブロックからふたつ、ふたつのブロックから四つ、四つのブロックから八つ――どんどん倍々に増殖していき、戸惑う僕の周囲をあっという間に包み込んでしまう。
「――えっ、えぇっ?」
僕は小さく叫び、助けを求めて辺りを見回した。
けれど、どうやらそのブロックは、僕以外には見えていないようだった。
前に並んでいる人、後ろに並んでいる人、みんな僕の声に訝しむような視線を向けてくるばかりで、何事もなかったかのように、すぐに顔を下に戻してしまう。
な、なに、これ、どういうことだよ! 何が起こっているワケ?
戸惑う僕は慌てふためきながら、もう一度辺りを見回して、
「――っ!」
数メートル前に並ぶ、あの茶髪の可愛らしい女の子と目が合った。
女の子は目を見張り、そして驚愕したように僕を見つめていた。
――まさか、見えているのか? このブロックが。
やがて僕の身体を包み込んでいたブロックが激しく発光し始めた、その直前。
僕はその眩しさに思わず瞼を細めたのだけれど、わずかに見えるその視界の向こう側に、あの女の子の身体もまた、僕と同じように、光り輝くブロックに包み込まれるのが見えたような気がしたのだった。




