第96話「AI廃人でーす!」
放課後の教室には、それぞれの「好き」が集まっています。
AIやクラウドが身近になった時代でも、人が考え、人が笑う時間は変わらない。
便利さの中にあるちょっとした違和感や、青春の息づかいを描きました。
今回も、のんびりとした放課後の一幕をお楽しみください。
5月下旬。
放課後の古典準備室。
『言論部』と書かれた札が扉に掛かっているが、もともとは古典教師の倉庫。
壁際の棚には、黄ばんだ全集と辞書、古い和綴じの教科書が並び、カーテンの隙間から差し込む西日が、埃を金色に照らしていた。
机はどれも傷だらけの払い下げ品。
床にはチョークの粉が残り、扇風機が「うぃぃん」と首を振るたびに、
古紙の匂いと風が混ざり合う。
そんな空間に集まった言論部のメンバーたちは、
今日も“各自好きなことをしている”。
誰かが何かを指示するわけでもなく、
各々が自由に過ごしながら、話したくなったら話す。
それがこの部の流儀だった。
詩帆はミステリー研究ノートにペンを走らせ、
いのりは自治会の資料を広げて次のチラシ案を考え、楓は机の上に英語の問題集を並べ、タブレットに繋いだイヤホンで発音を確認しながら静かに復習していた。
彼女は特進コースの優等生。
真面目で努力家だが、教科書を開く姿はどこか自然で柔らかい。
「今日の範囲、まだ模試の対策に出るんだよね……」
そうつぶやきながら、英文を指でなぞる。
部室の中央では。
和風甚平にハチマキ、あごタプタプのチビデブメガネ男、非常勤顧問・福地が、首にかけた手ぬぐいで汗を拭き拭き立っていた。
「ほっほ〜ぃ! 僕ちゃん、差し入れ買ってきたんだよーん!」
ドンと机に置かれたスーパーの袋から、ポテチと炭酸ジュースが転がる。
「また炭酸……先生、それもう冷えてないですよ」
楓が顔を上げる。
「だって僕ちゃん、この年になると冷たいのは健康に良くないのよ!」
福地は常温で置かれた炭酸ジュースをラッパ飲みして案の定むせた。
「ぶふぉっ!?ごほっごほっ!!」
「またむせてる!」
いのりがタオルを渡す。
「ぜ、全然平気なんだよーん……僕ちゃん、炭酸とは魂で語り合うんだから!」
古典準備室の一角で笑いが起きる。
ゆるくて、どこか懐かしい放課後の空気。
いのりはノートに視線を戻した。
「そんなことより、また団地のチラシ作らなきゃ。“ゴミの分別ルールを守りましょう”って、毎週書いてる気がする」
「フォント選びするだけでも地獄だよね」
イヤホンを外しながら楓が笑う。
「可愛いと“読みにくい”って言われて、地味にすると“暗い”って怒られるし」
「それそれ」
いのりがうなずいた。
楓がタブレットを閉じながら言う。
「九紅テンプレ使えば?“九紅クラウド”に自治体用フォーマット上がってるよ」
「そういうの、あるんだ」
「あるよ。九紅って、もう生活インフラみたいなもんだし。電気も通信も、ウーエスビーも、LiNEも、ぜんぶ九紅グループ傘下の九電工(九紅電機工業)が絡んでるんだって。家のテレビも冷蔵庫も九紅ネットに繋がってる時代だよ」
福地が頷きながら言った。
「僕ちゃんちの湯沸かし器も九紅製なんだよーん!“おはよう”ってLiNEで送ると風呂が勝手に沸くんだよーん!」
「それただの給湯連携機能ですよ」
楓が冷静に返す。
「新文明ってホントに便利なんだよーん。最近は自動で何でもやってくれるAI家電なんてのもあるよねん。」
福地はどこか誇らしげに笑った。
「そういえば」
楓が思い出したように言う。
「うちのお父さんもAI使ってるよ。プロ野球の解説やるとき、AIで配球傾向とか投手の疲労データ見てるの。あと“これから伸びそうな若手”の傾向もAIが出してくれるから、取材の下調べがすごく効率化されてるんだって」
「へぇ……慎太さん、AI使って仕事してるんだ。確かにデータとか詳しいもんね」
「うん。でもお父さん、最後は“感覚が一番大事”って言ってた。AIに頼るけど、決めるのは自分。だからお父さん、AIを“もう一人のアシスタント”って呼んでる」
いのりが感心してうなずいた。
「かっこいい……AIと一緒に仕事してるって感じだね」
「そうそう。たぶん、そういうのが理想だと思う」
楓は微笑んだ。
部室には再び、扇風機の音だけが残った。
その隅で、あずさはスマホを真剣な顔で見つめ、
指先で何かを打ち込み、返ってきた文章に小さく頷く。
いのりが気づいて声をかけた。
「ところで、あずさは何してるの?」
楓も顔を上げる。
「まさか彼氏?」
「ち、違うってば」
あずさは照れたように笑って、スマホを少し傾けた。
「AIだよ。九紅AI」
あずさはスマホの画面を机に置いた。
そこには「九紅AI」のロゴと、会話形式の画面。
青い吹き出しの質問の下に、
整った文体の回答が並んでいる。
いのりが不思議そうにのぞき込む。
「それ使って何してるの?」
「九紅ってAIも出してたんだ」
楓も顔を上げる。
あずさは少し考えてから、
「うん。最近ハマってるんだ。AIに自分の意見とか考えをまとめてもらってるの」
「考え?」
「そう。自分の頭の中で整理できないこととか、言葉にしたいのに形にならないことってあるじゃん?それをAIに話すと、意外と自分の気持ちが見えてくるんだ」
楓が感心したように頷いた。
「AIで“自己整理”って、意識高いなぁ。お父さんも似たようなこと言ってた。データを使うんじゃなくて、データと対話するって」
「プロ野球の話のときね?」
いのりが聞く。
「うん。お父さんは解説でAIに投手の疲労とか捕手の配球傾向を出してもらうけど、最終的に“ここで何を投げるか”を決めるのは人間。AIに“考えさせる”んじゃなくて、“考えるきっかけにする”んだって」
「なるほど〜」
いのりが素直にうなずく。
そこへ、福地が炭酸のボトルを握りながら口を挟んだ。
「でもねぇ、なんでもAIにやらせたらダメだよーん。ちょっと前に中学生がAIに作文書かせて、表彰されたあとバレて炎上した事件があったんだからねん!」
「私はそんなことしないってば!」
あずさが慌てて手を振る。
すると、詩帆がキラキラした目で前のめりに。
「なるほど! 宿題をAIにやらせればいいのですね!!」
……部室が静まり返る。
福地がにやりと笑って、曇ったメガネの奥から目を細めた。
「しほりん、バレたら退部だよーん?」
「ひゃああっ!?そんなつもりじゃ!!」
詩帆は真っ赤になって机に突っ伏す。
楓が吹き出し、いのりも笑いをこらえられなかった。
「ほんと、詩帆は発想の方向が毎回ずれてる」
楓が笑う。
「まぁまぁ」
福地はタオルで汗をぬぐいながら言った。
「AIは便利に使うもんなんだよーん。使われちゃダメダメ!」
笑いが収まり、扇風機の風だけが残る。
あずさはスマホを手に取り、少しだけ微笑んだ。
「で、結局あずさ先輩はAIで何をしているんですか?」
詩帆が興味津々に聞く。
「……まぁ、いずれわかるよ」
いのりと楓が顔を見合わせた。
「なにそれ、意味深〜」
「ヒントくらいちょうだいよ」
あずさは肩をすくめて、目を細めた。
「内緒。AIと私の秘密」
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その夜。
いのりの部屋。
机の上には開きっぱなしのノートとプリント。
窓の外では団地の廊下灯がオレンジに光り、
遠くで電車の音が小さく響いていた。
「……九紅AI、か」
あずさの言葉を思い出しながら、
いのりはスマホを取り出して検索した。
『九紅AI 無料アプリ』
すぐに公式サイトが出てくる。
“あなたの考えを整理し、言葉を支える相棒。”
「ほんとに相棒みたいだね」
いのりはそのままインストールをタップした。
アプリを開くと、
ふわっと光が広がり、丸いロゴと共に紅色をあしらった九の文字が浮かぶ。
> 『こんばんは。九紅AIです。今日も一日おつかれさま。どんなお手伝いをいたしましょうか?』
「すご……しゃべった……」
少し緊張しながら、いのりは指を動かす。
> 『自治会のお知らせチラシを作りたいです。かわいい感じで。』
ほんの数秒で、明るい色使いのテンプレートと丁寧な文面が表示された。
「えっ……これ、もう完成してる!」
フォント、レイアウト、内容。
どれも完璧だった。
「すごーい……AIってこんなに便利なんだ」
調子が出てきたいのりは、次々に入力を始めた。
> 『副会長に仕事を頼むとき、上手く伝える方法は?』
『自治会費の集金を気まずくならないように言うには?』
『会計さんに怒られない経費の申請方法を教えて!』
九紅AIは、どの質問にも優しく、完璧な答えを返してくれる。
> 『誠実さと感謝を忘れずに伝えることが大切です。いのりさんの努力は、きっと周りに伝わります。』
「名前呼んでくれた!?」
いのりは思わず頬を赤らめた。
さらに調子に乗って、どうでもいい質問まで投げかける。
> 『どうやったらおっぱい大きくなりますか?』
『好きな人に振り向いてもらうには?』
そんな質問にも、AIは丁寧に答える。
> 『心の自信は姿勢に現れます。まずは自分を好きになることから始めましょう。』
「……AI、やさしすぎる……」
いつの間にか、いのりはベッドの上で寝転びながらスマホを見つめていた。
AIと会話をするだけで時間も溶ける。
頬杖をつき、まるで友達と深夜トークしているような気分。
だが、画面の動作がだんだんもっさりしてきた。
読み込みが遅くなり、指でタップしても反応が鈍い。
「え、ちょっと……フリーズした?」
その瞬間、ポップアップが表示された。
> 『九紅AIの試用回数が制限を超えました。もっとお話ししたい方は課金してね♡』
「……は?」
いのりは固まった。
「これ……課金しないと使えないやつじゃん……」
顔をしかめながら、スマホを見つめたままつぶやいた。
「……これ、便利すぎてやばいな……自治会費で必要経費として落とせないかな……」
自分で言って、自分で苦笑する。
そのままLiNEを開き、あずさにメッセージを送った。
> いのり:
「あずさ、九紅AI重くなっちゃった……課金しないと使えない……どうしよう……」
数秒で既読がつく。
> あずさ:
「アタシもさ、実は課金してるからね。すでにAI廃人でーす。(笑)」
いのりは思わず吹き出した。
スマホを胸に抱え、天井を見上げてぽつりと呟く。
「……AI恐るべし……」
画面の片隅で、九紅AIのアイコンがピコンと光った。
まるで“ようこそ”と言っているように。
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翌日、古典準備室。
和風甚平の福地がドヤ顔で部室に現れる。
「ほっほ〜ぃ!僕ちゃんもAI使ってみたんだよーん!“九紅ニュース”のお天気情報で汗の量まで予測できるんだよーん!」
「それ、ただの天気予報ですよ」
楓が淡々とツッコむ。
「ほんと、新文明は便利なんだよーん!」
福地が満面の笑みで言う。
笑い声が古い棚に反響し、メザメルト飲料のロゴ入りペットボトルが机の上でコロンと転がった。
AIという言葉を聞くと、どうしても「機械的」「冷たい」印象を持ちがちですが、実際には、使う人の心を映す鏡のような存在でもあると思います。
今回のお話は、そんな“AIとの距離感”をテーマのひとつにしました。
少しずつ変わっていく日常の中で、誰かが何かを見つける瞬間を、これからも丁寧に描いていきたいです。




