第8話『未来、ここに駅ができたらいいのにね』
春休み最後の日。
弟のけいじとふたりで、夕日を見に東亰貨物ターミナル駅へ向かう風張いのり。
けいじの何気ない一言から、雛川区が進めている“羽根場空港アクセス線”の新駅構想を思い出します。
明日から小学生になるけいじと、高校2年生へ進級するいのり。
ふたりの未来が、少しずつ交差し始める春の日の物語。
ささやかな願いの始まりを、ぜひ見届けてください。
夕暮れの団地裏。
けいじはピカピカのランドセルを背負って、団地の階段を駆け下りる。
明日から小学生になるチンパン系男子、はしゃぎすぎて家を飛び出してきた。
「いのりおねーちゃん!トラックいっぱーい!」
けいじは歩道橋のてっぺんで跳ねるように手を振った。
その視線の先には、コンテナとトラックがびっしりと並ぶ 「東亰貨物ターミナル駅」 と呼ばれる広大な敷地。
幹線道路をビュンビュン走る大型車両。
九潮団地はそんな湾岸倉庫地帯のすぐ隣にある。
少しあとから階段を上ってきたいのり。
春の風がカーディガンの裾をふわりと舞い上げた。
制服とは違った柔らかな色合いのスカートと、肩にかけたバッグ。
新学期前日、春休み最後の夕日をけいじと二人で眺めに来た。
彼女もまた明日から高校2年生になる。
「けいじ、気が早すぎでしょ」
「だってさー!このランドセル、もう使いたかったんだもん!」
「気持ちはわかるけど、転んで壊したらどうするの」
「えへへへー」
けいじはランドセルの肩ベルトをギュッと握りしめて、線路の向こうを指さした。
「いつかきっとさ。遠くない未来、ここに駅ができたらいいのにね」
「駅?」
いのりはけいじの視線の先を追う。
「うん、あの、トーキョーカモツターミナルエキのところ!ピカピカの電車がとまるやつ!」
「ふふ、今は貨物専用の駅だけど……みんなが使える駅ができたら便利かもね」
いのりは一瞬考えて、ふと表情を和らげた。
「でも実はね、この辺に新しい駅をつくるかもって、区が調査してるんだって」
「ほんとに!?」
「まだ“かもしれない”段階だけど、羽根場空港につながるアクセス線が、こっちを通るかもしれないんだって。
この前、区の予算案の資料に出てたの。調査のための費用が計上されてたから、けっこう本気みたいよ」
けいじの目がぱあっと輝いた。
「ジュースとか、ポテトのおみせとか、いっぱいできるんでしょ?」
「そんなにポテト好きだったっけ?」
「すき!ピザも!ハンバーガーもすき!ぼく、いっぱいおみせつくる!」
「組み合わせがジャンクすぎじゃない?太らないか心配になるよ……」
「だいじょーぶ!町長になったら、やさいのおみせもつくる!」
「町長?……ほんとかなぁ」
いのりが苦笑すると、けいじは得意げに続けた。
「じゃあ、ポテト屋さんがくっついた、上までおっきな長い駅!つくる!」
「それって、駅ビルのことかな?」
「うん!ポテト駅ビル!」
「なんか匂ってきそうだね。」
「お店の下から電車がビューンって来るんでしょ?駅ビルって楽しいね!」
「まあ、そういう駅もあるよ」
いのりが笑って、ふと空を見上げた。
オレンジ色の空。潮風の中に、かすかに春の匂いが混じる。
「……じゃあ、私が区長になって見張らなきゃだね」
「えー、いのりおねーちゃん、区長やるの?」
「ううん、冗談。そんなのムリムリ。でも、誰かが見張ってないと、けいじ町長がズルしちゃいそうだからさ」
「えへへへー」
けいじは両手をバンザイして、まっすぐ空を仰いだ。
倉庫街の奥、線路の延びる先。
そのどこかに、いつか――新しい駅ができる日が来るかもしれない。
団地へ引っ越し、夕日に照らされた倉庫の街で暮らす姉弟の物語、未来の願い。
いつかきっと。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。
実はこのエピソードこそが、私が「じちまか」という物語を書こうと思った“原点”です。
東京都品川区で報道された「新駅構想」にインスピレーションを受けて、世界観やキャラクターたちの姿が大きく膨らみました。
この第8話は、“じちまか”全体を貫く核となるエピソードでもあり、作者としてもとても大切にしている回です。
読んでくださった皆さんの心にも、小さな“駅の夢”が残ってくれたら嬉しいです。
これからも、このエピソードを思い出しながら、“じちまか”を応援していただけると幸いです。