第7話『こういうのが“かわいがられる”ってことなのか』
新自治会長に就任した春休み。
いのりは、前会長から急に自治会長連絡会のしらせを受けました。
春休みの終盤、連絡会に参加してみると、そこには行政や学校関係者の姿も。
多くの大人が自治会活動に参加していることがわかりました。
そこで、文鎮化していたタブレットが初めて活躍する場が来ます。
ぜひ、いのりの連絡会参加を見届けてあげてください。
春休み中とはいえ、忙しさは異常だった。
私の自治会長生活は、誕生日でもある四月一日から始まった。
掃除当番に、ネット注文のダンボール地獄。
自治会長としての買い出しや雑用も含めて、たった数日で“学生と地域活動の両立”がいかに地獄かを思い知らされた。
なんだか他にも頼まれごとがあった気がするけど、思い出せない。
忙しすぎて、記憶の一部が初期化されている気がする。
今朝は、早朝から仕事に出た両親の代わりに、弟のけいじを学童に送り届けた。
ようやく一息つけるかと思った帰り道、119号棟の入口前――駐輪場の脇で、いつものように井戸端会議をしていた前会長に呼び止められた。
「今夜、自治会長連絡会あるから出てね。資料はタブレットのLiNEに届くから」
軽いノリでそう言うと、くるくるパーマの前会長は
「あ、今から渡しに行くつもりだったの」
とチラシを取り出した。
チラシの右下には、作成日「3月1日」と印字されていた。
(今、これ渡されるって……引き継ぎの弊害すぎない?)
会長の交代と引き継ぎが重なった結果、私が内容を知ったのは当日朝という。
これは社会人だったら、普通に無理じゃない?
アフター5のOLだったらギリいけるのかな……なんて、旧時代の死語っぽい単語が頭をよぎる。
で、問題は“資料を見るための端末”だ。
就任時に渡された、例の謎のタブレット。
古いし、重いし、充電端子は今どき見かけないUSB-B。
それだけならまだしも、触るたびに漂うのは、あの……なんというか――
田舎のおばあちゃん家にある車の助手席とか、昔の診療所の待合室のような“なつかしすぎる香り”。
私は引き出しの奥から、文鎮と化したそれを引っ張り出した。
(……これ、まだ生きてるのかな)
その夜。
地域センターの2階にある“多目的ルーム”では、雛川区の自治会長連絡会が開かれた。
外からは見えない構造のその会場には、各号棟の自治会長、地域施設の責任者たちが次々と入室していく。
会議が始まる前、私は緊張をほぐすために1階ロビーへ。
いつもは学校帰りの子どもたちで賑わうウォーターサーバーも、夜時間の今は誰もおらず、静かな時間が流れていた。
一口飲んで、心を整える。
2階の会場へ戻ると、すでに多くの席が埋まっていた。
警察署長、消防署長、福祉センター長。
九潮學園の校長と副校長の姿もある。
地域センターの職員はもちろん、雛川区役所の地域課・福祉課・都市計画課からも職員が参加していた。
新卒二年目くらいの若い女性職員が、ノートパソコンを開いて議事録を取っている。
彼女たちは会議中の発言に対して、必要な補足や説明を入れる役割とのこと。
(……これが“大人の世界”か)
みんな顔なじみのようで、空気も落ち着いている。
私は明らかに浮いていた。年齢的にも、立場的にも。
「それでは、新しく就任された自治会長の方、ご挨拶をお願いします」
議長を務める他号棟・自治会長の声に、私はびくっと反応した。
席を立ち、軽く一礼。
「風張いのりです。高校2年生になります。新しく117号棟・119号棟の自治会長に就任しました。よろしくお願いします」
簡潔にそう伝えると、会場の数人が優しく拍手をしてくれた。
九潮學園の校長が微笑みながら「しっかりしてますね」と一言。
隣に座っていたのは、ふっくらした他号棟の女性自治会長。
にこにことした笑顔で、会議中もやさしく話しかけてくれた。
「スマホの方で見れるようにしとくと楽よ。情報が来たらいつでも確認できるから」
彼女の言葉に、私はタブレットを取り出しながらうなずいた。
一応、ちゃんと充電してきた。電源も問題なく入る。
だが――画面の動作がとにかく遅い。
タップしても反応がワンテンポ遅れるし、スクロールはガクガク。
資料のPDFを開くのに、なぜこんなに待たされるのか。
(重……しかもバッテリー残り20%!? 早すぎでは……)
「自分のスマホのLiNEアカウントに、自治会グループを招待しておけば、いちいちタブレット使わなくて済むのよ。私もそうしてるわ」
「えっ、自分を招待……?」
手が止まる。
――そういえば、QRコードでアカウント追加って、以前どこかで教わったことがあった気がする。
……!あ、そうだ。ともりが言ってたっけ!
「……ありがとうございます、やってみます!」
その場でスマホを取り出し、QRコードを表示して読み取り、グループに参加。
何度か操作ミスしながらも、無事にグループに入れた。
スマホの画面には、さっきまでタブレットで開こうとしていた資料がすぐに表示された。
「できました! すごく便利ですね! 教えてもらって良かったです!」
「素直でえらいわね。若い子は覚えが早いわ」
にこにこしていたおばさんが、さらに笑顔になった。
私はなんとなく
(ああ、こういうのが“かわいがられる”ってことなのか)と察した。
会議の終了後、片付けをしながら挨拶回りをしていると、連絡会の役員のひとりに声をかけられた。
「うち、保険代理店なんだけど。今年の自治会保険もよろしくね」
「えっと……私、未成年なんですけど、大丈夫ですか?」
「副会長に委任状書いてもらえば平気。困ったら相談して」
なるほど、未成年にはそういう壁もあるのか。
でも、意外と“頼れる大人”も多いことがわかって、少し安心した。
連絡会の会長からは、犬井競馬場の定期視察に誘われたりもした。
「競馬場って行ったことないです。興味あります!」
「じゃあ今度一緒に行こう。なかなか面白いからさ」
(断らないほうが、かわいがられる……たぶん)
九潮學園の校長と副校長には、今春から入学するけいじと、新中一になるともりのこともあり、改めて挨拶しておいた。
そして、出口の近くで名刺を渡してくれたのが、スーツ姿の青年だった。
「高校生で会長なんだって? すごいなぁ。俺も若手だけど、さすがにそこまでは若くないわ」
差し出された名刺には、
**「木澤滉平 102号棟自治会長」**の文字。
「大学生だけど、地元生まれで。昔からここに関わってるよ。何か困ったら、遠慮なく言ってね」
その笑顔と気さくな声に、緊張がふっと緩む。
「ありがとうございます……! 私、ほんとに何も知らなくて……」
若い人が他にもいるとわかっただけで、ずいぶん救われた気がした。
帰宅すると、家族が揃っていた。
学童で一日過ごしたけいじが、例の文鎮化したタブレットを見てぽつりと言う。
「いのりお姉ちゃん、これもう使わないの? あたらしいの買ってよ~」
ともりが棒読みで返す。
「デジタル廃品回収行き……いや、売ったら少しは金になる?」
「ダメだよ! これ区からの貸与品だから!」
妹と弟が笑い、両親が微笑ましく見守る中、私はそっとタブレットを引き出しの奥にしまった。
(まだ会長になって8日目なのに……もう、人生3ヶ月分くらい動いてない……?)
そう思いながら、私は静かに目を閉じた。
そして、時は新学期へ――
最後までご覧いただきありがとうございます。
いのりが、大人たちに「かわいがられる」術を学んできました。
こうやって少しずつ大人の世界を見て学んでいく新自治会長いのり。
彼女の活躍をこれからも応援していただけると嬉しいです。
次回もよろしくお願いいたします。