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第78話「お前が日苯語で話せ!」

初夏の九潮団地では、最近は日本語だけが聞こえる場面のほうが少なくなりました。

子どもたちの笑い声の中に、いろいろな国の言葉が自然に混ざっています。

それは一見、国際的で素敵な光景にも思えますが、現場では文化の違いからくる小さなトラブルや、ルールを守らないことで生まれる摩擦も少なくありません。


今回は、英語やコミュニケーションをテーマに、「言葉が通じないこと」「歩み寄れないこと」、そして「それでも話そうとすること」を描いてみました。

誰かが先に声をかけることで、空気は少しずつ変わっていく。

そんな小さなきっかけを感じていただけたら嬉しいです。

初夏の九潮団地。

蒸し暑さの中庭には、近所の保育園から子どもたちの笑い声とともに、日苯語ではない異国のことばが混じっていた。

抑揚の強い響きや、舌を巻く音、歌うような発音。

ここで暮らしていれば、耳に届く言葉が決してひとつではないことを、誰もが思い知らされる。

いのりは、先日の役員会で交わされたやり取りを思い出していた。

話題の中心は、やはり外国人だった。


「ルールを守らない」


「ゴミを分別せずに捨てていく」


「清掃活動に来ない」


机の上には、そうした不満の紙が何枚も積み上がっていた。

役員から出る声は、外国人への苦情ばかりだった。


「言葉が通じないんだし、放っとけばいいのよ」


年配の役員がそう笑えば、別の役員は声を潜めて苛立ちをにじませる。


「夜な夜な友達を呼んでどんちゃん騒ぎしている部屋もある。一部屋に大人数で暮らしているって噂もあるんだ。回ってくる役員当番を任せることなんてできやしない」


さらに別の声が続く。


「都営住宅は、本来は住宅に困っている日苯人のためのものだったはずだろう? それなのに外国人の割合がどんどん増えている。このままでいいのか?」


確かに、外国人でも集金をきちんと払ってくれる住民なら問題はない。

だが実際には、役員の当番や清掃の手伝いを“日苯語が分からない”という理由で逃れる外国人世帯も多い。

行政と連携して進める自治会活動に、彼らを巻き込むことは難しく、現実的に任せることができない。

高齢者は増え、外国人も増え続ける。

その分、自治会を担う若い人材は減り、役員会には「苦しさ」と「苛立ち」が濃く漂っていた。

生活保護を貰いながら日苯でパラサイトして生きている外国人も団地に多数いるため、年々不満を並べる日苯人の声も大きくなる。

連絡会でも


「まともに日本語を話せない外国人の割合が増え続けたら、自治会活動を任せることができる人材がいなくなる」


と苦言を呈されている。


---


この日の放課後、言論部は活動できなかった。

古典準備室を兼ねる部室を、顧問の福地が“テスト作り”のために占拠してしまったのだ。

前日、福地は廊下でプリントを抱えながら、ちゃらんぽらんな口調でこう告げていた。


「僕ちゃん、テスト作んなきゃいけないからね。明日から部活はしばらくお休みだよ〜ん。みんなテスト勉強がんばってね〜ん」


半分冗談のような宣言に、部員たちは苦笑するしかなかった。

翌日には本当に「テスト期間中につき、部室使用禁止」の貼り紙が出され、強制的に解散となった。


「え〜、せっかく放課後なのに……」


星詩帆は残念そうに肩を落とす。


「仕方ないか、テスト勉強しなきゃね」


そう言って、名残惜しそうに帰っていった。

残されたのは、いのりと楓、あずさの三人。

蒸し暑い空気が校舎にこもり、夕焼けに染まる窓から赤い光が差し込んでいた。


「楓って学年トップだし、英語も得意だよね? 英会話もペラペラなの?」


いのりが何気なく尋ねると、楓は小さく首を振った。


「受験英語は得意。でも会話は全然だよ」


「えっ、そうなの?」


あずさが驚いて声を上げる。

楓は淡々と説明した。


「母が元アナウンサーで、現場で外国の人と直接やり取りすることも多かったんだって。だから自然と慣れて話せるようになった。でも私は違う。机の上で勉強するだけで、実際に話す機会はないし……もともと人とコミュニケーションを取るのが得意じゃないから、会話になると途端にダメ」


その告白に、二人は思わず顔を見合わせた。

ほんの一瞬、沈黙が流れる。

楓は照れたように笑い、思い切って言った。


「ねえ、今日うち来ない? いのりとあずさと三人で、勉強しようよ」


唐突な誘いに、二人の目がぱっと輝く。


「いいね! やろうやろう!」


「テスト前だし、ちょうど助かる!」


思いがけない快諾に、楓は目を瞬き、それから嬉しそうに微笑んだ。

学年トップの優等生。

そう呼ばれてきたけれど、本当は友達を家に招いて机を並べることが夢だった。

その夢が、今まさに叶おうとしていた。

初夏の風に吹かれながら、三人は並んで歩き出した。

夕暮れの空の下、これから始まる小さな勉強会を心に描きながら。



三人がリビングのテーブルにノートを広げると、そこにはすでに皆本壮真が腰を下ろしていた。

野球部はテスト期間で練習休み。代わりに課題を片づけていたらしい。


「あ、こんにちわ壮真君」


あずさがにこやかに声をかける。

壮真は顔を上げた瞬間、固まった。

頬どころか耳まで真っ赤になる。


「……っ!」


その様子を見逃さなかったのはいのりだ。


「こんにちわ、壮真君」


にやりと笑って、からかうように言う。


「もしかして、あずさのこと気になってるの?」


「ちょっ、ちちちちちがうから!!」


声が裏返り、余計に赤みが増す。


「ふふ、あずさならフリーだよ。がんばって!」


「ちょっと、いのり!」


あずさが顔を赤らめ、ツッコミを入れる。


「勉強しに来たんでしょ!? もう……」


そう言いながらも、口元には苦笑が浮かんでいた。

そのやり取りの後は、三人+壮真でそれぞれ課題に集中した。

ノートをめくる音とシャーペンの走る音だけがリビングに満ちる。

英語の難問に唸るあずさを、楓が的確に解説し、いのりが


「なるほど」


とうなずく。

静かに時間が流れ、夕方の光が東亰湾の向こうへと傾いていった。

やがて区切りをつけるように、お茶の時間になった。

湯呑みを手にして肩をほぐしたちょうどそのとき、玄関のドアが開く音が響いた。


「ただいまやでー!」


低く響く声とともに現れたのは、父・皆本慎太。

がっしりした体格にスウェット姿。豪快な笑みを浮かべながら靴を脱ぐ。


「いやぁ、今日も撮ってきたぞ。GOTUBEチャンネルの収録や! 最近はコラボも多くてな、自分以外のチャンネルに呼ばれることも増えとる。忙しいでぇ」


リビングに足を踏み入れると、勉強中のテーブルに目をやり、にやりと笑った。


「お、勉強会か? 真面目やな。」


「慎太さん、お邪魔してます」


慎太の登場で、勉強会は思わぬ方向へと転がり始めた。

テーブルには英語のプリントが並び、鉛筆の音だけが響いていた。


「……“仮定法過去完了”なんて、会話で使うイメージ湧かないよね」


いのりが首をかしげる。


「テスト用だからね」


楓は淡々と答え、スラスラと訳を進めていく。


「母も言ってた。“言葉は現場で使うから身につく”。逆に使わなきゃ、どれだけ単語を覚えても意味がないって」


あずさがため息をつき、単語帳をぱたりと閉じた。


「ほんとだよ……結局、覚えても使う機会がないんだよね」


その言葉に、慎太がコーヒーカップを机に置いた。


「そらそうや」


三人の視線が父に集まる。

慎太は肘をつき、豪快に笑った。


「オレが現役の頃、よく外国人助っ人と一緒におった。けどな、あいつらの中には安い年俸で来日して、通訳もつけてもらえんまま必死に過ごしてた奴もおったんや。おかげで俺も簡単な英語でならコミュニケーション取れるようになったで」


「慎太さん英語話せるんだ…」


驚いたようにいのりが瞬きをする。


「せやで。そんなんやから、気合と根性で相手の言葉も文化も覚えようと俺も必死やった。外国人助っ人も知らん国で成功したいって思ったら、言葉の壁なんて乗り越えるしかない。結局は環境に飛び込むことが一番の勉強やな」


慎太はどんと胸を叩いた。


「つまり英語しか使えない現地で生活するのが一番ってことだね」


楓が笑う。


「え~、じゃあ毎日のように英語の授業なんてやっててもダメじゃん」


と、あずさが落胆したように言う。


「そりゃ日苯の学校で、日苯人の先生と教科書並べてブツブツやってても覚えられるわけないわな。現場に出て、相手と向き合って、恥かいて、通じんでも食らいつく。それでこそ本物になるんや」


「……私、自治会長として英語を話せるように英会話でも行こうかなって思ってたんですが……」


いのりが小さな声でつぶやく。


「そんなもん行くだけ無駄や!」


慎太は即答した。


「団地に外国人ぎょうさんおるやろ。そいつらにガンガンしゃべりかけろ!中学生レベルの英語で十分や。通じんかったらスマホ出して翻訳アプリ使えばええ。今は便利な時代や。大事なんは最初の一声やで!」


慎太の声はさらに熱を帯びていく。


「それにな、なんでこっちが金出して駅前留学してまで外国語覚えなあかんねん。向こうが日苯に来とるんや。むしろ“お前が日苯語で話せ!”くらいの気持ちでいけ。遠慮してたら舐められるだけやないか!」


豪快な持論に、リビングの空気は圧倒されたように静まり返った。

けれど、そこには確かな迫力と説得力があった。

ノートの上で停まった鉛筆を握り直しながら、いのりは胸の奥に熱を感じていた。


勉強会を終え、いのりとあずさは天王巣アイルから人工島の団地へと歩いて戻った。

潮の匂いを含んだ夜風が頬を撫で、団地の光が近づくにつれて子どもたちの歓声が大きくなる。


「もう暗いのに、まだ遊んでるんだ……」


あずさが呟く。

広場を見やると、そこでは外国人の少女たちが走り回っていた。

中には日苯人とのハーフの子も。

髪色も肌色もバラバラな顔ぶれが、まるで国境を越えたように笑い合っている。


その真ん中で


「ケイジ!ケイジ!カッコイイ!!」


「ケイジクン、イケメン!ワタシヲオヨメサンニシテ!」


「ケイジ、ダイスキ!アイラブユー!!」


黄色い声が飛び交っていた。

いのりの弟・けいじが、両手を女の子たちに引かれながら爆笑していた。


「アッハッハッハッハ!」


ハグされてはしゃぎ、両頬をつままれても嫌がらず、ただ大声で笑い転げる。

まるで当然のように女の子ばかりの輪の中心に収まっていた。


「……完全にハーレムじゃん」


あずさが半ば呆れたように笑う。

いのりはこめかみを押さえ、ため息をついた。


「けいじ……チンパンだから、自分がモテてるってわかってないんだよ」


けいじはただ夢中で遊んでいるだけ。

けれどその無邪気さこそが、国も言葉も違う少女たちを引き寄せていた。

人工島の夜に響く笑い声は、確かに“レディーたちのハーレム”を築き上げていた。


---


後日。

その縁で、けいじから外国人の少女を通じて親たちに清掃活動の話を伝えることに成功した。


「ケイジのためなら」


と、これまで距離を置いていた外国人家庭が自治会活動に少しずつ顔を出すようになったのだ。

英会話教室よりも、紙の上の文法よりも。

チンパン小学生の人懐っこさが、団地を少しずつ変えていった。



私は、外国の方を排除したいと思っているわけではありません。

ただ、日本で暮らす以上、日本のルールに従ってほしいという気持ちは正直にあります。

都営住宅や生活保護の制度の中で、努力して働く日本人よりも外国人が優先されているように感じる現状には、どうしても疑問を覚えます。

それは差別ではなく、制度のゆがみを見つめたいという思いです。


慎太の言葉にもありましたが、言葉の壁は、やる気と勇気で乗り越えられるものだと思います。

そして今回、その大切さを一番教えてくれたのは、けいじでした。


彼は特別な知識もなく、難しいことも考えていません。

ただ、相手を怖がらずに、笑って話しかけただけ。

その素直さが外国人の子どもたちや保護者の心を動かし、結果として団地の空気を少しずつ変えていきました。


結局のところ、英会話でも翻訳アプリでもなく、人と話す勇気そのものが、社会を変える一歩になるのだと思います。


言葉よりも姿勢を。

優しさよりも行動を。

郷に入れば郷に従う。

それでも心を開いて話しかける。

このお話は、そんな“対等な共生”への小さな答えとして書きました。

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