第75話『安心して。』
ゴールデンウィークが終わり、団地や音楽祭の喧騒から一転、ふつうの学校生活が戻ってきました。
そんな日常回の中で描かれるのは、何気ないやり取りの中ににじむ恋心と、支えてくれる友達の存在です。
今回はとくに、あずさの良さがあふれ出てくる回。彼女の明るさや優しさが、いのりと木澤の関係を後押しします。
連休が終わり、曇り空の下で校舎が静かにそびえていた。
ゴールデンウィーク明けの登校初日。
いのりは少し重たい足取りで校門をくぐった。
つい昨日まで音楽祭で声を張り上げ、団地を盛り上げていたのが嘘のように、いつもの日常が戻ってくる。
「やっほー、いのり!」
背後から聞き慣れた声が響く。
振り返れば、校門脇で手を振っているのはあずさだった。
「昨日の音楽祭でも会ったけどね」
くすっと笑いながら駆け寄ってくる。
「ほんとだよ」
いのりも笑い返す。
二人で歩き出すと、あずさが大きなため息をついた。
「はぁ〜……休み上げなのに、もうすぐテスト。せっかく連休で遊んだのに、全然勉強できなかった」
「私もだよ……。ちょっとひやひやしてる」
同じ悩みを抱えていることに、思わず顔を見合わせて苦笑した。
その時、あずさの視線がふといのりのカバンに止まった。
「……あれ? それって……」
小さな天狗のマスコットがついた縁結びのお守りが、チャームのように揺れていた。
「えっ!? これ?」
いのりが慌てて隠そうとするが、時すでに遅し。
あずさは口元をニヤリと上げた。
「もしかして〜……滉平さんとの? ヒューッ!」
両手でラッパを吹く真似までして、からかってくる。
「ち、ちがっ……!」
いのりの顔は一瞬で真っ赤に染まった。
---
昼休み。
いのりとあずさは楓と合流し、三人で学食へと向かった。
「ねぇ、今日混んでそうじゃない?」
楓が少し不安げに呟く。
「まあ、連休明けだしね。みんな財布の紐ゆるんでるんじゃない?」
あずさが肩をすくめる。
食堂に足を踏み入れた瞬間、ざわめきが耳に届いた。
視線の先には、白いエプロン姿で軽やかに盆を運ぶ木澤の姿。
長身に映える制服、清潔感ある笑顔。
その姿に、周囲の女子たちから小さな歓声が漏れていた。
「きゃー、今日もかっこいい……!」
「やっぱ木澤くん、バイトしてても絵になるよね」
そんな声が飛び交うたび、いのりの胸がむず痒くなる。
つい目で追ってしまい、視線がぶつかりそうになった瞬間、慌てて俯いた。
列に並んでいたいのりの番が来る。
配膳カウンターの向こうで木澤が笑顔を見せた。
「いのりちゃん……午前の授業、おつかれさま。音楽祭もかっこよかったよ」
「……滉平君こそ、おつかれさま。滉平君がいてくれたから、わたしも頑張れたんだよ」
一瞬、盆を挟んで見つめ合う。
頬が赤くなるいのり。
耳まで熱くなる木澤。
列の後ろから、女子たちの声がひそひそと漏れる。
「やっぱり風張さん、絶対付き合ってるよね……」
「あーあ、残念。私、木澤さん狙ってたのに」
その言葉が耳に入った瞬間、いのりの顔は一気に真っ赤になった。
「いのり、後つかえてるよ」
目のやりどころに困った楓に促され、慌てて盆を抱えて一歩進む。
続いて楓が受け取りに進んだとき、木澤の視線はふといのりのカバンへ吸い寄せられた。
そこには、天狗のマスコットがついた小さな縁結びのお守りが揺れていた。
(……縁結びのお守り……? 誰と……? え、ええええ!?!?)
木澤の頭が真っ白になった。
思考が止まり、目が泳ぐ。
盆を手渡す指先まで震えているのを自覚する。
その直後、楓の次にランチを受け取ったあずさが、木澤の異変をすぐ察した。
口元を緩め、こっそりと耳打ちする。
「安心して。滉平さんとの縁結びらしいよ。ちゃんといのりのこと大事にしてあげなきゃ、アタシが怒りますからね〜」
「……っ」
心臓が跳ね上がる。
頭の中はまだ混乱したまま。
本当に?
それともあずさちゃんの適当な茶化し?
確かめられないまま、ただ胸の鼓動だけが暴れ続けていた。
---
学食のバイトを終えた木澤は、午後から大学の講義に向かっていた。
教室に腰を下ろしても、ノートはほとんど白紙のまま。
頭の中をぐるぐる回っているのは、いのりの縁結びのお守りのことだった。
(……いのりちゃん、あれ誰と……?いや、あずさちゃんが言ってたみたいに、本当にオレとの……?)
ホワイトボードの文字はまったく頭に入らない。
(そもそも……あずさちゃんは嘘をつくような子じゃないだろうし……。でも単なる勘違いってパターンもあるよな……)
自分でも答えの出ない思考にハマり込む。
「……あ〜もう! しっかりしろ、俺!」
思わず小声が漏れて、前の席の学生が怪訝そうに振り返った。
木澤は慌てて目を伏せ、ペンを握り直す。
だが胸の鼓動は、昼休みからずっと落ち着いてくれなかった。
---
放課後。
いのりは言論部の部室へと顔を出した。
窓から差し込む夕陽が机の上を染め、少し眠たげな空気が漂っている。
「はぁ……ゴールデンウィーク、あっという間だったなぁ。僕ちゃん、もうちょっと休みが欲しかったよ」
顧問の福地先生が椅子にだらりと身を預け、しょんぼりとつぶやく。
しかし、その肌は温泉帰りのせいか、いつもより艶やかだった。
「先生、なんかツヤツヤしてません?」
楓が笑いながらからかう。
「ほんと、休み明けでも元気そうじゃん」
と、いのり。
すると、あずさが机に頬杖をつきながらニヤリ。
「先生、普段から重役出勤で、週3~4日くらいしか来てないじゃん(笑)」
「こらこら、僕ちゃんだってちゃんと仕事してるんだから」
福地は苦笑しつつも、否定しきれない表情。
部室に笑い声が広がった。
三人の軽口が飛び交う中、星詩帆だけは机に突っ伏したままだった。
「……おつかれさまです」
いのりが声をかけると、星詩帆は顔を上げずに小さく返す。
やけに疲れ切った様子で、その表情には普段の元気がなかった。
理由を聞こうとしたが、いのりは言葉を飲み込む。
「そうだ、おみやげ持ってきたんだ」
いのりはバッグを開け、包みを机に置いた。
ふわりと甘い香りが部屋に広がる。
「やった! いただきまーす!」
真っ先に手を伸ばしたあずさの声で、重かった空気が少しだけ和らぐ。
「いのり、ありがとう。助かる〜」
楓もにっこり笑い、包みを開けた。
「お、いいねぇ」
福地も上機嫌に頬を緩める。
星詩帆もようやく顔を上げ、
「わーい!ありがとうございます!」
とかすかに笑った。
こうしてゴールデンウィーク明け最初の放課後は、特に大きな出来事もなく、ほっこりと終わっていった。
だが、その疲れを隠しきれない星詩帆の姿だけが、静かに心に残っていた。
今回のタイトル「安心して。」は、あずさが木澤にかけたひとことから。
からかうようでいて実は真剣に応援している彼女の姿は、ただのムードメーカーにとどまらず“もう一人のヒロイン”としての魅力を強く見せてくれました。
いのりと木澤の関係を描く上で、こうした仲間の支えがあることが物語をあたたかく彩ります。
ほっこりとした日常の中に、恋と友情の余韻を感じてもらえれば嬉しいです。