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第74話『親に見られる前に片付けておかないとな』

音楽祭が終わり、少し気が抜けた夜。

華やかな舞台を見届けた木澤の心に残ったのは、誇りと寂しさ、そしてどうしようもない男子の欲望でした。

「片付けておかないとな」というタイトルがどこに繋がるのか――それも含めて楽しんで読んでみてください。

音楽祭が終わった夜。

カーテンを閉め切った部屋は蒸し暑く、パソコンのランプとスマホの画面だけが頼りない光を放っていた。

ベッドに沈み込んだ木澤は、片手にスマホを握り、無意識にアルバムを開く。

画面を指で送るたび、目に飛び込んでくるのはいのりばかり。

干潟で笑った横顔。

始球式でグラウンドに立つ姿。

そして音楽祭、あずさと並んでスポットライトを浴び、歌い上げる瞬間。

そのたびに胸がざわつき、喉がひゅっと鳴る。


「……ほんと、すごいよな……」


暗闇に漏れた声は、誰にも届かず、ただ自分の耳に返ってきただけだった。


音楽祭は無事に幕を閉じた。

いのりとあずさが肩を並べて歌い、会場はひとつになった。

舞台袖でカメラを構え、モニターに映像を届けていた木澤は、人知れず汗をぬぐった。

自分にできたのは、その役割だけだった。


夜。


ベッドに沈み込み、スマホを手にした。

通知が震え、画面に届いたのは、本来ボーカルを務めるはずだった女性からのメッセージ。

声を失って出られなかった彼女は、観客席からバンドの写真を撮り続けていたのだ。

添付された写真を開く。

歌ういのり。

笑うあずさ。

ホール内の視線を集めたその瞬間。

そして、舞台袖でカメラを担ぐ自分の姿までもが映っていた。


「……オレも、少しは役に立てたのだろうか……」


そうつぶやいた時、胸の奥にわずかな誇りと、どうしようもない寂しさが同時に広がった。

風張いのり。

彼女の姿は眩しすぎた。

このまま人気者になって、どんどん遠い存在になってしまうのではないか。

そう思うほど、指先は無意識にあの一枚を探していた。


スクロールが止まった。

そこに映っていたのは、あの夜に送られてきた、いのりとともりの浴衣ツーショット。

湯上がりで頬を赤らめたいのり。

少しはだけた胸元。

濡れた髪が首筋に張り付き、柔らかそうな肌の白さが際立っていた。


「……いのりちゃん……意外と胸あるんだな……」


喉がごくりと鳴る。

視界に入っているのは、もはや画像そのものではなかった。

脳裏に勝手に広がっていく。

浴衣をゆるく着崩したいのり。

畳に座り、こちらを見つめるいのり。

布団に倒れ込み、頬を赤らめるいのり。

妄想が爆発した瞬間、全身が震え、握りしめたティッシュが汗で湿っていく。

崩れた理性は戻らない。

数日前に送られてきたその一枚。

もう何十回も見ては、口にできない気持ちをぶつけ続けてきた。

そのたびに白い残骸が積み上がり、屑籠の山は一気に膨れ上がった。


「……この山、親に見られる前に片付けておかないとな……」


力なく漏れた言葉は、暗い部屋に沈んでいった。

そして、堪えきれずに果てた瞬間、握り潰したティッシュが屑籠へと放り込まれた。

中ではすでに残骸の山が崩れかけていた。


もはや屑籠は収まりきらず、ひとつがポロリと床に転がる。

積み上げた想いが、形になってあふれ出したかのように。

男子社会の残酷さを、木澤は知っていた。

男子の妄想の中でクラスの女子は無意識のうちに勝手に序列をつけられる。

誰が夜の記憶に残され、誰が一度も思い出されないまま終わるのか。

それが“選ばれる”か“選ばれない”かの差だった。

いのりは間違いなく、選ばれる側の女だった。

他の男にそうされるなんて考えたくもない。

けれど、あんなに魅力的な女の子が選ばれないなんてありえない。

その矛盾を、オレは勝手に決めつけていた。


屑籠の山を見つめ、ふっと笑みが漏れる。

最低で、むっつりで、変態そのもの。

でも、それでいい。

彼女は確かに、欲望を抑えられないほど魅力的なんだから。

せめて彼女の前だけでは、カッコつけていたい。

そう思われたい。


人は誰にも知られたくない秘密があるものだ。

でも団地には、他人の私生活の裏側まで知りたがる人がいる。

噂話が大好きな人もいる。

何を考えているのか、口にすればあっという間に尾ひれがついて広まるのだ。

だから安易に本当の自分は見せられない。

もし見えてしまっても、そっと見なかったことにしてほしい。

それを見せ合うのは、本当に親しくなった相手とだけなんだ。

いのりちゃんとは、そんな風になれるんじゃないか。

なんとなく、そんな気がしている。


「……オレって最低だな……」


ふっと笑いながら、自分勝手で都合のいいことを頭の中で並べていく。

最低だとわかっていながら、それを認めてしまえば妙にスッキリしていた。

ティッシュの山に背を向けると、腹が鳴る。

性欲をぶつけ切った後にやってくるのは、単純な食欲だった。


「夜食のラーメンでも作るか…」


暗い部屋からキッチンへ向かう足取りは、不思議と軽かった。

こうして木澤にとって、ゴールデンウィークはクソみたいな終わり方をした。

今回は木澤の最低さと人間臭さを、正面から描いてみました。

でも、その最低さの中にこそ「いのりは間違いなくヒロインとして選ばれる存在だ」という象徴が浮かび上がると思っています。

男子社会の中で誰が妄想の対象になるか、ならないか――残酷でくだらない基準ですが、それが彼女の特別さを逆説的に示しているのです。

いのりが“選ばれるヒロイン”であることを強調すると同時に、性欲をぶつけた後に食欲が湧くという原始的な反応まで含めて、一人の男子のリアルを出したつもりです。

ラーメンで締めるのはギャグであり、本能に忠実な生き物らしさの象徴でもあります。

「わかる」と思ってもらえたら嬉しいです。

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