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第69話『終わっている家庭』

ゴールデンウィークの夜、山あいの庭で火が灯ります。

それぞれの家族の姿が浮かび上がるひととき。

にぎやかで、少し苦くて、それでも笑いがこぼれる時間を描きました。

作者にとって、お気に入りの一話です。

夕暮れの山あい。

祖父母宅の庭では炭火が赤々と燃え、パチパチと火の粉を散らしていた。

肉や野菜が網の上で音を立て、香ばしい匂いがあたりに広がっていく。


「よし、始めようか!」


祖父の合図で、風張家とお隣さん一家が庭に集まった。

長テーブルには紙の皿やコップが並び、氷を詰めたバケツの中で飲み物が冷やされている。

縁側からは虫の声が聞こえ、にぎやかな初夏の宴が始まろうとしていた。


風張家はいつもの通り。

いのりは食材を運び、弟のけいじは「焼き肉だー!」と跳ね回る。

中学生のともりは落ち着いた様子で氷を運び、きよのとよしつぐは笑いながら子どもたちを見守っていた。

自然に役割分担ができていて、家族の輪は温かい。


一方、お隣さん一家は複雑だった。


シングルマザーの長女(38歳)は、マッチングアプリで知り合った地元の男性と付き合い、あっさりとデキ婚。

だが、地元どころか実家すら出たことがない長女は、結婚生活に馴染めず、男に早々と捨てられた。

大きなおなかを抱えて盛大な結婚式を挙げるも、1カ月も経たないうちに実家へ帰ってきた。

そのまま出産し、親に産後のサポートをしてもらいながら、パート兼家事手伝いで今も実家に居座っている。

完全な自立には至っておらず、息子の面倒を親に押し付けている状態だ。

まさに子供が子供を産んだという典型である。


還暦を過ぎても働き続ける両親は、普段から孫の面倒を見ざるを得ない立場にある。

その孫である長女の息子は小学校に馴染めず、不登校気味。

田舎特有の閉鎖的な空気に馴染めず、同級生のからかいにも耐えられなかった。

転校しようにも、都会のように近隣の学校はない。

もはや田舎の選択肢は皆無で、無理やり遠くの小学校に転校しても、常に車による送迎が必須だった。

結局、今も部屋に引きこもり、バーベキューには顔を出さずテレビゲームに没頭していた。


そんなお隣さんも風張家の輪に混ざり、串をつつきながらにぎやかに話している。

長女にとって、きよのは幼い頃からの妹のような存在で、きよのにとってもお姉さんのように慕う相手だった。


一方で長男(35歳)は、缶ビールを握りしめ所在なげに座っている。

きよのとは一つ年下の幼馴染。

一緒に遊んだりしながら、長い時間を共に過ごしてきた。

ひそかに若い頃からきよのを想っていたが、結局何も伝えられず、今も実家暮らしのまま無職。

すっかり“田舎のこどおじ”として定着してしまっていた。


さらに最近結婚した30歳の次男は、お花畑全開の29歳の嫁を連れて参加していた。


「あなた〜♡こっちに座って♡」


「いや、狭いって……」


次男は苦笑するが、嫁は旦那にべったりと腕を絡ませ、離れようとしない。


炭火の煙と混じり合うように、人間模様の濃い夜が幕を開けていた。



炭火の上で肉がジュウジュウと音を立て、香ばしい煙が庭に広がる。

風張家の子どもたちがはしゃぐ横で、お隣さんの父親がしみじみと口を開いた。


「うちの次男はねぇ……婿に入ったんだ」


「えっ、婿に?」


いのりが目を丸くすると、お隣さんの母親も小さくうなずく。


「ほんとは寂しいのよ。母さんの話し相手がいなくなるのは、やっぱりこたえるわね」


だがその声をかき消すように、次男嫁が旦那の腕にぴったりくっついてニコニコしている。


「でも大丈夫です♡ 私がずっと一緒にいますから♡」


両親のしんみりとした気持ちと、嫁の浮いた調子のギャップに、風張家はそっと視線を交わした。

気まずさをほぐそうと、いのりが勇気を出して話を向ける。


「あの……どうやって出会ったんですか?」


「えっ、聞いてくれるの!?」


嫁の顔がぱっと輝く。


「私たちの出会いは職場!最初に見たとき、“超かっこいい!”って思ったの♡」


「は、はぁ…」


いのりは苦笑するが、嫁は続ける。


「その瞬間、心臓がドキンって鳴って…。完全に一目惚れだったの!そこから毎日LiNE、電話、猛アタック!これはもう運命の人だ!この人のこと、絶対に手に入れたい!って思ったの♡」


「へ、へぇ……」


顔を真っ赤にするいのり。

その耳元で、ともりが冷静にひそひそ。


「お姉……あの次男さんってそんなにカッコいい?どう見ても超フツーじゃね?」


「しっ、聞こえるってば!」


慌ててともりの口をふさぐいのり。


だが嫁はさらに話を膨らませていった。


「ちなみに、私には37歳のお姉ちゃんがいるんですけど、もう結婚の気配は全然なくて……親もすっかり諦めてるんです。だから婿を取れって私に期待してくれてて!」


「じゃあ、君らは奥さんの実家で一緒に暮らすのかい?」


よしつぐが現実的に尋ねると、嫁は勢いよく首を振った。


「いえいえ!実家では“こどおば”の姉がパラサイトしてるので、私たちのマイホームを建てるんですよ♡ しかも実家の庭に!土地代はタダだし、親が頭金を出してくれるからって!」


「…え…庭に!?」


風張家もお隣さんの両親も、同時に目を丸くする。


「まぁ、都会と違って田舎は庭が広いからね」


と、きよの。

しかし嫁は止まらない。


「二階に子ども部屋を三つ、リビングは吹き抜け、キッチンはアイランド型!最高の家になるんです♡」


嫁は次男の腕に絡みついたまま、さらに声を張り上げた。


「だって、私……彼が初めての相手なんです♡キスも、そういうのも、ぜーんぶ♡」


「ちょっ、やめろって!人前で言うな!」


顔を真っ赤にして抗議する次男をよそに、嫁は誇らしげに胸を張る。


「ふふっ、だから私にとって彼は一生ものです♡」


(……聞いてないし。もはや、どうでもいいんだけど…!)



思わずいのりは顔を覆いながら、心の中で叫んだ。

横でともりが小声でつぶやく。


「お姉、あの人……自爆系すぎない?……情報量多すぎて処理できないわ」


ともりがあきれた顔でジュースを飲み干した。


お花畑嫁が未来のマイホームを熱弁している横で、長女が串をつつきながらぼそりと漏らした。


「……まぁ、親に頼って家建てても、そのあとが大変なんだけどね。ほんと、親がいなくなったらどうすんだろ。うちなんか、もう完全に“終わっている家庭”だし」


「お姉さん……」


ときよのが目を丸くすると、長女は肩をすくめて笑う。


「ま、うちはうち。こっちはこっちよ。ね?」


その穏やかな調子に、いのりも少しだけ安心したように笑みを返した。


「……若いうちは夢見てもいいけどね。現実は、結局誰かが支えないと回らないものよ。私だって親がいないと、まともに生活すらできないから」


いのりがきょとんとすると、長女はやわらかく笑って続けた。


「いのりちゃんは偉いわよ。ちゃんと家のことも見て、弟や妹の面倒も見て。……そういう子は強いわね」


「えっ……あ、ありがとうございます」


思わぬ言葉に、いのりは頬を赤らめて小さく頭を下げた。

そのやり取りを見ていたきよのは、どこか懐かしそうに微笑んでいた。


炭火の煙より濃い“お花畑オーラ”が、庭の夜空をすっかり覆い尽くしていた。



---



炭火のはぜる音と、肉の焼ける匂いが夜の庭を包んでいる中で、いのりは弟妹の皿に肉を取り分けながら、ジュースを注ぎ、忙しく立ち回っている。


「……あ、長男さん、ビールどうぞ」


いのりはクーラーボックスから缶を取り出し、プシュッと音を立てて開けた。

泡がこぼれないように慎重に傾け、両手でグラスを支えながら注いで差し出す。


「どうぞ。冷えてますよ」


「……あ、あぁ……ありがとう」


長男は思わず固まった。

きよのと幼馴染の自分に、その高校生の娘が気を利かせてビールを注いでくれている。

その姿はまるで嫁入り前の娘が婿候補に尽くしているようで、胸がドクンと跳ね上がった。


(……いのり……可愛いじゃん……!健気で優しくて、家族思いで……!そうか、きよの……。これは俺にくれたチャンスなんだな……!)


妄想は一気に加速する。


(そうだ、俺は間違っていなかった!きよのに告げられなかった気持ち……その想いは娘に受け継がれたんだ!…やっぱり…運命ってあるんだ!!)


グラスを受け取る手が震え、耳まで真っ赤になる長男。

ただビールを注いでもらっただけなのに、脳内ではプロポーズまで突っ走っていた。


(俺はもう一度、青春をやり直す……! このグラスを受け取った瞬間から、俺の人生は変わるんだぁぁぁ!!)


実際には、ただ酔っ払って顔が赤くなっただけである。

だが本人の中では、運命の鐘が盛大に鳴り響いていた。


「なんか長男さん、真っ赤になって天狗みたいじゃね?」


天狗山の御開帳を楽しんできたともりがツッコむ。



---



その時、ぶうん、と重い羽音を立てて、一匹のカブトムシが庭に舞い込んできた。


「わっ!」


そのまま炭火の炎に吸い寄せられるように突っ込み、バサバサと羽を鳴らしながら網の上に落下する。


「きゃああああ!!」


次男嫁が甲高い悲鳴を上げ、旦那の背中にしがみついた。


「ちょ、重いって!離れてくれないと動けない!」


次男が慌てるも、嫁はさらにギュッと抱きついて離れない。


「あなた!怖い!守って!」


と言いながら、べったりと乙女の顔をしていた。


カブトムシは火の上で焼かれ、じたばたともがき、バサバサと羽を震わせて暴れ続ける。

そのままカブトムシは網から転げ落ちて、高熱を帯びた炭火の上に落下した。

大人たちが顔をしかめる中、黒い甲殻はじゅっと音を立てて火に呑まれた。

やがて原型を無くし、炭の中に崩れ落ちていく。


「アッハッハッハッ!!」


けいじが腹を抱えて大笑いした。


「カブトムシさん燃えてる!燃えてるよーっ!!」


無邪気な笑い声が夜の庭に響き渡り、誰も止められなかった。

カブトムシがジュウジュウと音を立てて燃え落ちる。

甲高い笑い声は、夜の庭に異様なほど突き抜けて響いた。

その無邪気すぎる笑いに、大人たちは思わず顔を見合わせてドン引き。


いのりが


「け、けいじ……」


と困惑し、よしつぐは頭を抱えた。

だが当の本人はチンパンジーのように跳ね回りながら、ただただ楽しそうに笑い続けていた。

嫁はなおも旦那にしがみつき、キャーキャー言いながら甘えるように頬を寄せる。


「怖かったぁ……でもあなたが守ってくれるから安心♡」


「いや、別に何もしてないだろ!」


次男は真っ赤になって抗議するが、嫁はおかまいなしに腕に絡みつく。


その横で、長男は別の世界にいた。

グラスを握りしめ、熱っぽい目でいのりを盗み見る。


(やっぱり……運命だ。天狗も、火の試練も、全部が俺たちを結びつけてるんだ……)


カブトムシの最期すら、彼の脳内では「恋の炎」に変換されていた。


笑いと妄想とお花畑が入り混じり、田舎の夜はますます濃く熱を帯びていった。

庭の空には満天の星がまたたいていたが、その下に広がる人間模様の濃さは、それ以上に眩しかった。





笑いの裏にあるのは、田舎の閉塞感と自立できない現実。

それでも、いのりが受け取った「強い子ね」という言葉が救いになっています。

笑いと共に、ちょっとした現実の重さも感じてもらえたら嬉しいです。

今回も読んでくださり、ありがとうございます。


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