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第6話『210本は異常!』

今回のお話は数日前にさかのぼります。

前会長から自治会のおつかいを頼まれたいのり。

大量の買い出しをどうやって遂行するか。

ぜひ見届けてあげてください。

ここで話は、掃除当番の日――春休みの日曜日に戻る。

午前中の掃除当番が終わり、住人たちはそれぞれ解散した。

今朝、牛乳が切れていたので、私は


「先に部屋へ戻るから、牛乳お願いね」


と、妹のともりと弟のけいじにお金を預けた。

けいじとともりは掃除後に近所のコンビニへ行くのが日課になっていた。


親から牛乳代と、掃除当番のごほうびとしておやつ代ももらっている。

きっと、けいじに


「ジュースも買って買って!」


とねだられて


「しょうがないな」


と甘やかしつつ、ともりは“自分へのご褒美”と称して、ちょっと高いスイーツもカゴに入れるのだろう。

私だって本当はおやつ食べたいけど、けいじがいるとゆっくり選べないし、あとでこっそりお小遣い握りしめて自分のおやつを買いに行こう。

私は一足先に、息を切らしながら5階まで一気に階段を上がる。

玄関前でへたり込みそうになった、その時だ。


「いのりちゃん、ちょっと…お願いできないかしら」


(ひぇっ!)


振り返ると、くるくるパーマの前自治会長さんが、まったく息も乱さず立っていた。


(私はゼーゼーなのに、この人は本当に只者じゃない…)


前会長は申し訳なさそうに


「集会所の買い出し、悪いけどお願いできないかしら。買い出し担当の役員が高齢で出てこれないって断るし、新人役員さんにいきなり押し付けるのも悪くて…」


と頼み込んできた。


(いや、私も新役員なんだけど…)



と思いながら話を聞く。

“集会用の買い出し”といっても、内容はけっこう盛りだくさん。

お茶やお菓子、紙コップなどの会議用アイテムと、団地で使うごみ袋や洗剤、トイレットペーパーなどの消耗品まで様々。

全部まとめて頼まれた次第である。

さらに今後、役員の外回りや炎天下作業(自転車整理や清掃など)で配る飲料水も追加。

要は、団地のみんなのために“まとめてお使い”をするみたいな話だ。


本来こういう買い出しは“設備係”の仕事。

設備係には、いきなり役員になった新人オジサンと、まったく集会に顔を出さないヨボヨボの高齢者の2人がいる。

オジサンのほうは集会で何度か顔を合わせていたけど、ヨボヨボ高齢者のほうは、私が会長になった直後の“挨拶回り”で初めて会った。

その挨拶回りでヨボヨボ高齢者の部屋を訪ねた時、私は絶句した。

玄関を開けるだけで息が切れてゼーゼー、足腰もフラフラ。ほとんど外に出てこない高齢者だった。


(これ、絶対に無理なパターンじゃん……)


玄関で立つのもやっと、という姿を見て、私はすぐに察した。


設備係を決めた新役員選出の集会には、私が学校の都合で出席できなかった。

――いや、そもそも女子高生の私が出席する義務なんて無いんだけど。

本来こういうものは親がやるものでしょ?

強いて言うなら、お父さんがビシッと決めてくれればいいのに。

でも現実は、忙しい父に代わって母のきよのが代理で出席していた。

私が会長に任命されたのは、また別の日の定例会で、母の代理として私が呼ばれたときだ。

だから、くるくるパーマの前自治会長が申し訳なさそうに私に頼んできたとき、


(たぶん前会長も、本当は文化厚生係の誰かにお願いしたいけど、高齢の人には頼みにくいし、新人オジサンにもいきなり大仕事を振るのは気まずいんだろうな)


と、なんとなくその気持ちも分かってしまった。


正直、私も非力な女子高生なんですけど……。

でも、こうなる事情も察してしまう。

押し付けられた理不尽さと納得感の狭間で、私は結局断れずに買い出しを引き受けることになった。


さて、どうやって飲み物や消耗品を揃えるか。

一瞬、新人オジサンの設備係を買い出しに誘うことも考えた。

でも、その姿を想像すると友達や妹の同級生に見られたら変な噂にならないかと不安もよぎる。

父親のよしつぐは若くて、妹の学校でも「給食センターのお兄さん」として、わりとカッコいいと人気だったりするらしい。

元美容師で、38歳にしては見た目も若いと思う。

友達には


「若いお父さんだね」


って言われたこともある。

でも設備係のオジサンは父親より、どう見ても一回り以上に年齢が上に見える。

正直、見る人によっては、怪しい関係として通報されかねない案件かもしれない。

だから私が設備係のオジサンと出かけているところを妹の友達に見られたら


「ともりの姉がお父さん以外のオジサンと歩いてる!?」


って思われるかも。

そんなの絶対無理だわ。

それなら…と、前から一度試してみたかったアメゾンのネットスーパーに挑戦することにした。

私自身、ネットスーパーを使うのは初めて。

両親は以前住んでいた場所で何度か使ったことがあるけど、団地に引っ越してきてからは近所のスーパーで独自の配送サービスしか利用していなかった。

しかも今まで使っていたネットスーパーは、この団地エリアが配送エリア外。

だから今回、アメゾンが団地のエリアに対応していたのは本当に助かった。


「アメゾンのネットスーパーってどんな感じなんだろ?」


きよのもよしつぐも興味津々で、もし使い勝手が良ければ、今後は家庭でも活用できるかもと言っている。

そんな両親の期待も込めて、私はスマホを手に注文を始めた。


今回の注文は、お茶のペットボトル2リットルを90本(15箱)、500ミリリットルの水が120本(5箱)。

その他、紙コップや消耗品、お菓子も多めに。

ペットボトルだけで合計210本だ。

団地の人数分配ればこれくらい…と思ったし、普段使っているスーパーの宅配は注文数制限があるし、配達も複数人。

これでも足りないくらいかもしれない。

こんな量、女子高生が1人で買いに行くのはさすがに無理の無理。


お父さんは自治会のことは全部きよの(母)に任せっきりで、結果的に娘の私にまで押し付ける形になった。

そのせいか、今回はアメゾンの会員アカウントをすんなり貸してくれて、「注文していいよ」と許可も出してくれた。

支払いはお父さんが立て替えて、あとで自治会費から現金で返すことになってる。

たまには便利さに頼ってもいいよね!

ついでに我が家の分も一緒に注文してしまおう。

母にもらったリストから酒、みりん、しょうゆ、油などの重量級商品を次々とかごに入れる。

注文ボタンを押して、私はやりきった気分で一息ついた。

とりあえず自宅に運び込んでもらう。

集会所も共有設備で会長になりたてホヤホヤの私が、いきなり大量の荷物を持ち込んで占有する勇気もなかった。

なので最初は少しずつ持ち込もうと様子見。

重い商品は父や役員さんに手伝ってもらって下ろせばいいやと考えた。


その数時間後、自宅のインターホンが鳴った。


「アメゾンの即日対応すごいなあ!注文したその日に届くんだから、やっぱり便利!アメゾン神!」


と、ワクワクしながら玄関へ向かう。


ドア越しに


「はい」


と返事をすると、やる気のなさそうな低い声が聞こえた。


「……アメゾンです」


(なんかテンション低っ…)


扉を開けると、2リットル6本入りのお茶ペットボトルが一箱だけ無造作に置かれている。

その後ろに、グレイヘアを伸ばしたツーブロックちょんまげの配達員さんがひとりで立っていた。


(え?うそ…配達員さん、ひとりだけ?)


私はおそるおそる声をかける。


「あの、えっと…他にも注文したのですが……」


配達員さんは“無”の表情のまま、ぼそっと返す。


「いや……まだ20箱くらいあります。……これ、本当に全部ここ?」


「はい……」


配達員さん、ボソボソと続ける。


「ここエレベーターないよね。なんでこんなに注文するの?」


私は思わず答えてしまう。


「あの…すみません…。一定金額購入すると配送料が無料になるってサイトに書いてあったから、たくさん注文しようと思って……」


それを聞いた配達員さんは、さらにボソリと強調する。


「あっそ…。……でも210本は異常!」


その言葉を言い切ると、配達員さんはさっさと階段を下りていった。

残された私は、ただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


我に返った私は慌ててベランダから下の駐輪場を覗いた。

台車には山盛りの段ボール箱。

そして、その横に停められたライトバンの荷台には、まだまだ大量の箱がギッシリと詰め込まれていた。

けれど、エレベーターがないから、せっかく荷物を積んだ台車も意味をなさない。

きっと台車に乗せて団地のエントランスまでは来たけど、そこでエレベーターがないことに気づいて絶望したんだろうな……。

私は思わず配達員に同情してしまった。


配達員さんは下へ行くと、タバコに火をつけた。

気合を入れているのか、何かを諦めたのか、ただ悲壮感だけが漂う。

台車に山積みのダンボールと、まだ積み残されたライトバンの荷台をしばらく無言で眺めている。

その背中からは


「どーすんの?この大量の荷物……」


と、ボソリと呟いていそうな雰囲気が漂っていた。

ちなみに、団地の敷地内には“タバコのポイ捨て禁止”“歩きタバコ禁止”の看板があちこちに立っている。

他の自治会では防災役員が「火の用心」と言いながら、木の棒をカチカチ鳴らしてパトロールしていたりもする。

条例や罰則があるわけじゃないけれど、雰囲気的には全面禁煙扱い。

でも今日だけは、誰にも咎められない“哀愁”が、その配達員さんの背中に漂っていた。


隣でけいじが大はしゃぎで実況する。


「いのりおねーちゃん、配達のおじさん、下でぼーっとしてるよ!」


たぶん配達員に聞こえてはいないはず。

でも聞こえたらマズイからやめろ。


「しかも、お外はきんえんなのに、たばこ吸ってるねー!」


おい、やめろ…。煽るな。このチンパンジー。


配達が始まってからというもの、数箱運んではタバコ、また数箱運んではタバコと繰り返す配達員。

その額には大量の汗が流れているので、さすがに文句は言えない。

けいじの言う通り、あの大量の荷物の前に立ちすくんでしまう配達員さんの気持ちは、私にもなんとなく分かる。

本当にごめんなさい――と心の中で何度も謝るしかなかった。


途中、配達員さんが持ってくる日用品をまとめた紙袋も手汗でぐっしょり湿っている。

これは仕方がないと納得できるのだが、その様子を見たけいじが、玄関で突然叫ぶ。



「紙袋がぬれちゃってるねぇ!あせでびしょびしょだよ!」


けいじがほっぺをぷくーっと膨らませて、ぷんすか怒り顔でこちらを見てくる。

さらに腕を組んで足をバタバタさせている。


(やめて、けいじ……絶対配達員さんに聞こえてるから)


チョンマゲ配達員さんも、ちらっと無言でけいじの方をみる。


(ほんと、どこか知らない場所へ連れて行かれるぞ……)


配達が90分超えた頃、ついに最後の紙袋が届いた。

配達員さんは玄関で息を切らしながら汗だくで役目を終えた。


「……最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。…では。」


と言い、我が家を後にした。

その間、配達員さんは一度も音を上げず、無言でエレベーターのない上階を何往復もやりきってくれた。

無愛想でも最後はプロだったと思う。

けれど私にとっては、その90分がまるで無限に感じられた。

途中でけいじは飽きて、電車のおもちゃを広げて遊んでいたけど、私はただ、ひたすら申し訳なさと気まずさで、時が過ぎるのを見守るしかなかった。


次は配達員さんが運び終えた段ボールを、今度は私が部屋へ運び込む番。

これがまた一苦労だった。

いのりたちの部屋は、けいじが電車遊びをする聖域でもある。

そこへどんどん段ボールが積み上がり、


「いのりおねーちゃん、じゃまー!せっかく線路つなげてるのに!」


と、けいじの邪魔も入る。


仕方なく、私はけいじの電車セットを避けながら、部屋の隅に段ボールを積み重ねていった。

まるで“自治会段ボール迷宮”の完成だ。


(次は、片付けという名のラスボス戦か……)



玄関には、まだ部屋に運びきれていないダンボールの山。

さすがに部屋の中まで運んでもらっていいっすか?って、ひろゆけみたいに偉人の真似をするようなことは言えなかった。

最初から集会所を指定すればよかったなと、今更ながら後悔をする。


「お父さんが仕事行くとき、少しずつ降ろしてもらおう……」


私はもう二度と無茶な注文をしないと誓った。


夕方、きよのが帰宅。

汗だくで参っている私を見て、すぐに察してくれた。


「やっぱり、一人で全部受け取るの大変だったでしょ」


「うん……あんなに嫌そうに言われるなんて思ってもみなかった」


「そりゃそうだよね。そんなこと言われたら注文したほうが申し訳ない気持ちになるよ。」


と母。


「しかも、まさか、1人で配達に来るなんて思わなかったよ」


「今は物流業界も人手不足だからね。みんな大変で、どんどんやめちゃうし…」


けいじが横から割り込む。


「あのおじさん、やめちゃうの?ちょんまげしないの?」


と、お気楽なチンパンジーモードである。


そして、仕事から帰ったよしつぐがダンボールの山を見て、


「…いのり、父さん不在で何もしてやれなくてごめんな。とりあえず荷物は仕事行くときに少しずつ集会所へ降ろしておくから」


(父さんにも気を遣わせちゃったな……)


そのとき


「ただいまー。」


と、ともりが帰宅。

なんの事情も話していないのに、山積みの段ボールや、いのりがクタクタな顔で家族が揃っているのを見て


「マジで、いなくてよかったー」


と、棒読みで第一声。


私は思わず睨みながら、


(ともり……こいつ絶対こうなるのわかってて、わざと外出したな)


と、心の中でツッコミを入れるのだった。


ちなみに後日、他の役員さんから聞いた話。

エレベーターが無い団地は、配達員さんにとって地獄であるらしい。

やはり上階の部屋に住む人々は、通販で商品を注文したときに、配達員さんから不満を言われることもあるのだとか。


よかった、私だけ文句を言われたわけじゃない…。


エレベーターのない団地で暮らすことは、たかがネットスーパーの注文ですら配慮が求められることを知った。

部屋まで段差がなく台車を運べること。

エレベーターがある物件に住めること。

これらがどれだけ幸せなことなのか高校生にして学ぶことになったのだった。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

普段何気なく利用している通販や宅配便。

これらがエレベーターのない団地では配達員さんにとって地獄のサービスになったりします。

お客様第一主義で過酷な仕事を押し付ける会社、お金を払っているから良いだろうという客の狭間で配達員さんが責任をもって業務をこなしています。

団地に暮らす我々がエレベーターがないからと配達員さんに無理をさせれば物流で働く人々が離職してしまうきっかけになるかもしれません。

そんな過酷な環境下で働いていらっしゃる方々がいてくれるおかげで快適に暮らせていることを改めて認識できるエピソードを書いてみました。

いのりも段差のないバリアフリーやエレベーターがある環境が当たり前じゃない、それらの設備があることがどれだけ幸せなことなのかを学んでくれたと思います。

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