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第68話『天狗様のご利益ね』

ゴールデンウィークに風張家が出かけた先は、十年に一度のご開帳が行われる天狗山。

自治会長のお小遣い(=活動費)をもらったいのりの心情と、観光気分の家族のドタバタを描きました。

天狗様の鼻と女子高生の「きれいになりたい」気持ちを重ねながら、ちょっとした祈りと笑いの一幕です。

5月の朝。

ゴールデンウィーク。


風張家はグンマー北部の祖父母宅で過ごしていた。

山の稜線が近くに見え、縁側から吹き抜ける風はまだ少し冷たい。

庭にはツツジが咲き、軒下には祖母の漬けた梅干しの壺が並ぶ。

都会とは違う、のんびりとした時間が流れている。


その日は、家族そろって天狗山てんぐやまという観光地へ向かう予定になっていた。

十年に一度のご開帳が行われるとあって、参道も境内も賑わいを見せている。


縁側に腰を下ろしたいのりは、そっと財布を開いて中をのぞく。

そこには、団地を出る前に会計の藤井秀美から受け取った“活動費”のお札が差し込まれていた。

活動費とは、自治会役員が使う交通費や連絡費を補うために毎月支給される謝礼のこと。

高校生にとっては十分に大きく、まるで臨時のお小遣いのように感じられる額だった。


―回想―


ゴールデンウィーク前の役員会。

集会室で藤井から茶封筒を差し出されたとき、いのりは目をぱちくりさせていた。


「え? なんですか?このお金……」


「先月分の活動費よ。毎月出るの。はい、会長さんのハンコも押してね」


封筒を開け、思わず小さく声をあげるいのり。


「えっ……こんなにたくさん?」


「会長さんが一番働いてるんだから、これでも少ないくらいよ。一ヶ月間お疲れさま」


その言葉に胸の奥がじんと熱くなり、何も言えずにただ頷いた。


―現在―


財布に眠るお札の肖像画を見つめたいのりの口元がにやける。


「へへ……これ、わたしのお金なんだよね……」


人間らしい欲が顔をのぞかせ、にやにやが止まらない。


「言論部のみんなに、何かお土産でも買っていこうかな……」


と健気に思いつつ、


「でも……なにか自分のために使っちゃおうかな……」


と小声でつぶやいてしまう。

その様子を見ていた母きよのが、湯呑を手に笑みを浮かべる。


「いのり、あなた自分のために使っていいのよ。これは自治会長を頑張ってるからこそ出たお金なんだから」


縁側の反対側では、父よしつぐが観光マップを広げていた。


「そうだぞ。本当なら俺たちが忙しくなきゃ、こんな役目をお前に背負わせることもなかったんだ。だからこそ、遠慮せずに自分に使え」


思いがけない両親の言葉に、いのりは財布を抱きしめたまま、目を瞬かせていた。


---


昼前、風張家は祖父母と一緒に天狗山へやって来た。

十年に一度のご開帳とあって、参道は観光客で賑わい、色とりどりの旗が風に揺れている。

山の緑は濃さを増し、吹き抜ける風はまだ少し冷たい。

石段を登る足取りに、非日常のわくわく感が混じっている。

山あいの参道に入ると、観光向けの露店がぽつぽつと並んでいた。

天狗のお面や七味唐辛子の小瓶、味噌パンなどが店先に並び、参拝客が手に取っては笑顔を見せている。


その中で、ひときわ香りを放つキッチンカーが目に入った。

炭火の網の上で、ふっくら膨らんだ白い饅頭がじゅうじゅう音を立てて、こんがりと焼かれている。

そこに特製の濃厚な味噌ダレが刷毛で塗られるたび、つややかに光り、たれが炭火に落ちてはじゅっと煙を上げ、甘じょっぱい香りが参道を包んだ。


「わぁ……すごくいい匂い!」


いのりが思わず立ち止まると、祖母が笑って


「ここのは地元でも有名でね、すごく美味しいんだよ」


と言って、子どもたち三人に一串ずつ買ってくれる。

渡された串は、饅頭が四つ連なり、熱気で表面がきらきらしている。


「いただきます!」


いのりたち三人は同時にかぶりついた。


いのりは


「……なにこれ、ふわふわでめちゃくちゃ美味しい!」


と目を輝かせ、頬をいっぱいに膨らませながら夢中でかぶりつく。

気づけば口のまわりに味噌だれをつけてしまい、慌ててぺろっと拭おうとする姿に家族は笑う。

けいじは


「んまっ!んまっ!」


とチンパンジーのように跳ね回り、頬も指先も味噌だれでベタベタ。

ともりは


「甘いのにしょっぱい……これ、クセになるやつだ」


と冷静に感想を口にするが、唇にはしっかり味噌の跡がついている。


(こういうの、団地のお祭りで出せたら……みんなに喜んでもらえるかも)


胸にひらめきをしまい込みながら、いのりは串を大事そうに握り、ご開帳を待つ列へと歩を進めた。


---


境内に足を踏み入れると、太鼓とほら貝の音が鳴り響き、参拝客のざわめきがすっと静まった。

やがて本堂の扉が開かれ、巨大な天狗のお面とお神輿が姿を現す。

鋭く伸びた鼻と朱塗りの顔の迫力に、いのりは思わず息をのんだ。


「天狗さまはね、諸願成就に開運招福、厄除け、縁結び、それに交通安全のご利益があるんだよ」


祖母が囁き、祖父もうなずく。


「災難を取り除いてくださるんだ。いざという時は飛んできて守ってくださる」


「……そうなんだ」


いのりは胸の前で手を合わせ、


(家族が健康でいられますように。団地のみんなが仲良く過ごせますように。事故やケガがありませんように)


と心の中で祈った。


祈願を終え、境内の売店をのぞくと、交通安全や健康守りに混じって「縁結び守り」がずらりと並んでいた。

赤い紐に、天狗の顔をデフォルメした、あまり可愛くはないけど、不思議と愛嬌のあるマスコットストラップ付き。

もともとは厄除けや交通安全が中心だった寺が、時代の流れで縁結びにも力を入れているらしい。


「天狗もビジネスしないと生き残れないんだね……」


と、いのりは内心で苦笑した。

それでも、不意に木澤の姿が頭に浮かぶ。


(…縁結びのお守り…お土産で買っていこうかな)


そう思った瞬間、胸が少し熱くなったが、結局は自分の分だけを選び取った。


---


天狗山での参拝を終え、風張家は祖父母と一緒に帰路についた。

車の中は、先ほどお土産屋さんで買った上州名物である味噌パンの香りで満ちていて、子どもたちはお土産袋を膝に抱えながら上機嫌だった。


「今日は賑やかだったねぇ。十年ぶりのご開帳なんて、そうそう見られるもんじゃないよ」


祖母がそう言って振り返ると、いのりはお守り袋をそっと握りしめた。


「うん……なんだか、鼻筋がぴんと伸びるような感じがした」


その横顔を見て、祖母は


「ふふ、天狗様のご利益ね」


と目を細めた。


祖父母宅に戻った夕方。

柔らかい光が差し込む居間で、いのりが荷物を整理していたときのこと。

いのりが鞄から財布を取り出すと、包み紙と一緒に、ぽろりと縁結びのお守りが転がり出た。


「……あれ? お姉、それって」


すかさず中一のともりが拾い上げ、袋に書かれた文字を読み上げる。


「縁結び……? ふーん。ちゃっかりしてるねぇ。やっぱ滉平さんのことなんじゃん!」


「ち、ちがっ……!」


顔を真っ赤にして手を伸ばすいのり。

その瞬間、父よしつぐの顔色が変わった。


「ま、またその名前かぁぁぁぁーーっ!!」


絶叫と同時に後ろにひっくり返り、テーブルの脚に脇腹をしたたか打ちつける。


「グキッ……!!」


居間に鈍い音が響いた。


「おぎゃああああああ!!まただ!また肋骨がぁぁぁっ!!!」


ゴールデンウィーク初日に痛めた箇所を、再び派手にやってしまった。


床に転げ回り、涙目で白目をむくよしつぐ。


「だ、誰だその滉平という男はーー!?」


祖父も椅子から転げ落ち、畳に頭を打ちつけながら白目でピクピクと痙攣する。

父と祖父が二人揃ってひっくり返り、居間は大惨事の様相を呈した。


「ちょっ、ちがうんだってば! 自治会長として、みんなと仲良くできますようにって意味で……!」


いのりは必死に弁解するが、声は誰にも届かない。

その光景を見ていたけいじが、腹を抱えて大笑いした。


「アッハッハッハ!パパとおじいちゃん、白目むいてるーっ!!」


転げ回る二人と真っ赤な顔のいのり、微笑ましく見守る祖母、サイコパスのように大笑いするチンパン小学生のけいじ。

居間いっぱいに笑い声が響き、縁結びのお守りに付属した天狗マスコットがぶらぶら揺れて、まるで一緒に笑っているかのようだった。





シリアスなお参りから、父と祖父のシンクロ転倒ギャグまで盛りだくさんの回になりました。

いのりがこっそり縁結びのお守りを買うところは、まだ自覚のない心の揺れを描いています。

そして最後はやっぱり、風張家らしいドタバタで大団円。

次回以降もお楽しみに!

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