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第65話『慎太さんの頼みじゃ断れませんからね!』

ゴールデンウィーク前、女子ソフトボール部を見に行くいのりたち。

そこで待っていたのは、ともりの成長と、思いがけない大物の登場でした。

野球を知らない部員にとっては驚き、知っている部員にとっては夢のような瞬間。

そして慎太の人柄や行動力が垣間見える、そんな一幕です。

ゴールデンウィークを目前に控えた、最後の放課後。

いのりはあずさと楓を連れて、校舎裏のグラウンドへと足を運んでいた。


「ここだよ。ともりの所属する女子ソフトボール部、今日は投手の練習だって」


フェンス越しに見下ろすと、グローブを構えた1年生たちがわいわいとボールを追いかけていた。

まだ創部したばかりで、キャッチボールもしたことがない初心者の女子生徒が中心。ぎこちない動きが目立ち、ボールを弾いては、慌てて笑い合う姿が微笑ましい。


その中、ひとりマウンドに立つともりと、キャッチャーミットを構える古賀夕夏の姿があった。

ともりが力いっぱい腕を振り、夕夏が必死に捕球する。パシンと小気味よい音が響くと、周囲の初心者たちから


「すごーい!」


と歓声が上がった。


「へぇ……ともり、けっこうサマになってるじゃん」


あずさが感心したように言う。


「やるときはやるんだよねえ。家ではゴロゴロしてばっかりなのに」


と、いのりが笑う。

楓は無言で頷き、少しだけ口元をほころばせた。

フェンスの隙間から、いのりは汗だくで投げる妹の姿を見つめる。

自分と違ってスポーツの世界で輝こうとしているように見えて、胸がほんの少し熱くなった。


「おーい、楓!」


不意に背後から声をかけられ、いのりたちは振り返った。

グラウンド脇に立っていたのは、背の高い大人の男性。

皆本慎太だった。


「お父さん!」


気づいた楓が声を上げる。

団地で何度も顔を合わせているその姿に、いのりも軽く手を振る。


「あ、慎太さん!楓を迎えに来たんですね」


あずさが小声で


「……やば、有名人がダンチのグラウンドに乱入してきた」


なんて茶化す。


ちょうどそのとき、練習を見守っていた女子ソフトボール部顧問の賀東道典が目を見開いた。


「…え?…まさか、皆本さん!?」


驚きの声を上げ、駆け足で慎太のもとへ向かう。


「皆本さん、お久しぶりです!賀東です。現役時代は、何度も皆本さんに助けていただきまして…本当にお世話になりました。まさかこんなところでお会いできるなんて」


帽子を取って、深々と頭を下げる賀東。

その様子に、部員たちはざわめいた。


「おう、賀東か!久しぶりやな!お前が顧問しとるんか?」


「はい。肩のケガで現役引退した後、大学時代に取得しておいた教員免許を使って、社会科教師をしながら女子ソフトボール部を立ち上げたんです。グラウンドが狭くて男子野球部はダメだって言われたんですけど、女子ソフトボールならOKって校長に言われまして(笑)」


「そうか。セカンドキャリアも上手くいってるようで安心したで。ほな、たまに見に来るから頑張れや」


「はい!ありがとうございます!心強いです!」


賀東が慎太にペコペコしている姿を見た部員たちが首をかしげていた。


「先生、あの人と知り合い?何者なの?」


初心者ばかりの女子ソフトボール部員達に、現役を退いてからしばらく経つ慎太のことを知っている者は少なかった。

そんな中、真っ先に反応したのはキャッチャーマスクを外した古賀夕夏だった。


「ねぇねぇ、ともり!あの人って皆本慎太さんじゃない!? 日苯代表でショート守ってたスター選手だよね……!?」


ともりは息を切らしながら振り返り、あっけらかんと答える。


「うん、そうだよ。お姉が仲良くしてる人」


「マジで!?ともりのお姉ちゃん凄くない!?やばっ、アタシ、転校前に中亰ドームで何回も皆本さんを見たんだから!父さんや兄貴とコアラーズのファンクラブまで入ってたんだよ!?」


「うん…知ってるよ。」


「皆本さんにコアラーズのチャンスを何回も潰されたんだから!!知り合いって凄すぎる!!」


「う、うん…夕夏、前にもそう言ってたよね…。」


ともりが夕夏の勢いに押される。

夕夏はグローブを抱きしめ、飛び跳ねるように叫んだ。


「ねえ、ともり…。皆本さんにサイン……サイン頼めないかな!?」


ともりは慌てて手を振った。


「ちょ、ちょっと夕夏! そんな簡単に頼めるわけ……」


しかし慎太は苦笑しながら片手を挙げる。


「声でかいで、姉ちゃん。まあ、練習終わったら書いたるわ。それまで頑張り!」


「えぇぇ!? ホントに!?」


夕夏はさらに目を輝かせ、女子部員たちの間に


「あの人、すごい人なの?」


という驚きの声が広がっていった。

あずさがぼそりと


「いや、すごい人どころじゃないんだけどね…」


と笑いながら呟く。

賀東もうなずき、思い出すように笑った。


「……皆本さんは昔からファンサービスに熱心でしたからね」


「え、そうなんですか?」


と、いのり。


「ええ。野球に集中したい試合前でも時間が許す限りファンにサイン書いたり一緒に写真撮影したり。時間が無くてサインを書けなかったファンにも、ほんまごめんなー!ってちゃんと声をかけたり、手を振ったり。あからさまな無視はしなかったですね。オフシーズンのキャンプや自主トレでも寒い中集まってくれたファンに最後の1人までサイン書いてましたよ。皆本さんが一番ファンのこと大事にしていたかもしれませんね」


「当然や。ファンが金出して球場に来てくれるから俺らは食えるんや。試合で頑張って結果残せば、自分のグッズも買ってもらえる。そのグッズ持って、ファンがサイン貰いに来てくれたら、そりゃサインくらい書かな失礼やろ。そのサイン入りグッズを身に着けて、またチケット買って球場に来てくれるんや。大人も子供も関係あらへん。大事なお客さんなんや。高い年俸貰うってことは、そういうことやで」


「皆本さんから現役時代に教わったこと。今でも大事にしていますよ。私も引退してからも覚えてくれているファンのことは大事にしています」


「それでええ。引退してサインすら書かなくなる偉そうなOBなんかになったらアカン。それが結果的に自分の人生に返ってくるんやで」


「はい、肝に銘じておきます!」


賀東は、突然現れた慎太の訪問に驚きながらも、謙虚な姿勢で現役時代の大先輩と交流を楽しんだ。

そして賀東はペコリと挨拶を交わすと、女子ソフトボール部の練習に戻っていった。


---


練習が再開し、ともりの投球を夕夏が低い姿勢でしっかり受け止める。

パシィン――と乾いた音に、慎太がふと口を開いた。


「なんや……あのキャッチング。多野繁みたいやな」


「――えっ!?」


夕夏がマスクを上げて目を見開いた。


「わかるんですか!? 私、多野繁監督をすごく尊敬してるんです!」


慎太はにやりと笑い、頷いた。


「そらわかるわ。アイツのキャッチングはホンマに凄いからな。今はコアラーズの監督やけど、昔からずっと一流や。……まさか女子中学生捕手にファンがおるとは思わんかったけどな」


夕夏はグローブを胸に抱きしめ、顔を真っ赤にする。


「だって、あの低い姿勢からのミットさばきが、本当にかっこよくて……!私、ずっと真似してるんです!」


練習が再開して、キャッチャーマスクを下ろした夕夏の声がグラウンドに抜けた。

後方で慎太が見守りながら、ともりの投球練習が続く。


「ともり! まずはしっかりストライクに投げ込んで! 無理にコースを狙わなくていい!」


ともりが短くうなずき、深呼吸。素直な真っすぐをミットのど真ん中へ――パシィン、と澄んだ音。

夕夏のミットは、ほとんど動かない。

受けた位置をそのまま審判に見せるように、静止していた。


「今の感じ!」


夕夏は小さく拳を作ってから、ぽつりと続ける。


「投げた球をそのまま見せるのが一番。ごまかすより、まずはストライクを確かにすること」


その様子を横で見ていた慎太が、低くつぶやいた。


「なんや…捕球理論までしっかりしとるんかいな」


夕夏はマスクを上げ、少し照れくさそうに笑う。


「審判を味方にしたいなら、絶対に欺いちゃだめなんです。**“ストライクをボール球って判定されないキャッチング”**をする――…まあ、GOTUBEで観た多野繁監督の受け売りなんですけどね(笑)」


慎太がうなずく。


「なるほどな。繁の話、ちゃんと聞いとるやないか。偉いで」


慎太は感心したように顎をさすり、言葉を続ける。


「……ほな、今度アイツに会ったらサインでも書いてやってくれって言うといたるわ。姉ちゃん、名前は?」


「きゃーーーーっ!!!ほんとですか!?九潮学園中学1年生の古賀夕夏です!!」


夕夏は跳ねるように叫び、無邪気な女子中学生そのものになった。

あずさが


「テンション爆上がりすぎでしょ!」


と笑い、いのりの肩を小突く。


「私コアラーズファンだけど……皆本慎太さんのファンにもなりました!」


その笑顔に、慎太もつられて大きく笑った。


「おう、ありがとな。古賀夕夏…覚えとくわ」


賀東はその光景を横で見ながら、柔らかく目を細めた。


「……やっぱり、皆本さんはスターだ」



---



練習が終わり、グラウンドにはゆっくりと夕陽が落ちていく。

部員たちは笑いながら片付けを始め、ともりと夕夏も汗だくで戻ってきた。

賀東は腕を組み、集まった生徒たちを見渡して口を開いた。


「みんな、よく頑張ったな。けど、ゴールデンウィークは練習なしだ。しっかり休んで、また休み明けから楽しくソフトボールをやろう」


「えっ、休み!?」


と驚く声が上がったが、すぐに


「やったー!」と歓声に変わる。


「いいなあ〜!私たちの部活もそれくらいゆるかったらよかったのに」


あずさが両手を伸ばして大げさに言うと、部員たちがくすくす笑った。


「いや、あずさ…めちゃくちゃ緩いじゃん、言論部も」


と、楓も笑う。


隣で聞いていた慎太が目を細めた。


「休日もみっちり練習漬け……ってのが、俺らの頃は当たり前やと思っとったけど。こういうのも、悪くないな」


賀東は慎太に向かって、少し緊張気味に笑った。


「うちの子たちは初心者ばかりです。無理に追い込めばケガをするし、心が折れて続きません。まずは“好きで居続けること”を大事にしたいんです」


慎太は静かに頷いた。


「なるほどな…。ケガで苦労した賀東らしい方針やで」


親元を離れた寮生活に加え、厳しい上下関係、過酷な練習で多くの仲間が脱落していった自分の高校時代を思い出しながらも、賀東の考えを心から尊重した。


ともりは嬉しそうにグローブを抱え、笑顔で言った。


「投げるの、めっちゃ楽しかった!」


隣で夕夏も力強く頷く。


「私も、もっとキャッチング上手くなる!」


「青春ってやつだねえ〜」


あずさが腕を組んでうんうん頷き、わざとらしくしみじみしてみせる。

夕焼けのグラウンドに、未来へと続く声が響いた。




ゴールデンウィークの真っ只中。

九紅スタジアムでは、地元のシャークスと中亰コアラーズの公式戦が開催されていた。

バックネット裏の放送席に座るのは、解説として呼ばれた皆本慎太。


慎太は、試合前の取材で、かつての好敵手にして今はコアラーズの指揮官となった多野繁監督と再会する。


「あ、慎太さん!解説ですか。相変わらず元気そうですね!」


コアラーズ監督の多野繫が取材で回る慎太を見かけると声をかけて挨拶をした。


「繁こそや。今シーズンのコアラーズは調子ええな。」


「ガッハッハ!まだシーズン始まったばかりですよ!油断できません(笑)」


「ところで…繫にひとつ頼みたいことがあるんやけど……」


「?」


慎太は一球の公式試合球を差し出し、照れくさそうに笑った。


「お前の大ファンがおるんや。女子中学生やけど、キャッチングを真似してるって言うてな。サイン、書いたってくれんか」


多野繁はガッハッハ!と豪快に笑い


「まさか女子中学生にファンがいるとは……。よっしゃ、任せといてください!」


と言って、油性ペンのキャップをとる。

それから…と皆本がつけ足す。


「今日の日付と球団名、それに古賀夕夏ちゃんへ…って、入れたってな!」


「慎太さんの頼みじゃ断れませんからね!もちろんです!」


試合球には力強いサインが刻まれた。


***


ゴールデンウィーク明け。


放課後の言論部部室で、楓がいのりに白球を差し出す。


「いのり。これ……お父さんから預かった」


「えっ、なに?」


渡されたボールには、はっきりと「多野繁」のサインが刻まれていた。

その後、ボールはいのりからともりを通じて古賀夕夏に届けられた。


その瞬間――


「きゃあああっ!!」


夕夏は跳び上がり、サインボールを抱きしめた。


「本当に……多野繁監督にサインしてもらえるなんて……!しかも夕夏ちゃんへ…だって…!慎太さん、ちゃんと約束守ってくれたんだ!他球団OBなのに…慎太さんの大ファンになっちゃった!!」


女子ソフトボール部の練習後、慎太が車の中に転がっていた公式球に書いたサインボール。

慎太も抜かりなく「夕夏ちゃんへ」と書いた。

そんな慎太のサインボールと多野繁監督のサインボールを部屋に並べる夕夏。

その笑顔は、どこにでもいる普通の女の子。

夕焼けのグラウンドで無邪気に跳ね回っていたあの日と同じだった。





夕夏のキャラクターが一気に立ち上がった回になったと思います。

でも主役はやっぱり慎太。

ファンサービスの大切さや約束をすぐ行動に移す姿は、現役を退いてもなお「スター」であり続ける理由だと感じます。

そして多野繁との掛け合いも、野球ファンには思わずニヤリとしてもらえたら嬉しいです。

青春の中にプロの世界の影を差し込む、この作品ならではの味わいになったかなと思います。

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