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第62話『内緒にしててごめんね』

ゴールデンウィーク目前の学食。

そこでいのりが見たのは、意外な姿でした。

思っていた以上に注目を集める姿と、その場に居合わせたいのりの戸惑い。

日常の一幕ですが、ちょっと特別な雰囲気を感じてもらえたら嬉しいです。

ゴールデンウィークを目前に控えた、平日の昼休み。

雛川シーサイド學院の学食は、いつも以上に混雑していた。

窓から差し込む春の光と、ざわめく生徒たちの声。

トレーを持った列が通路まで伸びて、香ばしい唐揚げの匂いが空気を満たしている。


「連休まであと二日だね」


特進クラスの楓が、いのりとあずさのところへ合流してきた。

きちんとトートバッグを持ち直して、列の後ろに並ぶ姿もどこかきっちりしている。


「ふふ、特進は連休明けに中間テストだから気が抜けないよ」


「……やめてよ楓、こっちもだよ。現実を突きつけないで……」


いのりが頭を抱え、あずさが小さく笑った。


そんな軽口を交わしながら列に並んでいると、前方から妙に大きなざわめきが広がってきた。


「え、誰あれ!?」


「やばくない?」


「かっこよすぎ!」


女子生徒たちの黄色い声。


三人が揃って顔を上げると――


人だかりの中、白いエプロン姿の青年が厨房に立っていた。

テキパキと皿を並べ、笑顔で


「いらっしゃい」


と声をかけている。


「……えっ……滉平君!?」


いのりが思わず声を漏らした。

楓とあずさも同時に驚き、目を丸くする。


「ちょっと待って。なんで滉平さんが学食に?」


楓が真面目な声で問い、


「九紅スタジアムの野球観戦で会ったよね?…やっぱりあの人だ」


あずさも小声で確認する。


いのりの心臓はドクンと鳴り響き、鼓動の音で周囲のざわめきがかき消されそうだった。



---



「今日からしばらく手伝わせてもらうことになりましたー!大学生の木澤滉平です!よろしくね」


エプロン姿の木澤が、厨房の奥から声を張り上げた。

その瞬間、学食全体がざわっと揺れる。


「え、声まで爽やかすぎ!」


「やっぱりイケメンって無敵だな……」


女子生徒達が盛り上がる。


「ハハハ、ありがとう」


木澤も笑顔で返す。


「国立大生だって噂ほんと!?」


黄色い声とため息が入り混じり、列の中の女子たちはスマホを握りしめて小声で騒ぎ出す。


「え、そんな噂あるの?一応、東亰海洋大学の1年生です。」


「きゃー!やっぱり国立大じゃん!」


女子生徒達がさらに盛り上がる。


「しばらくの間、娘さんの産後手伝いで同僚が一人休むことになっちゃってね」


カウンターの奥からおばちゃんスタッフが笑顔で説明する。


「この子、急きょ短期で来てくれたのよ。助かるわ〜」


「ほんと若い子が一人いるだけで華が違うわね!」


「顔もスタイルもいいから、うちの娘に紹介したいくらいよ」


木澤は


「いやいや、大したことないですよ」


と苦笑しつつも、手際よく料理を並べていく。

真剣な表情と、時折見せる柔らかな笑顔。

そのたびに


「キャー!」


と歓声が上がり、いのりの胸はざわついて仕方がなかった。


そのとき――


「おーい! いのりちゃん!」


木澤が、厨房の奥からいのりを見つけて、手を振りながら大きな声で呼んだ。

学食全体の空気が、一瞬で凍りつく。


「……っ!」


次の瞬間、爆発するようなざわめき。


「今“いのりちゃん”って言った!?下の名前!?しかも“ちゃん”付け!?」


「風張さんって……彼と知り合いなの!?」


「どういうこと!?風張さんと付き合ってるの!?」


女子生徒たちがいのりの周囲に集まり、一斉に問い詰めてくる。


「ねえねえ、付き合ってるの!?彼氏!? どうなの!?」


「違うって言うなら、紹介してよ〜! 国立大のイケメンでしょ? お近づきのチャンスじゃん!」


「ち、ちがうから!!か、彼氏とか全然そんなんじゃないから!!」


顔を真っ赤にして必死に否定するいのり。

けれど否定すればするほど、女子たちの目はますますキラキラと輝いていく。


「じゃあアタシがアタックしちゃおっかな〜♡」


「風張さんが彼女認定されてないなら、まだフリーってことだよね?」


いのりの胸はざわざわと落ち着かず、言葉がうまく出てこない。



---


列が進み、いのりの順番がやってきた。

カウンターの奥で、木澤が手際よく唐揚げを盛りつけ、味噌汁を並べる。

厨房のざわめきも女子生徒たちの視線も、全部がいのりに突き刺さってくるようで、心臓がバクバクと暴れていた。


「はい、ランチBセット」


木澤が、にこっと笑ってトレーを差し出す。

その笑顔があまりに自然で、いのりの口から思わず声が漏れた。


「……ありがとう、滉平君」


――しまった。


自分でも気づかないうちに“下の名前呼び”が口から出ていた。

一拍遅れて、周囲の空気が一斉にざわめきで揺れる。


「やっぱり呼んでるじゃん! 下の名前で!」


「風張さん、滉平君って言ったよね!? 今聞いたよね!?」


「完全に彼氏じゃん、それ!…いや彼氏じゃなくても絶対特別枠でしょ!」


女子生徒たちが一気にいのりを取り囲む。


「隠してただけでしょ〜?」


「付き合ってないなら紹介してほしいなあ♡」


「だって国立大だよ? 逃す手ないでしょ」


「ち、ちがう! 本当に違うんだってば!」


顔を真っ赤にして否定するいのり。

けれど否定すればするほど、女子たちは余計に盛り上がる。


「じゃあ本気で滉平君にアタックしちゃおっかな〜♡」


「風張さんには悪いけど、恋愛は自由だからね〜!」


「……っ!」


いのりの胸は苦しくて、息までうまくできない。

なんなら他の女の子が滉平君と呼ぶことも嫌だった。

そのとき、不意に思い出した言葉があった。


――「魅力的な異性はね、今日にも市場からいなくなるのよ」


母が夕飯の支度をしながら、何気なく放った言葉。


――「優れた異性はすぐにライバルが現れて取られるんや。だから気持ちは早めに伝えなアカン」


ビシ九郎が、サイゼニヤのドリンクバーを片手にブラジョル風ドリアをつつきながら言った台詞。


冗談みたいな笑い話だと思っていたのに、やけに耳に残っていた。

二人の言葉が胸の奥で重なり、トレーを受け取る手が小さく震えていた。



---


女子生徒たちの視線と質問攻めに、いのりは完全に押し負けていた。

真っ赤な顔を伏せながら


「だから違うってば!」


と声を上げるが、誰も信じてくれない。

そのとき、木澤が穏やかな声で割って入った。


「いや、そういうんじゃないよ。自治会でよく一緒に活動してるんだ。自治会って年上の人ばかりでね。いのりちゃんは年が近いし、気のおける仲間っていうか……理解者みたいな感じかな」


「……っ!」


いのりの胸がドキンと鳴る。

“理解者”と呼ばれたことが、思った以上に嬉しかった。

思わず顔を上げると、木澤はにこにこと優しい笑みを浮かべている。


「も〜う! それってもう通じ合ってるってことでしょ!」


「やっぱ特別扱いじゃん!」


女子たちは一斉に


「きゃーー!!」


と盛り上がり、学食の空気は爆発するような熱気に包まれた。

いのりは胸の奥がドキドキと波打つのを必死に抑えながら、少しだけ安心する気持ちも芽生えていた。


(……理解者、か……なんか……嬉しい……)


けれど同時に、女子生徒たちの


「狙っちゃお♡」


という言葉や、母とビシ九郎の忠告が頭をよぎり、モヤモヤも消えてはくれなかった。


(他の子が滉平君って呼ぶのは自由。誰がアタックしても、私が止める権利なんてない。滉平君が誰を選ぶのも、自由……なのに……なんで、こんなに嫌なんだろ……)


そして、いのりは胸の奥で静かに認める。


(…滉平君…やっぱりモテるんだな。そりゃそうだよね…イケメンだし、優しいし、頭も良いし…)


まさか学校の同級生や、上級生、下級生にまでこんなふうに人気者になるなんて。


思っても見なかったわけじゃないけれど――


目の前でそれを突きつけられると、胸の奥がざわざわして、どうにも穏やかでいられなかった。




---


ランチタイムが終わる頃、木澤はエプロンを外し、厨房のスタッフたちに頭を下げていた。


「お疲れ様でした!午後は大学の講義があるので、また」


名残惜しそうに見送る女子生徒たちを背に、木澤は颯爽と学食を後にした。


午後の授業が始まって少ししたころ。

いのりのスマホが小さく震えた。


――LiNE。


差出人は木澤滉平。


『大学生になって、そろそろバイトでもしようかなって思ったら、ちょうどいのりちゃんの学校で短期の学食バイト募集してたから。内緒にしててごめんね』


スクロールすると、続けてメッセージが流れてくる。


『でも、学校でたくさんの友達に囲まれているいのりちゃんを見て、やっぱり普段から友達にも愛される良い子なんだなって思った』


少し間を置いて――


『ただ、彼氏とかそんなんじゃないって思い切り否定されたのは……ちょっと寂しかったな。なんて冗談(笑)』


最後に、軽やかな一文が添えられていた。


『また自治会活動で会おう!』


いのりの胸はきゅっと熱くなった。


(…滉平君、彼氏じゃないって言われるの…嫌だったのかな…)


思い切り否定してしまった自分を思い返し、彼を傷つけたかもしれないと胸が痛む。

いのりも彼女じゃないって否定されるのは、すごく嫌だなって思った。


でも、どうしてそんなふうに感じたんだろう……。

胸がざわざわして、でもどこかあったかくて――なんだろ、この気持ち。

画面を見つめたまま、いのりの顔はゆっくり赤くなっていった。


(……なんか、すごく安心した……)


恥ずかしさと嬉しさで胸がいっぱいになりながら、窓の外の春の光を見上げる。

もうすぐ始まるゴールデンウィークは、きっと少し特別な気持ちで迎えられる気がした。





学食のざわめきと、思いがけない注目の集まり方。

その中で揺れるいのりの姿を描きました。

ほんのささいな昼休みの出来事ですが、どこか忘れられない場面になったと思います。

これからも、いのりの心の成長や、女の子として少しずつ変わっていく姿を見守っていただけたら嬉しいです。

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