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第54話『カレーより熱いよ!!』

今日は団地の防災訓練。

住民や役員が集まり、発電機や炊き出しに挑戦する一日です。

いつもと違う姿のいのりたちに、ちょっとした騒動も巻き起こって…

団地そばの大きな防災公園。

地下には災害用の巨大な貯水槽があり、いざという時の給水拠点に指定されている。

地上は広い芝生と遊具が並び、休日の昼下がりには子どもたちの笑い声が響いていた。


風張いのりは、支給された自治連絡会の黄色のポロシャツに袖を通し、足元はスニーカー。

髪をひとつに結び上げて、自治会長としての顔をつくっていた。

普段の制服姿とは違う“訓練モード”の装いに、ほんの少し背筋が伸びる。


横には木澤滉平。

同じシャツを着て腕をまくり、発電機の点検をしている。

頼れる大学生のその姿に、いのりの胸はほんの少し熱くなる。


公園のアスレチックの上では、中1の妹・ともりが友達と遊んでいた。

ブランコでは小1の弟・けいじが


「いのりお姉ちゃーん!」


と、こちらへ手を振っている。

姉の勇姿を応援しているようだが、いのりにとってはなんだか気恥ずかしい。


今日の訓練は、役員を二班に分けて行われる。

かまど班はベテランの防災役員が炊き出しを担当し、いのりと滉平は発電機班。

発電機を電源にホットプレートを動かして、訓練用にソーセージを焼く役割だ。


いのりは深呼吸し、内心を落ち着ける。


「……よし。自治会長として、しっかりやらないと」


けれどその視線は、いつの間にか隣の滉平に向いてしまう。


今日は年に一度の炊き出し防災訓練で、いつもより住民も含めた参加者が多い。


「まずはガソリンを入れるよ」


滉平が赤い携行缶を持ち上げる。

ノズルを差し込むと、ガソリンが“シュポシュポ”と音を立ててタンクに吸い込まれていく。

いのりはその様子に目を丸くした。


「いのりちゃんもやってみる?」


「う、うん…」


そう言って携行缶を支えると、滉平の手と重なった。


「重いから気をつけて」


「だ、大丈夫……っ」


指先が触れ合い、いのりの心臓はガソリンよりも早く燃え上がりそうになる。


次は始動の番だ。

滉平が発電機のレバーを持ち上げる。


「こうやって、思い切り引くんだ」


「え、私も?」


「やってみて、いのりちゃん」


いのりは力いっぱい、レバーを


「ブルンッ!」


と引いた。

発電機は


「ドドドドッ」


と震え、勢いよく排気を吐き出す。

髪が揺れ、思わず顔をしかめるいのり。

その姿を見て、滉平は思わず笑った。


「去年は参加者が少なくてさ、俺と連絡会長さんで汗だくになりながら何台も点検したんだ」


「え、これを2人で何台も?」


「そう。ブルンブルンさせすぎて腕が痛くなった」


滉平が苦笑する。

いのりは尊敬のまなざしで彼を見上げた。


「おっ!女の子なのに炊き出しじゃなくて、こっちに参加するなんて珍しいな」


役員のおじさんに声をかけられ、いのりは一瞬、言葉に詰まった。


(だって……滉平君がこっちにいるから、なんて……言えないよ……)


顔を赤らめたまま、いのりはもう一度、レバーを


「ブルンッ」


と引いた。



----


発電機が低い唸り声を上げて動き出す。


「ゴォォォ……」


という振動が足元まで伝わってくる。

滉平がホットプレートのコンセントを差し込むと、緑色のランプが点いた。

試しにソーセージをのせると、すぐに


「ジュゥゥ……!」


と油が跳ねた。


「お、いい感じだな」


滉平が腕をまくってトングを操る姿は、普段の穏やかな大学生というより頼れる大人に見える。

いのりは滉平の日焼けした腕に、無意識に見とれてしまい、慌てて自分もトングを握った。


「わ、私もやる!」


そう言って焼けたソーセージを裏返そうとした瞬間、油がパチンと弾けて指先に当たった。


思わず手を引っ込めたいのり。

その瞬間、焼けたソーセージがトングからつるりと滑り落ち、彼女の唇にコロンと触れた。


「ひゃっ……!」


反射的に口を閉じたら、そのままソーセージが半分だけ口の中に滑り込んでしまった。


「あつっ……! んんっ……!」


どうすることもできず、咥えたままモゴモゴ。

口からは湯気が立ちのぼりそうで、両手を宙でぱたぱたさせる。

必死にフーフーと息を吐くいのりの頬は、まるで真っ赤な信号のようだった。


滉平は一瞬、呆気に取られた顔で見つめ――


「……た、大変!やけどしてない!?」


咥えたまま返事もできない。

ソーセージを噛めばもっと熱い、離せば落ちてしまう。

滉平も、いのりの中途半端な状態で顔を真っ赤にしている姿は、なんとも言えない可愛らしさを感じた――

見ているほうの心臓までバクバクしてしまうのだった。


「……いのりちゃん、大丈夫だった!?」


滉平が心配しながら、自分のペットボトルの水を差し出す。

いのりはゴクゴクと飲んで、やっと落ち着いた。


その顔は、熱さのせいか恥ずかしさのせいか分からないほど真っ赤だった。


「……ほら、ちゃんと冷まして」


滉平がソーセージをつまんで差し出す。

トングの先から差し出されたそれに、いのりは一瞬ためらい――


「……はい、あーん」


小声でつぶやきながら、恐る恐るぱくっと口を開けた。

ソーセージの味なんてわからない。

ただその瞬間、胸の奥まで熱が広がったのがわかった。

発電機の唸りよりも、ソーセージの油よりも、心臓の音のほうがうるさいくらいだった。


---


いのりが“あーん”をされて、顔を真っ赤にしているのを見て、滉平は口元をゆるめた。

……その光景を、遊具のほうから見ていた妹・ともりは、冷めた視線でため息をつく。


「なにやってんの、あの人たち……」


弟のけいじは目をきらきらさせてブランコをこぎながら叫んだ。


「いのり姉ちゃーん! あーんしてるー!」


その声に周囲の役員や住民たちが気づく。

かまど班で炊き出しをしていたおじさんが、ニヤリと笑いながら声を張った。


「おいおい、こっちはカレー作りで熱いのに、そっちは別の意味で熱気ムンムンじゃねぇか!」


「まったくだ、見てらんねぇな!」


「カレーより熱いわ!」


冷やかしの声が次々と飛び、笑いが公園全体に広がった。


いのりは耳まで真っ赤にして両手で顔を隠す。


「ち、違うんです!これは訓練で……!」


必死に否定する声も、誰にも届かない。


……


そんな中、炊き出しのテーブルから出来上がったカレーが配られてきた。

ご飯の上にとろりとかけられたカレー。

その上に、焼きたてのソーセージが数本のっている。


いのりはスプーンでひと口分をすくい、思わず滉平に差し出した。


「……はい、今度は私の番!滉平くん。あーん」


滉平は一瞬きょとんとしたが、結局は口を開けて受け入れた。


「……っ、あつっ!」


熱さに舌を出して慌てる姿に、いのりは思わず笑ってしまう。


だが、次の瞬間。

自分がやったことの重大さにハッと気づき、耳まで熱くなった。


「つ、ついお返しでやってしまった……! は、恥ずかしい……」


スプーンを握ったまま縮こまるいのり。

顔を覆って後ずさる彼女を見て、役員たちの冷やかしはさらにヒートアップした。


「おいおい、今度はカレーで“あーん”かよ!」


「見てらんねぇなぁ、ホントに…カレーより熱いよ!!」


再び笑いが公園に広がり、いのりはスプーンで顔を隠しながら小さな声でつぶやいた。


(……地面に埋まりたい……!)


---


防災訓練は笑いと冷やかしに包まれながらも無事終了した。

発電機の片づけも終わり、炊き出しカレーも住民に振る舞われる。

公園の夕暮れに吹く風が、熱気をようやく鎮めていった。


――夜、食卓。


けいじが元気いっぱいに報告する。


「パパ!今日のお姉ちゃんね、こうへいお兄さんに“あーん”してあげてたよ!」


「……な、なにィィィ!?」


父・よしつぐは箸を落とし、椅子ごとひっくり返った。

白目をむき、鼻水を垂らし、口から泡を吹きながら倒れ込む。


「ちょ!? あなた、しっかりして!」


母・きよのが肩を揺さぶるが、返ってくるのはかすれ声だけだった。


「……娘が……男に……あーん……」


いのりは顔を真っ赤にして両手を振る。


「ち、違うの!あれは訓練で……!」


「でもカレーは結構おいしかったよね」


けいじがのんきに言うと、ともりもうなずいた。


「うん。味はよかった。……でもさ」


妹のともりはじとっとした目でいのりを見やる。


「お姉ってホントにチョロいんだね。見てられなかったわ。どんだけ好きなんだよ!」


「なっ……! ち、ちが……!」


いのりは耳まで真っ赤になり、必死に否定する。

その言葉を聞いたよしつぐが、再びビクンと痙攣した。


「ちょ、あなた!? だめよ、戻ってきて!」


きよのの叫びも虚しく、よしつぐは白目をむいたまま二度目の泡を吹き――


「……あ、あーん……チョロい……娘……」


かすれ声を残して、口から魂の一部が昇天した。

いのりは机に突っ伏し、小さく呻いた。


(……防災より、家族にバレるほうが……やっぱり災害級……!)


――こうして、“防災訓練イチャつき回”は幕を閉じた。




今回のテーマは「防災訓練」でしたが、ふたを開ければ「青春ラブコメ災害訓練」みたいな回になりました。

真面目な活動の中で起きるハプニングは、団地ならではの空気感と笑いを生むなと書いていて思いました。

いのりと滉平、そして家族のリアクション──全部まとめて“熱い”回になったと思います。

次回もまた団地の日常に潜むドラマを描いていきます。

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