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第52話『ニンニク入れますか?』

今回の舞台は、団地を飛び出しての爆盛ラーメン遠征。

慎太・ビシ九郎・大矢相談役の三人が、魔物のようなラーメン屋「ゴロリアン【小森の陣】」へ突撃します。

常連客のコール、トッピングの暗号、そして全マシマシの地獄。

胃袋を賭けた戦場に挑む三人の姿を、ぜひ見届けてください。

平日の午前十一時前。


皆本慎太のスマホが、ポンッと短い通知音を立てた。

画面を覗き込むと、そこにはビシ九郎からのLINE。


『……ワイ、ゴローラーメン食いたなってきたわ……』


「発作かよ」


思わず声が漏れた。

けれど、胸の奥で同じ衝動が芽生える。


ニンニク、アブラ、ワシワシ麺──。


脳裏に浮かんだ映像だけで腹が鳴った。


『おっしゃ!ちょうど腹減ってたとこや。迎え行くわ!』


そう返信を打ち、皆本は車のキーを掴む。



***



数十分後。


慎太の車が119号棟集会所の脇へ止まる。

助手席に滑り込んだビシ九郎は、シートベルトを締めながら既に涎を垂らしそうな顔をしていた。


「この前の献血で血抜かれたせいや……体がカロリーと塩分を欲しとるんや……ニンニク、アブラ、ワシワシ麺……想像するだけで腹減るわ……」


「いや、お前。あのあと焼肉食わせてやったやろ。しかも飲み放題付きで」


皆本が冷静にツッコむ。


「……せやったけど……それはそれ、これはこれや」


開き直るビシ九郎。


「ホンマに中毒やな。というか、先週も食ったばっかやろ。ゴロリアンは魔物や」


皆本が笑いながらエンジンをかける。


ゴロー系ラーメン。

常連客の通称はゴロリアン。


平和島の隣駅、太田区小森の路地裏にそびえる爆盛ラーメンのインスパイア系。

下品なまでに濃い醤油ダレ、分厚い豚のチャーシュー、濃厚な魚粉、背油の塊、刻みニンニクの暴力。

その全てを「ワシワシ太麺」が受け止める、中毒者御用達の地獄のラーメン屋。

先週も、皆本とビシ九郎は二人でそこを訪れた。

ただ、相談役・大矢には声をかけなかった。


“さすがに高齢の相談役には食事として重すぎる”


二人の中では、勝手にそう判断していたからだ。

だが、その読みは甘かった。

不意に後部座席のドアがガチャリと開いた。


「……お前らだけズルいぞ!」


「えッ!?相談役!?」


そこに立っていたのは、大矢相談役。

白髪をなびかせ、まるで犬のように鼻をひくつかせている。


「わしの嗅覚は誤魔化せん……“ゴロリアン”の匂いを嗅ぎつけたんじゃ!」


皆本は思わず叫ぶ。


「いやいやいや、どんな嗅覚やねん……!」


相談役はシートに腰を下ろし、腕を組んで言った。


「若造ども、勝手にワシを外すとはいい度胸じゃな。爺だから食えんと舐めたら困るぞ。ワシもまだまだ現役よ!」


こうして三人は、ゴロリアンの戦場へと向かうのだった。



到着したのはラーメンゴロー【小森の陣】。

開店からまだ間もない、昼前のカウンターは空席もちらほらとあった。

だが、店内に漂う匂いはすでに戦場のそれ。

醤油ダレのしょっぱさと背脂の甘ったるさが混じり合い、刻みニンニクの刺激臭が鼻腔を直撃する。

ただ座っているだけで、もう口の中に唾液がにじむ。




皆本達パーティ御一行の前、食券機に並ぶ客のひとり。

杖をつき、胸に赤いヘルプマークをぶら下げた老人がいた。

大矢相談役よりさらに年齢を重ねているであろう老人の腰は少し曲がっているが、足取りは妙に慣れている。

 

カシャン。


小銭を入れる音、そして食券を押す指先の迷いのなさ。

食券を取り出し、ゆっくりとした所作でカウンターへ向かう姿は、まるで何十回も通い慣れた常連客の風格さえあった。


「……マジかいな。常連やろか?」


美少女姿になったビシ九郎は興味深そうに目を細める。


「いや、ヘルプマーク付けた高齢者がゴロリアンは反則やろ……」


皆本は信じられないというように呟く。

老人は、カウンターに腰を下ろすと、当たり前のように水を一口。

手首の動きが自然すぎて、逆に違和感すら覚えるほどだった。

三人もそれぞれ食券を購入し、奥の空いた三列に並んで座る。

 

しばらくすると、店員がヘルプマークの老人に声をかけた。


「お客さん、ニンニクは?」


やる気のない店員の低い声が、店内に静かに響いた。


「……野菜だけ、マシじゃ!」


老人のコールに対して誰も驚かない。

まるで、これが日常であるかのように。

その瞬間、大矢相談役の眉がピクリと動く。

白髪を揺らし、口角を吊り上げた。



---


「ニンニク入れますか?」


それが、マシマシ系ラーメン屋の合図だった。

この系統の店は、並んで食券を買うだけでは終わらない。

最後に必ずトッピングをどうするかを聞かれるのだ。


――野菜、ニンニク、アブラ、カラメ。


この四種類を「マシ」「マシマシ」と増量できるのが特徴。

野菜はモヤシとキャベツの山、ニンニクは刻み生ニンニク、アブラは背脂の塊、カラメは濃いめの醤油ダレ。

普通盛りでも充分すぎるのに、さらに「マシ」で二倍、「マシマシ」で三倍近くまで盛られる。


慣れた客は短く「ヤサイマシ、ニンニクマシ」などと呟くだけで意思表示する。

しかし、初めての客にとってはそのシステム自体が謎の暗号。

気づけば周りに流されて「全マシマシ」などと口走り、丼の中に山脈を築いてしまう――。


もはやこれは食事ではなく、戦場であり儀式。

食べきれるかどうかは、己の胃袋と精神力にかかっていた。


---



「ほぅ……“野菜マシ”じゃと……?健康志向のつもりか!ワシは、戦後の食糧難で食いたくても食えなかった少年時代を過ごしたんじゃ…食べられるだけで感謝なんじゃよ…」


「おいおい、いつの時代の話をしてるんや……」


ビシ九郎が不安そうに顔をしかめる。


「今は……盛れるだけ盛れる時代……ならワシは魂の全マシマシじゃ……!」


相談役は拳を握りしめ、胸の奥から燃え上がるものを抑えきれなくなっていた。

皆本は慌てて囁く。


「ちょ、相談役……やめとけって。無理やろ」


だが相談役は聞いていない。


「黙っとれ若造! あのヘルプマーク老人が“野菜マシ”で満足なら……ワシは“全マシマシ”で浪漫を示すのみじゃ!ウーロン茶があれば、ワシはまだまだ若い!」


順番に丼が仕上がっていく中、 厨房から、覇気のない声が投げられる。


「…お父さん、ニンニクは?」


大矢相談役が腕を組んで堂々と答える。


「全マシマシじゃ!盛れるだけ盛ってこい!」


その一声で、厨房の空気がビリッと震えた。


「…隣のお兄さんは?」


突然振られた皆本が一瞬固まる。


「あ、あの……全マシマシで……」


(……現役はもう引退しとるのに、“お兄さん”って呼ばれて……つい、調子に乗っちまった……)


心の中で苦笑しながらも、口は勝手に全マシマシを選んでいた。


「…横のお嬢ちゃんは?」


美少女姿になっていたビシ九郎にも、店員が無機質に声をかける。


「え、ワイ?……あ、あの……全マシマシで」


(アカン……ニンニクで大腸が破壊されるわ……でも断れん……)


やる気ゼロな店員の声は機械的で無感情。

だが、それに応じて全マシマシを選んでしまう客側は、まるで勝手に戦場に飛び込んでいく兵士のようだった。

こうして三人揃って、全マシマシの地獄に突入してしまった。



***


やがて──ドンッ!!


それぞれの丼が目の前に着丼した。

野菜の山はまるで火山のごとく天を衝き、ニンニクが雪崩のように覆いかぶさる。

背脂は湖のように表面を覆い、分厚いチャーシューが地層のように沈んでいた。

皆本は丼を見つめながら、ふと現役時代を思い出した。


(そういやシーズン中、痩せないために必死で食ってたな…。毎日、尋常じゃない量の飯をかき込んで……。これぐらい食ってりゃ、バテずに夏場を乗り切れたかもしれん……)


かすかに浮かぶ現役時代の思い出。

チーズバーガーを山ほど買い込んで、「チーズバーガー増量術」とか言って笑ってた若手スラッガー。

当時はただのジャンク好きなヤツかと思ったが……。


(今にして思えば、あいつの食事方法。あれも理にかなっていたんかもしれん……)


ふっと、元チームメイトの顔が脳裏に浮かんだ。

ジャンクフードをも食事法に変えてしまう、怪物スラッガーの姿が。



***



やる気のない厨房は静かに戦場だった。

次々と着丼していく丼、飛び交う客のコール、湯気と脂が充満する空気。


「…出前屋敷入りまーす…」


蚊の鳴くような店員の声ともに、奥から袋詰めされたラーメンが運び出される。

逆に何件も回って稼ぐ気満々の元気な出前屋敷の配達員たちがひっきりなしに出入りし、店内の熱気はさらに増していく。

決して安い価格ではないが、密かな人気店らしく注文が後を絶たない。

中毒者たちは次々とネット注文し、その場にいない客の胃袋めがけてゴロリアンの厨房はまさに戦場そのものだった。


──そんな喧騒のただ中に、ひときわ異様な影があった。


「チッ……おっせぇよ。何分待たせんだ?」


カウンター奥で商品を受け取る、ジャージにサンダル姿の中年男。

手つきは横柄で、店員を睨みつけながら文句を並べている。


──品川ロドリゲス杏。

 

47歳、九潮団地に巣食うクズのこどおじ。

ブラジョルと日苯のハーフ。

普段から「風張いのりは俺の嫁」と吹聴している厄介者である。

たばこ臭と団地臭をまとった彼の存在は、戦場と化した厨房の中でもひときわ異様に浮き上がっている。


不意に客でもない杏が店内に置かれたコップを勝手に手にすると、セルフサービスの水をゴブゴブと音を立てて飲み干した。

そのまま備え付けのおしぼりを三つも掴み、顔をゴシゴシ、首の周りを拭い、さらに脇の下からヘソまで拭きはじめる。


「……ッはぁぁ~~……」


杏は出来上がった商品を乱暴に受け取ると、脇を拭いたおしぼりをヘルプマークの老人が食事をする目の前のカウンターにベチャリと置き、そのまま知らん顔で立ち去っていった。


──団地のこどおじ、品川ロドリゲス杏。


その異様な存在感は、全マシマシの戦場に新たな不快な熱を投げ込んでいった。



丼が差し出された瞬間から、戦いは始まっていた。


「……うまい……!しかし……重いッ!」


大矢相談役は、汗と涙を流しながら箸を進める。

脂と塩気の暴力が胃を圧迫するたびに、走馬灯のように戦後の記憶がよみがえる。



──あの飢えた時代。


食べたくても食べられなかった日々。

今こうして盛れるだけ盛って食えることへの感謝が、しわだらけの瞳に光を宿していた。


「……うぷっ……気持ち悪い……吐きそうじゃ……」


大矢相談役は箸を進めながら、額に玉の汗を浮かべていた。

やがて白目をむき、顔を歪める。


「だからやめとけって言ったやろ!」


皆本が慌てて声をかける。

その時、大矢の口がかすかに震えた。


「……見える……三途の川の向こうで……死んだ母ちゃんが……手招いとるわい……」


「アカン!!」


ビシ九郎が青ざめる。


「……やべ……俺ものぼせそうだ……」

 

皆本は汗ばむ額を押さえながら必死で麺をすすった。

現役時代、シーズンを乗り切るために無理やり食っていた光景が頭をよぎる。


痩せないために毎日食い込んだ飯。


チーズバーガーを山ほど食って「増量術」と笑っていた若手の姿。


そのすべてが、今この丼の山に重なる。


「ワ、ワイの大腸がぁぁあああ!」


美少女姿のビシ九郎は白目をむきながら必死に箸を進めていた。

ニンニクの刃が腸を切り裂くたびに、地縛霊としての存在意義すら揺らいでいく。

それでも隣の相談役が涙しながら食う姿に引きずられ、逃げ場はなかった。

机に突っ伏したビシ九郎は、震える唇を動かした。


「……もう……半年はいらんで……」


それほどの満腹感に支配され、腸は完全に沈黙していた。


だが、わかっている。


明日になれば、また欲するのだ。  

本来なら地縛霊として快楽に溺れることのないはずの存在。

けれど今、ビシ九郎の脳内には説明不能な快楽物質があふれ出していた。

ワシワシ麺とニンニクの記憶が、もう次の発作を約束している。


***


対照的に──杖をついたヘルプマークの老人は、淡々とレンゲを動かしていた。

杏の不潔な行為などまるで意に介さず、野菜を口に運び、麺をすすり、最後にはスープを一滴残さず飲み干す。


「……ごちそうさん」


短く呟き、立ち上がる姿は、まるで日常の習慣にすぎないかのように落ち着いていた。



***



三人はそれぞれ、満腹中枢を破壊され、魂を削られながらも丼を空にした。

大矢相談役は汗に濡れた顔で笑い、皆本は胃の奥からこみ上げる吐き気を必死に抑え、ビシ九郎は油まみれのカウンターに突っ伏して震えている。


「……死ぬほどキツイのに……うまかったわ……」


「お前、すでに死んどるやろ…」


誰ともなく漏れた言葉が、静まり返ったカウンターに染み込んでいく。

三人は白目をむき、カウンターに突っ伏していた。

胃は悲鳴を上げ、脳は酸欠、汗と脂で全身がぐったりとしている。


「……ど、どうする……このあと……」


皆本がかすれ声で問いかける。


「まずはタバコ……吸うか……?」

 

相談役が白目のまま呟く。


「……いや……無理や…吐くで…」


ビシ九郎が顔を青くして首を振る。


「じゃ……パチンコ…いくか?…」


「…アカン…無理や…全回転で酔って吐くわ…」


ビシ九郎の目がリーチ演出みたいに揺れていた。

しばし沈黙のあと、大矢が蚊の鳴くような声で言った。


「……図書館で……ゆっくりしたい……」


三人同時に、微動だにしないまま


「……それや……」


と呟いた。


戦場を生き延びた者に残されたのは、静かな休息だけだった。


「そういや今ごろ、いのりは学食で楓やあずさと一緒に飯食ってるんやろな……」


皆本の頭に、ふっと学校にいる娘たちの昼食の光景が浮かんだ。


「何言っとるんじゃ。給食があるじゃろ」


と、大矢相談役。


「いや、ちびっこやけど中学生じゃないんやで。学食や」


ビシ九郎がツッコむ。  



「いのりの胃袋じゃ、この店のミニサイズすら多すぎて食えんやろな……」


実の娘・楓よりも、まず心配するのはいのりだった。

その事実に気づき、自分でも少しおかしくなって笑みが漏れる。

さっきまで脂とニンニクにまみれた胃袋の中で、そんな当たり前の日常がやけに尊く感じられる。


「いのりがこの丼を前にしたら……きっと最初の二口で限界やろな……」


皆本が言うと


「箸を置いて、ちょこんと「ごめんなさい」って笑う顔まで想像つくわ……」


と、ビシ九郎が同意する。


「育ち盛りのJKに、こんな終わってるラーメン食わせたらダメじゃろ。ちゃんと健康的な飯を食って……会長として、これからも頑張ってもらわんといかん」


大矢相談役が期待を込めて言う。

そう思った瞬間、地獄の戦場の中にひと筋の清涼な風が吹いた気がした。




「ニンニク入れますか?」――それは合図であり、宣告でもある。

マシマシ文化の狂気を描きながら、最後は“当たり前の日常の食卓”との対比を入れてみました。

地獄をくぐった三人に残るのは、静けさと、いのり達の日常を思うささやかな優しさ。

次回は、この余韻の先で彼らがどう動くのか、続きもお楽しみに。

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