第51話『転校生同士』
ソフトボール部編、本格始動です。
今回はともりが「投手」として一歩を踏み出すエピソード。
そして、同じ転校生でキャッチャー経験者の夕夏との出会い。
二人の出会いがチームにどんな化学反応をもたらすのか――ぜひ読んでください。
ソフトボール部に入部したともりは、顧問の賀東から
「投手に向いてる」
と太鼓判を押されていた。
背の高さと手足の長さ。
マウンドから投げ込む速球は、体感以上に近く、球速以上に速く感じさせる武器になる、と。
けれど――現実は甘くなかった。
「……全然、ストライクが入らない」
初めて挑戦したソフトボール特有の下手投げ(ウインドミル)。
投げようとしても腕がぎこちなく回らず、ボールはふらふらと大きく外れていく。
大きなネットに投げ込むはずが、フレームに弾かれて地面に転がる球を拾いながら、ともりは苦笑した。
「投げるのって、こんなに難しいんだ……」
周りの部員たちもまだ初心者ばかり。
キャッチボールは成り立たず、ボールはあちこちに飛んでいく。
「やっぱり私には向いてないのかな」
と胸の奥に不安がよぎる。
その時――グラウンドのベンチからひとりの少女が立ち上がった。
小麦色に焼けた肌と白い歯が光り、どこか頼もしい端正な顔立ちの美少女。
短い髪を後ろで結び、ミットを小気味よく叩きながら笑みを浮かべる。
「投手やるなら、あたしが受けるよ」
低めの声に、ともりが振り返る。
彼女の名は古賀夕夏。
小学生の頃、少年野球チームでキャッチャーを務めていた経験者だった。
「キャッチャー?」
ともりは驚いたように声を漏らした。
古賀夕夏は胸を張り、にっと笑う。
「うん。的があったほうが投げやすいでしょ?あたしのミットめがけて投げてみてよ!」
「そうだな!夕夏に受けてもらったらどうだ、ともり?」
顧問の賀東も勧める。
「あたし、小学生のとき、少年野球でずっと男子に混ざってキャッチャーやってたの。ソフトは初めてだけど、ボールを受けるくらいなら任せて!」
軽やかに足を運び、キャッチャーマスクもないまましゃがみ込む。
どっしりミットを構える姿は、どこか風格が漂っていた。
「ピッチャーがいなきゃ試合は始まらない。でもキャッチャーがいなきゃ、ピッチャーは投げられないんだよ」
夕夏の言葉に、ともりの胸が少し熱くなる。
「……じゃあ、お願い、してもいい?」
「もちろん!」
夕夏が力強くうなずき、ミットをポンと叩いた。
「ほら、ともり! まずは思いっきり投げてみな!」
夕夏はミットを構えながら、にやりと笑った。
「あたしは投手に向けて構えたミットも絶対動かさない――だから、あたしを的だと思って全力で投げ込んで!」
どっしりとしたその構えに、ともりの胸がじんわり熱くなる。
「……うん!」
賀東も腕を組んでにやりと笑う。
「よし、初めてのバッテリーが誕生だな」
グラウンドに小さな緊張が走った。
ともりは深呼吸し、夕夏の構えたミットをじっと見つめる。
ともりは大きく息を吸い込んだ。
夕夏が構えるミットの音だけが、耳に響く。
「いくよ……!」
右腕を振り抜いた。
ボールは大きく逸れて、ミットから外れた。
「わっ!」
夕夏は素早く横に飛び、見事にキャッチする。
「ナイスボール!」
「えっ……外れたのに!?」
ともりは思わず目を丸くする。
夕夏は笑って首を振った。
「いい球だよ。速いし、伸びもある! フォームはまだぎこちないけど、これからだよ」
もう一度。
今度は少し低めに外れた。
けれど夕夏はまたも軽やかにミットで受け止める。
「ほら、ともり! 一球ごとに良くなってる!」
部員たちが
「おー!」
と声を上げる。
賀東も腕を組んでうなずいた。
「いいぞ。投げるたびに変わっていく。キャッチャーと一緒に作るんだ、ピッチャーは」
夕夏の声と、賀東の言葉がともりの胸に響いた。
投げるたびに、体が軽くなる。
初めてのキャッチボールなのに、心は不思議なほど弾んでいた。
最後の一球を投げ終え、ともりは汗を拭った。
夕夏は大きな声で笑う。
「ともりが投げるなら、あたしが絶対受ける! これからよろしく!」
ともりの胸がじんわり熱くなる。
「……うん、私、投げる。夕夏が受けてくれるなら!」
二人がグローブを軽くぶつけ合う。
その瞬間、一年生だけのチームに、初めてのバッテリーが誕生した。
賀東は満足げにうなずき、短く言った。
「これでチームの芯ができたな」
練習後、ボールバッグを二人で倉庫へ運びながら、夕暮れの風が汗を冷ました。
「ともりって、小6からこっち来たんでしょ?プロ野球はどこファン?」
古賀夕夏がミットを肩にかけて聞く。
「そう。東亰都豐島区から。お父さんが東亰メザメルト・シャークスのファンで、ずっとテレビで観てた」
ともりが笑うと、夕夏の目がぱっと明るくなる。
「いいね! あたしは中亰から。小学校まで中亰に住んでて、今年の中学入学のタイミングで引っ越してきた。父さんと兄貴によく中亰ドーム連れていかれまくったよ。中亰コアラーズのファンクラブも入ってたし。」
夕夏はミットをぽん、と叩く。
「でも父さんの仕事の都合でこっちに引っ越してきたらさ。男子の野球部どころか、新規の女子ソフトボール部だけって聞いてびっくりしたよ。ま、結果的にキャッチャー続けられるならどっちでもいいんだけどね」
ともりは歩調を合わせながらうなずく。
「じゃあ、東亰と中亰で出身は違うけど……“転校生同士”ってことか」
「そう、転校生同士。――だから、これからよろしく」
夕夏は立ち止まり、白い歯をニカッと輝かせ、ミットを構える仕草だけして見せた。
「あたし、キャッチャーで審判をだますつもりはないよ。無意味なフレーミングなんてしない。構えたミットは絶対動かさない。的はここ。だから、あたしを的だと思って全力で投げ込んで」
どっしりとした言葉に、ともりの胸が温かくなる。
「……うん。全力で、投げる」
「ちなみに、あたしのキャッチャー像は“たのしげさん”リスペクトね」
夕夏は照れ隠しみたいに笑う。
「中亰コアラーズの多野繁監督。小さい頃、ドームで観て“これだ”って思った。ビタ止めでミットは動かさない、試合をホームベースから支配する頭脳派。――そういうやつ」
ともりは思わず笑って、グラブの拳を差し出した。
「東亰メザメルト推し家庭の娘ですが、そんな相棒なら大歓迎」
コツン。
グラブとミットが軽くぶつかる。
東亰と中亰、違う街の匂いを連れてきた二人の転校生。
この日、バッテリーとしても、友人としても、同じ方向を向いた。
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その夜、風張家の食卓。
焼き魚の香ばしい匂いと味噌汁の湯気が広がる中、ともりが箸を置いて話し出した。
「部活、決めたよ。昨日から体験入部で行ってたんだけど、新しくできたソフトボール部に入るつもり。もう先生に『入る』って言ったし」
いのりが笑顔でうなずく。
「やりたいこと見つかったならいいね」
「うん。すごく楽しくできそう!」
父・よしつぐが眉を上げる。
「でも運動部って、けっこうお金かかるんじゃないのか?」
ともりは自信ありげに答える。
「顧問の賀東先生が言ってたよ。道具は部の備品があるし、ユニフォームや遠征費も学校と先生の後援会がサポートしてくれるって。だからあまりかからないって」
母・きよのがほっとしたように笑った。
「それなら安心ね」
父よしつぐは不思議そうな顔で
「というか、後援会がついてる先生って何物?」
と聞くと、ともりは
「元々、東亰8大学野球で亰王大学のエースだったらしいよ。なんかメザメルトでも選手だったとか。」
「え!?もしかして賀東って、元プロ野球選手の賀東道典!?あの人、プロではケガに泣いたけど、大学時代はレジェンドだぞ!!」
横でけいじが魚をくわえながら、
「がとー!がとー!お菓子の名前みたい!」
と意味不明な合いの手を入れる。
家族は一瞬沈黙してから笑いに包まれた
「そう、その賀東先生。今は九潮学園の社会科教師で女子ソフトボール部の顧問。遠征とか道具でお金の心配はいらないよって部員に言ってる。なんかスポーツ用品メーカーとか大企業スポンサーと今でも仲良くて付き合いもあるらしいよ。」
「マジか…。一体どうなってるんだ?いのりは皆本慎太さんの娘と仲良くなってるし…」
食卓に柔らかな空気が流れる。
すると、いのりが自分の話を切り出した。
「そういえば、言論部にも新しい子が入ったんだ。星詩帆ちゃんっていうんだけど、元気いっぱいでボーイッシュな1年生の美人ちゃん」
「へぇ〜!」
ともりは興味津々に返す。
団地で自治会長を務める姉と、グラウンドでバッテリーを組んだ妹。
それぞれの春が、同じ屋根の下から違う場所へと広がっていった。
ともりと夕夏、転校生同士の絆が芽生えました。
ピッチャーとキャッチャー、役割は違ってもお互いを必要とする関係。
まだ始まったばかりですが、このバッテリーがこれからどう成長していくのか、楽しみにしていてください。
風張家の食卓で描いた「姉はいのり、妹はともり」、それぞれの春もまた物語を広げていきます。
次回もよろしくお願いします。