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第48話『私、投げられるんだ』

春の光が差し込む新学期。

中学に進学したともりが、初めて自分の部活動をどうするか迷う姿から始まります。

姉・いのりの姿を思い出しながら、心の奥に芽生えた小さな衝動。

その気持ちが、どこへ向かうのか――ぜひ物語の中で確かめていただければ嬉しいです。

春の光が差し込む九潮学園の校舎。

新しい制服の袖口がまだ少し固い四月の始まり。


中学一年生になった風張ともりは、教室の窓際に座りながらノートの端をいじっていた。

部活動――原則全員参加と決まっているのに、まだどこにも所属していない。


「……どうしよ」


心の中で小さくつぶやく。

スポーツはからっきしで興味がない。

同じクラスの子たちは体験入部で走り回っているのに、自分はまだ踏み出せないままだった。


「美術部とか、活動少なそうだし楽かもな……」


ぼんやり考えていたとき、頭に浮かんだのは数日前の光景。

姉・いのりが団地代表として立った、プロ野球の始球式。


少しぎこちなく見えるフォーム。

でも白球を放ったその瞬間、会場のざわめきが大きな拍手に変わった。

女の子投げのサウスポー。


だけど――凄くかっこよかった。


「……いいな、ああいうの」


胸の奥で何かがざわついた。

まだ形にならない気持ち。

けれど、確かに“何か”を動かす予感だけが、ともりの中に芽生え始めていた。



昼休みの昇降口。

部活の勧誘ポスターがまだ色あせないまま貼られていて、行き交う先輩たちが声を張り上げていた。


「一年生? 背、高いね! バスケどう?」


「バレー部も見学来なよ! 今なら初心者からでも大歓迎だよ!」


背の高いともりは、すれ違うたびに先輩から声をかけられる。

けれど返事はいつも同じだった。


「えっと……考えておきます……」


笑ってかわし、教室へ戻ろうとしたとき、背後から声がした。

ソフトボール部の体験入部にすでに参加していたクラスメイトだ。


「ともり、まだ決めてないんでしょ? 一回女子ソフト来てみなよ。まだ今年できたばっかりの部活で、先輩いないんだよ。だから入りやすいって!絶対楽しいよ!」


「……今年から?」


ともりは思わず振り返った。

友達はうなずきながら説明する。


「顧問の先生が、女子ソフトなら校庭の一角でできるって言って始めたんだって。男子野球部は作れなかったけど、その代わりにって。だから今は一年生しかいなくて、試合やるのもギリギリ。道具とユニフォームも学校と先生の後援会が揃えてくれてるから、お金も心配しなくていいらしいよ」


ともりの胸が少し軽くなった。

先輩に囲まれることもない。

お金の負担も少ないから親に迷惑もかけない。

しかも、まだ発足したばかりでみんな同じスタートライン。


「……なんか、それなら……」


夕暮れのチャイムが鳴る。

友達に手を引かれるように、ともりは放課後のグラウンドへ足を運んだ。



グラウンドの一角。

サッカー部がボールを蹴る声、陸上部がスパイクで地面を蹴る音が響く中、ネットで仕切られたソフトボール部のスペースがまだ小さな島のようにぽつんとあった。


そこに待っていたのは――ユニフォーム姿の顧問、賀東道典だった。

日に焼けた腕を組み、ともりをじっと見つめる。


「君、いい体格してるな。背も手足も長い。アスリートの資質があるよ」


「え、でも……私、スポーツとかやったことなくて」


ともりは視線を落とす。

賀東は少し笑ってから、ふと真顔になった。


「俺、本当は、ここで男子野球部をやりたかったんだ。だがうちの校庭の広さじゃ男子の野球は無理だと学園長に言われてな。――でも、女子ソフトならできる。スペースも小さくて済むからって、学園からも許可が出た」


ともりは驚いたように顔を上げた。


「つまりこの部は、俺にとっても“新しい挑戦”なんだ。そもそもソフトボールは野球とまったく別のスポーツ。俺も完全に未経験だ。だからこそ、君たち新一年生と一緒に作っていきたい」


そう言うと、部員の一人に声をかける。


「君、そこのグローブを貸してやってくれ」


赤茶色のグローブがともりの手に渡された。

革の硬さに戸惑いながらも、指を通すと不思議としっくりきた。


「いいから、とにかく投げてみろ」


賀東が促す。

目の前に構える同級生のミット。

ともりは息を整え、右腕を振り抜いた。


――バシィッ!!


鋭い音が夕暮れの空気を裂いた。

ミットを受けた同級生が思わず目を丸くする。


「……! すご、速い……!」


賀東の口元に笑みが浮かんだ。

「筋がいいな。初めてでこの球筋は大したもんだ。投手の器だぞ!」


ともりの胸が一気に熱を帯びる。

今まで味わったことのない高揚感だった。

さらに賀東は付け加えた。


「うちは根性論はやらない。未経験ばかりだから、ケガをしない体づくりが第一。練習は短期集中だ。休日も毎週しっかりつくる。オフはオフで遊んでいい。準備や片付けもみんなでやる。とにかくソフトボールを楽しくやろう。大会も勝つことより全力を尽くすことが目標!みんな下の名前で呼び合って仲間になる――それがこの部のやり方だ」


ともりは驚いた。

部活といえば走り込みや長時間練習のイメージしかなかったからだ。

上限関係が厳しく、大会で勝つことを目指して長期休みも練習ばかり。

それがここにはない。

むしろ「楽しくやる」ことを大事にしている。



グローブを外したともりの手は少し赤くなっていた。

けれど痛みよりも胸の奥の鼓動の方が強い。


「……私、投げられるんだ…」


小さな声でつぶやくと、賀東がうなずいた。


「そうだ。君には素質がある。だが大事なのはここからだぞ」


夕焼けを背にした賀東の声は、どこか熱を帯びていた。


「この部はまだ発足したばかりで、一年生しかいない。試合をやるにも人数がギリギリだ。だけど俺は確信してる。君たちとなら、ゼロから歴史を作れる。――一緒に“最初のチーム”を築こうじゃないか」


ともりの胸が大きく揺れた。

先輩の圧もない。お金の心配もない。

そして何より、今の自分でも仲間と一緒に「始められる」。


――迷っていた心に、すっと答えが浮かんだ。


「私……ソフトボール、やります!」


声がグラウンドに響く。

同級生たちが拍手し、友達が満面の笑みで頷いた。

賀東は口元に笑みを浮かべ、短く言った。


「よし。君がいれば、この部は強くなる」


夕焼けに照らされるともりの瞳は、もう迷っていなかった。

迷いの春は終わり。

ここから始まるのは、エースで四番への道だった。





最後までお読みいただき、ありがとうございます。

ともりが新しい一歩を踏み出す回、いかがだったでしょうか。


これまで団地や自治会を中心に描いてきましたが、ここからは中学に入ったともりの青春も少しずつ描かれていきます。

投げられるという発見が、彼女の成長にどんな物語をもたらすのか。

今後も見守っていただければ嬉しいです。

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