第47話『うちらの部室、放課後見に来てみる?』
新年度のざわめきがようやく落ち着きはじめた頃。
学園生活の中で生まれる何気ない会話から、少しずつ物語は広がっていきます。
今回は、初めていのりとあずさが所属する部活動が判明します。
これまで帰宅部かのように過ごしてきた二人。
どんな部活動なのかは、ぜひ物語の流れの中で一緒に味わっていただければ嬉しいです。
新年度の慌ただしさも、ようやく落ち着いてきた四月半ば。
学食には、部活勧誘のビラを手にした一年生たちがあちこちで輪になり、昼休みのざわめきに拍車をかけていた。
窓際の四人掛けテーブル。
いのりとあずさ、そして二年から転入してきた楓は、当たり前のように並んで昼食をとっていた。
「そういえば、二人が部活動してるところって、まだ見たことないけど……何かやってるの?」
箸を動かしながら、楓が切り出す。
「え、部活?」
いのりが首をかしげる。
「うん。担任に“帰宅部よりは何かやってたほうが内部進学に有利”って言われてさ。獣医学部目指すなら生物部とかもいいのかなって」
「あー、なるほどね」
と、あずさが笑う。
「でも、うちらはちょっと違うよ」
「何部なの?」
「“言論部”」
いのりがあっさり答える。
「……言論部?」
楓が眉をひそめる。
「説明するより、見たほうが早いよ」
あずさがトレーを片付けながら立ち上がった。
「うちらの部室、放課後見に来てみる?」
楓は少し考え、そして頷いた。
──放課後。
旧棟の奥、図書室のさらに先にある薄暗い廊下の突き当たり。
そこが「古典準備室」であり、言論部の部室だった。
ドアを開けた瞬間、まぶしいリングライトとカメラが目に飛び込んでくる。
「――さぁ今日の古典講義は“記録媒体”だよ〜ん。まずは『円盤』。直径12センチ前後の円形で、光を反射して情報を記録していたらしいね〜ん。なぜ円形だったのか? 研究者の間では“宗教的な理由”説と“見た目がかっこよかったから”説に分かれてるよ〜ん」
部屋の中央に立つのは、和服姿で朗々と語る還暦過ぎの男性。
背丈は155センチほどで、いのりより少し高く、あずさより低い。
100キロを超える重量感のある肥満体、タプタプと揺れる顎の下で丸メガネが光る。
雛川シーサイド學院の古典担当であり、いのり達のクラス副担任・福地健一だ。
「で、これが“巨大四角記録媒体”こと『ビデオテープ』! 黒い長方形の中に帯が巻かれていて、映像と音声を記録してたんだって〜ん。欠点はね〜……『巻き戻す』っていう儀式をしなきゃいけなかったこと。早送りしすぎると帯がグチャ〜ってなって発狂案件〜!」
そう言いながら、机の上に置かれた黒いビデオテープをカメラに向けて掲げる。
額にはもう大粒の汗。
「さらに前文明後期には“白黒しか映らない媒体”なんてのもあったらしい。おそらく呪術的制限か、文明が色を失っていた時代だったと推測されてるよ〜ん。僕ちゃん的にはこういう古典資料は実用性ゼロ。でも浪漫はあるよね〜ん。だからこうやって動画にして残すのが僕ちゃんの使命! あ、これ今夜の動画タイトル“デカ四角と円盤の謎”で行きます――」
そこで福地は、横の机からペットボトルの炭酸飲料をつかみ、一気飲み。
ゴクゴク……と喉を鳴らした次の瞬間――
「カハッ!……ゲホゲホッ!! ぐぇぇっ! ウエッ……ッぶはぁ!!」
炭酸が喉の奥で炸裂し、顔を真っ赤にしてむせ返る。
リングライトの光が、涙目と汗まみれの顔をより鮮明に映し出していた。
「…先生おひさ!…それ動画に残す気満々でしょ!」
いのりが即ツッコミを入れ、あずさは腹を抱えて笑い転げる。
楓は一歩下がった位置からその一部始終を見ていた。
理解が追いつくより先に、じわじわと笑いがこみ上げる。
「おやおや~。ふたり揃ったの久しぶりだね。僕ちゃん新学期になってはじめてよん?」
「出た!僕ちゃん口調!」
「最近、私もいろいろ忙しかったら(笑)」
いのりは自治会長に就任して忙しくなり、部室へ来たのも久しぶりだった。
いのりとあずさの存在に気づくも、一度回り始めたカメラを止めることなく福地先生は解説を続ける。
「ではでは、これら記録媒体の世界を経て、後に『チー牛』と呼ばれる人種が誕生します。当時の若者階層の一部を象徴する語であり、彼らは安価な丼料理を嗜みつつも、高度な娯楽文化に親しんでいた…らしいよ〜ん。はい、ここ試験に出ます。僕ちゃん的にはね〜」
楓は、大爆笑するいのりとあずさの横で唖然としていた。
(なに言ってんのこの人…)
「チー牛に好まれたのが『ツンデレ』や『チョロイン』ですね。当時の物語における古典的ヒロイン像。恋愛成就が早すぎる女の子を指すらしいよ〜ん。当時の娯楽記録ではツンデレよりも“チョロインこそ正義”という価値観が根強くあったみたいだね〜」
ここで福地先生、ペットボトルの炭酸飲料を一気飲み――
「……カハッ! ゲホゲホッ! うぇっ! ぷはーっ! 死ぬかと思った!」
大きなゲップをして、メガネが一瞬で真っ白に曇る。
そのまま慣れた手つきでハンカチを取り出し、レンズをふきながらまた喋り出す。
「そして『闇鍋配信』。匿名で集まり、雑多な話題や映像を混ぜ合わせて垂れ流す儀式。旧文明のアニメを集団でチー牛が視聴していたらしいよ〜ん。当時には政治や文化を揶揄するものもあって、前文明の人々の情報伝達のカオスさを物語ってるねぇ」
腹を抱えて笑ういのりとあずさ。
楓はきょとんとして二人を見ていた。
福地が突然カップ麺をズズッとすすり、
「この出汁の深み、なんJ民も絶対ハマるよ〜ん」
その瞬間、楓は盛大に吹き出してしまった。
「ぷっ……なにそれ、面白すぎ…!」
「おやおや〜、新顔ちゃんもウケたね。僕ちゃん、古典教師の福地だよ〜ん。いのりんとあずりんたちの副担任で〜す。よろしくね☆」
タプタプと顎を揺らしながらにやりと笑う福地。
「福地先生、特進では授業を受けもってないですよね」
楓が首をかしげる。
「そうそう、特進の子はみんな僕ちゃんより優秀だからね〜。ほかの先生任せよん♪」
「でも古典の先生なら、学問の専門家じゃ…?」
「僕ちゃん、学問の前に古典の興味なんてゼロで~す。ただなんとなく入った文学部で教員免許取れそうだったから取っただけ」
楓は呆れながらも笑ってしまう。
(自分で言うんだ…)
「そもそも古典なんて現代じゃ使わないし、正直いらん科目だよねん。ネット用語でも学んだ方がよっぽどマシ!でも文科省が“やれ”って言うから、仕方なく教科書読んでるだけ。だから真面目に古典の先生やってるフリ! 僕ちゃん今受験しても古典はボロボロよ〜」
「でも先生、真面目に一限目からいるの見たことないですけど」
いのりがニヤリ。
「そんなん当たり前よん。生徒より早く出勤しなきゃいけないとか無理無理の無理ぽ!僕ちゃんはバイト先生だから三限目からしか来ないの。時給だから間に合わない時は自習してもらって遅刻でOK! 君たちの担任は偉いよね〜、毎日毎日2時間もかけてよく満員電車通勤してるよ。郊外に建てたマイホームのローン払うのに必死なんだろうね。そこまでして出世したいもんなのかな。どうせ理事長より偉くなんてなれないのにさ。だから僕ちゃんはゆっくり新幹線で来ま~す」
「で、帰るのは?」
「放課後のチャイムが鳴ったら即帰宅!グンマーの上越高原駅近くのゴーストマンションで激安賃貸&温泉暮らしだよ〜ん。冬はスキー三昧、夏は涼しい沢登り。雪かきは管理人任せだから楽ちん。非常勤だから適当にやってればいいんだけど、副担任と顧問やれば新幹線代も出してくれるって理事長が言うから、私立高校の人手不足サイコー!公務員先生だったらこんな生活無理ぽ!」
「ちょっと…ゴーストマンションってリゾート開発失敗して廃墟化したタワマンでしょ?持ち主は管理費が高すぎて売るに売れなくて困ってるとか。家族旅行でお父さんに見せてもらったことあるけど、あんなところに住んでる人いるの!?」
楓は笑いを通り越して涙が出そうだった。
「僕ちゃんは売るに売れなくなって困ってる大家さんに激安家賃で住ませて貰ってるよん」
予想外の回答の続出に楓が話題を変える。
「ちなみに今何してたんですか?」
楓がカメラを見つめながら聞く。
「これは僕ちゃんの副業だよん。放課後のチャイムなるまで空いた時間の暇つぶし。ちなみにこのカメラね、“授業の予行演習”って名目で回してるの。ちゃんと仕事してる感出してるから理事長は何も言わない。でも本当は受験生の古典対策チャンネルの動画を撮影して小遣い稼ぎ。GOTUBE登録者一万人超え〜。やっぱタイムイズマネーよね。うまく時間を使わなきゃ」
あずさが笑いながら補足する。
「ちなみに古典だけじゃなくて、時事ネタに脱線したり、飯テロしたり、社会問題ぶっちゃけたり。コメント拾いながら暴走してくから」
「授業じゃ女子にキモがられてるし」
いのりが笑いながらツッコむと、
「そりゃそうよ〜ん。僕ちゃん未成年の女子達に変に好かれてハニートラップとか巻き込まれたくないもん。安全第一!」
楓は
「この先生、最高にヤバい…でも面白すぎる」
と内心で呟く。
「どう?楓。言論部、顧問からして狂ってるでしょ」
「…そうだね。…まあ、この二人がいるなら入ってみてもいいかな」
「やった!」
いのりとあずさがハイタッチ。
「よーし、次は“新入部員歓迎スペシャル”撮るぞ〜!」
「ちょっ、やめてください!」
楓の声が古典準備室に響いた。
「ヘーキヘーキ! ちゃんと編集してカットするから!」
「そういうことじゃなーい!」
今までにない出来事に焦りつつも、真っ赤になる楓。
カメラを止めた福地先生は、ポットから湯呑みに温かい緑茶を注ぎ、一口すすった。
「さて、新顔ちゃんも来たし、言論部の説明でもしようかね〜」
「活動って、何するんですか?」
楓が首をかしげる。
「基本は僕ちゃんの撮影アシスタントだよ。生配信中に横でツッコミ入れたり、コメント拾ったり。さっきみたいに二人の笑い声が入ると、海外のホームドラマみたいで、大して面白くないネタも面白く見えるよん」
「部活っていうか、配信部じゃん」
楓が半笑い。
「アシスタントは冗談だよ、冗談!」
あずさが笑いながら口を挟む。
「でもね、言論部って文芸部の上位互換なの。古典も現代文もOK、動画配信で好きなことしゃべってもOK。歴史研究、小説執筆、学校新聞作りもアリ。この学校に新聞部なんてないしね。しかも準備室には古典だけじゃなくて雛川地域の歴史資料もあるから、文化祭で展示や冊子も作れる。やってもやらなくてもOKな自由部活。それが言論部!」
「もう新聞部でいいじゃん!」
楓が思わず突っ込む。
「文芸部も、趣味全振りのチラシ作ったりして新聞部ごっこしてるけどね。『今期おもしろいアニメランキング』とか『カッコいい男性キャラランキング』とか」
あずさが笑う。
「ラノベ好きやBL、百合作品を書きたい子は文芸部に集まるから意外と人気なのよ。でも文芸部は図書室で静かにしなきゃいけない。こっちは古典準備室で、動画配信OKの雑談し放題。ちょっとさびれてるけど専用部室だから気楽だし、アニメの生徒会室みたいで青春でしょ」
「確かに…放課後の図書室に行くと、BL好きの文芸部女子がひっそり盛り上がってるの見るよね」楓が頷く。
「文芸部はお行儀が良すぎるのよ〜。大人しく小説読んだり書いたりするだけじゃん?でも僕ちゃん的には、もっと好き勝手やるほうが面白いと思うの」
「へぇ…」
楓は感心したように部屋を見回した。
「でも言論部がやる気出しすぎると、顧問の僕ちゃんが大変だからほどほどにね〜。週1くらいの活動でよろしくちゃん!」
そう言って福地先生はニヤッと笑い、楓を指差す。
「で、新入りの君、名前は?」
「皆本楓です」
「おー、かえでちゃん。じゃあ今日から“かえりん”で〜す!」
「かえりん!?」
楓が素っ頓狂な声を上げ、いのりとあずさは机を叩いて笑った。
「いいじゃん、かえりん! 新入部員歓迎スペシャルのタイトル、決まりだね!」
いのりがにやり。
「えぇぇ…!」
楓の抗議もむなしく、福地はもう次のカメラ設定を始めていた。
こうして言論部は、新しいメンバーを迎えて新年度をスタートさせた。
その夜。
帰宅した楓は、ふと気になって「GOTUBE 福地」と動画検索をした。
画面に並んだサムネイルには——
「黒電話で一晩中恋バナ! 通話料が国を滅ぼした説」
「深夜アニメ視聴のために命を削った若者たち」
「恋文はFAXで送るべし――紙詰まりに泣いた女たち」
「ビデオレンタル遅延日記――延滞金と愛の行方」
登録者数は一万二千人。
最新動画の再生数は十万回を超え、コメント欄はほとんどが笑いの絵文字で埋まっている。
どれも“古典”と呼ぶにはあまりにも俗っぽく、しかし時代の匂いが濃厚なタイトルばかりだ。
ふくよかな肉体と満面の笑みを切り抜いた画像に、安っぽいフォントのテロップ。
なのに、なぜか目を離せない妙な引力がある。
——なんだろう、この人、やっぱりただの変人じゃない。
楓は、部室で感じた違和感と笑いのツボがじわじわ蘇ってくるのを覚えた。
古典は大昔から、乙女の恋心や片思いの気持ちを歌うものが多い。
旧文明も、結局そこは変わらないんだな。
楓は何気なく、ひとつの動画をタップした。
「はいはい次の古典資料はこれ、“困ってしまうんだが文学”〜!」
と、ハイテンションの福地が動画で躍動する。
タイトルには【大昔の古典文学も、当時はただのラノベ!】と書かれていた。
「当時はまだ“ラノベ”って言葉なかったけど、源氏物語なんて完全に“なろう小説”の平安版〜ん!主人公はイケメンで超モテモテ、ヒロインズはわんさか出てきて、ラブコメもハーレムも全部詰め込み!で、手紙のやりとりが当時のコメント欄〜ん。『既読スルー』で相手の気持ち測るの、今と変わんないよねぇ」
福地先生が画面いっぱいにサムネを表示する。
《オレは女の子が好き過ぎて困ってしまうんだが》
「旧文明時代、西暦2010年代に生まれた“タイトル芸ラノベ”の代表作だよ〜ん。主人公は大学生で、金と女の子が湧いて出て“困ってしまうんだが”を連呼するスタイル! お人好し系主人公に、ブラコン姉、幼馴染、さらには不動産業の魔法少女まで参戦してくるという、混沌の極み。これぞ旧文明ラブコメの縮図〜!」
カメラに寄りながら、先生はタプタプを揺らして得意げに語る。
「でね、この“困ってしまうんだが”っていう言い回し。旧文明ではめちゃくちゃ流行ってて、どんなイベントでも『困ってしまうんだが』を付け足せばタイトルっぽくなったの。これは古典文法でいう“係り結び”の現代変種みたいなもん! 実に浪漫〜ん!」
「……先生、それ完全に悪ノリでしょ!」
画面の中で姿の見えない風張いのりが吹き出し、七條あずさも机を叩いて笑う。
「……え、こんなのまで古典扱いされてるの?」
楓はスマホの画面をのぞき込みながら、思わず呟いた。
「……『説明するより見たほうが早い』って。こういうことか」
画面の向こうで
「僕ちゃん福地で〜す!」
と顎を揺らす福地。
数分後——机に突っ伏し、涙を流して笑いながら、楓はそっとチャンネル登録ボタンを押していた。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。
言論部の騒がしい物語、楽しんでいただけたでしょうか。
今回のお話の中で取り上げた 『オレは女の子が好き過ぎて困ってしまうんだが』 というラノベ。
実は、私が十一年半前に「小説家になろう」で完結させた別作品なんです。
今読み返すと、若さゆえの勢いや拙さもありつつ、当時の空気をそのまま閉じ込めたような作品になっています。
もし興味を持ってくださった方がいれば、ぜひ読んでみてくださいね。