第46話『グンマー・スプリングクラシック決勝戦』
今回の舞台はグンマーオートレース場。
かつて九潮団地でもオートレース場の建設が計画されながら頓挫した、夢のプロジェクトでもあります。
オヤジたちがロマンを追いかけ、ビシ九郎が“風”を読む――。
爆音と熱気に包まれる一日を、ぜひお楽しみください。
平日午前。
団地の朝は、いつもより少しだけ静かだった。
学生たちの声が遠ざかり、風張いのりもまた、女子高生として制服を纏いバスに乗って団地の坂を下っていった。
そのバスを見送りながら、皆本慎太の車の中で、大矢相談役が缶コーヒーのプルタブを「プシュッ」と鳴らす。
「……子供たちは、今日も学校だのう」
「春休みも終わったからな。ここからが本番やで」
助手席で足を伸ばしていた皆本が軽く言った。
すると、後部座席で――突如。
「キタキター!!今日はワイのターンやぁああああ!!!」
ビシ九郎が仁王立ちしながら天井に頭ぶつけた。
「今日こそワイが勝つ日や!!風が!風が来とるぅぅぅぅ!!!」
「お前まず座れ。そしてシートベルトをしろ!物理的に迷惑やねん。切符切られたら守ってきたゴールド免許が終わるやんか」
「聞けや、皆本!!今日はな、春の“グンマース・プリングクラシック決勝戦”や!!
伝説の爆音ナイターやぞ!?ワイはそこに魂を賭けるんや!!」
「前回のパチンコ遠征も、3人そろって勝ったからな。でも開店前の駐車場でアイス落としたのはお前やけど」
「それもロマンや!落とした瞬間に“負けの流れ”も落としたんや!!」
「健康ランドもスイーツビュッフェも候補じゃったけど、結局行き先は“耳破壊型エンタメ”だのう。男なら黙ってオートレースじゃ!」
「ワイはメスやけどな」
「お前、“性別:ハクビシン”やから別枠やねん」
「よし、いくぞ!!団地の希望!!いざ、グンマーに散る!!!」
車は軽やかに団地を出た。
その車内、話は過去の“もしも”に飛ぶ。
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「昔はのう……この九潮に、オートレース場を作ろうという話があったんじゃ」
車内から遠ざかる団地を見送り、大矢相談役がゆっくりと口を開く。
「え、マジかいな!?初耳やでそれ」
「ほんとうじゃ。“黒い雨事件”が起きるまでは、な」
「なんやその中二病みたいなネーミング……」
「ところがどっこい、本物の事件じゃ。オートレーサーが八百長で逮捕。都議会議員も不正賭博と贈収賄で芋づる式にしょっぴかれてのう。そのあおりで、九潮へのオートレース場誘致も全部ご破算。利権まみれの夢は、雨と一緒に流されたんじゃ」
「ワイも知っとるで。裏金もんの怪文書回ったタイミングで、スケベな議員が美人局にペラッペラに喋って全部バレたんや。典型的なライバル政党からのハニートラップにまんまと引っかかってな。現職のくせにヘマやらかしてアホちゃうかほんまと思ったわ。」
「夢の話は真っ黒で、根っこは腐っとった。……じゃがのう」
大矢が少し、間を置く。
「ワシは……楽しみだったんじゃよ。団地から歩いて行けるナイター。ほんとうに、夢のような話だった」
「ワイも楽しみやったで。やっとることは真っ黒やったけど、真っ白なキャンバスのように夢が広がっとったな。」
「駅できとったら、“九潮ダービー”とか言うてたかもしれへんな」
「分譲価格も跳ね上がって団地ごと別モンじゃったろう。“レース場のある街・九潮”ってな……」
「現実はこんなもんかもしれんな。」
「……まあ、ワシらがこうしてグンマーへ向かっとるのも、巡り合わせかもしれんのう。けれど、それもまたよい。今日は“夢を見に行く日”じゃからのう」
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サービスエリア到着。
3人、胃袋開戦。
「このソフトクリームなんやねん!?吸った瞬間、舌の上で消えたで!なにこれ、液体のフリした気体なん!?」
「“上州ミルク”やぞ。牛が気合いで乳搾りしとるやつや」
「この舞茸天ぷら、出汁と油で魂が煮込まれとる……うまい……が、2枚目で胃袋が悲鳴あげてきたぞ……!」
「ワイの煮込みおっ切り込みうどん、関節まで緩んできおったわ……これ、出汁というより煮物の呪いや……」
「唐揚げ丼、ソース甘すぎて口の中に小学校の思い出流れてきた。給食のタレの味や…さすが上州の甘ダレやな…」
食後、サービスエリアの喫煙スペースへ。
冷たい風。
コンクリの匂い。
タバコの煙。
「この灰皿、団地の階段下と同じ匂いする……」
「風が懐かしさ運んでくるな……タールごと……」
「ニコチンが語りかけてくる。“お前ら、まだ夢見てええんやで”って」
「これも紙巻きのパンチ力じゃ!電子じゃ味わえん空気も吸っとるんじゃ」
大矢相談役が食後のタバコに生きてる喜びを噛みしめながら涙を浮かべる。
「喫煙所で泣く団地民、おるんか」
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日が落ち始め、グンマーオートレース場に到着。
照明、爆音、屋台のソースの匂い。
すべてが非日常。
「これ……団地にあったら、マジで駅できとったやろな」
「そうじゃ……この空気、ほんとうなら九潮に届いとったはずなんじゃ」
「黒い雨事件さえなければやな……」
「現実はそんなもんやで。甘くない」
スタンドに陣取り、モツ煮をかきこむ3人。
帰りの運転は皆本しかできないから酒はNG。
飲んだら最後、無免許ハクビシンか高齢ドライバー大矢の高速運転の未来しかない。
そのとき――
「……あかん、来とる……また来とる……!」
空を見上げてビシ九郎が硬直。
「またか、波動か?」
「せや。“予知”やない。“波”や。地縛霊がざわついとる。今日は大荒れや。レースが……“裏”に転ぶ。絶対や!!」
「で、どこ突っ込む気や」
「6-2-5やな。ワイの内臓がぐるぐる回っとる。今日はこいつらや……!」
「は!?いやいやいや、それは大穴中の大穴やろ!?人気選手全員圏外やぞ!!」
「せやからや!これがあるからオートレースはやめられんのやで!!!」
ビシ九郎は迷いなく券売機に向かう。
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レース本番。
爆音。
閃光。
実況の絶叫。
客席が揺れる。
紙くずが飛ぶ。
「おいおい……6番トップやんけ……!」
「2番!?まさかのインから差してきた!!」
「5番!?いやいやいやいや、マジで来とるぞこれ!!!」
スタンドが震える。狂気の歓声のなか、マシンがゴールへ。
「6−2−5やああああああ!!!!」
――ビシ九郎、的中。
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「…ホンマに…当たったンゴ…」
レシートを握りしめ、無言で戻るビシ九郎。
「は……マジで?」
「三連単。6−2−5。10万倍や……!!」
「は?お前……団地、買えるぞ!?」
「いや、買えん……ワイ、区長から小遣いもらってるからな。実質的に生活保護受けとるのと同じや…。…当たったら区に都度申告、納税。必要以上に貯め込んだら返還義務。残る金、雀の涙や……!!」
「お前の勝ち、夢と現実のサンドイッチかよ!!」
「でもな……今だけは、言わせてくれ」
ビシ九郎が天を見上げる。
「ワイ、今日、“風”を読んだメスや……!」
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場内、レースの余韻がまだ残っていた。
券売機ロビー。
皆本慎太が缶コーヒー片手に大矢相談役とビシ九郎とシメの一服をしていた。
すると喫煙所の自販機の前で立っていたとき、突然、声がかかった。
「えっ、皆本さん!?え、マジ!?本物!!」
「世界戦の守備、今でもうちの部で教材にしとるんすよ!あの1点を防いだから日本の世界一があるんです!」
「おれ、柔道部だったけど、あの片手キャッチ見て野球部入ったんだよ!!」
皆本は、帽子を少しだけ下げて、笑う。
「……ありがとな。ほんま、びっくりやけど、覚えててくれて嬉しいで」
「サインください!!え、何に書いてもらえば……!!」
「なんでもええよ。心に残ったら、それで十分や」
ファンに囲まれ、次々にサインを書く皆本。
その筆は軽くない。ひとつひとつ、丁寧に、相手の目を見て渡していく。
大矢が、それを少し後ろから見つめてつぶやく。
「……人との縁が、未来をつくるんじゃな」
「せやで。OBになって、偉そうにサインひとつ書かんような年寄りにゃ、なっちゃならんからな。」
「大の大人でも憧れのスーパースターの前には無邪気な子供になるんやな。子供も大人も分け隔てなく接してる皆本、ワイは好きやで」
「当然や。声かけてもらえることが、どれだけありがたいか……それを忘れたら、もうプロとして終わりや。俺たちが飯を食えたのも現役から応援し続けてくれるファンがいるからやで。」
皆本はその背中で、しっかりとそれを語っていた。
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夜。
帰りの車内。
ラジオも切って、車内は静かだった。
街灯が流れるなか、大矢相談役がぽつりと口を開く。
「…そいえば…風張会長、頑張っとるな」
それとなく言った言葉に、皆本がゆっくりと頷いた。
「ウチの娘がな、いのりのこと、“初めて大事な友達”って言うたんや」
皆本の声が、少し揺れる。
「……あいつ、人と距離詰めんの、苦手な子やったんよ。でもな、いのりのことだけは、なんかちゃうかった。“あの子は……ちゃんと見てくれる”って言うとったな」
トンネルの中でオレンジ色の照明が慎太の顔を照らす。
「だから俺も言うたんや。彼女のこと“裏切るなよ”って」
「ほう」
大矢が相槌を打つ。
「いのりはな、口で語るタイプやない。……行動で責任を示す子や。誰かに見られてなくても、自分の役割を投げ出さん。そういう子はな、信頼できる。どこまでも、や」
「……そうじゃな。あの子は、筋を通す。若いのに、大したもんじゃよ…」
少し間を置き、大矢はふっと笑った。
「先日も一人で責任を背負い込んで、役員に“会長の命令だから従え”と言っとった。そこまでの覚悟見せられたら、ワシだって何も言えんのう」
皆、静かにうなずいた。
外には、団地の灯が遠くに見えていた。
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一方、九潮団地。
団地集会所の明かりはまだ灯っていた。
風張いのりは、ひとりで書類の山と格闘していた。
ホチキス。
メモ。
PCの明かり。
すると遠くで、どこかかすかに、音がした。
爆音の残響。
モツ煮の匂い。
誰かの声。
歓声。
祈り。
誇り。
いいや、それは……音ではなかったのかもしれない。
「信頼」――
その重さだけが、机の上に、静かに降りていた。
いのりは、手を止めずに書類をめくる。
その横顔には、疲れと、少しだけ……微笑みの気配があった。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
今回の「グンマースプリングクラシック決勝戦」は、団地の男たちが夢を追い、同時にそれぞれの想いを語る回でした。
信頼、夢、そして日常の延長にある非日常。
団地で暮らす人々の姿を描きながら、少しでも読んでくださる皆さんの心に残るものがあれば幸いです。
次回もよろしくお願いします!