第45話『会長の命令』
新年度最初の役員会。
集会所に集まる大人たちの前で、風張いのりは会長としての覚悟を示します。
押し付けられた立場ではなく、自らが「引き受けた」と言い切る姿。
責任とは何か。言葉に重さを持つとはどういうことか。
その問いに、16歳の少女が真正面から挑みます。
4月中旬、金曜の夜。
団地の集会所に白い蛍光灯がぼんやりと灯っていた。
新年度最初の役員会。
パイプ椅子と長机が並ぶ空間。
会議というには少し緩く、宴会前というには少し重い。
その一番奥、ホワイトボード前の席に小さな制服姿が座っていた。
──風張いのり、117号棟・119号棟自治会長。
高校二年生。
彼女の前には、団地の“おとなたち”が並ぶ。
壁のモニターには、副会長の哲人の美少女アバターが無言で映っている。
「では、集金の件について。藤井さん、報告を」
そう促され、会計係のひとり、藤井が立ち上がる。
「えっと……何件か、住民さんから“1年分まとめて払いたい”と言われまして…毎月支払いをお願いしたのですが、どうしてもと言われ…現金を受け取りました。断れなかったんです……正直、困ってます」
「え?まとめて払ってくれたほうが楽なんじゃないの?」
「今どき毎月なんてナンセンスでしょ?」
「藤井さんが真面目すぎるんじゃない?」
「封筒分けときゃいいじゃん、ねえ」
「うちはもうずっとそうしてきたよ?文句言われたの初めてだわ」
藤井が困ったように視線を落とす。
そのとき──
「……それ、おかしいです!」
いのりの声が、集会所に響いた。
「“まとめて払うほうが親切”って、勝手に決めないでください!」
藤井が驚いたように、いのりを見る。
「会計さんは、そのお金を月ごとに分けて、帳簿に記録して、責任をもって管理してるんです!もし落としたら?盗られたら?火事で焼けたら?“封筒分けとけば”って、それ、会計さんの“個人管理”ですよ?問題が起きたとき、誰が責任取るんですか?」
ざわ……と小さく騒ぎが広がる。
「いや、うちの会ではそこまで細かくやってないけどね?」
「じゃあ逆に聞くけど、そこまで厳密にやってるとこなんてあるの?」
「細かく言いすぎて、誰も役員やりたがらなくなったらどうすんの?」
「生徒会じゃあるまいし、これは“町内の自治”でしょ?」
その瞬間、いのりの目が光った。
「──生徒会でも、ちゃんとやってました!帳簿は毎月提出、予算は会議で承認を取って、支出には必ず記録!“子どもだからちゃんとしてる”。“大人だから適当でいい”なんて、そんなのおかしいです!」
他役員が黙る。
「……なんで“大人の世界”になると、“ルールより楽さ”が勝つんですか?そもそも役員の人すら、集金の毎月払いルールを破って、無理やり会計係にまとめて支払いをしているなら有り得ない話です。」
会議室の空気が重くなる。
誰かがため息をつき、誰かが睨む。
それでも──いのりは立っていた。
「…私…中学生のとき、学級委員長にされました。学校を休んでた日、勝手に決まってたんです。そのとき、担任の先生に言われました。“あなたがリーダーなの。だから副委員長や書記も動かしなさい”って。“お願い”じゃなくて、“やらせなさい”って──それが委員長の役目だって」
いのりが一呼吸置く。
「……その言葉、今でも納得してます!だから、今──私は“やらせる側”になります!」
「おいおい、なんで急にムキになってんの?」
「そんな昔の話、ここでされても困るんだけど」
「団地は学校じゃないの。もっと現実見なさいよ」
「会長だって、押し付けられたようなもんでしょ?」
「やらされたってだけでしょ?」
いのりは一瞬、言葉を失った。そう──実際、この自治会長も、自分がいない場所で勝手に決まっていた。
けれど、今のいのりは、もうあのときの風張いのりじゃない。
「……“押し付けられた”のは、同じです。でも──“受け取った”のは、私です!私は、“会長を引き受けた”んです!」
その瞬間、ある役員が茶々を入れた。
「まあ、会計の仕事なんて、ちょっと要領よくやれば済む話だよ。そんなに神経質になること?…正直、藤井さんが過剰なんじゃない?…俺なら、もっと上手くできるけどなあ」
いのりが一歩、前へ出た。
「……あなた。いま、“できる”って言いましたよね?じゃあ──“責任”持って、やってください」
「えっ?いやいや、ちょっとそれは……言葉のアヤっていうか」
「藤井さん、帳簿と通帳、その方に引き渡してください」
「いや本気じゃなくて……」
プルプルと震える指先。
食いしばった歯。
真っ赤な目。
それでも、いのりははっきり言った。
「……これは、会長からの命令です!!“できる”って言った以上、引き受けてください!言葉に責任を持ってください!それができないなら──“できる”なんて、言わないでください!」
空気が止まる。
役員は押し黙り──敗北を、悟った。
「……あの……すみませんでした……」
いのりは、涙を拭いながらも静かに答える。
「謝る相手、私じゃありませんよね。“できる”って一言で、藤井さんを追い詰めたんです」
役員は黙り込む。
「藤井さん。あなたにはこれから、別の大事な仕事をしてもらいます。これまで通り、会計のアドバイザーとして、助成金の運用やお金の管理を、私を補佐する立場で支えてください」
その時だった。
「もういいよ。やめやめ!酒飲もうぜ。自治会費、余ってんだろ?」
「そうだな。個人の酒屋で“飲料代として”って手書きの領収書を切ってもらえば平気だよ」
いのりは、そんな声も断ち切る。
「──ダメです!!」
「はぁ?そんなの前からやってたろ!」
「自治会費で酒を買うのは禁止です!!“昔からやってた”からって、それが正しいとは限らない!私が認めません!!」
「ふざけんな!何の権限があるんだ!」
「これは団地全体のお金です!ルール違反を“伝統”にする気はありません!友達とお金の貸し借りをして仲が拗れることもあるんです。だから、みんなから集めたお金を不誠実なことに使ってはいけません!」
いのりは真っ赤になって、プルプルしながら一呼吸置いて言い放った。
「私に会長を任せた以上、役員は私に従ってください!私がルールなんです!!」
そのとき、ふっと思い出す。
──皆本慎太が言っていた言葉。
『誠意ってのは、言葉じゃなくて──“行動”で見せるもんや』
あのとき、心に火が灯った。
いま、それをこの場所で証明する。
静寂の中で、相談役・大矢が立ち上がる。
「……会長の言う通りじゃ。会長を選んだのは、ワシらじゃ。ならば、その会長の指示に従うのが筋じゃろ」
今度は、誰も口を開かなかった。
──会議が終わったあと。
全員が帰った集会所。
椅子を片付けたまま、ぼんやりと佇むいのり。
目は真っ赤で、頬には涙のあと。
そのとき──
「……会長」
モニター越しに、哲人のアバターが話しかけてきた。
「本当に……おつかれさまでした。すごく、頼もしかったです」
「…副会長のバカ…なんで来てくれないのよ。……ほんとに……あたし、怖かったんだからね……!」
声が震えていた。
もう誰もいないのに、涙があふれてきた。
「すみません。……大人数、苦手なので…。でも……ちゃんと見てました。最初から最後まで。あなたは、立派な会長でした」
いのりは涙をぬぐいながら、小さく笑った。
「……ありがと。がんばって──よかった」
アバターが揺れる。
「でも、今度からちゃんと現地に来て。会長命令なんだから…!」
「…わかりました。…善処します。」
「……だめっ。絶対来てもらうんだから!約束だからね!……もう!」
副会長の美少女アバターは無表情だが、どこか笑っているような感じがした。
──その後。
集会所外に置かれた灰皿の前でチューハイを飲むビシ九郎が、ぽつりと呟く。
「……いのすけ、小さな背中で、でっかいもん背負っとったな。」
「そうじゃのう。泣きながらも、“命令”だって言い切りよった。かなわん……」
「時代と文明が変わったんやで」
タバコの煙をゆっくりと吸いこむ大矢相談役が静かにうなずく。
「うむ。風張会長……想像以上にしっかりしとる。ワシら老害は、若者に道を譲る運命なんじゃろ」
「あんな小さな背中を震わせながら、私を守ってくれて…感動しました。」
藤井もタバコの灰を見つめながら思い出す。
「ワシらの方が、“会長とは何か”を忘れとったかもしれんのぅ」
──そうして、この団地に一つの声が刻まれた。
「……これは、‘会長の命令’です!」
小さく震えたその声が、今夜、確かに空気を変えた。
──翌朝。
団地の空気は少し冷たく、静かな春の陽が玄関のタイルを照らしていた。
風張いのりは部屋着のままポストを見ようと扉を開け──そこで、立ち止まった。
「……藤井さん?」
玄関前に、紙袋を抱えた40代くらいの女性。
藤井が立っていた。
朝の光を浴びて、少し照れたように笑っていた。
「おはようございます。……昨日のことで、少しお話を」
いのりはきょとんと目を見開きながら、
「はい」
と頷く。
藤井は紙袋を差し出す。
「お礼です。助けていただいたから」
「そんな……私、助けたわけじゃ──」
「助けられましたよ、私は。“会長の命令”で、救われました」
いのりが袋の中を覗くと、そこには手作りのクッキーと、一枚の手書きのメッセージカードが入っていた。
> 『責任を怖がっていた私に、“怒って”くれてありがとう。
涙をこらえながら、私を守ってくれてありがとう。
あなたが会長で、本当によかった。』
いのりの胸に、小さな火が灯る。
もう泣かないって決めてたのに。
…朝からまた涙が溢れてしまった。
「……会長だからって…、違います。…ただ立ってただけなんです…」
「でも、それが私には眩しかったんです」
藤井は深く頭を下げて、踵を返した。
いのりはその背中を見送りながら、小さく息を吸った。
眠い目をゴシゴシと拭っていることにしておく。
「……がんばろ」
──その頃、集会所。
静かな朝の集会所に、一人の影が入ってきた。
尾花哲人。
カーディガンを羽織った私服姿。
扉を開けると、奥でテレビの前に丸くなって眠るビシ九郎の姿が目に入った。
「……まだ寝てるのか」
そう呟くと、足音を殺して壁際へ向かう。
破損した壁面と、崩れた床の隙間。
むき出しの金属基礎。そこに焦げ跡のついたプレートの破片があった。
哲人はスマートフォンを取り出し、スキャンモードを起動。
プレートにかざすと、画面に識別コードの断片が浮かぶ。
「D-6……初期型……やっぱり」
イヤホンを挿し、短く連絡を入れる。
「現地到着。構造体、D系列と一致。場所は団地集会所。117号棟119号棟区画です。」
「映像、転送中。気づかれた様子はありません」
「……はい。静かに調査を続けます」
通話を切り、床下の構造体をじっと見下ろす。
「…まさか…こんなところに、“九紅のゆりかご”が残ってるとはね」
その声は誰にも届かない。
集会所にはただ、寝息と、乾いた風の音だけが漂っていた。
──同じ時間。
ビシ九郎は、うなされたように寝返りを打っていた。
畳の上。
酒の缶が転がり、電源の切れかけたテレビがちらついていた。
夢を見ていた。
白い光の中──
白衣の少女が、遠くに立っている。
振り返らず、ただ背中越しに声を投げる。
『……ビシ九郎……ごめんね……』
その声だけが、やけに鮮明に響いた。
「……サオリ……?」
寝言のように呟いて、彼女は目を覚ました。
額には汗。心臓がまだ速く動いている。
「…なんや…またかいな……」
目をこすりながら、ただ天井を見つめた。
あの夢が何を意味するのか──自分でも、もうわからない。
──いつものどおりの朝。
団地はいつもと同じ顔で、住人たちを包んでいた。
けれどその裏側で、いのりは感謝を受け取り、哲人は何かを目撃し、ビシ九郎は過去の声に目を覚まされた。
見えないところで、何かが確かに動いていた。
「九紅のゆりかご」
哲人が口にした言葉の意味を知る者は、まだ少ない。
けれどその響きは、団地という日常の中に確かに刻まれた。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
今回は、いのりが会長としての責任を強く意識する場面でした。
彼女はまだ高校二年生でありながら、役目を背負う意味を自分なりに考え、声に出しました。
会長としての覚悟、そして責任の重さ。
一つの節目として、この場面を描けたことを大切に思います。
そして物語はさらに進み、集会所の奥に隠された謎が少しずつ明らかになっていきます。
「九紅のゆりかご」とは何なのか。
続きもぜひ楽しみにしていただければ嬉しいです。