第42話『誠意は言葉じゃなくて行動』
今回のお話は、ちょっと身近な「花壇」のお話です。
きれいな花を植えること自体は素敵なことなのに、公共の敷地や管理地になると、手続きや責任がついて回るんですよね。
一見小さなやり取りのようでいて、実は自治会長にとっては大切な判断の積み重ね。
いのりがどう受け止めて、どう動くのかを見守っていただければ嬉しいです。
午後四時すぎ。
学校から帰宅した風張いのりは、制服のまま団地の階段をのぼろうとしていた。
「あ、会長さん、今ちょっといいですか?」
声をかけてきたのは、117号棟の住人だった。
手には、ホームセンターの袋。中には、色とりどりの花の苗。ビニール越しに、湿った土の匂いがしていた。
「これ、今日買ってきたんです。
駐輪場の花壇に植えようと思ってて。植える前に一応、会長さんに言っておこうかなと思って」
柔らかい言い方。
でも、その中には「植えることは決まっている」という空気があった。
いのりは立ち止まり、静かに言葉を返した。
「申し訳ありません。ここは東亰都の管理地なので、植えていいかどうかは都が判断することになります」
「え……?」
「ですので、私から“いいですよ”とは言えません」
「でも……前の会長さんは一緒に植えたりしてたって聞いたんですけど」
「そういう時代もあったのかもしれません。でも、今は違います。もし都から原状回復を求められた場合は、速やかに処分しなければいけません。その責任は、誰が取るんでしょうか」
住人は言葉に詰まり、苗の袋を見つめる。
「今日中に植えようと思ってたんです。……このままだと、苗がダメになっちゃって」
「……お気持ちはわかります。でも、許可がない以上、私は“良いですよ”とは言えません」
いのりは、語調を強めず、静かに線を引いた。
「どうするかは、ご自身の判断でお願いします。ただし、責任も含めて、自己判断で。自治会としては、ノータッチです」
女性はしばらく黙ったあと、何も言わずにその場を離れた。
──三十分後。
風張家のインターホンが鳴った。
ドアを開けると、さっきの女性が、今度はスマホを手に戻ってきていた。
「会長さん、さっきの件なんですけど……都に問い合わせたんです。それで、職員さんが公社の方に確認したら、申請すれば植えられる場合もあるって言われて」
スマホの画面には、緑化活動の申請ページが表示されていた。
「ただ、美化活動として申請するには、住民からじゃダメで…。…“管理者、つまり自治会長さんなどから申請してください”って言われました」
女性の表情に焦りと困惑がにじんでいた。
「わかりました。住民さんからの要請を受けたということで、正式に自治会として都に美化活動の申請をすることにしますね。許可が出ましたら改めてお知らせします。」
「……でも、もう今日中には間に合わないですよね。苗も……どうしようって思って」
「そうですね…この時間ですし。今日申請してもすぐにOKがもらえる可能性は低いかと」
少し俯いたまま、女性はつぶやいた。
「今回は、苗を処分します。勝手に進めようとしてすみません。ちゃんと確認してからにします」
いのりは言葉を返さなかった。
ただ、深く頭を下げた。
女性が去ったあと、玄関のドアを閉めた。
廊下に立ち尽くすいのりは、胸の奥に何かが残っているのを感じていた。
ふと、以前に言われた皆本慎太の言葉がよみがえる。
「俺の高校の後輩で、所属球団に‘誠意は言葉じゃなくて金額や’って言うたヤツがおる。つまり誠意ってのは、言葉じゃなくて、行動で見せるもんやっちゅーことやねん。口で“わかりました”って言うだけなら、誰でもできる。でも、それをちゃんとやるやつが、ホンマもんの信用を得るんや」
あの時、慎太さんは何気なく言っただけだったかもしれない。
でもいのりの中では、それ以来ずっと、自分を支える言葉になっていた。
今日、自分は誠意を持って安易に“いいですよ”とは言わなかった。
あえて、言わなかったのだ。
その結果、住人はちゃんと自分で調べて、理解して、やめるという判断をした。
あれが住人側にとっての「誠意」だったと思う。
そして、自分もまた、「許可が出たら申請する」ときちんと行動で応えた。
口先だけじゃない。
ちゃんと、動いた。
(……慎太さん。ちゃんと、あの言葉が、私の中で生きてます)
誰にも届かないような小さな誓いが、心の奥で静かに響いていた。
その夜、自室でいのりは資料を確認していた。
緑化活動や花壇整備の手続きについて、都のホームページにはこう書かれていた。
「敷地内の美化活動に関する申請は、原則として管理者(自治会等)から行ってください」
たしかに、前の会長は一緒に花を植えたりしていたらしい。
でも、ちゃんと許可を取っていたかどうかは、誰も知らない。
けれど、いのりにはわかる。
“今までそうだったから”
という理由でルールをゆがめたら、次の誰かがもっと困る。
もし住人の一人が自由に植物を植えて、それが都の管理に違反していたら。
原状回復を求められ、処分しなければならないのは、誰なのか。
誰が動いて、誰が頭を下げて、誰が責任を取るのか。
その費用を負担するのは誰か。
それは、大部分が自治会であり「会長」だ。
いのりは思う。
住人ひとりひとりが
「自分は関係ない」
と思っている。
でも本当は、一人一人がしっかり責任感を持って暮らさなければならない。
それを痛感するのは、いつも何かが“起きたあと”だ。
今回、住人は“ダメでした”で終わらせなかった。
自分で調べて、自分で電話して、制度を理解しようとした。
だからいのりも、住民が責任を持って申請を依頼してきたときはこう答えるつもりだ。
「それなら、自治会長として正式に動きます。ちゃんと責任を持って申請を出します」
公社や行政と付き合っている以上、各種の手続きは避けて通れない。
福祉の力を借りれば、できることはたくさんある。
けれど、それを飛ばして“善意”だけで突き進むと、あとで誰かが傷つくことになる。
だから、いのりは
「良いですよ」
とは言わない。
許可がないうちは、何も言わない。
その代わり、許可が下りたときは、堂々と
「やりましょう」
と言える自分でいたい。
そうして生まれた信頼が、ちゃんと積み重なっていくように。
今日も、いのりは静かに、責任のある判断を続けている。
お金を出せない高校生のいのりにとって、
「誠意は言葉じゃなくて行動」
なのだ。
いのりはお金を持たない高校生だからこそ、誠意を「行動」で示そうとしています。
慎太さんの言葉を胸に、曖昧にしないで線を引くこと。
それが結局は住民のためにもなるし、信頼につながるんだと気づける回でした。
住民の一人ひとりが「自分には関係ない」と思いがちな団地の暮らし。
でも実際には、誰かが責任を取らなきゃいけない場面が必ずあります。
そうした“現実”を、ラノベらしく、そして少しだけ優しく描きたかったのがこの第42話でした。
次回もいのりたちの日常を楽しんでいただけますように。