第40話『男のロマン』
今回は大人たちが出かける少し特別な回です。
巨大建造物の迫力と、そこに込められた思いを描いています。
ゆるい寄り道のようでいて、最後にはまた物語の軸を感じられるはず。
どうぞ肩の力を抜いて楽しんでいただければ幸いです。
都会的な高級セダンが上越自動車道を北上していた。
左に山々、右に谷間の集落。空は冬晴れで抜けるように青い。
またも皆本慎太・大矢相談役・美少女姿のビシ九郎という異色パーティが団地を超えて日帰りの旅をしていた。
これまでに数々の平日旅をしてきた三人。
今回も団地の女子高生自治会長・風張いのりが学校に行っている平日。
密かに計画された“中高年男2人とメスのハクビシンによるロマン”回である。
「またグンマー遠征か。こないだ温泉行ったばっかじゃろ」
助手席の大矢が地図を広げてぼやく。
「今日はダム巡りや。あの九場ダムやぞ。國土交通省直轄、九紅建設のフラッグシップや。水力発電所も併設して夏冬のひっ迫した電力需要に対応しているんや。トレカに地元グルメもある最高の観光地やで。」
運転席の慎太が自慢げに言う。
「ファッ!? ダムカードあるんか? ソフトクリームも?」
後部座席のビシ九郎が耳をぴくりと動かす。
「もちろんあるで」
慎太はハンドルを握る手に力を込める。
「ほな早よ行こや」
こうして三人は、九場ダムを目指す。
高速を降り、山道へ入る。
カーブを抜けた先に、銀色の斜面が広がった。山を削って敷き詰められた太陽光パネルだ。
だが、一角は土砂崩れでめくれ上がり、骨組みごと谷底に転がっている。
「……見てみい、あれや」
慎太が顎をしゃくる。
「台風で吹き飛ばされた挙句、ぬかるんだ斜面でまるごとやられたんやろうな。自然災害であんなんなったらもうどうにもならん。修理費のほうが高うつくし、業者もとっくに諦めとるやろ」
「ファッ!? パネルごと滑落して草やな」
ビシ九郎がスマホを構える。
「カラスが石を落として割ったやつもあるわ。完全に無法地帯やで」
「土地の持ち主は『儲かる』とか『税金対策になる』言われて貸したんじゃろうが……これじゃ泣き寝入りよのう」
大矢が鼻で笑う。
「業者は撤去どころか連絡も寄越さんし、置き去りのパネルが錆びるだけじゃ」
「ほんまアホくさ。田んぼ潰して山まで削って、このザマやで」
慎太が溜息をつく。
さらに進むと、別の斜面にずらりと並ぶ新品のパネルが見えた。
「なんであんなチャイニー企業の分厚いパネル仕入れてくるんやろな。無駄に面積取られて、費用対効果なんてたかがしれとるやろ。設置費用も回収できんうちに粗大ゴミやで」
「ファッ!? あれほとんどチャイニー製やんけ」
ビシ九郎がズームして笑う。
「せっかく国産企業がペラペラの軽量パネル作っとるのに、そっちは都会のビルに貼るぐらいじゃろ」
大矢が腕を組む。
「せやな。湾岸の倉庫街や高層ビル群に貼ったほうが、まだ効率ええやろ」
慎太が頷く。
「……まぁ、政治家が忖度しとるんじゃろ。チャイニーにな」
大矢がぼそり。
「ほんなら国産パネルも売れんまま、田舎はチャイニーのゴミ山だけ残るんやな」
「太陽光パネルも再エネとか言いながら、化石燃料で製造して、森林伐採して設置するんやな。そんで廃棄の時にまた有害物質を垂れ流すんやろ。」
ビシ九郎は写真を撮ってSNSに上げながら、呆れたように笑った。
太陽光パネルの山を過ぎ、車はさらに山道を登っていく。
ビシ九郎がSNSに画像を上げてクスクス笑っているうちに、長いトンネルへと入った。
出口の先——視界が一気に開ける。
切り立った渓谷、その谷を塞ぐようにそびえる灰色の壁。
高さ百メートルを超えるコンクリートの堤体が、春の陽を鈍く反射していた。
山頂部にはまだ雪が残り、その雪解け水が今まさに九場ダムへと流れ込んでいる。
「おお……来たで。あれが九場ダムや」
慎太がスピードを落とし、声を低める。
「でっけぇのう……まるで城壁じゃ」
大矢が助手席から見上げた。
堤体の根元には「國土交通省管轄」の文字と「九紅建設」の銘板が堂々と輝き、その手前では白いテントと観客席が整然と並んでいる。
スーツ姿の役人や地元関係者が集まり、各新聞社の記者、民放各社のテレビカメラも複数台構えていた。
「何周年記念とかの式典でもやっとるんか?」
ビシ九郎が窓の外を覗き込む。
慎太は片手でサングラスを上げ、会場をじっと見た。
「なんや……えらい賑やかやな」
三人が駐車場に車を停め、会場脇を通りかかると、壇上に立つ男の姿が目に入った。
細身のきっちりしたスーツ、やや癖のある七三分け。
「なあ、相談役。あれ……グンマー知事の山野一太郎そっくりやないか?」
大矢相談役が目を細める。
「そっくりじゃのう……いや、待て。あれ本人じゃ」
大矢相談役の声に、わずかな驚きが混じる。
SNS発信もしているスキャンダル知らずの与党三世議員で国政から県政に舞い戻った人気の知事。
バンド活動でオリジナルソングの熱唱を披露したりと、個性的な知事で有名である。
マイクの前に立った山野一太郎知事は、胸に手を当て、観客席を見渡した。
春の陽光が白いテントを透かし、背後の山頂部にはまだ雪が残っている。
その雪解け水が九場ダムへと流れ込み、かすかに轟音を響かせていた。
「祖父の代から半世紀……この地にダムを作ることを夢見てまいりました」
一太郎の声が谷間に低く響く。
「このダムのために、一つの村が湖底へと沈みました。
山を切り開き、大自然を変えてしまいました。しかしこれは必要なこと——そう信じて、私たちは建設を進めてまいりました」
一呼吸置き、声を落とす。
「反対運動は幾度も計画を止めました。再開を決めた後には、反対派による暴力事件が起き、同僚議員が刺され命を落としました……彼は、私の旧友でした」
会場に沈黙が落ちる。
一太郎は目を充血させ、言葉を震わせながら続けた。
「私が今日ここに立っているのは、彼や祖父たちが夢を託してくれたからです。亡き祖父も、友も、天国で喜んでいることでしょう」
ポケットから白いハンカチを取り出し、目元を押さえる。
拍手が湧き、地元テレビ局のカメラが涙の粒をズームで捉えた。
「泣き方までエンタメやな。隣の広報カメラでGOTUBEにも配信しとるんやろ?」
慎太が小声で笑う。
「これで票固め完了じゃ」
大矢が頷く。
「……ワイ、ちょっと感動してもうたわ」
ビシ九郎がスマホを下ろし、ぽつりと呟いた。
拍手が収まり、次の挨拶へ移ろうとしたその時——
九紅新聞のネームプレートをぶら下げた記者が三人のほうへ歩み寄ってきた。
「すみません、九紅新聞です。ちょっといいですか? 式典の感想を一言……」
同時に九紅放送局のカメラとマイクが差し出され、慎太の顔にピントが合う。
「え、俺?」
サングラスを外し、少し笑って答える。
「いやー、ええもん見せてもろたわ。 現役時代に稼いで納めた税金が、こうしてダムのコンクリートの何立方メートルかになっとるか思うと、感慨深いですわ。 ……まぁ、半分くらいはどっかのポケットに消えとるかもしれんけどな」
九紅新聞の記者が一瞬固まるが、カメラはそのまま回り続けた。
式典会場を離れる頃、慎太のスマホが短く震えた。
画面には見慣れたSNSの通知と、『式典来場者の男性』『元プロそっくり』という文字が並んでいる。
「おい慎太……もう出とるぞ」
大矢が横から覗き込み、にやりと笑った。
「ファッ!? 早すぎやろ……」
ビシ九郎が画面をスクロールしながら吹き出す。
画面にはすでにこんなスレが並んでいた。
【悲報】皆本慎太さん、ダム式典で「俺の税金がコンクリになってる」発言wwwww
【朗報?】皆本慎太「俺の税金がコンクリの一部」→國交省関係者ドン引き
【速報】皆本慎太、九場ダム式典で発見される
「これ、生放送やったんか?」
慎太が顔をしかめる。
「そうみたいじゃ。今ごろ日苯中に流れとるぞ」
大矢が平然と言う。
「……ヤバいな。本音言うてもたやん」
慎太は苦笑いし、襟を立てて小走りになった。
「ええやん、視聴者ウケは抜群やぞ」
ビシ九郎が肩を揺らして笑う。
足元にはまだ残雪がところどころ残り、冷たい風が頬を撫でる。
山の稜線にはうっすらと白い雪が輝き、その雪解け水が九場ダムへと集まっていた。
3人は展望台に立つと、視界いっぱいに堤体がそびえ、轟音が胸に響く。
放水ゲートが大きく開き、白い奔流が谷底へと叩きつけられていた。
水煙が舞い上がり、冷たい飛沫が頬を打つ。
「おおお……これや! 雪解けの季節だけの大迫力や」
慎太が思わず両手を広げる。
「すごいのう……自然をぶっ壊して作ったもんじゃが、こうして見れば美しいもんじゃ」
大矢が腕を組む。
「ファッ!? スマホびしょ濡れやんけ……でもこれは撮らなアカン」
ビシ九郎はタオルでレンズを拭きながらも、シャッターを切り続けた。
放水の飛沫が陽光を屈折させ、堤体の前に大きな虹がかかる。
「ほれ見ぃ、あれが九場の虹や」
大矢が顎をしゃくる。
「昔はな、こういう景色を見るためにバス遠足で来たもんじゃ」
「遠足でダムとか渋すぎやろ」
慎太が笑う。
「……映えるなぁ。これニュースの後やから、なおさらええ画になるわ」
ビシ九郎が笑う。
轟音と風と飛沫の中、三人はそれぞれの方法でこの瞬間を焼き付けた。
慎太は双眼鏡で堤体の構造をじっくり眺め、大矢は欄干にもたれて景色を噛み締め、ビシ九郎は動画を撮りながら“#メスのロマン”のタグを付けてアップロードしていた。
展望台から少し歩いた先に、木造の観光売店が現れた。
軒先のメニュー看板には、春季限定の文字が躍っている。
《九場ダム天然氷かき氷 ~上州ミルクソフト添え~》
「おっ、これや!地元の天然氷やぞ」
慎太が迷わず列に並ぶ。
「ニュースで顔売った直後に飯テロとか、ええ度胸しとるな」
ビシ九郎が横で笑う。
「ええねん、どうせなら映えるもん食ってやるわ」
慎太は肩をすくめた。
冬の間、山あいの氷池でじっくり凍らせた天然氷。
それをふわりと削り、透明なガラス鉢に盛る。
氷は雪のようにきめ細かく、口に入れれば一瞬で溶ける柔らかさだ。
その上に、上州産ミルクを使った濃厚なソフトクリームが白く巻かれ、甘酸っぱい地元産ブルーベリーソースがとろりと垂れている。
ソースの紫とソフトの白、氷の透明感が春の光を受けて輝いていた。
「これも男のロマンやなぁ」
慎太がスプーンを入れ、目を細める。
「口の中でふわっと消えて……ソフトのコクとブルーベリーの酸味が残るのう」
と、大矢相談役もご満悦。
「こりゃうまいな。冷たさで頭キーンやんけ」
ビシ九郎は笑いながらも、真上から写真を撮る。
「こりゃ映えるで……『#九場ダム #天然氷 #皆本慎太』ってタグ付けたろ」
「おい最後のタグやめぇや!」
慎太が慌てる。
「こういうのはな、見た目がええだけじゃのうて……ちゃんと旨いのが最高じゃ」
大矢がゆっくり口へ運び、深く頷いた。
食べ終えた頃、遠くからまた放水の轟音が聞こえてきた。
かき氷の冷たさと、ダムの迫力が頭の中で重なり合い、三人はしばし黙って歩き出した。
その後---
ダムを満喫した三人を乗せた高級セダンは山道を下り、再び上越自動車道へ。
助手席の大矢は目を閉じ、軽くうたた寝をしている。
後部座席ではビシ九郎が、撮った写真や動画をSNSに上げながらニヤついていた。
「なぁ慎太」
ビシ九郎が顔を上げる。
「九場ダムって発電だけなら、村沈めて山を切り開くより、原発ぶん回したほうが安くね?」
「アホか」
慎太が笑う。
「九紅電力は原発もとっくにやっとるわ。あれはあれでベース電源やし、ダムはピーク対応や。それに、山の上と下にタンク作って水を上げ下げする“揚水発電”っちゅうのもやっとるんやぞ」
「ほう……九場ダムもそれやっとるんか?」
大矢が目を開ける。
「いや、あそこはやっとらん。普通の発電と治水メインや。九場ダムみたいな麓の村を沈めたダムやなくて、山奥の高地にあるダムでやっとるんやで。」
慎太が肩をすくめた。
「でもな……ダムってのは電気作るだけやない」
慎太が続ける。
「九紅は何万と社員抱えとるグループや。建設も材料も運輸も食堂も、何から何まで自前で回す。國交省が元受けとして依頼してくれれば、そこから7次受けくらいまで金が流れて、下請けの町工場も職人もその家族も食える。そうやって地域も業界も生き延びとるんや」
「つまり…元受けの中抜きだけが目的じゃない。金をぶん回して社会ごと維持する仕組み、ってわけじゃな」
大矢が頷く。
「せや。現役時代の俺らやって、毎年何百万の観客や何千万の視聴者に向けて、野球しながらスポンサー企業のロゴ背負って宣伝しとったやろ。 あれと同じや。金が動いて、人が食って、また金が動くんや」
慎太がウインカーを出しながら言った。
「じゃあ九場ダムって結局なんなんや?」
ビシ九郎が問いかけると
「男のロマンや(じゃ)!!」
慎太と大矢の声が重なった。
「男のロマン…ファーwww」
ビシ九郎は笑いながら、またスマホを構える。
画面には、遠ざかる山々と、雲間から差す春の光が映っていた。
「そういや、いのすけは今日も学校か」
ビシ九郎が高速道路の上で窓の外を眺めながら口を開いた。
「せやな。娘も朝から学校や」
慎太が短く答えると、少し照れくさそうに笑った。
「この前の紅スタ始球式でな、本当は有名タレントが来る予定やったんや。でも台風で来られんくなって、球団の広報が困っとった。そこで『任せとき!』言うて、俺がいのりに頼んだんや」
慎太は前を見据えたまま続ける。
「結果的にいのりが球団も、俺のメンツも立ててくれたわ。まさか左投げJKとしてさらに盛り上げてくれるとは思わんかった。娘は『一緒に飯食ってるときから左利きって知ってた』って笑ってたけど、うちにいのりが来て、ケーキ出した俺はフォークの持ち方にも全然気づかんかったわ」
大矢がふっと笑い、
「気づかんお前もお前じゃのう」
と呟く。
「せやけど……あの子は、スポンサーの都合で作られた興行の見世物やったはずのに、堂々とマウンドに立って、迷いなく腕を振っとった。ホンマに感謝しとる」
慎太の声が少し低くなる。
「欲まみれの場に立っても輝ける、それが無垢で穢れのない若さじゃな」
大矢が目を細める。
「それもロマンやなぁ」
ビシ九郎がぽつりと呟いた。
春の陽に照らされた高速道路を、車は静かに走り続けていた。
その向こうに、いのりがこれから投げる、まだ見ぬ未来のボールが浮かんでいるようだった。
ダム旅、いかがでしたでしょうか。
大人たちが社会や金の流れを語り合いながら「ロマン」を追う姿と、そこに重なるいのりの存在。
大人たちに振り回される立場でありながらも、代役の始球式を堂々と務めあげた健気さが、彼女の輝きをより際立たせていると思います。
本編に直結するわけではない番外風の一話ですが、いのりが「大人に愛される理由」を感じていただけたら嬉しいです。
次回からはまた、いのり中心の物語に戻りますので、ぜひ続けてお楽しみください。