第39話『プレイボール!』
少しずつ雨が強くなるなか、球場の空気は熱を帯びていきます。
選手たちの姿、観客席のざわめき、そしてグラウンドに立つ一人の少女。
日常から一歩踏み出した彼女の姿を、どうぞ見届けてください。
──ベニスタ、従業員簡易控室。
慎太といのりは試合前に球場関係者しか入れない施設へと集まっていた。
それもこれもスタッフパスとレジェンド皆本の顔パス。
「今思うと……慎太さんが投げたほうが……みんな嬉しいと思いますけど…レジェンドなんだし…」
グローブを手に取ったいのりが、不安そうにつぶやく。
「アカン。オレなんか出たら“あれ?今日の解説どこいったん?”ってなるし、何より“アイドル目当てで来た客”の前にオッサン出てきて誰が喜ぶねん!」
慎太は即答だった。
「娘の楓って選択肢もあるにはある。けどな、この状況で“史上最年少JK自治会長”、しかも中身は“ほぼ中3”ってレアカード。これ出すしかないやろ。今がそのタイミングや。アイドル目当ての客にお詫びするにはいのりしかおらん」
慎太は紙袋を手渡してきた。
「ほい、これ。広報が球団のクラブハウス倉庫から見つけてきてくれたわ」
「これって……?」
「何年か前に“風張”っていう投手が使ってたレプリカユニフォームや。背番号64番。名字が同じやし、バッチリやろ。フリーサイズやし、おまえにやる。」
私服の上から着てみると──
「……だぼっ……」
肩は落ち、裾は太ももまで。スカートの裾がちらっと覗く。
「うわ、でっか……」
思わず顔が赤くなる。
「それがええねん。清楚系で可愛いやん。話題性バツグンやで」
慎太はさらに別の袋をドンと出す。
「ついでに、応援グッズ。スタッフに持っていかせるから、みんなで身に着けといてな」
中にはタオル、応援傘、ミニフラッグ、ネーム入りユニフォーム──
どれもこれも背番号6の応援グッズだった。
「全部、皆本慎太現役時代のやつ……!」
いのりがボソッとツッコむ。
「……さすがに在庫処分感がすごい」
「広報が処分したくても“微妙に捨てられへん”というな、そういうやつや。貰ってくれて広報が感謝してたで。」
「現役引退した慎太グッズで揃う応援席……逆に目立つなあ」
「もはや皆本慎太シートや。推ししかいないスタンドって逆に熱いやんか」
そこへ──球団チアリーダーの女の子達が控室にひょいっと顔を出す。
「ねえ〜、今日代役で始球式やるのってこの子!? ちっちゃ! かわいすぎ!」
「えっ!? わ、私ですか…?」
「レプリカユニフォームかわい〜〜っ!! え〜〜もうチアのオーディション来てよぉ〜〜!ちっちゃい子枠とか絶対通るって〜〜!!」
いのりがたじたじになる。
「で、でも私、自治会の……」
「ねー、それよりさ、靴! それ、レインブーツじゃ滑るよ!貸す貸す!何センチ?」
にこにこ笑いながら、チアの女の子が控室の棚からシューズバッグを差し出す。
「サイズぴったりかわかんないけど、ストレッチ素材だから大丈夫。あ、あとね──」
チアの子が急に真顔になって言った。
「絶対に、力まないでね? あのマウンド……前に始球式やった都知事が足滑らせて複雑骨折したことあるから」
「えっ!? えええっ!?」
「始球式でケガする人なんて前代未聞だったけど、用心するに越したことないよ。私たちですら、滑って転倒することあるんだから。」
そこへ慎太が、渋い声でボソリ。
「“あのマウンド”な。いわく付きや。おまえ、気ぃつけや」
いのりは手にしたスニーカーを見つめたまま、小さく息をのんだ。
「じゃあ、オレはこのまま解説の仕事行ってくるから。あとは頼んだで!ケガしないようにがんばり!」
また後でな!と慎太は解説席へと向かった。
制服。ユニフォーム。応援グッズ。借りたスニーカー。
そして、全員の期待──
「……よし。行こう」
いのりは、スタッフ専用通路の扉を開けてもらい、グラウンドへと足を踏み出した。
──ベニスタ、試合前。
スタンドを揺らすような音楽が、球場全体に響き渡っていた。
カラフルな照明がスモークに反射して、雨雲に閉ざされた空の下でも、まるで真夏のフェスのような熱気。
メインビジョンには各選手の映像が次々に映し出され、スタメン発表が続いていく。
雨の中、ポンチョを着たファンたちは声を張り上げ、名前が呼ばれるたびに大歓声。
その熱狂の裏側──
グラウンド脇の通路、壁沿いにひっそりと立つ一人の少女。
風張いのり。
ブカブカの“風張”ユニフォーム。
そこからスカートの裾がチラリと見えている。
足元には、チアの女の子に借りた球団チア専用のカラフルなスニーカー。
応援グッズ一式は、控室に預けたまま。
(だ、だいじょうぶ……大丈夫……)
深呼吸を何度も繰り返していた。
雨音。ファンの声。マイクの低音。
そのすべてがひとつの渦になって、鼓膜にぶつかってくる。
そして──球場全体に、ひときわ静かな空気が訪れる。
《これより、国歌斉唱を行います》
起立する観客たち。
帽子を取り、胸に手を当てる選手たち。
その荘厳な時間の最中、いのりはグラウンド端の影にいた。
横には、肩にタオルをかけた一人の男性スタッフ──年配の裏方さんが立っていた。
「緊張してるか?」
「あ……はい。すごく……」
「そりゃそうや。……じゃあ、ちょっとだけ動かしとくか。急にマウンド出て、投げろ言われても困るやろ」
その人は、元投手の裏方スタッフだった。
現役時代、一軍のローテにも入っていたという。
小さなスペースで、そっとグローブとボールを渡してくれる。
「怖がらんでええ。投げられへんくても、構えだけでもええから。な?」
「……はい」
ダボダボのレプリカユニフォームを揺らしながら構えるいのりに、彼が優しくフォームを見せてくれる。
ステップ、腰、目線、ボールの持ち方。
ラバークッション素材の球場壁に向かって、いのりは数球、ゆっくりとボールを投げた。
ポテッ、と地面にワンバウンドしてしまうような軽い球だったけれど──
「……ちゃんと届いてるやん。いけるいける。“可愛い”って言われる球でええ。目立て。楽しめ」
その声に、いのりは小さく頷いた。
そして──再び、スタジアムに場内アナウンスが響き渡る。
《本日の始球式についてご案内申し上げます》
場内がざわつく。
《本日始球式を予定しておりましたガトームソン葉弥さんは、台風の影響による航空便の欠航のため、ご来場が叶いませんでした。楽しみにされていた皆さまには深くお詫び申し上げます》
スタンドから
「あ〜〜」
「マジかぁ…。でも…仕方ないよな…。」
と声が上がる。
悲鳴ではなく、どこか優しい落胆だった。
《その代わりといたしまして…、本日は、特別なゲストによる始球式をご用意いたしました!》
音楽が切り替わる。ドラムロール。スポットライトがマウンドへ向かう。
《台風の中でも防災活動を支える、キュートな“地域のヒロイン”!おそらく史上最年少、中身はほぼ15歳の実質中学3年生──現役女子高生・自治会長!風張いのりさん、どうぞグラウンドへ!》
ウグイス嬢の紹介に両チームの外野応援席が
うおおお!!!!っと、盛り上がってくれた。
「……うわっ、すごい地響き…こんなに?…いよいよ……!」
いのりの足が、マウンドへと向かって動き出す。
会場はざわめきとともに、拍手がゆるやかに広がっていく。
「誰!?」
「か、かわいい……」
「ちっちゃ!」
「JKじゃん!」
「風張ユニ!?なつかしい!!」
ビジョンに映る、いのりの姿。
スカート×レプリカユニフォーム×スニーカー、緊張の面持ちでマウンドへ向かうその姿に、SNSは一気に盛り上がり始める。
SNSのトレンドで、
#始球式 #いのりちゃん #風張ユニ #ガトームソン葉弥じゃないけど可愛い
と並び、次々と浮上していった──。
ウグイス嬢のアナウンスが響いたあと──
いのりは、マウンド脇でそっとスタッフから、右手にはめたグローブの中へと白球を受け取った。
「いってらっしゃい、いのりちゃん!」
チアの女の子たちに応援され、いのりが緊張しながら返事をする。
「……はい!」
いのりは、ボールを胸元で両手で抱え、慎重にマウンドへ足を進めた。
審判に向かって、ぺこりと深くお辞儀をする。
審判も少し笑いながら、軽く帽子に手を当てて応える。
(ほんとに……ここ、踏んでいいんだよね……?)
「どうぞ、入ってください」
迷っているいのりに、審判が配慮の一言。
いのりは
「失礼します…」
と、少しぬかるんだ土を気にしながらそろりとマウンドに立った。
風が制服の裾を揺らす。
バッターボックスには、広嶋サーモンズの1番バッター。
快足系の中堅選手が、にこにこと笑顔でバットを軽く持って立っていた。
審判が小さく、プレイボールを宣言する。
「プレイボール!」
いのりは、ゆっくり息を吸い──
ゆっくりと大きく振りかぶりながら、右足を一歩前に出す。
ぎこちないフォームから左手に握ったボールを目一杯投げ込んだ。
ポテッ。
白球はフワッと浮かび、やさしく弧を描いて──
ショートバウンドで捕手の前へと転がった。
「──えっ、左投げ!?」
「サウスポー!? 女の子で!?」
「ちょ、今の可愛すぎんか……」
会場がいのりの左投げに
「おぉ〜〜っ!」
とどよめく。
ベンチからは
「ナイスボール!」
の声。
バッターはにこやかに、スイングのフリだけして、空振りをしてくれた。
グラウンド全体がスタンディング気味の拍手に包まれる。
その時、マスクを外したベテラン捕手が、マウンドへと歩いてきた。
いのりの前で少し腰を折り、グローブからボールを取り出して手渡す。
「ありがとう。ナイスボールでした。……サウスポーなんだね」
と、にこやかな笑顔で
「ちょっと待ってね」
と、わざわざグローブを外して、左手を差し出す。
「……あ、ありがとうございますっ!」
いのりも恐る恐る左手を差し出すと──がっしりとした握手。
(すごい……プロの手って、こんなにごつごつしてるんだ……)
そのやり取りに、実況席の声がかぶさる──
「ああ〜いいですね。捕手が左手で握手してるの、珍しいシーンですよ」
「普通はミット外さずそのまま挨拶ですからね。これ、あの子と握手したかったんじゃないですか〜(笑)」
と解説の皆本慎太が捕手の行動を茶化す。
そのまま、いのりは審判、ベンチ、関係者、客席へ、それぞれ深々と一礼した。
DJブースがノリノリの声で盛り上げてくれる。
♪「シャークスを救ったサウスポーJKいのりちゃんに、もう一度でっかい拍手〜〜!!」
球場は盛り上がり、いのりは見事にガトームソン葉弥の代役を務め上げた。
関係者通路で控えめに笑ってうなずくいのり。
球団スタッフが駆け寄ってきて、そっと声をかける。
「ありがとう、ほんとに……ゲストが来れない中で、助けてくれて」
「い、いえ……」
胸の奥が、ドキドキのままだった。
──バックネット裏スタンド・関係者席エリア
始球式を終えたいのりは、球場関係者控室の裏口から戻ってきていた。
そのスタンド出入口通路の端で待っていたのは大学生自治会長の木澤滉平だった。
「あ…いのりちゃん…こっち!」
木澤が手を差し出す。
いのりはダボダボ風張レプリカユニのまま、照れくさそうに笑って──
「うん……!」
自然に、その手を繋いだ。
そのまま導かれるようにスタンド階段を降りていくふたり。
その様子を──すぐ後ろで見ていたあずさと楓。
「あっ……ちょっと、待って…、今……手、つないだよね……?」
「つないだね。ふつうに。ナチュラルに。何その自然体──」
「やばい、尊い……」
「本人たちは絶対気づいてないやつだよ、これ……!」
そんな二人の盛り上がりをよそに──
ビシ九郎は一歩後ろから、
手をつないで並んで歩くふたりを、静かに見つめていた。
「……ふふっ……青春やなぁ……」
そっと自分のレイン傘を揺らしながら、
誰にも聞こえない声で、まるで保護者のように微笑む。
照れくさそうに歩くいのりと、その手を優しく引く木澤。
ふたりの背中は、スタジアムの灯りのなかで、静かに滲んでいった。
──ちょうどその瞬間。
球場内の大型スクリーンに、ふたりの姿が抜かれた。
手をつないで、観客席へ向かっていく制服レプユニ姿の少女と、大学生風の青年。
そして──
中継カメラがぐっとズームインして抜いたのは、その席の“斜め上”──
解説席の皆本慎太が、笑顔で親指を立てている姿だった。
ピースサイン、Vサイン、そして満面の笑み。
バッチリとカメラに抜かれた。
《全国中継・副音声実況》
「……ああ、これは今日の始球式を務めたサウスポー女子高生自治会長の“風張いのりさん”ですね。急きょ代役での登場でしたが、かなり堂々としていて──」
「その隣で手をつないで座っているの、彼氏さんですかね?」
「いや~青春ですね!かわいい!ちなみにその席…。“スポンサー特別エリア”のど真ん中なんですよ。すごいですよね。」
「他局の解説で入っている皆本慎太さんがピースサインを送っていましたね。お知り合いでしょうか。」
─その映像が、ネットを駆け巡り、まとめサイトでも多くのスレが立った。
【朗報】始球式の左投げJK、可愛すぎると話題にwwww
【動画あり】ガトームソン代役のJK自治会長、左利きで“ぽてぽて投球”が可愛すぎた件
【悲報】ガトームソン来ず → 代役JKがサウスポーでバズるwww
【緊急】左利きJK、野球ファンのおっさんに刺さるwww
【実況】始球式のJK、ぽてぽて激カワ左投げで客席沸かせる → 捕手がグローブ外して握手wwwww
SNSにコメントもどんどん増える。
『始球式に出たJKが可愛すぎる件』
『JKのだぼユニが天才』
『男いるやん!!オレの嫁が!!!』
『なぜ手を繋いでんだよォォ!!』
『あの席って年間契約のかなり高いやつじゃね?』
『普通の女子高生が座れる席じゃない→皆本の関係者確定』
『てか、他に映ってる子たちも美男美女揃いで草』
『これタレント事務所の案件?』
『あの映ってる子、皆本の娘ちゃうん?昔、引退セレモニーで花束渡してた子やろ?』
『もう完全に皆本シートやん……皆本グッズ全員持ってるし』
『JK自治会長の後ろの子が慎太の娘?え、ガチで娘?』
『なんかヤバい席すぎて気になりすぎる……』
そんな情報を知ることもなく、その日、いのりたちは試合の最後までスタンドに残った。
雨は降ったりやんだりを繰り返し、空には台風の名残がまだ残っていたけれど、歓声も、応援も、そして試合の熱も、冷めることはなかった。
レプリカユニフォームも髪も、どこかしら湿っていたけれど、心の奥は、あたたかかった。
──そして翌朝。
いのりは悶えていた。
スタンド席、隣にいたこうへいくんの横顔。
(……そうだ。あの時、こうへいくんと……)
手をつないだ。
あのとき、自然に。
“よかったよ”って褒められて、ほっとして、手を差し出してくれた。
いのりも反射的に手を差し出した。
ぎゅっと握り返されて、
それがあたたかくて、うれしくて、
そのまま数イニング、ずっとそのままだった。
(……うわ……)
いのりはごろんと布団に寝転がって、両手で顔を覆った。
「うぅ~~~~~~~~っ!!」
(な、なにやってんの私っ……!台風の中で手つなぎ試合観戦って、なにそのデート……えっ、これってもう、好きってこと……!?)
ふとスマホを見ると、昨夜のLiNEの通知。
木澤からだった。
『今日、ありがとう。すごくかっこよかったよ。手、ぎゅってしてくれて、うれしかった。』
ぎゃあああああっっっ!!
いのりは毛布を頭からかぶって、悶絶した。
(……まって……あの時、こうへいくんから繋いだんだよね……!?えっ、てことは、こうへいくん的に“告白した”って思ってない!?ええええ~~~~!?)
枕に顔を押しつけたまま、いのりは小さく叫んだ。
「うう~~……私……やっぱちょろすぎ……?」
でもその表情は、どこか満たされていて。
(…ちょっとまずい………そんなんじゃない…よね?)
ふわりと浮かぶ、シャークスの応援傘と、あの笑顔。
(ねえ、こうへいくん……来週も、また一緒にいられるかな──)
とりあえず布団から起き上がり、制服に着替える。
昨日の試合は台風上陸の中で唯一の開催だった。
1試合だけ開催された試合はネットのスポーツニュースでも話題を独占。
ニュースのコメント欄には
『JK自治会長かわいい!』
『風張いのり(16)控えめに言って天使』
『礼儀正しかったよな。今どきこんな真面目そうな子おる?』
『でも男いるから無理やな←これ』
「む、無理ってなんや…(呆れ)」
スマホを抱きしめて、制服のまま再び布団の上でバタバタする。
(な、なんでそんなに話題になってるの……!?)
制服姿のいのりは、スマホを見て真っ赤になっていた。
SNSにはまだ昨夜の試合の話題が残っていて、「始球式のJK誰!?」の書き込みが流れてくる。
(なんか、夢みたいだったな……ほんとに私、マウンド立ってたんだ……)
カーテンの隙間からの光が眩しくて、昨夜の記憶がふわっと浮かぶ。
木澤と手をつないで階段を降りたあの感覚。
そして──あの捕手との握手。
(プロの選手って、あんな大きくてごつごつした手なんだ……)
でも、もっと記憶に残っていたのは──試合後、帰り道。
木澤がぽつりと口にした一言だった。
「…そういえば…あの捕手、いのりちゃんだから握手してきたんじゃない?」
「え……?」
「……わざわざ右利きの捕手がグローブ外して左手で握手してたよね」
いのりは思わず立ち止まって、木澤を見上げた。
「始球式って、そのまま挨拶だけして終わることが多いから。けっこうレアだったと思うよ。あれは」
「つまり……」
あずさが含みを持たせると
「……いのりと握手したかっただけ、説」
楓がストレートに言う。
「ちょ、ちょっとやめてよっ……!」
でもその顔は、照れてほんのり赤くなっていた。
「でも、なんかズルイなって思っちゃったからさ、俺もついいのりちゃんの手を握っちゃった」
木澤はふわっと笑って、また前を向いた。
でも、いのりの胸の中には、ほんの少し、あたたかくて、
くすぐったい何かが残った。
(え?もしかしてヤキモチやいてくれたの?)
(……なんだろ…。ちょっと、うれしい……)
制服のボタンを留めながら、顔がじんわりと熱くなる。
「……なにあれ…………ずるい……」
—風張家リビング---
朝食の食卓、TVからスポーツニュースのBGMが流れている。
《話題の始球式! 代役で登場した“サウスポーJK自治会長”にネット騒然!》
画面には、マウンドに立ついのりの姿。
続いて──
手をつないでスタンドを歩く、木澤といのりの映像。
《スタンドで手をつなぐ姿に「彼氏では?」とSNS騒然》
「……え……?」
TVの音声を聞きながら、母・風張きよのがコーヒー片手に振り返った。
「え、なにこれ……お姉? …これは…」
ともりもテレビの中で報じられている、いのりの存在に気づく。
「……いのり……手ぇ、つないでるじゃない……ふふっ。青春ねえ……♡」
母きよのの、のんびりとした微笑み。
その横で──父・風張よしつぐが新聞を持ったまま硬直していた。
「……て、手ぇ……つないで……つないどるぅぅぅぅぅぅぅ!!!!!」
バタァァァン!!!
白目をむいて、床にくずれるよしつぐ。
「ぐはああああああああ!!!」
「ちょっと、あなた!?」
「いのりがああああああ!!! 俺の天使がああああ!!」
「お父さん大丈夫!?」
「娘がぁ……男とぉ……手を……つないで……!!」
父よしつぐ。
白目をむいて泡を吹き、椅子ごと転倒するリアクション芸で賑やかな朝。
「ぐほぉぉぉぉ!!」
母、ちらっとだけ見て──
「……はいはい、静かに倒れててくださいね。あと新聞は濡らさないでね、あとで私も読まなきゃいけないから」
その隣で、弟・けいじ(小1)が、朝から全力のチンパンモード。
「お姉ちゃ~~ん!!バズってる~~~!!テレビ映ったー!?お姉映ったー!モテたー!ちゅーしたー!?ちゅーしたー!?」
「してない!!!」
いのりは、通学前に自室からドア越しに全力で否定する。
さらにリビング奥で制服姿の中学1年生、ともりが冷静に一言。
「──お姉、やるねぇ」
くすっと笑う。
「ま、たまにはヒロインしてもいいかもね、うちのJK会長さん」
「だからちがうってば~~~~!!」
廊下の奥からいのりの悲鳴。
風張家、朝から騒がしい。
でもそれは、なんだかとっても──あたたかい騒がしさだった。
──そのころ、別の場所。
とある高層ホテルのスイートルーム。
ミストグレーのブラインド越しに、外の雨を見下ろす女の子の姿。
巻いた髪。
整った横顔。
そして、テレビのリプレイに映る──レプリカユニフォーム姿の少女。
「ふーん……」
そうつぶやいたのは、ガトームソン葉弥。
台風でベニスタ入りが叶わなかった、“本来の始球式ゲスト”。
「私の代役が、この子……?…自治会長、だぼユニ、典型的な女の子投げ…しかも左利き。まあ、 仕事で空けてしまった穴を埋めてもらって感謝してるわ。」
彼女の唇が、ゆっくりとカーブを描いた。
「…でも…全部持っていかれちゃったわね。──なんなのかしら、この子」
雨音の中で、その声だけが不穏な余韻を残した。
最後までお読みいただきありがとうございます。
「プレイボール!」というシンプルな言葉に、これまで積み重ねてきた時間や想いがすべて込められる気がしています。
彼女がこの瞬間に何を感じ、これからどんな一歩を踏み出していくのか──その余韻を皆さまと共有できたなら嬉しいです。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。