第35話『やさしさは、自分を守ってから』
今日はけいじ回です。
小1の弟が「やさしさ」とどう向き合うか──という、少し真面目なお話になりました。
けいじは優しい子だけど、その優しさがときに自分を危険にさらすこともあります。
家族に見守られながら、ちょっとずつ成長していく姿を書いたので、どうか温かく見守ってあげてください。
風張家の夜。
夕飯の片づけも終わり、母・きよのがスマホを見ながら、小さくため息をついた。
「けいじ。ちょっとお話しよっか」
小学1年生の末っ子・けいじは、おもちゃの電車で遊ぶ手を止めて、不安そうに振り返った。
隣でその様子を見ていた姉・いのりは、すでに「何か来る」と察していた。
「今日、学童の先生から連絡が来たのよ。すごく丁寧に、“余計なことだったら申し訳ないんですけど”って」
けいじの目が泳ぐ。
「今日、宿題してるときに“けいじくんのドリルをやりたい”って言ってきた子がいて、けいじがそれを貸そうとしたんだって。先生が止めてくれたらしいけど……それ、本当?」
けいじはしばらく黙って、やがて小さな声でつぶやいた。
「……うん。だって、“やらせて”って言われたから……やらせてあげたかっただけ。
やってもらった後に消せばいいやって……」
母・きよのの声は、穏やかだった。でも、まっすぐだった。
「けいじ、それはね、“やさしさ”のつもりだったかもしれないけど、大事なことが抜けてるよ」
「…え?」
「ドリルはけいじが勉強するためのもの。他の子にやらせちゃったら、けいじが学べない。それだけじゃなくて、もしこれが“宿題”だったら、先生にズルしたって思われることもあるの。最悪、信頼を失って、学校で大問題になることだってあるんだから」
けいじの目に涙が浮かぶ。
「…怒られるなんて思わなかった。ぼく、ただ……」
父・よしつぐが少し声を和らげて口をはさんだ。
「怒ってるんじゃないさ。けいじが“やさしい子”なのは、みんなわかってる。でもな、やさしさって、自分を大切にしたうえで発揮するもんなんだ。“断る勇気”も、ちゃんと持たなきゃいけない。お前なら、きっとわかる」
いのりが隣に座って、そっとけいじの背中をポンと叩いた。
「うん。けいじが優しいの、私もわかってるよ。でも今回は、貸す相手が悪かったんだよ。そういうのって、ちゃんと断ってもいいんだよ」
けいじは涙をこぼしながら、小さくうなずいた。
「……わかった。今度から、ちゃんと断る。ぼくがやる」
きよのが、ふっと微笑む。
「よし。じゃあ今日は、それで十分。それにしても、学童の先生、よく見ててくれてたよね。“余計だったらごめんなさい”って気を遣って言ってくれたけど、全然余計じゃなかった」
父も
「ほんとそれな」
とうなずいた。
「けいじが断れなかったことに気づいて、ちゃんと止めてくれて……本当にありがたかったよね。今度改めて、お礼言っておこうか」
いのりも、ほっとしたように笑う。
「なんかさ、けいじのこと、ちゃんと見てくれる人がいて安心したよ」
そのとき、きよのがふと思い出したようにつぶやいた。
「……その“やらせて”って言った子のこと、私、知ってるのよ」
「特にその子の親御さん。入学式のときから気になってたの。お母さんの髪は明るくて巻いててハイヒールで、服も派手。鼻にピアスも開けてた。お父さんはスーツ着てたけど、手首と足首からタトゥーがはみ出していて。夫婦共に悪目立ちするっていうか……自由すぎるっていうか」
「いたな。近くに座ってた夫婦だろ?」
「そうよ。他の保護者が静かに座ってる中で、夫婦で好き勝手に動き回って、写真のベスポジ確保して我が子をパシャパシャ撮って……」
「おめでたい入学式だから、先生達も注意しにくいんだろうな…」
「席でもご主人と並んで足組んでて、なんか“私たちだけ違う”って感じだったのよね」
いのりが思い出したようにぽつり。
「…そういえば…この前、美容室でも足を組むお客さんが店長さんとケンカしてたっけ……」
きよのは続ける。
「それだけならまだしも、そのお母さん、自転車登園禁止なのに、学校へ自転車で子供を乗せてくるの。小学生を”乗せるのは道交法違反よ。二人乗り扱い。それをわかってない親、まだまだ多いけど……サドルの前に立たせるって、もう本当に頭おかしいとしか言えない」
「もし転んだら? 顔から地面よ。歯が折れて、頭打って、命だって危ない」
「お父さんのほうもすごいの。サッカー好きすぎて、登園中に子どもと一緒に“ドリブル”しながら歩いてるのよ。ボールが他の子に当たったら? 自転車の進路ふさいで転ばせたら?……想像力なさすぎて、もう……」
いのりは思った。
「そういえば、あの親子。この前、深夜0時過ぎにコンビニ行ったら。子連れで酒とかツマミを買ってたよ。びっくりしたな、あんな時間に小1の子供を連れまわしているんだから。」
――やっぱり、子どもの言動って、親の姿そのまんま出るんだな。
「だからこそ、うちはちゃんとしていこうね」
と、きよのが締めくくる。
「人のせいにしない。ルールは守る。優しさの意味も、ちゃんと伝えていく。
それが、けいじを守ることになるんだから」
けいじは、まだ鼻をすすっていたけれど、目の奥には少しだけ覚悟が灯っていた。
---
その日の夜。
弟が寝静まったあと、いのりがリビングでぼーっとしていると、ともりがアイスを持ってやってきた。
「けいじ、大丈夫そうだった?」
「うん。泣いて疲れて寝た」
ともりはソファに腰を下ろし、ちょっと笑って言った。
「てかさ、そもそもさ。他人のドリルにまで手ぇ出してまで勉強したいとか、正気?アタシ、自分のドリルすら見たくないけど?」
いのりが苦笑する。
「でもさ、けいじのドリル、“おしりモンスター”のやつだったの。
キャラも可愛いし、おしりのキャラがページごとにしゃべるってやつ」
「え、それならわかるかも。あれ、小さい子めっちゃ食いつくもん。でも貸すのはナシだわ。いくら“ぷりぷり”でも」
「うん。貸しちゃだめだったよね。けいじも、きっとわかったと思う。やさしさは、自分を守ってから。」
ともりがポンといのりの肩を軽く叩く。
「いいお姉ちゃんだね、あんた。ま、けいじは明日にはケロッとしてるでしょ。……うちの弟だもんね」
「……そうだね。」
二人の姉は、ソファの上で静かに笑った。
けいじは本当に素直で優しい子。
でも「優しさ」って難しいんですよね。
時には断ることも、自分を守ることも大事。
きよの母さん&よしつぐ父さん、そしていのりやともり……
家族みんなの言葉でけいじが少しずつ成長していく姿を書きました。