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第29話『ずっと友達だよ。』

いつも読んでくださってありがとうございます。

第29話は、いのりがこれまでどうやって「責任」と向き合ってきたのか、その原点に触れるようなお話になっています。


自治会長として団地を動かす姿は、普段コミカルに描かれることが多いですが、その裏には彼女なりの覚悟や中学時代から積み重ねてきた経験があります。

彼女が“ひとりで抱え込まず、巻き込みながら進む”というスタンスを持つようになった理由が、この回で少し伝わればと思っています。


楓やあずさ、そして大人たちの言葉が、いのりにとってどう響いていくのか。

ぜひ一緒に見守っていただけたらうれしいです。


春の夕暮れ、団地に吹く風はまだ肌寒い。

九潮団地の坂道を抜けた先、静かな集会所の前に三人の姿があった。


「付き合ってくれてありがとう。ちょっとこれだけ済ませたかったんだ」


いのりが手に持っていたのは、区から配布された広報物の束だった。


「明日の朝、広報さんに渡しとく分を、今のうちに分けて整理しておきたくて」


集会所のドアの鍵を開けて入る。

長机と折り畳み椅子だけが置かれた静かな空間。


「へぇ……団地の集会所って、こういう場所なんだね」



改めて中に入った楓がまじまじと観察するように、きょろきょろと見回す。

ふと目に留まった壁の角に、大きくえぐれたような跡。

楓が初めて来た時も気になったけど、いのりの父・よしつぐが肋骨骨折の満身創痍でそれどころじゃなかった。


「これ……もしかして、クルマが突っ込んだっていう跡?」


「そうそう。このまえ住人の高齢者がアクセルとブレーキを踏み間違えて突っ込んだの。すぐ警察呼んで、保険で修繕予定だけど……業者さんも立て込んでてそのまま」


ブルーシートで塞がれた壁の穴から、わずかに光が差していた。



「雨水入って木材が腐るとまずいから、最低限は応急処置してるんだって」


と、あずさ。



「でもちゃんと直るまでは、なるべくここ使わないようにしてるんだ。でもここで暮らしている生き物がいるけどね」


いのりは地域センターから自治会長宛に届いたばかりの広報物の束を持ち出し、机に資料を広げながら、確認する。

文化厚生係向けの地域美化活動のお知らせ、防災係向けの巡回案内、そして広報係に掲示依頼をする予定の広報物を丁寧に分類していく。


「これ、明日掲示する分。あと住民さんからもらっている集会所の使用許可申請スケジュールについては設備係さんに既にLiNEで送付済みっと…」


手際よく資料を仕分けしながら、スマホのメッセージを確認するいのり。


「文化厚生係には学校がある日のボランティアイベントに代理で出席お願いしてあって、防災係にも春の防犯パトロール参加のお知らせ済み」


「いのり手際良いね…」


と、楓が感心する。


「副会長には今夜のうちにまとめて報告するから、これは控えとして残すね。副会長は自治会の記録係として、私の権限で兼任さているから。こんなのまで私が細かく書いてたら時間足りない。」


「いや、なんでそこまで抜かりないの……」


とあずさが呆れたように笑う。



「私だったら自分で掲示物を貼っちゃう方が早いとか思っちゃうかも」


あずさの言うように、実際にその通りでもある。

だけどいのりは、役員に責任を持ってもらうため、あえて仕事を自分で抱え込まない。


「私も無理かも。人にお願いするの、怖くて……」


と楓。


いのりは静かに資料を閉じ、少しだけ遠くを見るような目になった。


「…実は私さ…中三の春、新学期の初日。体調崩して、学校休んだの」



「え?」


と、楓。

あずさも黙って聞く。


「その日、私の名前で勝手に“学級委員長”が決められてた」


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「……ごめんね、いのり。今日はちゃんと休もう」


母・きよのが、布団の脇に座って額に手を当てる。



「熱、まだ下がってないわね……」


外は春の青空。

近くの中学校から、体育館のざわめきが風に乗って届く。

制服を着た生徒たちの声と足音。

始業式の日の、あの明るさ。

いのりは、少しだけ寂しそうに天井を見上げていた。

完全に春風邪。

当時は保育園児の弟・けいじがどこかから持ち込んで来た風邪のウイルスをいのりが運悪くもらってしまったのが原因。

けいじが赤ちゃんの頃から、度々病原菌を持ってきて、そのまま家族が感染して寝込むことも珍しくなかった。


翌日。まだ少し重たい体を引きずって教室に入ると、新しい担任があっさりと言った。


「風張さん、あなたが学級委員長に決まったの。みんなの総意よ。よろしくね」


クラスの一部が目を逸らし、何人かはホッとした顔をしていた。

いのりはしばらく沈黙し――そして、言った。


「……はい。…わかりました」


休んだのは自分の責任だ。

『これは仕方がないこと』って自分が悪いと割り切ることにした。

今年はみんな受験もあるし、そりゃやりたくないよね。

私だってみんなと同じことを誰かにやっていたかもしれない。

その日の放課後、担任が個別にいのりを呼び止めた。


「風張さん、学級委員長に選ばれたのはあなたに責任があるわけじゃないの。だからあなたが休んだことは自分が悪いわけじゃない。だから、そこは勘違いしないで」


いのりは予想外だった担任の言葉に驚いた。


「でも、クラスのみんなが“その場にいなかった誰かに責任を押しつけた”のは事実よ」


「…え…そんな」


「あなたは、その結果、“巻き返すチャンス”を得たのよ」


「…チャンス…?」


「そう。だから独りで仕事をやってはダメよ。あなたがみんなを巻き込んで、そしてみんなを巻き込ませなさい。責任を一人で背負い込んではいけないの。私も協力するから」



「…はい。」


「それが、“委員長に選ばれた人間の宿題”よ」


担任は、クラスの決め事をあえて黙認していた。

優しいけど厳しい先生だったと思う。

いのりはその言葉を胸に、担任と相談しながら

合唱コンクール、文化祭の出し物トラブル、体育祭のリレー、修学旅行の座席決め――

どんな場面でも、必ずクラス全体の“巻き込み”を意識した。

全員が発言をできるように、意見をひとりひとり必ず煽るようにした。

それを副委員長やクラス委員と必ず話し合うようにした。

そして卒業式。

家族で引っ越しが決まっている風張いのりの卒業アルバムには、クラス全員でお互いの寄せ書き欄に書き合った「ありがとう」「助かった」「またね」などの軽い言葉が並んでいた。

でも、その中に一つだけ、違うものがあった。



『あなたがいてくれて、よかった。ちゃんと見てたよ。ありがとう』



誰が書いたかはわからない。

だけど、あの一文だけが…ずっと、いのりの胸に残っている。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


「……だから私は、一人で背負わないって決めたの。責任を押しつけた人にも、“一緒に責任を背負わせる”。それが私にできる、せめてもの“誠意”なんだと思って」


あずさと楓は真剣に黙って聞いていた。


「これって、自治会もまったく同じなんだよね。誰もやりたくないからって自治会長を女子高生の私に押し付けた。だから、その責任をみんなで取っていかないといけないんだよ。だから私は、自治会役員と住民を巻き込んでいく。そう決めているの。」


同じ団地の住民で会員である七條あずさも、いのりの言葉に何も言えなかった。

その静寂を破ったのは――ガラッと開いた集会所のドアだった。


「おっ、青春劇場やっとるな」


入ってきたのは、スウェット姿にコンビニ袋を提げたハクビシンのマスコット(♀)、なんJ語を話すハクビシンのビシ九郎だった。


「ちょっと入口の前で聞いとったで。“ありがとう”なんてな、押しつけた側の供養やねん」


「そうかもしれないね」



いのりが否定せず素直に答える。


「でも、供養されるだけマシってもんやな。なにより、いのすけは、そんだけ“供養される行動”したってことや」


「ビシ九郎ってば、また極端なことを……」


とあずさが苦笑する。

その直後、さらに一人の男が現れた。


「おう、ビシ。お前もちょうどいたんかいな」


皆本慎太だった。楓の父であり、集会所の前に停めた車で楓を迎えに来ていたらしい。


「今日はお父さんが車で迎えに来てくれたの。団地に寄り道するって伝えてたから、心配だったみたい」


楓がLiNEで父とやりとりしていたことを明かす。

そして楓が慎太に、いのりの過去を簡単に伝えると――慎太が口を開く。


「…野暮やけど俺も少し言わせてや…。いのり会長、あんたもすでに偽善者ばかりのチームでリーダーとして頑張ってきたんやな」


「…ちょっと、お父さん!いのりちゃんのクラスメイトを偽善者って…」


「でも担任の先生がしっかりしてたから良かったよね。私が中学の担任は緩かったらから、好き勝手するクラスメイトが多かったかも」


と、あずさ。


「そんなことないですよ、慎太さん。プロ野球で全日本代表のキャプテンとか選手会会長とかトップアスリートのリーダーを歴任してきた慎太さんに比べたら全然です。」


いのりは、謙遜しながら答える。

いのりは、父のよしつぐから皆本慎太が球界のリーダーとして長期間活躍してきたことを聞いていた。

よしつぐが子供の頃に憧れていたというのも納得である。


「いやいや、十分立派やで。俺だって高2の時なんて、キャプテンどころか学級員すらやったこともなかったからな」


「ありがとうございます。そう言っていただけるとなんかうれしいです」


「ちょっと昔話なんやけど、俺の高校の後輩でプロ入りしてスターになったやつがおってな。そんで大活躍した年のオフ、球団に来年の年俸を決める契約更改の場で言いよったんや」


慎太が一呼吸置く。


「“誠意は言葉じゃなくて金額や”ってな。つまり自分の貢献を球団が感謝しているなら、ありがとうの言葉より、しっかり成績を査定して報酬をたくさん払うという行動で誠意を見せろっていうたんや。その後、これがプロ野球選手の常識になったんやで。」


するとビシ九郎がすかさず


「てかそれ、“銭戦民族”で有名なゼニドメ選手のことやろ?ワイらの界隈じゃ未だに語り継がれるレジェンド選手やで?ひゃくちゃんねるで有名や」


と、ちゃっかりドヤ顔。


「お、知っとるんか。あいつの言葉はキツかったけど正論すぎて、球団幹部すら、ぐうの音も出えへんかったやろな。」


と、楽しそうに言う。

いのりは黙って聞く。


「だけど中高生には金は出せん。だからこそ、言葉より“行動”がすべてなんや」


それを聞いて、いのりの目にはうっすらと涙が浮かんでいた。


「誠意は言葉じゃなくて行動…か」


「せや。いのり会長はその‘行動’を1年やりとげたんや。それだけで、もう十分に立派やで」


その瞬間、いのりの目から、ぽろぽろと大粒の涙がこぼれた。

ただ、わかってくれる人がわかってくれているだけで、いのりは本当に満足だった。

けれど、すぐに袖で拭い、笑顔をみせる。


「頑張ってきて、ほんとによかった!」


「とにかく一人で抱え込んだらアカンで」


「はい、ありがとうございます!」


「ワイも話し相手くらいにはなるで」


と、笑顔を見せるビシ九郎のやさしさも染みた。


--------


夜、団地の前。

ほどなくして集会所前に停めた皆本の車に、楓が乗り込む。

別れを告げて、車はゆっくり走り出した。

ハンドルを握る慎太に、楓がぽつり。


「……お父さん、さっき、いのりに対してちょっと厳しくなかった?」


慎太はしばらく黙って、交差点を右折しながら言った。


「そうかもしれんな」


「じゃあなんでいのりのクラスメイトが偽善だなんて…」



「いや、それは事実や。欠席した人間に責任を押し付けたクラスメイトが偽善には変わりないやろ。そんで誰も学級委員長に立候補もせえへんかったんや。それがすべてや」


あまりの正論に、楓は助手席でうつむく。


「でもな。あんなに責任感あって、周囲の人間を巻き込める子なんて、そうそういないやろ」


楓が慎太の真剣な横顔をみる。


「お前が支えてやれ。誠実に、しっかりといのり会長に向き合え」


「…うん」


「……あんな友達、簡単にできるもんやない…。大事にするんやで」


流れる街灯が照らす車内で、楓はスマホを取り出すと、メッセージを打ち始めた。


《楓:今日もありがとう、いのり。ずっと友達だよ。》


いのりの部屋。

テーブルの上で充電されているスマホが、ふっと光った。

その灯りが照らすのは、あの日の“ありがとう”の続きを、今も大切に抱えるひとりの少女だった。

この日から、楓は、いのりにとって“本当の友達”になれた気がした。



ここまで読んでいただき、ありがとうございました。


中学時代の出来事を語るいのりの姿は、どこかまだ幼さを残しつつも、大人びた決意を感じさせるものでした。

そして彼女のまわりにいる友人や大人たち――ときに厳しく、ときに温かく支える存在が、物語をより立体的にしてくれているように思います。


この回は少ししっとりとした雰囲気でしたが、いのりたちの青春はまだまだ続きます。

責任を背負うこと、仲間を信じること、そのどちらも等しく大切なんだと、彼女たちの姿を通して感じてもらえれば幸いです。


次回もまた、彼女たちの日常を覗いていただければうれしいです。

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