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第25話『噂の楓ちゃん。』

今回は、噂になっていた転入生・楓がついに登場します。

礼儀正しく落ち着いた雰囲気を持つ彼女が、いのりとあずさの前に現れます。

そして放課後には思わぬ展開も……。

新しい出会いが、少しずつ物語の景色を変えていきます。

【第25話:『噂の楓ちゃん。』】


春の風がまだ少し肌寒さを残していた新学期の昼休み。

風張いのりと七條あずさは、いつものように学食へと足を運んでいた。


「ねぇいのり。聞いた? 今年、新学期から転入してきた子がさ、特進コースでいきなり学年トップらしいよ」



あずさが紙パックの紅茶をストローで吸いながら言う。


「え、マジ?どんな子なの?」



「どんな子かまでは知らないけど、ランキングに名前が出てた。全教科、ほぼ満点のぶっちぎり1位。ヤバくない?」


「え、そうなんだ?ランキングとか見てないや」


自治会の仕事で慌ただしい日々を送っていたいのりは、成績ランキングすらチェックしていなかった。

内部進学に最低限届いていればいい。

それがいのりの目標だった。


「私は見たよ。特進コースに編入してきた子。名前は……えっと、なんだっけ…。苗字が出てこないけど、確かかえでちゃんって書いてあった。」


かえで……?」


そのとき、学食の奥にあるテーブル席に見慣れない女子生徒の姿があった。

背が高く、スタイルが良くて端正な顔立ち、柔らかく揺れる黒髪のセミロングヘアに、整った制服の着こなし。

何よりも品のある佇まいが目を引く。


「たぶん……あの子じゃないかな? 噂の楓ちゃん。」


あずさが目で合図を送る。


「凄くきれいな子だね。空いてる席ないし、相席お願いしてみよっか」


いのりのひと声で、あずさもうなずいた。 

本来なら、あずさのほうが率先して声をかけていそうなものだけど、今回はいのりが積極的に声を掛けてみようって気になった。


「あの、ここ、いいかな?」


「あ、はい。どうぞ」

 

初対面の雰囲気にやや緊張した空気が流れる中、あずさが笑顔で言った。


「ねぇ、転入生の楓ちゃんだよね?ランキングに名前あったから」


「……うん、楓です。よろしくね」


「私は七條あずさ、こっちは風張いのり。私たちは二人とも九潮団地に住んでいて、いのりはそこの自治会長なの。」


「え、自治会長……?」


「そうなんだよー。こう見えてけっこうすごいんだから」


「楓ちゃんは、どこから来てるの?」


「私は天王巣アイル。以前は、北雛川女子学院に通ってました。」


「え!?すごい!めっちゃおしゃれな場所に住んでるんだね!雛女ってお金持ちの学校じゃない?」 


いのりは苦笑しながらスプーンを持ち上げた。


「そんなことないけど、ちょっとかしこまった学校だったかもしれないです(笑)」


楓が謙遜する。


「実はさ、私も1年前に引っ越してきたばかりで、友達もいない中であずさが声かけてくれたんだ。だから今度は私から、楓ちゃんに声をかけたいって思って」


いのりが似た心境を話すと、楓は安堵した表情を見せる。

ぎこちない敬語も自然と消えていった。


「……ありがとう。嬉しい」


しばらく食事をしながら話をしていると、あずさがさりげなく聞いた。


「ところでさ、前の学校ってどんなとこだったの?」


楓は少し戸惑ったように定食のスープを見つめ、それからふっと口を開いた。


「……お嬢様学校だったの。制服とかマナーとか厳しくて。許嫁がいる子も多かったし、正直、私には合わなかった」


「え、許嫁ってほんとにいるんだ……」


「うん。でも私は獣医になりたくて。前の学校ではそういう夢を持ってる子がいなくて、進路も限られてたから。こっちの学校は内部進学で獣医学科のある大学があるって聞いて、お母さんに頼んで編入させてもらったの」


「すごい……。確かに成績が良い子は内部推薦で医学部とか選べるって聞いていたけど…。」


「うん、うちらは普通コースだから学部も限られるけど。やっぱ特進コースは凄いね。」 


いのりは目を見開いた。


「獣医って……犬とか猫?」


「ううん。馬とか牧場の動物たち」


「かっこいい……!」


あずさが拍手しながら感嘆の声を上げた。


「あの…、ありがとう。こうやって友達と一緒に話しながらお昼ご飯食べたり、放課後に一緒に出かけたり……そういうのに憧れてたの。ずっと、したことなかったから。あ、ごめん。いきなり友達だなんて…。」


楓の小さな声に、いのりはあずさの方を見てうなずいた。


「ううん。それ、私も同じだったよ。1年前、引っ越してきてばかりの何もわからなかったとき、あずさが声かけてくれて友達になってくれたんだ。だから今度は私の番だよ。」


いのりは楓の目を見て、まっすぐ言った₀。


「よろしくね、楓ちゃん。」


「もちろん。……でも、私だけ“楓ちゃん”って呼ばれてるの、なんか距離感じちゃうから、楓って呼んで?」


楓がちょっと笑った。

「そっか…わかった。じゃあよろしくね、楓。」


といのり。


「ちょっと、二人だけズルい。私もよろしくね、楓。」


「ありがとう、あずさちゃん、いのりちゃん。」


「なんか私たちも“ちゃん”で呼ばれるのって違和感あるね(笑)」


「じゃあ……私も“いのり”、“あずさ”って呼んでもいい?」


「うん!よろしくね、楓!」


「よろしくねー!」


「ふふっ、よろしくね。…いのり、あずさ」

 

三人は顔を見合わせて笑った。

 

「よし、じゃあさ、放課後カラオケ行かない?ちょうどテストも終わったことだしさ」


あずさがテンション高く誘う。


「カラオケ……?…友達と行ったことないから…行ってみたいかも。」


突然のお誘いに動揺しながらも興味津々の楓。


「いいじゃん、楓の十八番聞いてみたいし!ちなみに楓の十八番って?」


「あまり歌わないから自信ないけど、声優さんの曲とか好きだよ。いのりとあずさは?」


「うーん、私?金柑キンカン&プルーンの曲かな。メンバーの水瀬レンのソロも好き!あとはキャラソン系とか、アニメのとか。声優さんの曲も好きだよ。」


いのりが答える。


「うわ、被った。キンプル(金プル)の曲とかよく歌うし。でも私は高津カイト派かな。」


あずさも楽しそうに話す。


「え、それ、すごいね!じゃあ2人とも上手そう……」


 その日の夕方。カラオケボックスの小さな部屋には、3人の歌声と笑い声が響いていた。

 

「いやぁ、楽しかったぁ~!」


「うん、こんなに笑ったの久しぶりかも」


「友達とカラオケってこんなに楽しかったんだね…。」 


外に出ると、すっかり夕暮れ手前。

考査明けで、各教科とも答案返却が中心。

学校が終わるのも早かったが、3人で過ごした時間はもっと早く感じた。。


「ねえ……もしよかったら、少しだけウチに寄っていかない?ここから近いし、コーヒーでも出すから」


「え、いいの?でも……悪くない?」


「ううん、友達になってくれてありがとうっていうお礼。母も、友達できたら家に呼んでごらんって言ってたから」


「じゃあ、少しだけお邪魔しようかな」


「私も!」


楓に連れられてきたのは、天王巣アイル駅から近い高層マンションだった。 


「わぁ……おっきいマンションだね」


あずさが声を漏らす。

想像もしない立派な高層マンションに到着すると、何重にもロックがかかったエントランスには品のある雰囲気が漂っていた。

オートロックのエントランスを抜けると、静かで落ち着いたロビーが続く。


「まだ築浅だから、設備もけっこう新しいんだ」


楓がそう言ってエレベーターのボタンを押す。

エレベーターに乗り込み、そこから廊下へ抜けて上階の部屋まであっという間に到着した。

楓がカードキーで玄関ドアを開錠すると、そこには東亰湾とレインブリッジを一望できる景色が広がっていた。


「凄い広い…。うちの部屋からとは全然ちがう…」


「だよね…。うちも団地と団地の隙間から東亰ゲートブリッジの一部がやっとみえるくらいだよ。」


いのりとあずさはその光景に圧倒される。

 

「実はさ、友達を家に呼ぶの、今日が初めてなんだ」



楓は照れたように言った。



「え? ほんとに?」



「うん。前の学校でも親しい友達がいなかったから……なかなか、そういう機会がなくて」



いのりとあずさは顔を見合わせて、少しだけ胸が熱くなった。


部屋に入ると、白を基調としたインテリアに、観葉植物や落ち着いたアートが飾られ洗練された空間が広がっていた。


「うわ、モデルルームみたい……」


そのとき


「楓!?帰ってきたの?」


「うん、お母さん!ただいま!」


と、奥のキッチンから母親の声がした。


品のあるロングヘアに、やわらかな表情。


いのりとあずさは、思わず見とれてしまった。


「まぁ、いらっしゃい。楓が友達連れてきたなんて……初めてよね」


「はじめまして、風張いのりです。すみません、突然お邪魔して……」


「はじめまして、七條あずさです。楓さんと仲良くさせていただいています。」


いのりとあずさが少し緊張気味に言うと、母親はにっこり笑った。


「いえいえ、ようこそ。楓が楽しそうにしてるの、久しぶりに見た気がするわ」


あまりにきれいな母親を見て、楓は母親似なんだなといのりは察した。


「楓のお母さんて美人なんだね。」


「うん、めっちゃきれいでびっくりした。」


あずさも同意する。


「えっと……じゃあ、先に荷物置いて。コーヒー入れてくるね」


母を褒められて嬉しそうな楓がキッチンに向かったそのとき。

リビングの棚に置かれた写真立てが、ふと目に入った。

いのりが近づいて見てみると、それは野球場での引退セレモニーの写真だった。


「これって……」


写っていたのは、ユニフォーム姿の男性に花束を渡す少女。

そして小さな男の子と、穏やかな笑みを浮かべる上品な女性。


「……これ、楓じゃない?」


「え?」



あずさも隣から覗き込む。

そのとき——。


「ただいまー。あれ、玄関に靴増えとる?お客さんか?」


玄関から男の声が聞こえた。


「わ、お父さん帰ってきた!」


楓が顔を出すと、背の高い、細身だけどがっしりとした男性がリビングに入ってくる。

グレーのジャケットに白いシャツ。見るからに元アスリートの風格を漂わせている。


「あっ、JK自治会長じゃん! この前の事故以来だな!」


いのりは思わず立ち上がった。



「皆本慎太さん……!? え、まさか……」


楓が驚いたように父の方を向く。



「いのり、知ってるの?お父さんのこと」



「うん、この前、団地で高齢住人の踏み間違いの事故があって……そのときに助けてくれたのが皆本慎太さんで。あと野球教室でも弟がお世話に……」


「え、楓のお父さんって、あの元プロ野球選手の皆本慎太さん!?」


地元球団である東亰メザメルト・シャークスのスターレジェンド選手。

さすがにあずさも知っていただけあって、目を見開いた。



「ってことは、さっきの写真って……」


「そう、あれ私。小学生のとき、九紅スタジアムの引退試合でお父さんに花束を渡したの。弟も一緒にね」



楓が照れくさそうに笑う。


「弟さんは今?」


「あ、今は高校一年生。野球部で毎日夜遅くまで練習してるよ。お父さんが通ってた学校ほど強豪じゃないけど、真面目に頑張ってる」


「えー、すごい!スポーツ一家じゃん!」


「そんなことないよ。私は運動からっきしだし。」


いのりが感心して言うと、慎太がニカッと笑って言った。



「おいおい、楓に凄いJK自治会長がいるぞって話しとったんやけどな。仲良くなってこいよって言ったら……まさかホンマに友達になってたとは。よかったやんけ、楓!」


「うん。はじめて、友達できた」


楓の声には、どこか安堵と喜びがにじんでいた。

そのとき、キッチン奥から再び女性の声が聞こえてきた。



「ちょっと、慎太?…解説の地方遠征から帰ってきたの?」


「おう、ただいま」


慎太が荷物をリビングに下ろす。


「もしかして楓のお母さんも有名人だったりするの?」


あずさが気になって聞く。


「うちのお母さん、昔、アナウンサーやってたんだって。」


「え!?楓のお母さん、アナウンサーだったの!?」


二人はびっくりする。


「あらあら、地方局のちょっとした職員みたいなものよ。」


謙遜する楓の母。


「お父さんが現役のとき、遠征先で取材受けて。お母さんに一目惚れして……それで付き合って結婚したんだって」


「へえ…。納得。」


いのりが呟く。


「そうだ。さっき、ちょうどケーキ買ってきたんだよ。」


慎太が恥ずかしそうにしながら手提げ袋を差し出した。


「この前、ビシ九郎と大矢相談役と一緒にパチンコ行ってな。勝ったからお土産ってことで、楓の好きな店のケーキ買ってきた。ほら、人数分あるから、よかったら君たちも食べていって」


「え?ビシ九郎と……大矢相談役!?」


いのりが意外なメンバーに吹き出す。


「今度は健康ランドか、スイーツビュッフェ行く計画立てとるで。」


「高齢者の相談役がスイーツビュッフェ…?……ハクビシンが健康ランド……?」



いのりが困惑する。


楓がぽかんとしながら笑った。



「ねぇ、なんだか楽しそう。今度、私もその団地に遊びに行ってみたいな」


「ぜひぜひ!歓迎するよ!」


とあずさ。


そんなこんなで、和やかな時間が流れた——。


「じゃあ、そろそろ帰ろうか」


「うん、ありがとう楓」


「また学校でね」


「お父さん、駅まで送ってあげて」


母親の声に、慎太がうなずく。


「よし、じゃあ乗ってけ。ちょっくら湾岸ドライブで九潮団地方面通るか。」


外に出ると、目の前には黒の高級セダンが停まっていた。


「え、これって……さすが元プロ選手…。」


「ビシ九郎たちをパチンコ屋へ乗せてたのと同じ車やで。」


と慎太が笑う。


「かっこよ……」


あずさも高級車に緊張が走る。

助手席に楓、後部座席にいのりとあずさを乗せて、車は静かに走り出す。


「へぇ、こういうところなんだ」


楓が車窓越しに九潮団地を見て呟いた。


「団地って、なんか楽しそう。みんなで一緒に何かしてるって感じがする」


「うん。最初は驚くこともあるかもだけど、住んでみたら意外と悪くないよ」


いのりが笑って答えた。

やがて車は団地の前に到着し、2人は降りた。


「今日はありがとう、また明日学校で!」



「またね、いのり、あずさ」



「ばいばーい、楓」


車の窓越しに手を振る楓と慎太。

いのりはその光景を見ながら、心の中で呟いた。


(新しい友達ができるって、こんなに嬉しいんだね……)


春の夕暮れ、優しい風が三人の心を包み込むように吹いていた。





今回は楓の初登場回でした。

彼女の人物像や背景は、これから少しずつ掘り下げられていきますが、今回だけでも既に団地ワールドと繋がるきっかけが見えたのではないでしょうか。

新しい友達が加わることで、いのりたちの関係や日常も変化していきます。

次回も楽しみにしていただけると幸いです。

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