第17話『これが“本物の特打ち”や』
今回は、いのりが不在の一日を描いてみました。
皆本慎太、ビシ九郎、そして大矢相談役。
三人が向かった先は、団地の外にある大人の娯楽施設――平和島のパチンコ屋です。
学生自治会には、まだ少し早い“刺激の強い遊び”。
けれど団地では、今日もそれぞれの時間が、静かに、そして少しだけ熱く流れていきます。
春の陽が、パチンコ店「パーラー平和島」の看板を鈍く照らしていた。団地の近くにある唯一の娯楽施設。昼下がり、人通りは少なく、のれんの内側だけが異様な熱気に満ちている。
その入り口に、一人の老人が腕を組んで立っていた。元自治会長で現在は相談役の大矢である。真っ白なキャップをかぶり、サングラス越しに店の状況を窺っている。
「今日は舟券の分を取り戻す日じゃ……」
そう呟くと、肩にぶら下げたエコバッグから取り出したのは、紙幣で少し分厚くなった茶封筒。自治会時代から変わらない“現金主義”だ。 すぐ目の前にある平和島ボートレース場で、前日に負けた鬱憤を晴らすべくやってきた。
そこへ、美少女姿になったビシ九郎がフワリと現れた。
霊体でありながら、なぜか自動ドアをすり抜けず、普通に反応して開けている。
「相談役、今日も行くんやろ?」
「おうとも。ワシのパチンコセンスは、まだ衰えとらん。……それに今日は、もう一人おる」
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高級セダンを大型立体駐車場に停めて、静かに店の前まで歩いてきたのは皆本慎太だった。 大矢と、ビシ九郎を乗せて平和島まで車を出した。 キャップを深く被り、マスクをしているが、その風格と元アスリートの体格で一発でバレる。
「よく来たな、レジェンド。早く打ちたくなったじゃろ?」
「相談役に呼ばれちゃ断れませんからね」
2人は古くから区が主催する自治会向けの子供野球教室で親交がある。
「現役時代に封印していた鉄球の右打ち、ランチ特打、どれだけ健在か確かめたくなりまして。明日のナイター解説まで暇でしたから、ちょうどよかったですよ。」
3人は顔を見合わせる。老人、現代へ転生した地縛霊、そして元プロ野球選手。
異様なパーティーが、パチンコ屋の暖簾をくぐる。
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「開戦!パーラーピンフジマ!」と書かれたポスターは明日の新台入れ替えを告知している。 その前日のせいか客足はさほど多くない。
店内もBGMと球音が騒がしくも、なぜか心地よい。
大矢は「CR銀河物語」の島に向かい、慣れた手つきでシマを見回す。
ビシ九郎は目を閉じて“波”を読む。
「今日はこの島、5番目の台が光る……見えたわ」
皆本は準新台コーナーでひときわ派手な演出の台に目を止める。
「この機種……嶽山が昔よう打ってたやつの後継機やな。」
かつての後輩・嶽山。鉄球の止め打ちに天才的な反応速度を見せ、2000発を一撃で積み上げる異端の打ち手だった。だが、練習をサボり、門限を破り、温厚なコーチも激怒させた問題児。野球では天井知らずの才能を持ちながらも、自分の限界を超えようとはしなかった。 最終的にチームの4番を打つようにはなったが、腰痛で皆本慎太より早く現役を退いた。
「もっと真面目にやってりゃ、超一流になれてたのに……。てか、パチンコのやり過ぎで腰痛めたんやろな。」
皆本は思い出に浸り、そう呟きながらハンドルを握った。
それぞれの勝負が始まる。
---1時間後---
しばらくして、ビシ九郎が自販機の前でうろうろしていた。
「お、あったあった。メザメルト社の“キマルデチャージ”! これが決まれば、運命も決まるって噂や」
ちょうどトイレ休憩で台から離れていた皆本がビシ九郎に気づく。
皆本は、乳酸飲料のメザメルトとエナジードリンクのキマルデチャージを買い、ビシ九郎にキマルデチャージを差し出した。
「ほら、お前、バテ気味やろ」
「おお……ありがたや~! これは命の乳酸菌エナジードリンクやで!」
ビシ九郎が一気に飲み干すと、全身が発光。
《SE:ファンファーレ+目がバチバチ光る効果音》
《テロップ:『活動時間+1000h』『波読み成功率+50%』》
「うぉぉぉお!! キタキタキター!!!これで1000時間は肉体を維持できるで!!天井突破も夢じゃないぃぃぃ!!」
「いや、天井は突破したらアカンて!」
※天井とは、大当たりを引けないまま強制当たりを発動するまでハマること
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数時間後、ドル箱を積みながら当たりも外れも引いた3人が、パチンコ屋の裏口で缶コーヒーを片手にひと休みしていた。
大矢がタバコに火をつける。
「ふぃ~……やっぱ出したあとの一服は最高じゃ」
皆本はしばらく迷ったのち、大矢からタバコを一本もらい、火をつけた。
「現役時代から禁煙中やけど、今日は吸ってもええ気分やな」
それを見たビシ九郎も、
「ワイも混ぜてや」
と貰いタバコをして咥える。
「お前、吸えんのか?」
と驚く皆本に、ビシ九郎は少し誇らしげに語った。
「吸えるんや。異世界から来たときな、体が“物理干渉型霊体”に再構成されててん。物に触れる、味も感じる、煙も吸える。せやけど、内臓は情報体やから、タールもニコチンも“影響ゼロ”」
「うらやましいのう……ワシなんぞ、ギャンブルも酒もタバコも女もドハマリ中毒まっしぐらじゃ。病気で、いつお迎えが来てもおかしくないのう。」
と大矢が笑うと、ビシ九郎も笑った。
「それがな、ワイは中毒にならへん構造なんや。快楽物質に脳が反応せえへん」
「さっきキマルデチャージでめっちゃキメてなかったか?」
と皆本が突っ込むと、
「あの味はヤバいで。霊体の脳みそにも快楽物質にまみれた汁が溢れるわ。何か変なもんでも入っとるんかな。」
「俺の所属してた球団の親会社、そんなヤバいもん作っとったんかいな!」
「あとパチンコもネトゲもめっちゃおもろいねん。でもな、自制できなくなるほどやない。なんていうか“落ちる楽しみ”が味わわれへん。いつも地上から浮いとる感覚や。翌日には関心が薄れとる。」
「それはそれで、地獄じゃのぅ。」
他愛のない話の中で、それぞれのタバコが燃え尽きた。
工事現場によくある火の用心と書かれた赤い灰皿の中にタバコを落とす。
ジュッと火が消えると、各自の持ち場へと散っていく。
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そして午後のひと打ち――
「おっしゃあああああ!!!!」
突然、大矢の台が爆音を響かせた。
「見たか!? これがワシの実力じゃ! 天井からの逆転よ!」
目を充血させた大矢に連続大当たりの波が押し寄せる。
「きたな、波。メザメルトより決まっとる」
とビシ九郎がうなる。
「お前、それ言いたいだけやろ……」
と皆本が苦笑する。
そして皆本の台にも虹演出。
「来たな!ほな右打ちいくぞ……嶽山、見とけ。これが“本物の特打ち”や」
皆本の止め打ち音が、パチパチパチと響く。
「皆本、右打ちキマりすぎて神格化しとるで……」
「ワシもまだまだじゃ!」
と、大矢も叫ぶ。
それぞれがアタッカーに鉄球を流し込む光景は、さながら運命への一撃だった。
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夕暮れ時の帰り道。
パチンコのパのネオンが消えかかって残念なことになっている。
ビシ九郎と大矢は、皆本の高級セダン団地まで送ってもらう車内で楽しそうに反省会をする。
「そういえば、自治会長は頑張っとるかね。あんなピュアな女子高生にワシらみたいな、こういう遊び教えたらいかんな」
かつて自治会費をパチンコに突っ込んだ大矢が、ぼそりと呟いた。
「真っ直ぐでええ子やで。ワイらのような“落ちて戻った”人間とは違う」
とビシ九郎も静かに言う。
「じゃがな、あの子がいつか落ちるような日が来たら……そのときはワシらが下で受け止めてやるんじゃ。せめて、痛くないように」
それに対して皆本は呟きながら、ふと思い出したように言った。
「例の女子高生自治会長か? ビシ九郎が言うてた子やろ?うちの娘と変わらない歳やのに、しっかりしとるらしいな。」
その言葉に、ビシ九郎と大矢はほほえむ。
「そりゃあもう、しっかり者や。たぶん、団地に必要な最後の希望やな」
3人の笑い声が、車内にふわりと広がった。
「それにしてもビシ、ワシの貯玉を増やしてくれて助かる。タバコも値上がり続くからのう。今月もこれで何とか過ごせそうじゃ。年金だけじゃキツイわい」
「ええんやで。ワイも大量のお菓子とかメザメルトに交換してもらえたからウィンウィンや。」
今日もトランクに積まれたお菓子の山とメザメルトの容器が揺れている。
「俺も妻と娘に美味いもんでも買ってやるか。こういう時くらい親父らしいことしてやらんとな。」
「それにしてもビシの勝率は大したもんじゃな。ビシを連れて行くようになってからワシの貯玉も増えて増えて笑いが止まらん。菓子くらい安いもんじゃよ。」
「おおきに。ワイは一度死んで転生した身のせいか、なんかパチンコ台から発せられる波動みたいなんが感じられるんや。もうすぐ大きな波が来るぞみたいなのがや。」
「不思議な能力やな。ビシなら助成金もらわなくても、パチプロで食っていけるんやないか?」
「無理や。当たりが近いという波が感じられるだけで、必ず当たりが引けるわけやない。そこは運やな。それに毎日打ってたら飽きる。パチンコは他人の金でたまに打つからおもろいんやで。」
車内に笑いが広がる。
気づけば九潮団地へ3人を乗せた車が到着していた。
それじゃあまたね、と次の約束をして3人はそれぞれの帰路へつく。
ビシ九郎はたっぷりと交換したお菓子を手に集会所へ消えていった。
とある、いのりがいない日の団地の様子であった。
この話は、風張いのりが学校にいる平日、団地の大人たちによる“ほんの少しの休息”を描きました。
パチンコというと依存や破滅のイメージが強いかもしれませんが、団地で生きる人々にとっては、老いと孤独の中にある数少ない娯楽でもあります。大矢相談役、皆本慎太、そしてビシ九郎――異なる過去を持ち、異なる道を歩んだ彼らが、玉の動きひとつに一喜一憂する姿には、どこか人生の縮図のようなものが見えました。
大矢相談役のセリフ、
「あの子がいつか落ちるような日が来たら……そのときはワシらが下で受け止めてやるんじゃ」という一言に、この物語で伝えたかった“団地の絆”が凝縮されています。
風張いのりという少女が、どれだけ真っ直ぐに、どれだけ全力で生きていても、社会や人生は時に容赦なく牙を剥く。だけど、そんなとき――こんな風に支えてくれる大人たちがどこかにいてくれたら。
この物語は、団地に生きるすべての人々の“第二の青春”であり、“最後の誇り”でもあります。
いのりのいない日にも、団地はちゃんと回っている。
そして、彼女が帰ってきたときに、また支えられるようにと、今日も誰かが玉を打っているのです。
それではまた次回。
どうかこの団地を、引き続き見守っていただけたら幸いです。