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第12話『ハクビシンが集会所に出没してるんですけど!!』

団地に汚水が溢れて大騒動になった九潮パークタウン。

自治会長の風張いのりは率先して事後対応に当たり、副会長の哲人も的確な指示で住民を避難させました。

そして、別号棟の七條あずさも長靴姿で駆けつけ、いのりは彼女の人柄の良さを再認識します。

そんな中、片付けで立ち寄った集会所で──

いのりは、団地では見たこともない“謎の生き物”と出会うのでした。




「え、なにこれ……めっちゃ臭っ……!」


団地中庭に傾き始めた夕陽が差し込む頃。

いのりは制服のままゴム手袋をはめ、うんこ混じりの汚水をバケツでかき出していた。

足元から立ち上る強烈な臭気に、顔をしかめながら鼻をつまむ。


「やっぱり、今日中にやらないと……」


「だよね」


いのりとあずさがせっせと汚水処理に走る。

この辺りは安く暮らせる団地ならでは。

自治会で管理している影響で、清掃業者が入ってこない。

依頼すれば費用もかさむが、チャイニーママの保険を使えば補填は可能。

とはいえ、とりあえず今すぐ可能な限り片づけないとニオイが洒落にならない。

仕方なく動くしかなかった。


明日が休みで良かった。今日は金曜日。

哲人のアドバイスで、住民は早めにホテルを確保して避難済み。

もし週末じゃなかったら、汚れた制服のまま登校という悲劇が待っていた。

隣でしゃがみ込んだあずさが、手際よく排水溝にバケツの水を流す。

残された通路と階段に残る汚水の残骸を片付けているのは、ほんのわずかな有志だけだった。



男性住人たちにとっては華の金曜日。

早々に団地を出て飲みに出かけている。

117号棟から駆けつけたあずさは、長靴を履いて黙々と動いていた。

急いで対応に駆け付けたため、いのりとあずさは制服のまま。

最低限の準備で現場に戻ってきたのだ。

その姿を見た高齢者が、ぽつりと漏らす。


「七條さんちのあずさちゃん、ありがたいねぇ……ほんとに優しい子だわ」


その声にいのりがピクリと反応する。


「七條……あずさ?」


「なにそれ改まって。学校で先生に“七條”って呼ばれてるの知ってるでしょ!」


「知ってるけど、あずさじゃないみたい。」


「フルネームで呼ばれると逆に照れるんだけど?」


あずさは笑い、雑巾をギュッと絞る。


「私の中では、“あずさ”単品だからね」


といのりも笑う。


(……ほんと、いい子だな)


いのりはそう思いながら、片付け作業を続行した。


副会長が修理業者との打ち合わせから戻ってくるが、清掃は対象外。


「副会長!こっちも手伝ってください!」


「すみません会長、くさいのは専門外なので……」


鼻を押さえながら後ずさる副会長に、思わずツッコミを入れたくなる。


「私だって専門外だし!」


そんなやりとりのあと、作業は無事完了。

ホースで水を流し、通路は清潔を取り戻した。


その日の夜、制服を預けた帰り道。

いのりとあずさは集会所に立ち寄った。

集会所の畳の部屋。

ひんやりとした空気と、少し古びた匂い。

いのりは備品棚を開け、使わずに余った軍手やマスクを丁寧に戻していた。

そのときだった。


「……え?」


ふと奥を見やると、畳の部屋に電気がついており、

青いタオルケットの下で何かが“もぞっ”と動いた。

タオルケットの端から、もふもふの尻尾が飛び出している。


「え?……生き物?」


そっと近づいて覗き込むと、黒くてまるっこい体が姿を現した。

ぬめっとした光沢のある毛皮。ピクリと尻尾が動く。


「なんや……騒がしいと思ったらおぬしかいな」


「え?え?えええ!?喋った!?」


「お疲れやったな。まだニオイ残っとるけど、集会所が無事で良かったわ」


「は……? だれ???」


「ワイはビシ九郎や。いのすけと話すのはこれが初めてやな」


「いのすけ……? 誰のこと?ってか……ハクビシン!?ぽっちゃりじゃん!」


「ぽっちゃりって言うな!ワイ、猫科の気品ある生き物やぞ!……まあ青春は、とっくに終わったけどな」


「……なんで畳で寝てんのよ」


「どうでもええけど、はよ、そこ閉めてや。まだこの時期は寒いねん。しっぽが冷えるんや」


「なんかおじいちゃんみたい。へんなしゃべり方してるし」


「ワイはこう見えても、ぴちぴちのメスやで。いのすけと同じや」


「え……。女の子なの……??」


いのりが動揺する。


「ちゃんと見たことないけど、島の外へ出るとき、めっちゃ美少女になるらしいよ。九潮では有名なハクビシンだからね」


あずさが補足する。

どうやら彼女はビシ九郎の存在を知っていたらしい。


「え、そうなの……?(困惑)」


ビシ九郎はタオルケットをくるくる体に巻き、畳の上でゴロンと寝返りを打つ。


「ワイな、あの日もここにおったんや。いのすけが会長に任命されたとき。隅っこでずっと見とった」


「えっ……マジで!?ってか、いのすけって私のこと……?」


「そうや、いのすけや。ワイが初めて見かけた日からずっとそう呼んでるで」


そこへ、壁のモニターが点灯する。

ぴょこっと現れた美少女アバターの顔。哲人だった。


「会長、お疲れ様です……俺は臭いの無理なんで。遠隔から失礼します」


「ちょっと、副会長!私だって臭いの得意じゃないんですよ!ってか、ハクビシンが集会所に出没してるんですけど!!これやばくないですか!?」


そのとき、哲人の目がわずかに鋭くなる。



(あれ……気づいてるのか、この子も)


いのりの反応を見て、哲人は察する。

再び、あずさが補足するように言う。


「ビシ九郎って、九潮では普通に知られてる存在だからね。妖精?みたいなもんかな。」


「……そんなの、聞いてないんだけど」


「最初は見えない人もいるらしいよ。でも、そのうち慣れるって」


いのりは戸惑った。


(あずさは何も思わないのかな……? 私、いままで全然気づかなかったのに……)


画面越しに映るいのりの姿を見て、哲人の目が少しだけ変わった。


(会長……。やっぱりビシ九郎のことを異常な存在って気づいてるっぽいな……)


“自治会長・風張いのり”という存在が、哲人にとって別の意味を持ち始めていた。


ビシ九郎はごろんと仰向けになり、スマホを見つめる。


「ワイ、哲人にもらったスマホで、“ひゃくちゃんねる”やっとるんや」


「ひゃくちゃんねる……?」


「なんでも実況の進化系やな。大昔、ひろゆけって人間が作ったネット掲示板らしいで。おもろいスレ多いからな。なんJ語も覚えたわ」


「……なにそれ怖っ。ってか、変な喋り方はこのせいか」


「ひゃくちゃんねるでコメントしながらプロ野球観戦が、これからのシーズンで最高の楽しみなんや」


よく見ると、畳部屋のテレビにはプロ野球中継が映っている。

ヘッドホンが挿されており、音漏れはない。

ひっそり暮らしている様子が伺える。


「哲人はな、ワイの居場所を監視しとるつもりなんや。せやけど、それも悪い気せえへん。イケメンに見られているってだけで照れるやん」


「それ言っちゃっていいの!?」


「でもなんや、3Dのメスに変装して、ワイのこと見張っとるんやけどな。たぶんワイのこと警戒して必要以上に見透かされんようにしてるんやろ」


「それで副会長が美少女アバター使ってたってこと……??」


「でも哲人はな、スマホのデータ使い放題させてくれるだけで神やで。動画もソシャゲもやり放題や。課金は禁止されとるけどな」


そして、ぽつりと。


「ワイな、監視されても九潮から出られんのや。正確には出られるけど、姿変えなアカンから疲れるんよ」


「……は?」


「さすがに島の外で、この姿のまんまも良くないからな。ここではみんなが素のままのワイを受け入れてくれるからありがたいで」


「その姿が美少女ってこと?なんかもうよくわかんない……」


「集会所はええで。座敷もテレビも冷蔵庫もある。飲み物も常に補充されて、種類も豊富にある。もはやドリンクバー状態で最高や。役員のおっちゃんが買ってきた菓子もあるしな。この前、糖尿病のおばちゃんが貰ったのに食えんって持ってきたプリンは特にうまかったわ。」


「なにこの……自由すぎるハクビシン……」


「たまには外にも行くで? 近所のおっちゃんにパチンコ誘われたり、犬井競馬場の重賞レースあったときとか。平和島ぴんふじまのボートレースもたまらん。プロ野球はな、皆本慎太がよう誘うねん。なんか元プロやから解説席とかいうVIP席に連れてってくれるんや」


「皆本って誰!?っていうかマジでなんなのこの生き物!?」


「それでも長時間、九潮の外にいるんは疲れるんや。だから集会所がいちばんええわ」


いのりは完全に追いつけない。

だが、どこかで感じていた。


(この生き物……ただのハクビシンじゃない)


ビシ九郎はくるりと寝返りを打ち、薄目を開けていのりを見上げた。

そして、ぽつりと呟いた。


「いのすけ……やっぱちょっと変わっとるな。ワイのこと怖いか?」


その言葉に、見透かされているようで、いのりの背筋がほんの少しだけぞくりとする。

何かが、自分の中で目を覚ましそうな気がした。


「心配あらへん、ワイはいのすけと同じぴちぴちのメスや。もう青春はとっくに終わってしまったけどな。ほんとは女子同士で群れてみたかったんやで」


「いいじゃん、みんなでクロノワール食べに行こうよ」


と、あずさ。


「いや、もううんこはいいわ……」


いのりは怒涛の一日にめまいがするほどの疲れが押し寄せた。


──春が来た。


畳の部屋で、小さな異変が始まった。

この日から、いのりの“世界の認識”は、ゆっくりと塗り替えられていくことになる。

ついに、ビシ九郎が初登場します。

実は、「じちまか」のプロローグで最初に語っていたのは彼女──

この“ぽっちゃりハクビシン”こそが、物語の裏軸を支える異形のキャラクターです。

初めていのりと対面し、“ぴちぴちのメス”同士が並ぶ異色の空間に(笑)

いのすけ、あずさ、ビシ九郎、それぞれの視点が重なっていくこの先。

ぜひ、彼女たちの“行動でつながる友情”と“違和感の芽生え”を見守ってください。



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