第11話『副会長として、ちゃんと助けますから』
自治会のことを忘れて、久しぶりに親友・あずさとの時間を楽しむいのり。
だけど、その平穏は突然破られます。
団地からあふれ出す汚水――異臭と汚物にまみれる大惨事!
女子高生にできることなんて、何もない……そう思ったそのとき。
救世主の副会長・尾花哲人が颯爽と登場。
団地に現れた“黒い災厄”と、それに立ち向かう“光”の物語が、今始まります。
カメダ珈琲の前。
いのりとあずさは、紙ナプキン片手に口元の黒い点を指さして笑っていた。
「ねぇ、クロノワールってゴマだけじゃなくて、黒さ出すために竹炭も入ってるらしいよ」
「えっ、マジ?ウケる!」
「通りで黒光りしてたわけだよ……」
「てか、ゴマだけで真っ黒だったら、ゴマ臭すぎるもんね」
「うん、アレはゴマ+竹炭の最強タッグだった。なのに生乳感しっかりしてて、クドくない」
「黒すぎて、もはや悪の組織が開発したデザート」
「そこにチョコチップのビジュアルインパクト!もう完全にうんこ!」
2人はそんなふざけた話でケラケラ笑い合っていたが、数十秒後には“本物の黒い災厄”に向かって全力疾走することになるとは、夢にも思っていなかった。
スマホが震えた。
いのりが画面を確認するやいなや、顔色が変わる。
「やばい、団地で水漏れ……っていうか、下水逆流してるって!」
前会長からのメッセージだった。
「下水!? やばくないそれ!?」
「うん、行こう!」
2人はクロノワールの余韻も忘れて駆け出す。
夕焼け色の空を切るように走っていく。
ちょうどその頃、団地へ向かう緑道の脇道を無地のロンT姿の青年が歩いていた。
手にはリュック。帰宅途中の副会長・尾花哲人だった。
「……風、…うっ…くさっ!」
団地育ちの哲人には、嫌でもわかる。これは“下水漏れのニオイ”だった。
その瞬間、スマホに着信が入る。
受話器越しの声は、117号棟の祖母・尾花さん。
『あんた、聞いた!? 下から汚水があふれてるって! 今すぐ現場来て!』
哲人が反射的に振り返ったとき、夕陽を背にして走ってくる2人の少女がいた。
いのりとあずさが哲人を追い越していく。
「あれ……会長?」
哲人は目を細めたが、2人はすでに角を曲がっていた。
—
119号棟のエントランス前には、異臭と黒ずんだ汚物が広がっていた。
1階の部屋から下水が逆流し、廊下まで被害を及ぼしていた。
片隅にはうなだれる1人の男性。無職の60代後半、一人暮らしの住人だった。
「スマホと財布だけ持って飛び出しました……。…今夜、泊まるところ……どうしようかな」
いのりとあずさも先に到着していたが、特に何かできている様子はない。
哲人はすぐに状況を整理し、指示を出す。
「今すぐホテルを取って。食事付きのところ。保険会社にも説明しやすくなるから。領収書出るし」
※こういった災害時、明確な宿泊費用と食費が発生していた方が、保険対象として処理しやすい。誰かの家に転がり込んでしまうと、食費や光熱費の負担分が“実費かどうか”の証明ができず、保険認定が難しくなる。
異臭はすでに117号棟まで風に乗って届いていた。
哲人の指示で団地の空気が一変し、いのりは急いで自治会長ファイルから業者リストを確認。
連絡を入れると、幸いにも顔馴染みの水道業者が近くを巡回中で、10分足らずで現場に到着した。
いのりとあずさは、119号棟の他の住戸に「今は排水を控えてください」と声をかけて回った。
並行して業者が他の階のトイレや浴室を調査する。被害はどうやら1階住民の部屋のみで済んだ模様。
その後の業者による調査の結果、排水管の詰まりは明らかにトイレットペーパーによるものだったらしい。
しかもその紙には、独特な模様――コヌトコ(巨大ホールセール)の人気商品であるトイレットペーパーの柄が確認された。
このペーパーは溶けにくく、詰まりやすいと水道業界では“要注意アイテム”として有名だという。
縦配管でつながっている構造のため、上階の住人が原因の可能性もある。
その後、被害確認で回っている際に、上階にあたる3階の住戸にて該当するトイレットペーパーが確認された。
使用していたのは、入居半年ほどのチャイニー出身のシングルマザーだった。
「知らなかったんです……こんなこと……」
「とりあえず、修理費用の建て替えをお願いできませんか?」
「ごめんなさい…今、お金……そんなにない……」
泣きそうな声に、誰も強く責めることはできなかった。
いのりも、対応に戸惑う。
そこへ哲人が前に出た。
「火災保険、入ってる?」
「入ってないです……」
「じゃあ、自転車は?」
「乗ってます……」
「自転車保険は?」
「それも…入ってません…」
「……入ってないのに乗ってるのかよ!!」
怒気混じりの声に、あずさがビクッと肩をすくめる。
いのりが思わず哲人の袖を引いた。
「……怒らないであげて」
哲人は軽くうなずき、冷静さを取り戻す。
「じゃあ、子どもの学校で、なにか壊したときの保険……入ってない?」
「あ、それなら入ってます! 加入した記憶あります!」
「それ、たぶん個人賠償責任保険ついてる。そこから出るよ。自転車保険もそれ入ってるならとりあえず大丈夫」
「本当ですか!?」
「ちゃんと事情説明して申請すれば、修理費も、他の住民の迷惑料も補償されると思うよ」
チャイニー母子がホッと安堵の表情を浮かべた。
いのりも、そっと息を吐いた。
「会長、こういう時は……俺に相談してください。副会長として、ちゃんと助けますから」
スッと差し出されたその言葉に、一瞬だけ胸が高鳴った。
……いや、うんこの中だけど。
でも、なんか…かっこよかった。
「……え? っていうか、副会長なの?初対面の人かと思った!」
と、いのりが我に返る。
「いや、タブレット越しに会ってたじゃないですか!」
(いや、だって美少女アバターだったし……)
その会話を聞いていたあずさが、目を見開いてボソッとこぼす。
「ちょっといのり……うちの団地にあんなイケメンいたなんて聞いてない……ずるいんだけど……いつの間に仲良くなってるのよ!」
いのりは返す言葉に困り、そっと口を閉じた。
団地に舞い降りた黒い災厄。
だけど――その中に、ちょっとだけ頼れる“光”が見えた気がした。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
尾花哲人が、ついに素の姿でいのりたちの前に登場しました。
爽やかなイケメンすぎて、あずさに「ずるい」と言われた哲人。
これからは副会長として、いのり会長をしっかりサポートしていくことになりそうです。
今後も、予期せぬトラブルや事件は避けて通れません。
そんな中で、いのりがどう動き、誰を信じ、何を選ぶのか。
ぜひ、これからも彼女の奮闘を見守ってもらえると嬉しいです。