第10話『クロノワールって、ほんとに黒いよね』
風張いのり。春休みに、九潮パークタウン117号棟と119号棟の代表として自治会長になりました。
高校二年生の新学期、まだ始まったばかりの二日目。久々に親友のあずさと再会します。
今日はほんのひととき、自治会長のことを忘れて、カメダ珈琲へ。
団地に暮らす女子高生の、ささやかな午後を、そっと見守ってください。
第10話『クロノワールって、ほんとに黒いよね』
新学期、二日目。
雛川シーサイド學院では、春らしい陽気とともに、まだクラスに慣れきらない生徒たちのざわめきが満ちていた。
「いのりー、こっちこっち!」
下校時刻のチャイムが鳴った直後、昇降口の外で手を振っていたのは、117号棟の住人で、淡い桜色の髪が目を引く少女・あずさだった。
「……あずさ!」
思わず笑みがこぼれる。
春休みは自治会のことでバタバタしていて、ろくに会えていなかった。
新学期初日も、自治会のことでバタバタしてすぐ帰宅。
クラスメイトとゆっくり話す時間もなかったっけ。
「春休み、LiNE送っても既読ばっかでさ。何かあったのかと思ったよ」
「ごめん……ちょっと忙しくて」
いのりは少しうつむいて、意を決したように言った。
「実はさ、私……自治会長になったんだ」
「えっ、うちの団地の?」
「そうそう、九潮パークタウンの」
「うちの親、何も言ってなかった! まさか、そんな大役に……」
「私も、親が忙しいからって持ち回りの役員を放棄して、代わりにやることになっちゃって」
「マジか……でも、いのりなら向いてそうだよ」
「ありがとう。でもまだ10日くらいしか経ってないし、ほんと全然わかんないことばっか」
「うちの親もさ、忙しくて出たり出なかったりだし、そういうの聞いてなかっただけかも」
「そもそも、新役員のお知らせ……まだ配ってなかったし」
「そりゃ知らなくても仕方ないって!」
「ところで今日、寄り道してかない? 久しぶりに」
「え、いいの?」
「うん。今日は連絡会のライネ通知も少なかったし、何もなさそう」
いのりはポンと軽く自分のスマホを叩いた。春休みから使い慣れてきた連絡会ライネ通知が、最近の情報源だった。
「カメダ珈琲、いこうよ! クロノワール、食べたいなって」
「それなー!! 黒ゴマソフト、チョコチップまぶしすぎて見た目が完全にうんこだけど、あれクセになるんだよね」
「やめなよ、それ。もううんこにしか見えなくなるじゃん……」
2人は笑い合いながら、駅方面ではなく、のんびりと歩ける団地方面の道を選んだ。
バスの定期券は都バス乗り放題。
1年生の頃は乗り継ぎで都心に遊びに行ったりしていたけれど、今はこうして、近所を歩いて話す時間のほうが大事に思えた。
*
店内は春限定メニューのポスターが並び、暖色の照明が心地よい。
クロノワールとブレンド珈琲のセットを注文した2人は、窓際の席で向かい合う。
「クロノワールって、ほんとに黒いよね」
「ね? 黒ゴマソフト、最強でしょ! そこにチョコチップのビジュアルインパクト! あれで完璧!」
「ほんと、何回見てもビジュアルがインパクト強すぎるって……」
「でも美味しいから許されるんだよね、アレ」
いのりが頬を膨らませた瞬間、ふとガラスの外を一人の青年が通りかかる。
無地のロンTシャツにトートバッグ。 団地近くの都立產業技術高専の学生らしきその青年──尾花哲人は、ふと足を止めた。
窓越しに見えた桜色にきらめく髪。 そしてその向かいに座る、どこか見覚えのある制服姿の少女。
「……会長?」
小さくつぶやき、尾花哲人は首をかしげ、そのまま歩き去った。
いのりは、そんな視線にも気づかず──
「はぁ……やっぱクロノワール最強。黒ゴマって正義だよ」
「口、真っ黒だけど」
「え、うそ。ちょ、拭いて!」
あずさの爆笑が店内に響いた。
春の午後、花のように笑う声と、甘い黒ゴマの香り。
桜色に輝く美しい髪の少女、あずさが登場しました。
引っ越して間もないいのりを、団地の先輩住人として支えつつ、
本音で語り合える親友として寄り添ってくれる存在です。
そんな彼女といのりの、ささやかな幸せの時間を、
これからも温かく見守っていただけたら嬉しいです。