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【第一部完結】この団地、女子高生に自治会長を任せるって正気なの!?  作者: shizupia


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106/112

第105話『子供たちの未来を守ったのは会長です。』

団地の静かな夕暮れ。

自治会長としての一言が、思いもよらぬ波紋を呼んだママ友パーティ。

守るために動いた人間が、いつの間にか“悪者”として語られる団地社会。

けれど本当の誠意は、言葉ではなく行動の中にある。

第105話は、そんな小さな勇気と信念の物語です。

120号棟自治会の集会所で開催されたママ友パーティー。

無法地帯な現場への注意喚起から二日後。


団地の空気が、少しだけ重たかった。

夕方のチャイムが鳴り終えた18時台。

空にはまだ明るさが残り、犬井町の空を橙色に染めていた。

仕事帰りの住民、買い物袋を下げた母親、駐輪場で話す子どもたち。

何も変わらない日常のようでいて、いのりは感じていた。

この二日間で、何かが確実に変わったことを。


「ママ友パーティーに怒鳴り込んだらしいよ」


「若いから、感情的になっちゃったんでしょ」


「でも21時までは使えるんだから、問題なくない?」


そんな声がどこからともなく聞こえる。

いのりが直接言われることはない。

けれど、誰かの笑い声が自分の話題を避けて通り過ぎるたびに、空気の温度が変わった。

いのりは、団地の集会所へ向かう足を止めなかった。


役員へ共有する経緯報告書。

あの夜からずっと、防災係の増居と確認を取りながら書き続けている。

防災係として冷静な彼女は、何度も正確な情報を返してくれた。


いのり「注意したのは18時20分くらいでしたね。小雨でかなり薄暗かったですけど。」


増居「そうそう。相手の人は“21時までなら問題ない”って言ってましたね。」


いのり「でも私たちは“時間の問題じゃなくて、子どもが道路に出てて危ない”って伝えました。」


増居「注意喚起ですよね。子供が倒れた自転車に巻き込まれそうになってたから。」


いのりはそのメッセージを確認しながら、ノートパソコンに記録を打ち込む。

“18時00分過ぎ、119号棟前道路にて大人数の子どもによる走行確認。

飲酒をした保護者も多数。

120号棟側は21時まで集会所の使用許可を取っているとの主張あり。

当会は集会所外の危険行為から安全面を理由に注意喚起。”


指が止まる。

注意喚起によって主催者側が逆上し、口論になった。

でも、怒鳴ったわけじゃない。

暴力行為もなかった。


119号棟の敷地内を走り回る子供たち。

それを見て119号棟自治会長のいのりが


「雨で地面が滑って危ないですから」


と静かに伝えただけ。

結果的に話は縺れた。

それでも噂の中では、いのりが“怒鳴り込んでパーティーを台無しにした”ことになっていた。

噂は、まるで正義の暴走者。

そして、当事者である増居の名はどこにも出てこない。

いのりの声だけが大きく広まっていた。

画面の隅でカーソルが点滅している。

それを見て慎太の声が心の奥で蘇る。


『誠意は、言葉じゃなく行動や。』


窓の外で、街灯がゆっくりと点いた。

夜の帳が団地を包み始める。

いのりは一度深呼吸し、もう一行、文字を打ち込んだ。


“現場確認者:防災係・増居氏同行。

注意後、当該場所の安全を確認。

利用者の帰宅を見届けて終了。”


指先が止まることはなかった。

彼女は、自分の誠意を報告書という“冷静な行動”で残していた。


---


集会所の蛍光灯がゆっくりと明るさを増す。

壁の時計は18時30分を指していた。

いのりはノートパソコンのカーソルを見つめ、増居と向き合った。


「当日の整理、もう一度だけ確認させてください」


増居が手帳を開く。


「18時05分ごろ。119号棟前の歩道で、子ども乗せ自転車が密集していた。防災倉庫を塞ぐように両立スタンドの電動アシストが多め」


記憶が鮮明に戻る。

歩道の片側がほぼ自転車で塞がっていた。

ベビーカーの家族が車道に出ることを余儀なくされ、居住者の自転車も通路に入りづらい。

そんな時、一本が小さく揺れた。

スタンドが甘く、隣の一台に接触して、連鎖の気配が走る。

ハンドルに下げられた買い物袋が振られ、前方の子ども席が別の車体に引っかかって倒れた。

同時に幼い子が足を滑らせて転んだ直後。

幸いにも巻き込まれずに住んだが

いのりは反射で一歩踏み込んだ。


「大丈夫?怪我してない?危ないから中に入ろうね」


小さな肩に届くか届かないかの距離で、できるだけ柔らかい声を選んだ。

同時に、増居が傾いた自転車のグリップを押さえ、倒れ込みの起点を止めた。

ドミノ倒しのように続くはずだった重みが、ぎりぎりのところで止まる。


その瞬間だった。

派手めなネイルの手がいのりの前に割って入る。

銀河コスモママが早足で来て、声を荒げた。


「ちょっと!子供に話しかけないで!」


いのりは息を整える。


「子供がケガをしたらかわいそうです」


「だから気をつけてるじゃない」


「あと自転車で歩道がふさがっています。歩行者が通るので危ないです。」


「21時まで自由に使っていいルールだけど。時間は守ってるじゃない」


「時間の問題ではありません。子供が走り回れば歩行者も危険です。高齢者にぶつかってケガをしたら、保護者が“加害側”になります」


増居が静かに続ける。


「防災係としても、倒れた車体の下敷きが一番怖いです。いまは明るいけど、視界が落ちると判断も遅れます」


近くのママたちが顔を見合わせる。


「でもここ、いつも置いてるよね」


「みんなで見てるから大丈夫だって」


空気がざわつく。

子どもが一人、主催者の豹変した姿を見て、驚いて泣きそうな顔をした。

そして何も言わず、傍観しているだけのママさんたち。

いのりは距離を保ったまま、視線の高さだけを合わせる。



「お楽しみ中のところ、水を差してすみません。」


いのりが周囲のママさんへお詫びの声をかける。

感情を煽らない声色。

怒鳴る必要なんてない。

必要なのは“倒れる前”に止めることだけ。

だが、銀河ママはなおも強い。


「だから、話しかけるな!!集会所の利用は時間内ならOKでしょ!?」


「時間内でも、うちの敷地内で危ない状況は止めます。許可があるからって何をしても良いわけではありません」


いのりは言い切った。

自治会長としての最低限のリスク管理。

“あとで敷地内のことで責任を追及される”理不尽なパターンも、頭に入れておく。

子供が怪我をしてからでは遅い。

消えない後悔が発生してからでは遅いのだ。

ぶつかった居住者の生活まで壊すことになるかもしれない。

子供がケガをして一生残る傷を負うかもしれない。

もし子供が高齢者にぶつかって命を奪うことになったら。

子供が加害者になって、その親にすべての責任が及ぶ。

子供が罰せられることはないが、一生消えない人殺しの十字架を背負って生きることになる。

そうならないように子供を守ることができるのは保護者であり、主催者なのだ。

そうした配慮に欠ける主催者の在り方が、いのりには許せなかった。

いのりたちの戦いで泣いた子はいない。

大きな事故もなし。

クレームは残ったが、安全に終わったことだけが救いだった。



そして今、集会所。

プリンタの排紙トレイに報告書の印刷が重なる。


「現場の一次対応、危険要因の除去、安全確保、警察相談、当該利用者へ口頭注意(安全理由)。以上でよろしいですか」


いのりが差し出すと、増居は目を通し、少しだけ眉を下げた。


「……私の名前、噂に一度も出てこないみたい。ごめんなさい」


「謝らないでください。子供たちや住民にケガがなかった。それだけで十分です」


いのりは静かに首を振る。


「私は後悔していません。誰かが傷ついてからでは遅いから」


ドアがノックされる。


「会長、入りますよ」


副会長・哲人が入ってきて、報告書を受け取る。

数行読んで、短く言う。


「わかりやすいです。注意喚起の理由が“時間”じゃなく“安全確保”と“責任の所在”だとはっきり伝わります」


「ありがとう。副会長」


「ただ早くも一方的な悪い噂が流れているようですね。ですが、記録は嘘をつかない。会長たちは“事故が起きる前”に動いた。それでいいと思います」


いのりは小さくうなずいた。

心のどこかで、慎太の声が重なる。


『誠意は言葉じゃなくて行動。』


誰もケガをしなかった今だからこそ、迷わない。

自治会長として動いてよかった。

それだけは、誰にも揺らせない。


—---


その頃。

団地の中庭では、夕方の空気が冷たく澄んでいた。

集会所の外で数人の住民が話している声が聞こえてきた。

その中心に、いのりの名前があった。


「なんか、117・119号棟の会長がママたちに注意したって話、聞いた?」


「聞いた聞いた。結構きつい言い方したらしいじゃない」


「団地の道路なんて公園みたいなものなのにねぇ。別に遊ばせてもいいでしょ」


「楽しいイベントを妨害して台無しにしたんだって。普通そこまでする?」


「ありえないよね。やりすぎでしょ」


それは、誰もが気軽に投げる“井戸端のつぶやき”だった。

けれど、それが日常の一部になると、言葉は事実に変わっていく。

増居は、紙コップのコーヒーを握りしめたまま俯いていた。


「……全然違うんだけどな」


隣で聞いていた哲人が低く言った。


「放っておきましょう。いずれ静かになる」


「でも、いのりちゃんの耳にも入るよ」


「それでも、会長は自治会長としての責任から信念を貫きました」


集会所の部屋。

いのりは報告書のファイルを閉じ、封筒に入れていた。


「役員に説明しますか?」


と増居が尋ねると、いのりは静かに首を横に振った。


「LiNEに報告書を流しましょう。でも、誰かに許してもらうために書いたわけじゃないから。事実の報告だけです」


パソコンの電源を落とし、机の上を片づける。

窓の外では、ベビーカーを押す母親と目が合った。

一瞬、母親が会釈した気がして、いのりも軽く頭を下げた。

だがその人が去ったあと、遠くで別の主婦たちが小声で話しているのが聞こえた。


「……ここの自治会長って怖いね」


「女子高生でしょ?若いのに厳しすぎ」


「ほんと、関わらない方がいいわよ」


いのりはカーテンを閉めた。

表情は変えない。

心の中で何度も繰り返す。


『誠意は、言葉じゃなくて行動』


あの日、自転車がぶつからなくて本当によかった。

もし一台でも子どもを巻き込んでいたら、きっとママ友の楽しいパーティが台無しになっていただろう。

そして119号棟の敷地内で足を滑らせて怪我をする子がいなかったことも幸いだった。

もし敷地内で怪我をする子がいたら。

今ごろ責任の矛先は“敷地内の安全管理を怠った117・119号棟自治会が悪い”と一方的に向けられていたかもしれない。

誰かが泣く未来を、たった一歩で防げた。

それだけで十分だ。

机の上の報告書の写しを手に取り、いのりは封を閉じた。

これが、自分の答え。

誰が何を言おうと、事実は変わらない。


---

その夜。

いのりは完成した報告書を、役員のグループLiNEに共有した。


【120号棟集会所利用への注意喚起について】


短く礼を添えて、送信。

数秒後、既読が次々とつく。

けれど、返ってくるメッセージの温度はまばらだった。


>「確認しました。ご苦労さまです。」


>「報告書、細かくて助かります。」


>「……ただ、少し厳しかったみたいね?」


その一言で、画面の空気が変わった。


> 「相手のママさん、すごく傷ついたって聞いたよ。」


>「子どもが怖がって泣いたとか。」


>「“自転車を蹴った”とか、“怒鳴った”とか、そういう話も出てるみたい。」


>「ハッキリと申し上げますが、会長は事を大きくし過ぎです」


>「あちらも21時までは使って良いんでしょ。そこまでする必要ないのでは?」


>「せっかく楽しんでいたところを邪魔して可哀想です」


>「向こうは時間を守っていたんですよね。ありえなくないですか?」



いのりは指を止めた。

それは、まったく身に覚えのない話も混ざっている。

でも、その瞬間。

役員の間にも「噂」が、もう自分の知らない形で独り歩きしていることを悟った。


> 「まあ、真相はわからないけど……次からは気をつけた方がいいかも?」


>「会長が悪気ないのは分かってるけどさ。」


>「120号棟が責任持ってやってるんだから、こっちが口出すことないじゃん」


やわらかい口調。

けれどその奥には、『もう噂を信じてしまっている』匂いがした。

いのりは、画面越しにその温度を読み取った。

沈黙が落ちる。

増居がすぐに書き込む。


> 「防災係の私も一緒に現場にいました。いのりちゃんは怒鳴っていません。倒れそうな自転車を支えて、子どもをかばいました。安全面の観点から注意喚起をしていますが、事実と違うことが広まっているようです。」



一瞬、通知の流れが止まった。

でも、次に続いたのは曖昧な返信だった。


> 「うん、そういう話もあるよね。でも、相手が不快に感じたなら仕方ないかも……。」


「そうそう。やりすぎだよ。」


「わざわざ揉めるきっかけ作らなくても……」


“相手が不快に感じたなら仕方ない”。


その言葉が、いのりの胸に刺さる。

事実よりも「感情」が優先されている。

誰も真実を確かめようとしない。

そして、誰も味方にはつかない。


哲人が短く送った。


> 「会長の判断は正しいです。責任ある立場として当然の行動でした。現在は、記録に残すことで今後のトラブルを防げるように動いています。感情ではなく、事実で判断しましょう。」


そのあと、グループは静まり返った。

既読だけが、淡々と並ぶ。

その数字が増えるたび、

いのりは“線が一本ずつ引かれていく”ような感覚を覚えた。


かつて手を取り合った役員たちが、今は、まるで別の陣営にいるようだった。

誰も敵意は見せない。

でも、目に見えない壁が確かにできていた。

増居が画面を見ながら、ぽつりとつぶやく。


「……噂、すっかりあっちの話が主流になっちゃったね。」


「はい……」


いのりは短く返す。


「私の言葉より、あの人たちの“感じたこと”の方が、届きやすいんですね。」


「それでも、会長の行動は間違ってなかったです。誰よりもみんなのことを考えてくれていました。子供たちの未来を守ったのは会長です。」


「……誰も怪我をしなかったから。私は、それで十分です。」


部屋に戻ったいのりはLiNEを閉じ、ベランダに出た。

団地の灯りが並び、整然と並ぶ自転車の影が足元に落ちる。

その一本一本に、いのりの選択の跡があった。


「誠意は言葉じゃなくて行動」


噂はもう止まらない。

けれど、彼女の中の正義もまた、止まらなかった。

孤立しても、誤解されても、“あの瞬間に動いた”という事実だけが、彼女を支えていた。


夜風が頬をかすめる。

いのりは小さく目を閉じた。

その静けさの中で、

自治会長・風張いのりの闘いは、また次の日へと続いていく。


その時、グループLiNEのメッセージ通知が震えた。


(藤井秀美・会計)「むしろ、120号棟の主催者側が近隣に迷惑をかけないように配慮すべきですよ。なんで会長が悪いってなるんですか。参加者の安全が守られてこその集会所利用です。事故が起きてからでは遅いですし、会長の判断があったから何も起きなかったんです。」



(広報ママ)「“やりすぎ”って言う人は、もしうちの敷地内で何かあったとき、会長の代わりに頭を下げに行けるんですか?リーダーとして責任をとれますか!?私はそうは思いません。あの夜、会長がちゃんと止めてくれたことに感謝してます。」


そのメッセージを見たいのりの心には少しの安堵が生まれた。


「藤井さんに広報のママさんも……」


さらに大矢相談役が投稿したメッセージが短く光る。


> 「すべて会長の言う通りじゃ。責任ある立場として当然のことじゃろうに。ワシは会長を信じてるぞ!」


いのりは目を見開いたままスマホを置き、深呼吸した。


「大矢相談役……」


『平穏に暮らせなくなる』と脅されて、心配していたいのり。

今のところ相手側に噂を流す以外の目立った動きはない。

でも正直、非力な女の子として感じる恐怖は計り知れない。

だけど、とにかく冷静に対応しよう。

周囲には、自分を信じてくれて頼りになる仲間がいる。


ベランダの向こうに、灯りが点々と並ぶ。

そのひとつひとつが、静かな生活の光。

守るべき“日常”。

そして、自分の選んだ沈黙もまた

その光の一部だった。


物語でたびたび出てくる「誠意は言葉じゃなくて行動」というフレーズ。

この言葉が、風張いのりの生き方そのものになりつつあります。

誰かに誤解されても、誰も怪我をさせなかったという“結果”こそが誠意。

そして、彼女を支える仲間たちの存在が、その行動の価値を証明してくれます。

副会長・哲人は冷静に。

防災係・増居は事実で。

会計・藤井と広報ママは正義と感情で。

大矢相談役は人生の重みで。

それぞれがいのりの誠意を支えました。

孤独の中に見える絆。

沈黙の中にある正義。

そして、“守る”という行動が誰かの未来を照らす。

風張いのりという少女の誠意が、読んでくださる皆さんの心に少しでも届けば嬉しいです。

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