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第9話『新学期、始まっちゃった」

風張いのりは高校2年生に。

妹のともりは中学1年生、弟のけいじは小学校に入学して1年生になりました。

そんな風張家の新学期初日。


慌ただしいけれど、どこか温かい──

平凡だけど特別な、風張家の朝がはじまります。

彼らの新しい日常のスタートを、ぜひ見守ってください。


春の朝。九潮団地の玄関という玄関から、扉の開閉音と


「いってきまーす!」


の声が連なって響く。


通学路になっている中庭を、制服姿の中高生たちが駆け抜けていく。

親子連れもちらほら。ランドセルの新しい匂いを吸い込みながら、小さな背中がぐんぐん歩く。

新年度が、また始まった。


風張家のリビングでは、けいじがランドセルを背負い、真顔で両手を腰に当てていた。


「いのりねーちゃん、見てこれ。ほら、きょうはせーそーだからね!」


「うん、見た。正装似合ってるね。……というか、それ昨日も3回は見たよ」


けいじは購入してから、ちゃんと着られるか不安で何度も試着を繰り返していた。

昨日も、

「どう?いのりねーちゃん、どう?」


と聞かれたのは3回。いや、4回かも。


今日は本番。ピカピカの一年生として、正装もキメている。


「ぼく、きょうは笑ってあげないからねー」


「なんでドヤ顔で宣言してるの……?」


水色と白の水玉蝶ネクタイをつけて、口元をキュッと締めるけいじ。

おしゃれでちょっと目立つそのネクタイは、自分で選んだ“入学式仕様”だった。

洗面所では、いのりとともりが朝の支度をしていて、鏡の前は争奪戦。



台所では両親が忙しそうに準備をしている。

その間、父・よしつぐは台所でワックスを手に取っていた。


「ほら、ここならすぐ手も洗えるしな〜」


鍋の側面を鏡代わりに前髪を立ち上げながら、ナチュラルにスタイリングする姿は、まるでプロ。


「ちょっと、そのネクタイ…曲がってるわよ!」


「えっ!?久しぶりだからイマイチどうやるのか思い出せくて。」



「かっこわるいのはダメ!!直して直して!!」


「ちょっ…待って…」


と、鍋の前で前髪をワックスセットしているよしつぐに無理やり迫る。


「わかったからじっとしてて。あれ、ほどけた!?」


と、あっけなくネクタイが垂れ下がる。

仕方なく、きよのが最初から直す。

父の慣れないネクタイに母が苦戦しているのが聞こえる洗面所。

髪の毛のセットは手慣れた父も、ネクタイはまともに締められないらしい。

ともりは制服の裾を軽く整えながら、洗面台の鏡の前で小さくうなった。


「……やっぱ、ちょっとぶかぶか」


「それがまた“中学生感”あっていいんじゃない?」


「ふふ、でしょ。でもこれは“これから育つ”予定だから」


制服の胸元を無意識にちょっと押さえるともり。

いのりはちらっと横目でそれを見て、何も言わなかった。

“この間まで小学生だった妹の方が、なんかバランス良くなってない?”

そんな考えがよぎったけれど、表には出さない。


「私も……これから育っていくはずだったのに……」


「お姉、それもう“過去形”になってない……?」


「うっ……いや、私は“清楚でスマート系”ってやつだから」


「それ、今つくったでしょ」


「でも……悪くない言い方じゃない?」


「自分に言い聞かせてる感すごいけど、まぁいっか」


台所でよしつぐのネクタイを直した母・きよのが、今度はけいじのシャツのボタンを直していた。

今日は両親も正装。入学式に出席するため、いつもよりフォーマルな装いだ。


「お母さん、そのブラウス……ボタン、また開き気味だよ」


「え、ほんと? あら〜……開けてるの忘れてたわ〜」


いち早く着替えを終わらせた母親も、慣れない正装に、わざと?乱れた胸元をちらつかせる。


「っていうかお母さんさ、物流の作業着ってふつう厚手だからスタイル隠せるはずじゃん? でもママだけ、“出るとこ出て、引っ込むとこ引っ込んでる”のがバレバレなんだよね…ズルい…」


髪は明るめ、肌はつやつや、服の下はどう見てもナイスバディ。

明らかに物流のパートおばちゃんのイメージじゃない。

現場で働くタイプには見えない“派手かわ美人”が、きよのという母だった。


「ねぇ、お父さんがお母さんに惚れた理由、ちょっとわかるかも」


「ちょ、いのり!?朝から何言ってんの!」


「……でも、ほんときれいだよ」


スーツ姿がキマったよしつぐが、さらりと囁いた。

元美容師の経験値がうっかり出てしまう、“女が言われて嬉しいセリフ”の達人。


「……やめてよ、そういうの……」


「お母さん、照れてる〜」


「きよのさん、ほんと好きだよ」


「やめてってばっ!」


「昼ドラか!!」


いのりとともりが、ハモるようにツッコんだ。


「はいはい!じゃあそろそろ出発しまーす!」


けいじが先頭に立って玄関に向かうと、両親も続く。

ともりも、九潮學園の中等部へ進級するため、けいじと一緒に家を出た。

いのりはそのあとで、制服を整え、バッグを持って団地の外階段を下りる。

そして通学用のバス停へ向かう途中、団地の集会所の前を通り過ぎた。

扉はまだ閉まっている。中には誰もいない。

パイプ椅子と長机が、朝日を受けて静かに並んでいた。


「……今日は何も来てない、よね」


スマホの画面を開く。通知なし。

副会長からの爆音メッセージも来ていない。

タブレットは静かに眠ったまま。


「平和すぎて逆に不安……」


でも、こういう日のあとに、何かが起きるのも知っている。

いのりはバスに乗り込み、定期券でぴっとタッチして乗車。

窓の外を眺めながら、春の陽差しに目を細めた。


「……新学期、始まっちゃった…。」



雛川シーサイド學院。

エスカレーター式の大学付属私立高校。

英語や情報処理など様々なコースがあり大学へ内部進学率高め。

いのりの入学時と同時に女子高から共学化されたばかり。でも男子はかなり少ない。

新年度とはいえ、クラス替えも担任変更もなし。

変わったのは教室の階数だけで、机も椅子も黒板も、去年のまま。


「まぁ、うん……“進級した”ってより、“階が上がった”って感じだよね」


校舎の窓から見える団地の風景も、いつもと変わらない。

ただ、自分の肩に乗っている「自治会長」という荷物だけが、じわじわと重くなっていた。



午前で始業式は終了。

いのりが帰宅すると、すでに玄関にともりのローファーが並んでいた。


「お姉〜、あたし先に帰ってきた〜」


「おつかれ〜。制服の着心地どうだった?」


「ぶかぶかだけど、あたしの成長に期待してるから」


「胸の話?」


「身長!! ……ていうか、お姉のそういうとこ、自分も地味に気にしてるの知ってるからね!」


「……気にしてないけど」


「お姉、目泳いでる〜」


「泳いでないもん!!」


「でもね〜、このぶかぶか感、今年のうちにぴちっとなるから。たぶん」


そう言って、胸元をパン、と軽く叩くともり。

いのりはあえてスルーした。心に微妙な波が立っているのは、認めたくない。



ほどなくして、けいじと両親が帰宅。


「いのりねーちゃん、きいてよ〜、名札なくしたかも」


「ええ!? 初日で!?」


「がんばっていっぱい詰めたら、ランドセル閉まる前にフタが“バフッ”ってなって……

名札、ピューンってどっか飛んでった」


「それ、完全に事故じゃん……」


「せんせーがさがしておいてくれるって!」


母・きよのが苦笑しながら、ランドセルの中を確認している。


「だから言ったでしょ、入学式くらいは荷物、親に持ってもらいなさいって……」


「だって“自分で持つ!”って言ったんだもん〜」


父・よしつぐが、きよのに締めてもらったネクタイをほどきながらつぶやいた。


「……まぁ、初日からひと笑い提供ありがとな」


「へへ、ぼくのにゅうがくしき、かんぺきだったでしょ?」


「ああ、とてもかっこよかったぞ!」


と、よしつぐが親指をグッと立てる。


「そうね、ネタ提供としては完璧だったかも」


と、きよの。

いのりはそんなやり取りを見ながら、

“なんだかんだでみんな、ちゃんと進級したんだな”と、じんわり思った。


「……とりあえず今日は、無事に終わったってことで」


「明日もがんばろ」


春の空はまだ少し冷たくて、それでもやけに明るく感じられた。


つづく。




最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。


今回はどこにでもありそうな、家族の日常を描いてみました。

何気ない朝の光景や、兄弟姉妹の掛け合い──

そんな当たり前のような平和な時間こそが、かけがえのない幸せなのかもしれません。


これからも、風張家のみんなを温かく見守っていただけると嬉しいです。


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