8話 計画2
ノートを開いた瞬間、もう手が止まらなかった。
しょうちゃんが語った“話”。
階段の設計、降水確率90%。
どれも現実には少し大げさすぎるはずだった。
だが──書いてみると、妙に“いける”感触があった。
「小説として成立してしまう」
それが一番怖かった。
ページが進むにつれ、頭の中に地図ができあがる。
交差点、歩道橋、雨、石、塗られた油。
細部が繋がり、物語に鉄筋が組まれる。
そこにストーリーというコンクリートを組み合わせれば一軒の建物が完成する。
一晩でそれは完成した。
豊臣秀吉もびっくりの一夜城。
達成感と、気持ち悪さが同時にやってきた。
「まさか、な」
と、独りごちたあと、俺はパソコンを開いた。
ほんとうになんとなくだった。
“駅前 交差点 階段 事故 男女 死亡”
検索ワードを思いつくままに打ち込みながら検索を増やしていく。
ためらいの指で「Enter」を押す。
──ヒットした。
地元の地方紙の記事。三ヶ月前。
タイトル:「若い男女、深夜の歩道橋で転倒死。酔っていた可能性」
心拍が、静かに跳ね上がる。
日付は、しょうちゃんが“見かけた”と言っていた日と一致していた。
場所も、話していた交差点の特徴と一致している。
そして、“男は頭部を強打、女は転倒時に首の骨を折って死亡”。
雨の影響から捜査は難航。
記事には「事件性なし。事故として処理」とある。
──偶然か?これが、偶然なのか?
いや、偶然だったとしたら、あまりに出来すぎている。
あのトリック。あの話し方。
しょうちゃんが“考えた”のではなく、“記憶していた”のだとしたら──。
キーボードを打つ手が止まった。
それでも、俺は書き上げた。
一気に、最後まで。
そんなはずはない。
しょうちゃんはこの記事を見ただけだ。
記事を見て思いついたストーリーをただ書いただけだろ。
止められない。
そうとでも思いたかった。
キーボードを叩く指は今更止められない。
筆が進む、というより、“語らされている”ような感覚だった。
しょうちゃんの声が、頭の中でずっと続いていた。
「俺、トリック得意なんだよ」
「やる気になれば、誰だって人殺せるよ」
最後の一文を打ち終えたとき、背中に冷たい汗が滲んでいた。
ファイルを保存し、編集の加納に原稿を送った。
「新作原稿、お送りします。タイトル案は“階段の雨”でお願いします」とだけ添えて。
送信ボタンを押したあと、しばらく椅子に沈み込んだ。
──これでよかったのか?
誰かが、これを読んで、また「面白い」と言うのだろうか。
「よくできたトリックだ」とか、「リアルな描写だ」とか。
でも、それが“リアル”だったら?
「俺、次の話もあるよ」
しょうちゃんの笑顔が、頭の中でフラッシュバックする。
どこまでが冗談で、どこまでが本気だったのか。
今となっては、もう分からない。
それでも──原稿は、送ってしまった。
違和感は、心の奥に沈んだままだった。
まるで、プールの底に沈んだもののように。