窓越しのヒーロー
「ヒーローになりたいっ!」
夜だというのに鳴いていた蝉の声が一瞬止んだような気がした。
幼稚園児かと思うこの発言の主は、決して幼稚園児ではない。どこにでもいる普通のDKである。ハルカの幼馴染のユウスケは、いつもこんなことばかり言っている。初めの方こそ面白がって馬鹿にしていたが、正直そろそろ飽きてきていた。
「そっか、頑張ってね」
「何それ!ひどくない?」
最低限応援してやってるんだからありがたく思え。ユウスケの視線を無視して、読んでいる本に意識を戻す。…しかし、どうしても集中できない。
「せめて突っ込むとかさ、質問するとかさ、なんかないの?話広げようという努力は」
諦めが悪いのだ、この男は。もうここまでくると話に乗るしかなくなってくる。
「はいはい、ヒーローって何ですか。ベルト使って変身でもするんですか」
「違ーう!それはヒーローはヒーローでもお子様が思い描くヒーローの定義!あれ、ハルカってもしかして、子供?」
「ユウスケと同じ17歳」
どこかへ行こうにもここは自分の部屋。何を隠そう、家が隣なのだ。しかも窓を開ければ部屋も隣となると、多少うざくても逃げることも何もできない。
ハルカの住んでいる家は冷房があまりきかない。だから夏の夜ともなると、もう窓を開けるしか道はなく、窓を開けるとユウスケの声は勝手に聞こえてくるのだ。
「ごめんごめん。で、俺が思うヒーローは、やっぱり、ボランティア精神旺盛で、困ってる人が居たら助けられて、それで、皆から尊敬されるような人で、あとは…」
なんとなく、赤い全身タイツに身をつつんだユウスケが、道でゴミ拾いをしている様子が思い浮かんだ。多分こういうことじゃないと思うけど、ちょっと面白い。思わず頬が緩む。
やっぱり私は、どんなときよりもユウスケと話しているときが一番笑っている気がする。
「つまりは、皆に好かれるタイプの人ってこと?」
「まあ、そんな感じ」
「じゃあ、要するにモテたいってことだ」
あ、言葉を失ってる。ちょっと顔が赤く見えるのは、正解だと思っていいだろうか。
「意訳なら、間違ってはない…」
「そう」
ちょっとからかい過ぎたかもしれない。塩梅が難しい。
「ハルカは、俺、ヒーローになれると思う?」
「まあ、なれるんじゃない?」
こんな事ばかり言っているが、ユウスケはかなりモテる部類に入ると思う。ムード―メーカーだし、気も遣える。今日みたいに窓越しに話すのだって、私が窓を開けなければ絶対にしない。だから私もこの部屋で安心して過ごせる。
「…ありがと、頑張るわ」
「頑張れ」
素直な所もいいと思う。
「ハルカ―!準備しなさい!」
ママの怒号が飛んできた。読んでいた本を閉じる。
「ごめん、もう行かないと」
「うん、」
お客さんは、ユウスケみたいに優しくないし、待ってもくれない。
「ユウスケが、お客さんとして来てくれたらいいのに」
「無理だよ、俺まだ高校生…あっごめん、その」
「今の忘れて。何でもない」
無理をさせたいわけじゃないし、私は十分ユウスケに救われてる。そんなところで気を遣う必要なんてない。ただ、ほんの少しだけ、自己満足の願望だ。ちゃんと考えれば、幸せに高校生してるユウスケをもっと見ていたいって思える。
「やっぱさ、俺母さんにお願いするよ、なんか」
「ううん。遠慮しとく。もう慣れたし」
おかげさまで生活には困ってない。まあ、「困っていない」だけではあるが、別にいい。それに、
「私にはこの場所があるから」
「ん?」
思わず言ってしまった。聞こえてなかったみたいだ。
「じゃあ、また話してくれると嬉しいな」
「いいの?無理してない?」
「ううん、全然。だって、君は私のヒーローだから」