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起きてまず思ったのが、結婚して家を出ていたはずの自分がどうして
実家で寝ていたかということだった。
そして、産んだばかりのはずの娘がいない。
代わりに側で寝ているのは幼児の女の子だった。
驚いてすぐに桃は母親を探した。
「お母さん、私はどうしてこの家にいるの? 奈々子は? 俊は?」
「桃ぉ~、どうしちゃったのよぉ~。あなたー、ちょっとあなた~」
両親から説明を受けた桃は、どうやら自分が記憶障害を起こし、
一定期間の記憶をなくしているのだと知った。
それにしても娘の突然の成長振りには驚かずにはいられない桃だった。
ただ、どうして奈々子と自分だけが実家で寝ていたのか?
おそらくふたりで遊びに来ていたのだろう。
しかし、働いていただなんて、職場のことも職場の同僚のことも
思い出せず……母親から連絡を入れてもらいひとまず休職することにした。
「桃、ほんとによかったわ。
私やお父さんのことをちゃんと覚えていてくれて」
「うん。取り敢えず私奈々子連れて家に帰るわ。
俊が心配するといけないし」
「「ちょっと、待って……」」
思わず桃の両親がハモった。
「俊くんが迎えに来ることになってるから、慌てなくていいのよ」
「そうなの?」
「あなた……」
康江が2才年下の夫の邦夫の顔を見上げた。
「ちょうど、いいじゃないか」
「えっ、何がです?」
「桃と俊くんの元サヤのことだよ」
「あ~ぁ、まぁね。
だけど一時の健忘症ですぐに記憶が戻れば桃が激怒すると思いますよ」
「だが、ある意味この好機を逃すと未来永劫、桃はシングルライフを
送ることになるかもしれない。後のことは後のことだ。なるようになれだよ。
すっかり俊くんとのいざこざの期間中のことが記憶から抜け落ちている
ようだし、こういうのを渡りに船っていうものさ。
神様がチャンスをくださったのだから、棒に振るなんてもったいないってことさ」
「邦夫さん、この年になってこんなこと言うのもなんだけど……ス・テ・キ」
「えーっ! 今頃ですかっ、康江さんっ。私は元々素敵ですがな」
「「ふふっ、はははっ」」
還暦間近になって愛娘が孫を連れて出戻って以来、彼女たちの不安定な行く末を
思わない日はなかった滝谷夫妻。
ふたりで心を一つにし、俊との話し合いを成功させるべく奮闘するのであった。