5. 誤用がしっくり来すぎて正しい意味が覚えられない
「『すべからく』ってのも誤用をよく見るよな」
「ああー。それ、間違える」
誤用をよく見る言葉という話の流れで、ふと口にした言葉に、相手が頭を抱えた。心当たりがあるらしい。
「なんかさー、『すべからく~べし』の形なら『当然~すべき』って意味だってわかるんだけどさー、『すべからく』だけだと、なんか、『全部』! って感じしない?」
「あー……なんとなく、わかる」
こういうのは、誤用をよく見るせいで、そっちの使い方に慣れてしまったとか、そういうことなのだろうか。
「こういうの、なんでなんだろうなー」
「当然~すべき、から、全員が~すべきだ、って解釈されて、だから『すべからく』の方に全部~みたいな意味があるように思い込まれた、とか」
「なるほどー」
「いや、適当言っただけなんだが?」
「知ってる」
ふっと息を吐いて、二人で顔を見合わせて笑う。
頭を使わずに適当に話せる相手との会話は、気楽でいい。
「あ。そういえば、最近知ったんだけど、『失笑』って思わず笑う、とか、ふき出す、とかそういう意味なんだってさー」
「へえ」
「え、もしかして知ってた系? オレ、どっちかっていうと苦笑とか嘲笑とかのイメージの方が近い言葉だったんだけど」
言われた言葉に首をかしげ、自分のもっていた言葉の印象を思い起こす。
「んー……いや、俺もどっちかっていうと、そっちのイメージだったかな。誤用の方」
「だよな~! これはなんでなんだろう。『失』の文字のイメージとかかなー」
「俺は、『失笑を買う』とか、使われている場面のイメージが強いな」
「ああ。なるほど」
ふむふむとうなずいている顔を横目に、机の上に出したままだった電子辞書に文字を打ち込む。
「そういう言葉のイメージ的なのだと……『姑息』とか」
ひょいと覗き込んできた相手の方に電子辞書の調べた結果の画面を向ける。
「『姑息』って……えー!? 『一時しのぎ』とか『間に合わせ』って意味だったのか!?」
画面の説明を読み、目を見開いて驚く相手の顔を眺めながら、そうだよな、とうなずく。
「なんか、『卑怯な』みたいなイメージあるよな」
「あるある。これも字のイメージか……? 使われている場面か……?」
むむっと眉を寄せて画面をにらむようにしながら、首をかしげていた相手が、はっとしたように顔を上げた。
「それ系なら、オレも、もう一つ知ってる!」
そのままポチポチと見ていた電子辞書に文字を打ち込み始めた。
「これ! 『恣意的』!」
「んー……?」
向けられた画面の文字を目で追う。思うまま、とか、気ままに、とかの意味があるらしい。
「あー……たしかに、何かイメージと違うな」
「だよな。何かこう、わざと、とか、ちょっと悪意が入ってる感のあるイメージあるよな」
「わかる」
そう言って相手に向かってうなずくと、わが意を得たとでもいうように、勢い込んで話し始める。
「な! 絶対、『恣』の字に気ままにみたいなイメージないんだよ! こう、ちょっと性格悪そうな字面じゃん!」
「いや、なんで字に文句言ってんの……」
あまりの勢いと、言っている内容に、ちょっと笑いがこらえきれなかった。
「これは絶対、『恣』の字が悪い」
「濡れ衣すぎる……」
口元を押さえたが、しばらく笑いはおさまらなかった。
今回の話で言及した誤用:
・すべからく
・失笑
・姑息
・恣意的
補足:
・「恣意的」を「意図的」の意味で使用するのを誤用とみなすかどうかは色々議論があるようです。
・「恣」の文字に対する印象は、あくまでも小説内登場人物の個人の感想です。
(常用漢字で、人名に使用することもできる漢字のようなので、一応、念のため)。