3. どちらが正しいかわからなくなりがち
両手で顔を覆い、うなっている奴の様子を見ながら、頬杖をつく。
誤用をつい使ってしまうことに落ち込んでいるのか、それとも、次に言う誤用を思いつかないのか……どちらだろうか。
そんなことを考えていると、眺めている視線の先の相手が、ばっと顔を上げた。
「『役不足』!」
どうやら、言うべき誤用を思い出そうとして、うなっていたようだ。
「ああ。わりと有名どころの誤用だな」
「そうそう。よく誤用って言われているの見るよなー。けど、いつもどっちの意味が正しいんだったか、わからなくなる……」
「えーっと……正しいのは、本人の力量に比べて役目が軽すぎる、の意味の方か。役目の方が重いって意味で使うのが誤用、と」
念のため、ポチポチと手元の電子辞書で調べた結果を見ながら話す。
「うん。これ、何回聞いてもごっちゃになる……」
「まあ、そういうのたまにあるよなー。わからなくなる系だと、俺は『喧々諤々』とかかな」
「あ! それ! 何か似たのがいっぱいあるやつ!」
「言い方」
言わんとしていることは伝わるが、雑な言い方に思わず苦笑する。
「えーっと、『喧々諤々』は、『喧々囂々』と『侃々諤々』が混同されてできた言葉、と」
再び手元の電子辞書を操作して調べた結果を眺める。
「それほんと無理……もう、どれがどれかわかんないし……」
「まあ、その気持ちは俺もわかるけど。似てるから、どれが誤用でどれが正しいかわからなくなるんだよな」
「そうそう……あ、それ系だと、『汚名挽回』!」
「『名誉返上』?」
「だよな!」
にっと笑った相手と目が合う。まあ、この二つの誤用はセットみたいなものだろう。
「これはまだ、意味を考えたら正しい言葉がわかるから、いい方だよな」
「『汚名返上』と『名誉挽回』な。汚名は返上するもので、名誉は挽回するもの、と」
「そういう系だと、他に何があるだろ……」
また言う順番になった相手が、宙を見つめて独り言のように呟いている。
ゲームのルール的には誤用を言っていくというだけで、それ以外の縛りはなかったはずなのだが。
まあ、何か関連があった方が思い出しやすいというのはあるかもしれない。
そう考えながら、自分の番が来たときに備えて、自分も他の誤用を思い出しておこうとしていると、先に相手が口を開いた。
「『敷居が高い』の正しい意味ってなんだっけ……?」
すっと手元の電子辞書を相手の方に向けて机の上を滑らせた。元々、相手の持ち物を俺が勝手に使っていただけだから、元の持ち主のところに戻っただけだが。
「不義理をして行きづらい、ってのは誤用の方だっけ?」
相手が調べているのを眺めながら、記憶をたどって言葉を口にする。
「んー……いや、そっちが正しい意味。高級そうで行きづらいってのが誤用の方」
「ああ、そっか。これもわかんなくなるな……」
「なー」
調べ終えて落ち着いたらしい姿を見て、口を開く。
「次。『煮詰まる』」
「あーーーー……あー、ね。知ってる知ってる」
そう言いながらまたポチポチと電子辞書に文字を打ち始めた。
「これは、『行き詰まる』の意味で使うのが誤用だったよな」
電子辞書の画面を見ている相手に話しかける。
「そうそう。で、結論が出る段階になるっていう、どっちかっていうと肯定的な意味の方が正しい使い方、と」
うんうんとうなずきながら、辞書に書いてある内容を読み上げているのであろう相手を、じーっと見つめた。
「…………いや、知らなかったわけじゃないよ!? 聞いたことはあった……気は、する……ような……おそらく……いや、たぶん……」
別に責める気も何もないのだが、なんとなく面白くなって、じーっと見つめ続ける。
うろうろと視線をさまよわせていた相手が、こちらの視線に負けてちらりと見上げて来る。
「えーっと……その…………って、お前、面白がってるだけだな!?」
そうして俺の口元が微妙に笑いをこらえる形になっているのを目にして、ようやく気付いたようだった。
「焦りすぎ」
「いや、お前のせいだからな!? お前、黙ってると雰囲気こえーんだよ。普段から!」
ぎゃんぎゃん言い始めた相手に適当に返事をしながら、漏れ出る笑いを噛み殺した。
今回の話で言及した誤用:
・役不足
・喧々諤々
・汚名挽回
・名誉返上
・敷居が高い
・煮詰まる
補足:
・喧々諤々は、以前は誤用とされていましたが、今は誤用が定着したとみなされている場合もあるようです。
・汚名挽回は誤用ではないという説もあるそうです。